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(回答先: G.W.ブッシュを正面から批判した「あの」映画監督マイケル=ムーアの日本語公式サイトが開設された【http://michaelmoorejapan.com/】 投稿者 転載バカボン 日時 2003 年 12 月 06 日 10:13:00)
いわゆる「世間に名前を売る」ってことをやると、自分についてのおかしな作り話をいくつも読むはめになる。たとえばぼくは、世間に信用のある新聞や雑誌にこんなことを書かれた。(a) 大学卒である(そうじゃない)。(b) 工場労働者だった(工場は一日でやめた)。(c) 兄弟が2人いる(1人もいない)。《ニューズウィーク》誌によれば、ぼくはニューヨークのセントラル・パーク・ウエストの、公園に面した建物のペントハウスに住んでいるそうだが、実際に住居があるのはアッパー・イーストの〈ベイビー・ギャップ〉が入っている建物で、公園には面していない。インターネット・ムービー・データベース(IMDb)は以前、ぼくをエルビス・プレスリー主演の《ブルー・ハワイ》の助監督として記録していた(あの映画が公開されたとき、ぼくは6歳で、妹たちの雪ダルマづくりを上手に監督していた)。最近お気に入りの間違いは、多くの批評家が、《ボウリング・フォー・コロンバイン》で使ったアニメを《サウス・パーク》の作者たちがつくったと考えたことだ。それは事実じゃない。ぼくが台本を書いて、友人のハロルド・モスがアニメにしたのだ。
「マイケル・ムーア」に関するこの種の作り話や間違いを読むのは楽しい。ペントハウスで兄弟たちとバカ騒ぎをして暮らしている、と空想してみるのは愉快なことだ。ただ、どうも近頃ぼくやぼくの作品について事実に反することが書かれすぎている気がするのだ。インターネットはこの手のフィクションを簡単に広げてしまう(検索エンジンにキーワードを打ちこむ作業だけで記事を書く怠惰な記者や、間違った記述を複製していくネット中毒者のせいで)。ということで、こちらから間違いを訂正していかないと、事実に反することを信じてしまう人たちが増えていくんじゃないかと心配になってきたわけだ。
もちろん、ぼくのことが書かれているサイトや刊行物を全部チェックするにはそうとう時間がかかるわけで、そんなことより次の本や映画に労力を使ったほうがいいとも思う。でも、放っておいたら、嘘話を読まされる人たちに申し訳ないんじゃないだろうか。
《ボウリング・フォー・コロンバイン》と『アホでマヌケなアメリカ白人』が思いがけず大成功をおさめたことで、ぼくとぼくの作品について書かれたり語られたりする作り話は前とは違うレベルのものになってきた。ぼくを俳優のロジャー・ムーアと混同するような単純な誤解ではなくなってきたのだ。ある種の団体がぼくの信用を落とそうと、わざと嘘話をでっちあげてばらまきはじめている。みんながそれを信じて、ぼくの話に耳を傾けなくなればいいと願って。
そんなことは簡単さ! と調子づいて。
幸い、そういう人たちは怒りと憎しみに凝り固まった物言いをするので、自分たちの信用を落とすだけの結果に終わることが多い。
それはまあ、「大統領」を自称する「泥棒の頭目」を批判する本を書いて、それがノンフィクションの年間ベストセラー第1位になったら、彼の子分たちがぼくを攻撃してくるのは当然のことだろう。それはいい。そんなことは予想していたことだ。いまさら泣き言はいわない。
それから全米ライフル協会(NRA)やその支持者たちを批判したら、全力をあげてこちらを撃ち落とそうと(これは言葉の綾ですが)するのは目に見えている。彼らは心優しい人たちじゃない。心優しさを捨てることであれだけの権力を手に入れたのだ。
というわけで、銃を持つ権利を擁護する団体やいかれたガンマニアたちが、ネット上でぼくの中傷を繰り返しているのだが、それには子供じみたものから(マイケル・ムーアは「へなちょこイタチ野郎だ」、「デブのくそったれだ」)、ジョージ・オーウェルの悪夢を思わせる毒を含んだものもある(「マイケル・ムーアはアメリカを憎んでいるのだ!」)。
この手のばかげた中傷を、ぼくはおおむね無視してきた。ところが何週間か前に、いかれたデマがメジャーなメディアで流れた。〈CNN〉のある番組に出演した男が、ぼくの映画には「間違いが次から次へ、次から次へとふんだんに出てくる」といったのだ。その男は「評論家」で、「インディペンデント研究所」なる団体の「調査主任」と紹介された。なんだかまともそうな印象を与える人物だった。
ただし視聴者は彼が本当は誰であるかを知らされなかった。この人物は《ガン・ウィークリー・マガジン》誌の補助編集員なのだ。
〈CNN〉はこの「評論家」がいかなる形の銃規制にも反対している人間であり、《ボウリング・フォー・コロンバイン》が腐りきった映画だと主張することに私的な利害関係を持っていることを、視聴者に告げる必要はないと考えたわけだ。
こんな変なやつがまんまと〈CNN〉への出演に成功してしまった場合はどうすればいい? 無視しておけばいいだろうか? ホロコーストはなかっただの、猿は空を飛ぶだのと主張する連中はどう扱うべきか? 放っておけば消えるだろうか? 1人の言い分に耳を傾けてやると、後から後からワラワラと出てくるんじゃないか?
