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(回答先: ↑は読売の社説です。読売も危機感イッパイのようです。 投稿者 シジミ 日時 2003 年 12 月 05 日 06:05:30)
http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm
イラクで殉職した二人の日本人外交官の遺体が日本に帰り、悲しみを新たにさせられる中で、今回の事件は日本外交の問題点も浮き彫りにしつつある。その一つは危険地帯で任務に就く日本人の危機管理、特に「情報」面でのひ弱さを白日の下にさらしたことだ。
バグダッドの日本大使館には情報収集と分析、アラビア語、対人交渉…とあらゆる能力において特別な訓練を積んだ「プロの情報員」が皆無だった。いたとしても今回の事件が未然に防げたか否かは定かでない。しかし今後、同様の事件の再発を何としても阻止するため、政府はプロ情報員の適格者を一刻も早く発掘あるいは養成して現地に送り込む努力をすべきだ。
日本には米中央情報局(CIA)や旧ソ連国家保安委員会(KGB)のような強力な情報機関はない。まして冷戦終結後は外務省の中の国際情報局、公安調査庁、内閣調査室、防衛庁の情報本部といった情報機関の要員は全体で「三分の一程度も」(情報筋)減らされ、予算も大幅に削られた。
わが国には「明石元二郎」というプロ情報員のお手本がある。日露戦争の最中、明石陸軍大佐は地下の革命運動家、レーニンの一派にふんだんに資金提供するなど数々の謀略工作を行い、当時のロシアの首都ペテルブルグで要人暗殺や工場のサボタージュを頻発させた。これによりロシア軍の東方展開に歯止めをかけ、対露戦争の勝利に貢献しただけでなく、一九一七年に帝政打倒のロシア革命を誘発した。
明石大佐が明治政府から任された機密費は現在の貨幣価値で百億円強とされたが、自らの生活費は極力抑え、資金の約三割を政府に返却した。
明石大佐が現代に残した教訓は、混乱する現地の人々の間に分け入って得られる情報(ヒューミント)と情報網構築の死活的重要性と、卓越した情報工作員ならたった一人でも歴史をも動かしうる働きが可能という点だ。
もちろん百年前と今の情報革命時代は単純に比較できない。しかし、イラクのような部族社会には虚実交えたさまざまな裏情報が集まり、そこでのヒューミントはテロ組織の動向を事前に察知する上で不可欠だ。その活動には在外公館の法外な住宅費や交際費を削っても潤沢な資金を投入すべきだ。