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(回答先: 奥参事官の外務省「イラク便り」最終号はなんと日髑伊ファシスト同盟の賞賛レポートだった 投稿者 外務省・省員近思録 日時 2003 年 11 月 30 日 12:08:58)
「ササーリ旅団」という言葉が
NHK19:00で放送された(11/30)
私は、この言葉が放送されたことに深い意味が
あるのではないかと、疑問に持っている
NHKは知っているのだと思う
誰か疑問を解いてください
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(写真:ササーリ旅団の徽章)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/image/20031121a.jpg
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ササーリ旅団は第一時大戦中はクロアチアに展開し、第二次世界大戦ではローマの防衛にあたったとのことです。ササーリ旅団の徽章には、FORSA PARIS(ともに闘う)、SA VIDA PRO SA PATRIA(君の命を愛国のために)という言葉が掲げてあります。
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外務省:外務省案内 > 省員近思録
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/20031121.html
イラク便り
〜イタリアSassari旅団〜
在英国大使館 奥参事官
(CPAを通じた人的協力に参画中)
ナーシリーヤを県都とするジ・カール県はイタリア軍がルーマニア軍を従えてCamp White Horseに陣取っています。ここはイラクにおける主要な戦闘が終了してから、比較的早い時期にイタリアのGaribaldi旅団が駐屯していましたが、去る9月にSassari(ササーリ)旅団と交代しました。
ササーリ旅団は第一次世界大戦中の1915年に地中海に浮かぶサルディニア島の南北に展開する第151、第152の2つの連隊から結成されたそうです。案内してくれたCUCCU(クック)少佐も勿論、サルディニア島出身で、家族を島に残してのイラク勤務です。クックさんはボスニアに駐留していたところに、イラク赴任の命令が出て、4日間だけサルディニア島の家族の元に戻って、ナーシリーヤにやってきました。任期は1月下旬までの約4ヶ月です。
ササーリ旅団は第一時大戦中はクロアチアに展開し、第二次世界大戦ではローマの防衛にあたったとのことです。ササーリ旅団の徽章には、FORSA PARIS(ともに闘う)、SA VIDA PRO SA PATRIA(君の命を愛国のために)という言葉が掲げてあります。
12日に、伊軍警察Carabinieriの根拠地が自爆テロに見舞われ17名の仲間を失ったばかりですが、スターノ旅団長以下1500名のササーリ旅団は、ルーマニア軍とともにナーシリーヤでのパトロールを強化するなどして、今まで以上にイラクの復興に取り組んでいくそうです。
平成15年11月21日(金)
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ササーリ旅団の徽章
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/image/20031121a.jpg
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デマージ参謀長
http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/staff/iraq/image/20031121b.jpg
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