まさにそういうことが起きたのだ。別のいかれたやつが、今度は〈MSNBC〉に登場した。ジョン・ロフトンというこの男は、ぼくの映画が全部作り物であるという説をとうとうと述べ立てた。〈MSNBC〉のアンカーはその主張に一度も疑問を投げかけず、この男がどういう人間かを視聴者に告げなかった。実はこのロフトンは、ブッシュをリベラルすぎると考えている極右のイカレポンチで、パット・ブキャナンの大統領選での助言者や、ジェシー・ヘルムズのダイレクトメール・ライターを務めたことがある。保守的な《ワシントン・タイムズ》紙(彼は83年から89年までコラムを書いていた)では、憎悪犯罪対策法案に反対して次のようなことを書いた。
たとえば、例の「反同性愛暴力」というやつだ。この法案は相手がホモセクシュアルだという理由だけで犯罪を犯す者だけを処罰しようとする。しかしそういう犯罪は「反同性愛暴力」の中で最も有害な形とはいえない。とんでもない話だ。
「反同性愛暴力」のうち最も暴力的な犯罪は――100パーセントこのとおりだといえるが――同性愛者を攻撃するいわゆる「同性愛者嫌い」ではなく、ホモセクシュアルやバイセクシュアルの男性によって、ほかのホモセクシュアルやバイセクシュアルの男性に対して犯されるのである。
またこの国では現在までに、何万人ものホモセクシュアルやバイセクシュアルの男性がエイズで死亡している。それはリスクの高いセックスを行なっているからだ。
この「反同性愛暴力」のほうが、「同性愛者嫌い」による犯罪よりよほど多くの犠牲者を出しているではないか?
どうやらこの手のイカレポンチたちにもきちんと対応したほうがよさそうだ。意図的にか怠慢からか、メディアがこういう連中を「まともな評論家」として扱うケースが出てきているからだ。
さて、連中が《ボウリング・フォー・コロンバイン》について主張していることはどの程度クレイジーなのか? ぼくのお気に入りをいくつか挙げてみよう。
あの銀行で銃をもらうシーンは演出されたものだ!
あったりまえじゃん! 映画なんだからさ! あの銀行はセットだし、窓口係や支店長は雇った俳優、銃は映画の小道具を売る店から買ってきた偽物。ぼくも俳優も、ぼくが書いたスーパー・クールな台本どおりに喋ったんだ! すごくよくできたシーンだったろ?
