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(回答先: 問題のAFP記事【日本人外交官2名がイラク援助会合に向かう途中、停車しているときに殺された】 投稿者 佐藤雅彦 日時 2003 年 12 月 05 日 00:13:53)
上記のAFP記事の筆者は、AFPバクダッド支局のパトリック・モーザー記者。チャンネルニュースが掲載しているのは、事件の翌日に書いたいわゆるフォローアップ記事です。第一報は、記事の最初の部分だけが当日に速報され、日本では時事通信社がキャリーして流しました。
モーザー記者から記憶を辿って丁寧な返事をいただきました。ビル・マクドナルド報道官が二人の日本人外交官の殺害を初めてブリーフしたのは、事件当日午後の支援会合の全体会議が始まる直前のことで、ロイターTVなど会議の取材をしていた記者を集めた臨時のブリーフがあったとのこと。正確な時間はわからないが、外務省が言うような「当日の夜」ではないということでした。外務省が明らかにしている支援会議のスケジュールでは、全体会議は午後2時から。殺害された3人が病院に運び込まれたのが午後2時と病院に記録されている。病院に運び込まれたかいなかの時間帯のブリーフだからこそ「負傷の程度はわからない」というブリーフになったと考えられる。(外務省の答弁のように翌日の午後のブリーフなら、もう遺族がイラク人運転手の遺体を引き取ったあとに、イラク人をレバノン人と取り違えて負傷の程度はわからないと大ボケのブリーフを米軍がしていたことになる。)
事件当日午後2時の段階で米軍が事件を詳細に知っていたのは、モーザー記者の証言から明らか。しかし、一方で、イラク警察は、その時間には、3人の身元の特定ができずに「二人の東洋人と一人の中東人」として扱っていた。しかも、米軍はイラク人運転手をレバノン人と取り違えてブリーフしている。昨年12月2日の毎日新聞記事では車内の座席の下にナンバープレートが
置いてあったとされているが、ナンバープレートのような目立つものをイラク警察が現地に着いた時に見つけられなかったというのは不可解。事件当日のナンバープレートの所在については、外務省も不可解な答弁をしている。何者かがイラク警察が到着する前に、二人の外交官のパスポートと同様に、ナンバープレートも持ち去っていたのではないか。しかも、そのナンバープレートは、米軍から被害車両が返還された時に、車と一緒に返還されたという。米軍は、車のナンバープレートも、どこかの部族長が届けてくれたとでも言うのだろうか?