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(回答先: 小泉純一郎のロンドン大学留学先(University College London/UCL日本クラブ) 投稿者 ロンドン大学のあほ大将 日時 2003 年 12 月 07 日 04:53:04)
小泉純一郎は1967〜69年にロンドン大学(ユニバーシティ・カレッジ)に
留学していたようだ。帰国直後(69年)に選挙に出て落選し、翌年に
福田赳夫の秘書になっている。
その福田の仲人で78年にエスエス製薬創業者の孫娘と結婚しているが、
82年に協議離婚している。
エスエス製薬というのは政治的・経済的・軍事的にどのような暗躍を
してきたのだろうか? 阿片製造などにも関わっていたのだろうか?
小泉が厚生族になったことに関係していたのだろうか?
あとはまったく無責任な思いつきなのだが、小泉が仮に警察の御厄介に
なるような醜聞を抱えていたのだとしたら、福田赳夫は当然それを
知っていたはずだが、その福田が仲人をした小泉の嫁さんは、その辺を
知っていたのだろうか? もし知らずに結婚して、なんらかのきっかけ
でそうした醜聞を知るに至ったとしたら、それは離婚のきっかけに
なりえなかったか?
もしも……もしも……で考えていくと、いろいろと仮説が浮かぶものだが……。
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http://www.jun-pu.com/sokuseki.html
小泉純一郎の足跡をたどる
時々の語録とともに・・・
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1942年 神奈川県横須賀市に生まれる。
1960年 神奈川県立横須賀高校卒業。
1967年 慶大経済学部卒業。ロンドン大学に留学。
「政治家にだけはなりたくなかった」。
1969年 父・純也(元防衛庁長官)が急死。留学先から帰国し、衆院選に初挑戦するも落選。
1970年 福田赳夫元首相の秘書となる。
1972年 衆院選初当選。
「父と祖父の遺産のお陰でしたね。七光りどころか十四光りで当選したようなものですよ」
1978年 福田赳夫元首相の仲人で、エスエス製薬創業者の孫娘・佳代子さんと結婚。
1979年 大蔵政務次官
1982年 協議離婚。子ども2人を引き取る。
「結婚するエネルギーを一とすれば、離婚するエネルギーは十倍以上。二度と結婚はしない」。
1988年 竹下内閣に厚相で初入閣。
1989年 宇野内閣で厚相。
「福祉を担当する役所なんだから、老人にも理解できる美しい日本語を使いなさい」
1991年 山崎拓・加藤紘一氏と「YKKトリオ」結成。
1992年 宮沢内閣で郵政相。
老人マル優拡大に反対し、郵政族と対立する。
1993年 衆院選で自民過半数割れ。郵政相辞任。
1994年 「郵政省解体論」を出版。
1995年 自民党総裁選に出馬するも、橋本龍太郎氏に敗れる。
1996年 橋本内閣で厚相。
「‘真剣‘を抜いて行革に取り組んでほしい。あなたは竹刀を振り回している(橋本総理に語った言葉)。」
1997年 在職25年の永年在職議員表彰を辞退。
「行政改革の第一歩は、政治家自身が既得権を放棄することだ」
1998年 再び総裁選に出馬。小渕・梶山氏に破れる。
「私を受け入れる自民党ではなかった。」
1999年 「郵政民営化論」を出版(民主党の松沢成文氏との共著)。
2000年 森派会長に就任。
「凡人も軍人もこの世にいなくなり、残ったのは変人だけ。私は極めて常識的な発言をしているのに、政界では変わっているといわれる。変わっているのは永田町だ」
加藤元幹事長が首相退陣要求をした「加藤政局」では森総理を擁護する。
2001年 総裁選3度目の正直。
「男は三度勝負する・・・なぁんてね(笑)」
第20代自民党総裁に選出される。
第87代内閣総理大臣に就任する。
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