なんちゃって……
真実はこうだ。2001年の春、ぼくはミシガン州で、本物の新聞に載っている本物の広告を目にした。譲渡性預金の口座を開けば銃を一丁進呈する(利息の前払いとして)という本物の銀行の広告だ。彼らはこんな謳い文句で客を募っていたのだ――「バキューンと貯金を増やそう!」
この預金獲得策のことはぼくが撮影をするずっと以前に報道されてもいた。預金をすれば「銃を進呈する」銀行があると《シカゴ・サン・タイムズ》紙が書いていたのだ。映画の中でも窓口係が「銃を進呈する」といった。
《ボウリング・フォー・コロンバイン》でぼくは銀行に入り、新品の銃をもって出てきた――あれはまさにあのとおりに起こったのだ。前もって電話をして、口座を開くところを撮影する許可をとったことを除けば、ふつうの客と違うことは何もしなかった。ミシガン州北部にあるあの銀行に入ったのは、2001年6月のあの日が初めてだった。カメラがまわっているところで窓口係に1000ドルを渡して、期間20年の譲渡性預金の口座をつくった。連邦当局が義務づけている書類記入をすると(「白人(Caucasian)ってどういう綴りだっけ?」と訊くシーン)――そういうのは初めてやったのだが――支店長がファックスで本店に身元調査を依頼した。あの銀行は連邦当局の銃器販売免許をとっているから、店内に銃を置いておけるし、犯罪歴即時調査のシステムも使える(つまりアルコール・煙草・火器局のデータベースで調べるわけだが、そこには連邦銃器販売免許 #4-38-153-01-5C-39922 をもつ〈ノース・カントリー銀行〉も合法的な銃器販売業者として登録されている)。
身元調査をする役所からは10分足らずでオーケーの回答が出た。その5分後には、映画でご覧になったとおり、ウェザビー・マークVマグナム・ライフルがぼくに手渡されたのだ。
ちなみにあの銃はまだ持っている。いちばんいい使い道は、溶かしてジョン・アシュクロフト司法長官の胸像をつくり、〈eベイ〉のオークションにかけることだろう(これについてはまたいずれ報告したい)。代金はブレイディ銃暴力防止運動にカンパして、ぼくの映画を中傷してアメリカの銃大好き病をますます昂じさせようとする嘘つき連中と戦う資金にしてもらうのだ。
さてもうひとつ、銃擁護派からはこんな大ボラを聞かされたこともある。
コロラド州リトルトンにある〈ロッキード〉の工場は大量破壊兵器の製造とは無関係だ!
そのとーり! 《ボウリング・フォー・コロンバイン》で〈ロッキード〉の広報担当者のうしろに映ってた巨大なロケット――「アメリカ空軍」とドでかく書かれていたやつ――白状すると、あのタイタンIVロケットの横っぱらの文字は、〈ロッキード〉の連中が見てないとき、ぼくがこっそりペイントしたんだ! そもそもあれは気象衛星を打ちあげるロケットだもんね! ハッハッハ! みんなを騙してやったぜ!
ていうか……
真実はこうだ。〈ロッキード・マーティン〉は嘘偽りなく世界最大の兵器メーカーなのだ。リトルトンにある工場では半世紀近く前からミサイルやその部品、その他の兵器を製造している。50年代には最初のタイタン大陸間弾道ミサイルを完成させた。ソ連に核弾頭をぶちこむためのミサイルだ。80年代半ばには大陸間弾道ミサイルのMXミサイルやミニットマンの製造、ゼニス・スターという宇宙レーザー兵器や、スター・ウォーズ計画の一部であるブリリアント・ペブルズの開発を手がけた。
編集でカットされた部分では、〈ロッキード〉の広報担当者が、同社がリトルトンで核ミサイルを製造しはじめたことや、「MXミサイル・ピースキーパーの開発で一定の役割を果たした」ことを語っている。
いまリトルトンの工場では何をつくっているのかと訊くと、広報担当者マッカラムは、「あれは(背後にあるロケットは)おもに国家安全保障用の大型衛星を搭載するものですが、これについてはお話しできない事柄もあります」と答えた。
この取材以後、リトルトンで製造されたタイタンWロケットはアフガン戦争とイラク戦争で重要な役割を果たした。これらのロケットが打ちあげた最新鋭の衛星は「イラクで作戦の指揮統制をとる手段」となり、「イラク空爆において海軍のトマホーク巡航ミサイルがすばやく標的を捕捉したり、特殊部隊との秘密通信を行なったりするのに」使われた。
〈ロッキード〉のロケットがときどき気象衛星やテレビ放送衛星にヒッチハイクさせてやるからといって、リトルトン工場の本業を忘れるべきじゃない。それは人殺しの機械をつくることだ。リトルトンに住む2人の少年が彼らなりの大量殺戮を決断した(訳注 コロンバイン高校銃乱射事件を指す)という事実は、あの会社の人たちやネットでデマを書き散らす人たちが論じたがらない事柄だ。
さて《ボウリング・フォー・コロンバイン》に対する中傷のなかでいちばん奇妙なのがこれだ。
あの映画にはNRA会長チャールトン・ヘストンがコロンバイン高校の近くでスピーチをするシーンがある。だが彼がスピーチをしたのは事件の1年後で、場所は1400キロ離れた町でだった。しかもあれは融和を訴えるスピーチだったのに、無神経なものであるかのように編集されていた。
おお、ご明察! あれはぼくが捏造したシーンなんだ! ヘストンはデンバーにこなかった! あんなスピーチはしなかったんだ!
