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今日は朝からいくつものテレビを観ていました。
フジテレビ、TBS、日本テレビ、NHK、テレビ朝日…。
そのすべてで「外交官の死」を報じ、「自衛隊派遣問題」を論じていました。
こういう場に何よりも必要なのは、コメンテーターの顔ぶれです。
もしこの場に、ここにコメントを書いていらっしゃる、
木村さんや諸先輩たちが出席して発言していたとしたら、
たぶん「その場の空気」もずいぶん違ったものになるだろうと思います。
(お呼びがかかることなどありえないことは十分に分かってますが<笑>)
新聞やテレビなど、いわゆるマスメディアが作り出す「空気」を、
ずいぶん前からじーっと観察してきたぼくとしては、
早くも「国家レベルの空気合意」が形成されだしたいま、
そこに「水を差す」営みが、ますます重要になってきたと思っています。
もしこうした営みが萎えてしまったら、
日本はもう一度「破滅の危機」に直面することにもなりえます。
これが単なる杞憂に終わることを願うばかりですが、
しかし今朝のマスメディアの空気に、とても深刻なものを感じました。
「空気」がいかに恐いものであるか。
戦前にこのことを体験した日本は、もう十分に知っているはずなのに、
またもや同じような「空気呪縛」に遭遇しています。
そこで、ちょっとくどいかもしれませんが、
「空気の研究」から、「水を差す」ことの重要性について、
簡潔に引用させていただきます。
●戦後の一時期、われわれが盛んに口にしていた「自由」とは何であったか。
それは「水を差す自由」であり、
これがなかったために、日本はあの破滅を招いた。
●戦争直後「軍部に抵抗した人」として英雄視された多くの人は、
勇敢にも当時の「空気」に「水を差した人」だったことに気づくだろう。
●「英雄」は必ずしも「平和主義者」だったわけではなく、
ちなみに「竹槍戦術」を批判した英雄は、
「竹槍で醸成された空気」に、「それはB29に届かない」という「事実」
を、口にしただけである。
●「事実を口にすること」こそ「空気」を一瞬で雲散霧消してしまう「水」
だから、その行為は「非国民」とされて不思議でない。
●「水を差す自由」こそ「自由」の本質であり、これを失ったら大変だと、
戦後の人々が感じたことも不思議ではなかった。
●われわれは今でも「水を差す自由」を確保しておかないと、
大変なことになるという意識を持っており、
この意識は、組織内でも組織外でも働き、
同時に、この自由さえ確保しておけば大丈夫という意識も生じた。
………しかし現実の日本の社会は、この自由がかなり阻害されています。
組織内では「水を差す自由」は、まずないといっていいでしょう。
実際、外務省内で「イラク戦争に反対した天木大使」はクビになりました。
それはさておき、いまの不気味な空気に対して「水を差し続ける」
このサイトはとても大事な役割を担っているのではないでしょうか。
http://www.creative.co.jp/