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(回答先: 米軍誤射説にも論理性あり。運転手はアラブ人でナンバープレートなしの怪しい車だった。 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 12 月 03 日 01:01:03)
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031202M071_0709101E10DI.html
イラク北部 「外国人は出ていけ」幹線道で襲撃頻発−−市域立ち入り阻止
◇待ち伏せ、追尾
【バグダッド竹之内満】日本人外交官ら計3人が29日、イラク北部ティクリートに向かう幹線道路で銃撃を受け殺害された事件は、同道路を舞台に外国人を標的とした襲撃が横行している実態を改めて見せつけた。翌30日にはコロンビア、韓国の民間人も同様の手口で犠牲となったほか、同道路を移動中だった米軍部隊も旧フセイン軍部の残党とみられる集団の襲撃を受け、本格的な交戦に発展した。不穏な事態は一層拡大する様相を示している。
「こいつは日本人のスパイか?」「外国人は出ていけ」。30日、ティクリート市街で日本人殺害事件の取材中、イラク人通訳に近寄って来た3人の男が低い声で言った。男たちの目は据わっていた。取材を終えバグダッドへの帰路、事件現場から約3キロ南下したサマラ市境に近い地点では、同様に銃撃を受けた四輪駆動車を目撃した。殺害された韓国人2人を乗せた車だった。
ティグリス警察署によると、日本人外交官の殺害現場近くでは、約1カ月前にもトルコ人2人が乗ったトラックが銃撃を受け、2人とも死亡する事件があった。捜査員の一人は、日本人の事件を含め「銃撃してすぐに逃走しているので、強盗とは言いにくい。外国人を標的にしているのではないか」との見方を示した。
奥克彦参事官らを乗せた四輪駆動車は在イラク日本大使館の公用車だったが、同署によると、日の丸のステッカーなどは張られておらず、外見では日本の車両とは分からないという。ただ、同署はナンバーが「レバノンの外交官用」だったといい、これが事実なら、犯人には少なくとも「外国人」との認識があったとみられる。白昼堂々の犯行だった点で、より大胆化しているとも言える。
フセイン元大統領の出身地、ティクリートを一角とする「スンニ・トライアングル」地帯は、今も反米勢力として抵抗を続ける旧政権支持者の牙城だ。特にティクリートは旧政権下、大統領の出身地として都市整備などの恩恵を受け「外国人はおろか、バグダッド市民が訪れることを嫌悪する人もいる」と、あるバグダッド市民は指摘する。
一連の襲撃事件はほとんどが、ティクリート方面に向かう車両が標的となっている。いずれも幹線道路の途中、襲撃犯の待ち伏せや追尾を受け、市域に入るのを「阻止」された可能性が高い。
◇サダム忠誠隊、活発化
【バグダッド竹之内満】イラク北部のサマラ近郊で30日起きた米軍とイラク武装勢力の大規模戦闘で、旧フセイン政権に忠誠を誓うイラク人民兵組織「フェダイン・サダム」(サダム忠誠隊)の存在が再び注目されだした。戦闘のきっかけとなった米軍への攻撃は計画的で、同組織が依然として根強い抵抗を続けていることが浮き彫りになっている。
AFP通信によると、イラク駐留米軍は同日、戦闘でのイラク人死者が54人に上ったと明らかにした。
フェダイン・サダムはイラク人の若者を中心に組織されたゲリラ部隊で、フセイン元大統領の長男で殺害されたウダイ氏の私設部隊とも言われる。イラク戦争前には2万人程度の兵員を持ち、砂漠を舞台にした実戦訓練を繰り返していた。イラク南部の貧しい家庭の若者を入隊させ、国軍兵士より高い給与を支給するなどの厚い待遇を施していたという。
米ワシントン・ポスト紙(電子版)やAP通信などによると、米軍の車列は30日、イラクの新通貨を運ぶため、サマラ近郊から東側と西側の二手に分かれて中心部に向かっていた。しかし、午後1時半ごろ、両車列ともいきなりバリケードで通行を妨害され、道路わきに仕掛けられた爆弾や迫撃砲、ロケット弾、小火器などによる集中攻撃を受けた。武装勢力の多くはフェダイン・サダムの制服の黒い衣装をまとっていたという。米軍側は戦車砲などで応戦し、武装勢力が発砲拠点としていた建物3棟を破壊した。
現場は「スンニ・トライアングル」地帯の一角。フェダイン・サダムはイラク戦争後、しばらく表立った動きは見せなかったが、ウダイ氏殺害後の7月下旬、メンバーを名乗る男がビデオの中で「異教徒にジハード(聖戦)を続けることを誓う」などと報復を宣言。ラムズフェルド米国防長官が警戒する発言をしたほか、先月起きたイタリア軍警察本部爆弾テロ事件で、同国のマルティノ国防相が伊上院答弁で「事件の計画・実行犯はフェダイン・サダムなどの勢力とみられる」との見方を示していた。 (毎日新聞2003年12月2日東京朝刊から)