とかフザケてる場合じゃなくて……
真実はこうだ。ヘストンはデンバーでNRAの大会を開き、あの映画で喋ったとおりのことを喋った。ぼくがナレーションで「……銃擁護の大規模な大会を開いた」と告げたところからあと、チャールトン・ヘストンの口からはまさにあのとおりの言葉が出たのだ。リトルトンとは目と鼻の先のデンバーで、コロンバイン高校の悲劇のわずか10日後に。ぼくのいうことなんて信じられない? それならスピーチの筆記録を読んでみてほしい(http://www.michaelmoore.com/words/wackoattacko/heston.php )。あのスピーチの主眼は、「ここへはこないでほしい」と要請したデンバー市長をあざけることだった。フィルムを編集してヘストンを悪く描くどころか、ぼくは市長をあざける部分を大幅にカットして、彼の邪悪な印象を和らげたのだ。
いかれた銃大好き人間たちは、なぜNRAの勇敢なリーダーが映画の中で話すのを聞いて動揺するのだろう? 誇らしく思ってもいいはずなのに。もっとも、悲しみをこらえている父親(息子がコロンバイン高校で死んで、NRAの大会が開かれたのと同じ週に銃社会に抗議する集会でスピーチをした父親だ)の映像と交互に映されると、ヘストンは急にあまり感じのいい人間には見えなくなる。とりわけ悲劇がまだ心に生々しい衝撃を残しているデンバー市民にとってはそうだった(その1年後にはフリント市民にとっても)。
映画では、スピーチに先だって、ヘストンが「銃を奪いたいならわたしを殺してからにしろ!」とぶちあげる映像が流れる。あれはNRA会長ヘストンのトレードマークのようなものだった。片手でライフルを高々と掲げて、あのスローガンを叫ぶ。NRAの代表として公式の場に出るときは、たいていあれをやったものだ(コロンバイン高校事件の前も、あとも)。あの映像はデンバーのあるテレビ局から提供を受けて使ったまでだ。NRA自身がメディア向けにつくったもので、ある報道記事によれば、例のスローガンは「熱心な銃所有者のお題目」であり、「Tシャツにプリントしたり、封筒にスタンプで押したり、Eメールの文面に添えたり、電話の相手に大声で叫んだりする」そうだ。それなのに彼らは、いまはあのヘストンの姿とスローガンに気まずいものを感じるというわけだろうか?
ぼくはアメリカと諸外国での銃による死亡者数のことでも非難されてきた。例によって、あの数字はでっちあげだというのだ。だが、映画で紹介した統計数値はどれも本物で、すべて各国政府機関が発表したものだ。以下にその出所を挙げておこう。
アメリカでの銃による死者年間11,127人は疾病対策センター、日本の39人は警視庁、ドイツの381人は連邦刑事局(ドイツ版FBI)、カナダの165人はカナダ統計局、イギリスの68人は犯罪司法研究センター、オーストラリアの65人は政府の犯罪研究所、フランスの255人は《国際疫学ジャーナル》誌が、それぞれ報告した数字だ。
最後にもうひとつ、コロンバイン高校で銃を乱射した2人の高校生は本当にあの日の朝ボウリングをしたのか、とぼくに訊く人がいる。だが、それは先生たちが捜査員に話し、何人かの生徒がFBIと地区検事局に目撃証言をした事実だ。彼らが証言した場にぼくはいなかった! だからぼくは映画の中で次のような問いを投げかけたのだ。
するとディランとエリックはあの朝、学校で銃を撃ちまくる前にボウリングを2ゲームやっていたのか? レーンにボールを転がしていたのか? これには何か意味があるのだろうか?
