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■日本人外交官殺害 熊本大教授や友人ら悲劇悔やむ [熊本日日]
2003年11月30日 19:13
写真:5月8日、2カ月ぶりに業務を再開したバグダッドの日本大使館前で、
日の丸を広げる井ノ上正盛書記官(右)
http://www.asyura2.com/0311/up1/source/207.jpg
「信じられない」「無念だったろう」。二十九日、イラクで襲撃され死亡した井ノ上正盛書記官(30)は、熊本大法学部の卒業生。在学当時を知る教授や友人らは「外交官の夢が、道半ばで断たれるなんて…」と悲劇を悔やんだ。
熊本市の熊本大には三十日午前九時ごろ、一報が入った。会見で、法学部の良永彌太郎学部長は「井ノ上さんは外交官をめざして勉学に励み、夢をかなえた。国際的に最も厳しい場所で、忠実に職務に努めていたと思うと、無念でならない」と唇をかんだ。
井ノ上さんは一九九六(平成八)年卒業。在学中は国際法ゼミに属し、成績は優秀だったという。外交官試験をめざした井ノ上さんを指導した林一郎教授(当時・助教授)は「目標に向かって積極的な姿勢が印象に残っている。忘れられない教え子の一人」と沈痛な表情で振り返った。
林教授は週一回、試験のための補習を開き、論述試験の問題例を出し、井ノ上さんが約二千字で解答し、添削するというやり取りを繰り返した。「合格後、アラビア語専門になったと聞いたが、イラクに行ったのは知らなかった」
井ノ上さんは卒業する直前、大学のパンフレットに寄せた一文に「入学した理由はただ一つ『外交官になりたい』という幼いころからの夢があったから。学生生活は充実していた」とつづっていた。良永学部長と林教授は「彼の努力と足跡を、後輩たちは励みにしてほしい」と語った。
大学時代はテニスサークルに所属。後輩の会社員田島康弘さん(29)=鹿児島市=は「井ノ上さんは会長として、後輩の面倒見がよく、慕われていた。酒の席で『人のためになる仕事をしたい』と言ったのが印象的。残念です」と悔やんだ。
大学の後輩の会社員西岡隆雄さん(28)=東京都=は「ガリ勉タイプではなく、資格試験の相談に乗ってくれる頼れる先輩だった。外務省に合格したとき、電話でうれしそうに報告してくれたのに…」と信じられない様子だった。
http://kumanichi.com/news/local/main/200311/20031130000256.htm
■復興支援、期待の担い手 殺害された井ノ上書記官 [宮崎日日]
(阿修羅サイトで既出:みいばこさんの情報提供リンク先より本文を引用)
2003年11月30日
イラク北部で二十九日、殺害されたイラク大使館の都城市出身の井ノ上正盛書記官(30)は、一緒に殺害された奥克彦参事官に少し遅れて四月後半にバグダッド入り。
アラビア語が堪能な上、戦前からイラクを熟知していることから、日本政府の復興支援活動に担い手の一人として期待されていた。
外務省によると、井ノ上書記官は一九七三年生まれ。妻ケ丘中、泉ケ丘高校卒業後、熊本大法学部に進学。九六年に外務省入省。
シリアのダマスカスで三年間アラビア語を学び、二〇〇〇年五月から二年間、在チュニジア日本大使館勤務。
昨年五月、在イラク日本大使館勤務の発令を受け、在ヨルダンの日本大使館イラク班に所属、イラク戦争開始前まで度々バグダッド入りしていた。
◆駆けつける親族ら 10月に最後の帰省
イラクで襲撃され死亡した書記官の井ノ上正盛さん(30)の都城市の実家には早朝から心配する親族らが集まった。二人目の子どもの出産が迫る中での悲劇だった。
同市一万城町の父靖史さん(59)、母イク子さん(57)のもとに外務省から第一報が入ったのは午前四時ごろ。
九時ごろには「身元がパスポートではっきりした」と知らされた。そのころから実家には親せきら約二十人が続々と訪れた。おじ(69)によると、両親とも落ち着いた様子で対応しているが、声を掛けられ涙ぐむ場面もあるという。
靖史さんはこわばった表情で「急なことで動転している」とだけ話した。
妻幸乃さん(30)は十二月に出産予定で、長男鼓太郎君(2つ)とともに約一カ月前にイラクから帰国し、福岡県内の実家に帰省中。井ノ上さんは妻と長男を福岡に送った後、実家にも立ち寄った。
両親に元気な様子で「心配せんでいいから」と声を掛けたその日が、最後の帰省となった。
井ノ上さんは大学時代に県庁と外務省の試験に合格。「県職員に」という周囲の反対を押し切って外交官になる夢を貫き、外務省に入省した。
http://www.the-miyanichi.co.jp/news/index.php3?PT=1#20031130110
■イラク便り〜遂に仲間が到着〜
平成15年4月27日(日)
在英国大使館 奥参事官
(CPAを通じた人的協力に参画中)
