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Re: 戦前」の継続と復活 【五十嵐仁】
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投稿者 愚民党 日時 2003 年 12 月 07 日 18:08:14:ogcGl0q1DMbpk

(回答先: 愚民党さんのキーワード「満州国」を理解するリンクはこれ。(^^;→冷や汗 投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 12 月 07 日 08:34:36)


○ クエスチョンさん、フォーロありがとうございます。
  自分は、自衛隊をイラクに派兵せんとする、日本国政府を
  満州国政府と命名しました。
  今後も世界権力の代理人である小泉内閣、川口外務大臣、石破防衛長官などを
  満州国政府と決め付けていく所存です。

  どうか、よろしくお願い申し上げます。
  
  


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「戦前」の継続と復活                    五十嵐仁


 
 ――そうすると、戦前と戦後の間には、岸さんにおいては断絶というものはないのですね。例えば戦後、アジア諸国に対する岸さんのアプローチと戦前のそれとの間には……。
 岸 おそらく断絶はない。(原彬久『岸信介証言録』毎日新聞社、2003年、355ページ)
 
 これは政治学者・原彬久の問いに対する元首相の岸信介の回答である。これを聞いた原は「岸氏の思想的本質において『戦前』と『戦後』の間に断絶はない」と断じている。
 戦前に日米開戦時の東条英機内閣の閣僚をつとめたような人物が、戦後わずか10年ほどで、首相の地位に上りつめた。ここに日本政治の問題点が凝縮して示されている。「戦前的なるもの」の継続と復活という問題である。
 昨今の危険なナショナリズムの勃興は、突き詰めてみれば戦前からの人脈が切断されず、「戦前的なるもの」の負の構造が戦後にも継承され、復活してきたことを背景としている。これについては、拙著『戦後政治の実像』(小学館)でも詳述したが、以下、人脈の継承からみた「戦前からの断絶のあいまいさ」を検証してみることにしよう。
 
息を吹き返した戦前人脈
 
 第2次世界大戦後、戦前に枢要な地位にいた軍人・官僚・政治家は戦争責任を問われて公職から追放された。しかし、これらの人物は、1948年12月24日に岸信介らA級戦犯19人が釈放されたのを皮切りに、次々と追放を解除されていく。
 1950年には、10月13日に石井光次郎・平野力三ら1万90人の公職追放が解除。11月8日には重光葵らA級戦犯の仮出所が発表された。11月10日には旧軍人3250人が初の追放解除となった。
 1951年に入っても、6月20日に石橋湛山・三木武吉ら2958人の第1次追放解除があり、7月4日と8月2日に第1次・第2次教職追放解除が続く。8月6日に鳩山一郎ら1万3904人の第2次追放解除、8月27日には元軍人2万1000人が追放解除となる。これ以降1952年4月27日まで、127回にわたって19万5205人が追放解除となり、残り6072人が講和条約発効と共に自動解除となっている。
 軍人の一部は自衛隊へと成長する「軍」復活の“パン種”となった。また、政治家や官僚の一部は、戦後の政界で復活していく。1952年10月1日に実施された第25回総選挙では、追放解除者が329人立候補し、鳩山一郎・石橋湛山ら139人が当選した。天皇制官吏から転身した官僚出身者も82人当選している。
 戦前からの復活組や転身組で重要なのは、その後、政党幹部や首相になった人物が輩出した点である。政党幹部では、重光葵、石井光次郎、賀屋興宣、三木武吉、大野伴睦などがいる。首相では、片山哲(30年衆院当選)、鳩山一郎(15年衆院当選)、三木武夫(37年衆院当選)、東久邇稔彦(陸軍大将)、幣原喜重郎(外務次官、外相)、吉田茂(外務次官、駐英大使)、芦田均(外務省)、岸信介(商工次官、商工相)、池田勇人(大蔵省)、佐藤栄作(鉄道省)、福田赳夫(大蔵省)、大平正芳(大蔵省)、中曽根康弘(内務省)、宮沢喜一(大蔵省)がいる。政治家や官僚ではないが、石橋湛山も戦前すでに著名なジャーナリストとして知られ、戦後は追放の指定を受けていた。
 
政権への影響力
 
 戦後の首相のうち、中曽根康弘内閣までの42年間16人の首相で戦前派でないのは、田中角栄と鈴木善幸のわずか2人(通算4年)にすぎない。後はすべて、戦前において支配階層・エリート階級としての経歴を持つ者ばかりである。その後の首相でも、細川護煕、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎はいずれも官僚や政治家の二世や三世であり、ここにも継続性がある。
 このような人的継続は、必然的に戦前からの人脈の継続を伴っている。戦前、悪名をはせた右翼的人物が、戦後の政界でも黒幕として暗躍したのはそのためである。児玉誉士夫、安岡正篤、四元義隆、矢次一夫、笹川良一、豊田一夫などは、代々の首相に強い影響力を持ち続けた。元大本営参謀・連合艦隊参謀でシベリアに抑留され、帰国後商社の幹部となり、やがて中曽根首相の懐刀としての役割を果たす瀬島龍三のような人物もいる。
 とくに戦中、上海で最盛時2000人を擁した「児玉機関」を率い、戦後、東久邇内閣顧問となり、自由党結党に当たっては今日の金額で3750億円と推定される財宝や現金を提供した右翼の大物・児玉誉士夫は、戦後政界の黒幕として暗躍した。
 児玉は、巣鴨プリズンで尋問された際、CIAの前身の情報機関(OSS)にタングステンを提供している。これを国防総省に売却したCIAはその資金を対日工作の秘密資金にあてた。児玉は、岸と大野らとの政権移譲の「密約」に立ち会い、60年安保闘争では「左翼対策」のために右翼や仁侠を集め、日韓条約締結の背後でも暗躍した。
 また、児玉は1958年からロッキード社の秘密代理人として軍用機などの日本への売り込みの便宜を図った。とんだ「民族主義者」である。「ロッキード事件」でも名前が出てくるが、児玉が担当したP3Cの売り上げ総額は約5000億円でトライスターの約3倍、児玉が受け取った報酬は23億円で、田中角栄が受け取ったとされる5億円の4倍以上だった。
 
古くて新しい課題
 
 戦後改革期の非軍事化・民主化直後から今日まで、いわば息の長い「逆コース」が続いている。それが可能になったのは、岸や中曽根のような戦前的価値観を引きずる政治家や政党が淘汰されず、国会の議席を占め続けてきたからである。このような戦前派政治家の継承と復活を許した点で、日本の戦後政治は痛烈な反省を迫られている。
 しかも、「戦前的なるもの」はここに来て蘇生し、勢いを増しつつある。アメリカの「帝国」化と日米同盟の強まり、北朝鮮の拉致や核開発問題など日本をめぐる国際環境の不安定さがその背景にある。
 戦前人脈の切断や「戦前的なるもの」との断絶、非軍事化・民主化の徹底による平和・民主国家の建設という戦後改革期の理想は、今もなお、古くて新しい課題なのである。


http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/kinyoubi.htm

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