もちろん、あれはばかげた問いだ。あそこでいいたかったのは、大量殺人をマリリン・マンソンのせいにするのは、ボウリングのせいにするのと同じくらい愚かしいということだ。
銃大好き人間たちは各論についても総論についても議論したがらない。議論すれば負けるのがわかっているからだ。ほとんどのアメリカ人は銃規制の強化を望んでいる(たとえばシカゴ大学の全米世論調査センターが発表した2001年度の銃政策に関する調査報告をご覧になるといい)。銃擁護派はそれを知っているのだ。だから彼らは議論を避けて、なぜアメリカでは銃で死ぬ人がこんなに多いのかと問いかける人間(とくにベストセラー書を出して映画をヒットさせる人間)に人身攻撃をしかける。
ここではっきり保証しておくけれど、《ボウリング・フォー・コロンバイン》に出てきたことはどれも紛れもない事実だ。3つの調査グループと2つの弁護士グループが綿密にチェックをして、すべて疑問の余地のない事実であることを確認した。どこの映画会社であれ、この種の映画を公開するときは事前に厳格きわまりないチェックをする。NRAはきわめて強力な圧力団体だから、映画会社も恐れてそうせざるをえないのだ。少しでも隙があれば、NRAは容赦なく攻撃してくる。この国でもっとましな銃規制が施行されないのも、議会が彼らを死ぬほど恐がっているからだ。
これまでのところ、ぼくやぼくの映画に対してNRAは訴訟をいくつ起こしているか? 1件も起こしていない。そう、ゼロだ。忘れないでいただきたいが、彼らは法律上の問題点をひとつでも見つけたら、きっとあの映画を叩きつぶしにくる連中なのだ。でも彼らはそういう問題点を見つけられずにいる。事実の面であの映画には穴がないからだ。《ボウリング・フォー・コロンバイン》はどんな個人や団体からも訴えられていない(訳注)。なぜか? それはあの映画に出てくることがすべて事実だからだ。意見を述べている部分は、これは意見だとちゃんと断わって、それが正しいかどうかの判断は観客にゆだねている。
(訳注)この文章が書かれたあとの10月末に、オクラホマ連邦ビル爆破事件で終身刑となったテリー・ニコルズの弟ジェイムズが、名誉毀損を理由に損害賠償請求訴訟を起こしている。
映画が事実をいっさい曲げていない場合、その主張に反対する人たちとしては、そこで提示された事実をふまえて議論を挑むか、映画の作り手に個人的な中傷を加えるしかない。銃擁護派は後者を選んだ。なんて悲しい世の中だろう。
実をいうと、映画が劇場で公開されたあとで、ぼくは1つ誤りがあることに気づいた。それは「ウィリー・ホートンはデュカキスによって仮釈放され、ふたたび殺人を犯した」というキャプションだ。殺人罪で服役していたウィリー・ホートンは、仮釈放されたときに逃走し、女性1人をレイプして、その婚約者を刃物で刺したが、被害者は死に至らなかった。ビデオとDVDでは問題のキャプションを、「ウィリー・ホートンは仮釈放され、1人の女性をレイプした」と訂正した。ウィリー・ホートンとその家族には、1人しか殺害していないのに2人殺害したように描いたことをお詫びする。それから、故リー・アットウォーターにも謝りたい。彼は1988年の大統領選挙で民主党のデュカキス候補に、ウィリー・ホートン事件を利用した不当な中傷広告をぶつけたことを、死の床で謝罪した(もっとも彼のほうはホートンの殺害した人数を間違えなかったのだが!)。
とまあ、そういうことだ。ぼくやぼくの作品について嘘話をでっちあげる人たちは今後もそれを続けるだろう。そういう連中は名誉毀損で訴えてやればいいのだろうか? それとも、ただ笑ってすませているべきだろうか? ブッシュ政権の命運が尽きるときまで、笑っていればいいだろうか? ちなみにブッシュ政権の命運が来年の十一月に尽きるのは、ぼくは確実なことだと信じている。
あなたの友
マイケル・ムーア
(《ボウリング・フォー・コロンバイン》の監督)
PS. 今後もおかしな中傷が出てきたら、このウェブ・ページで反論していこうと思っている。ぼくに関して腑に落ちない噂を聞いたら、ここをチェックしてみてほしい。