1.井ノ上書記官到着
昨日(26日)、在イラク大の井ノ上書記官(在ヨルダン大兼任)がクウェートから陸路、到着しました。私がクウェートからバグダッドに来たルートと少し違ったためか、時間がかかったようです。日本人の仲間が来てくれるとなんだかホッとします。東京では、今後もORHAを通じた人的協力を続けると聞いています。心強い限りです。
2.アラビア語能力で貢献
井ノ上書記官は、73年生まれ、熊本大学法学部を卒業後、96年に外務省に入省。シリアのダマスカスで3年間アラビア語を学び、2000年5月から2年間、チュニジアの日本大使館で勤務した後、昨年6月からイラクの日本大使館の館員として発令を受け、ヨルダンの日本大使館イラク班で勤務しています。バグダッドにも戦争開始前まで度々やってきていますので、言葉ができるだけでなく当地の事情にも詳しいので、正に打ってつけの役目です。井ノ上書記官はガーナー局長の事務局員として、私がクウェートから一緒に車を運転してきたゴレジノウフスキー事務局長の片腕として働くことになっています。井ノ上書記官によれば、クウェートからの道中、他のORHA要員でアラビア語が読める人物が一行にいなかったので、道路標識等を瞬時に判読するなどして、早速、そのアラビア語能力を遺憾なく発揮できたそうです。
井ノ上書記官の事務局参加をガーナー局長以下幹部も大変歓迎してくれています。これからバグダッドを舞台にイラク人による政府の立ち上げを手伝うことがORHAの目的ですので、井ノ上書記官の活躍の場も沢山出てくると思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/030503.html
■イラク便り〜岩井参事官登場。〜 【日本大使館の国旗掲揚に関して】
平成15年5月8日(木)
在英国大使館 奥参事官
(CPAを通じた人的協力に参画中)
在イラク日本大使館
常駐体制の再開。
今日は嬉しい知らせです。ニューヨークにある国連代表部の参事官でイラク大使館参事官にも併任されている岩井参事官とイラク大使館の三原書記官の二名が、陸路、ヨルダンのアンマンからバグダッドに入り、バグダッドを退出した3月8日から2ヶ月、バグダッドでの戦闘行為が事実上終了した4月9日から約1ヶ月たったこの日に、在イラク日本大使館の常駐体制を再開することになりました。タ方4時過ぎに井ノ上書記官と二人で、岩井参事官と三原書記官の大使館到着を出迎えました。既に、日本のTV、プレスの人々も来てくれていましたので、常駐体制再開の第一声を取材してくれました。
実は一寸したハプニングがあり、日の丸を掲揚する旗竿からロープも外されてしまっていて、旗を場げようにも揚げられなかったのです。約10m程の高さがある旗竿なのですが、梯子を掛けてもてっペんの滑車のところまで届きません。折角の再開日なのに、国旗が掲揚できなければ台無しです。
散々考えた結果、イラク人スタッフの発案で、消防車を呼んでくることになりました。戦後間もないバグダッドで、果たして日本大使館の国旗掲揚に協力するため、わざわざ消防車が来てくれるのでしょうか。皆、半信半疑で待つこと15分、やって来たではありませんか。真っ赤に塗られたフランス製の大きな消防車です。イラク人の消防士と思しき人が、屋根に載せている大型の長梯子を降ろして大使館の敷地内に持ち込み、ロープを滑車に通して日の丸をくくりつけ掲揚してくれました。夏の訪れを感じさせる暑い5月初旬の青空にイラクの人の協力を得て、ようやく日章旗が翻りました。
皆から思わず拍手です。日本大使館は再開しました。岩井参事官はエジプトのカイロでアラビア語を学び、バグダッドにも勤務した経験のある有能な外交官です。ニュ―ヨ―クではUNDP等の国連の援助機関を担当していますので、イラクに対する日本の復興支援を具体化していく人物としては最適です。また、三原書記官は湾岸・アラブ地域に造詣の深い専門家で、イラクの政務問題を担当します。
両名とも言葉も知識も経験も豊富ですので、戦後厳しい環境の中での日本大使館再開にはもってこいの人材です。
バグダッド市内は、夜11時以降は外出禁止令が出されているなど、治安は改善されていませんが、大使館が再開されれば、日本の企業の人達のイラク入りも今後徐々に円滑になっていくでしょう。
さあ、小規模とはいえ日本大使館も再開されました。イラク人スタッフとともに、これから茂木外務副大臣のバグダッド訪問の準備にとりかかります。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20030508.html
■自立への復興を目ざして −イラク・イラン視察報告− 下地幹郎 (より一部引用)
5 米国、復興人道支援室(ORHA)奥克彦参事官、井上正盛二等書記官、会談
写真:「バグダッドの状況や、ORHAの役割り等について意見交換をおこなう。
米国・復興人道支援室(ORHA)奥 克彦、井上正盛二等書記官との会談」
http://www.mikio.gr.jp/Iraq-report/photo3/09.gif
1、バグダットを中心とした治安情勢について
イタリアがバグダッドに利益外交部を開設するなど、公式な関係は再開しているが、やはり治安の悪化がその進展を妨げている。日中は散発的に、夜になると毎夜発砲事件が発生し、バグダッドの治安は依然として不安定である。
2、ORHA(米国復興人道支援室)の役割について
米国としては、ORHAの役割を最小限に留め、イラク人に徐々に役割を移譲していく方法を取っている。ORHAの役割は、イラク人による暫定統治機関ができた際、誰が大統領や大臣になっても行政機関が機能するように基礎を整え、安定した市民生活をいかに早く取り戻すかが重要である。これまでイラクはバース党による統制経済行政システムを取ってきており、その基礎さえ戻れば後はうまく運営されていくと思われる。経済制裁が解除されれば状況は更に改善されるだろう。アラブ・イスラエル問題など中東地域・国際政治の動静に復興の過程は大きく左右されるかもしれないが、ポイントはアメリカがどこまで本気でイラク復興に力を注ぐかであろう。個人的にはORHAが早期に撤退し、公平な他機関にその役割が引き継がれるのが望ましい。
3、行政機関の再構築について
イラク政府役人は教育レベルも高く、その取りまとめをしている政府がなくなったため機能していないが、取りまとめさえできれば機能は十分果たせる。現在、「仕事に帰ろうキャンペーン」を展開中で、一部役人は公的仕事に復帰している。情報省などは大きなダメージを受けたが、民生に近い省庁の物質的ダメージは少なく、元の建物での業務が可能となっている。しかしながら、役人に対する暴動も発生し、保健省の役人が一人死亡した。警察機関については、イラクのシステムはイギリスやイタリア・スペインに近く、自衛型のアメリカ・システムでは機能しない。現在、イラク人警官に銃を提供し、省庁機関を警護させるなど、治安回復を進めている。
現在、4000人のアメリカ兵が戦闘要員から民生要員へと交代している。
4、 日本の援助
現在、イラクでは全ての分野においてニーズが山積しており、何が必要かなのではなく、何ができるのかを提示することが重要。現在、日本政府として、1、ウンムカスル港湾整備のための浚渫船提供(250万ドル、UNDP経由)、ウンムカスル市評議会へ車両3台提供(草の根緊急無償資金)を行った。JBIC等の規定では、イラクは無償の対象ではなく、大規模な支援は円借款となる。現在の問題は、1、相手方政府が存在していなくORHAが代わりに受領対象となるのは難しい2、国連機関がまだ機能していない3、USAIDなどアメリカ政府は支援を決定しているが実際のプロセスは非常に遅い。
5、 日本ができる援助
現在、イラク支援はまだまだ行われておらず日本が果たせる役割は大きい。具体的な案件としては、
1・ 「学校へ戻ろうキャンペーン」:全イラク児童への文房具の提供
2・ 役所機関のスタッフへの交通提供(ミニバスの提供)
3・ごみ処理
その事業実施の方法は
1・ NGOなど民間援助機関
2・一般企業
国連はあまり機能しないと思われる。
資金源としては4、にあげた理由により、1、草の根無償、2、草の根緊急無償しかない。現在、1000万円以上の案件については財務省主計局及び外務省による審査があり、その決定プロセスは遅く、迅速な支援により日本の貢献度を上げるためにも人間の安全保障基金などを活用した、新たなスキームが必要と思われる。
http://www.mikio.gr.jp/Iraq-report/report.html
関連
イラクで邦人2人殺害か [asahi.com] 【イラク北部ティクリート近く・在イラク日本大使館の館用車・大使館員か?】
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/699.html
投稿者 ひろ 日時 2003 年 11 月 30 日 06:50:49:YfXbGWRKtGRPI
外務省職員2人殺害 イラク・ティクリート付近で襲撃 (朝日新聞)
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/722.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 11 月 30 日 10:14:46:0iYhrg5rK5QpI
日本の外交官が狙撃された状況
http://www.asyura2.com/0311/war43/msg/757.html
投稿者 転載バガボン 日時 2003 年 11 月 30 日 18:25:37:viYzkQtBs8gp6