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本日は投票の代わりに三鷹駅北口で以下の主旨の政治制度批判、1時間演説せり。
こうでもしないと気分が悪いのである。単1乾電池10本使用巨大ラジカセで、まずは練習中のアラブ語の歌を流し、堂々の演説開始。近寄ってきた警察官の質問にも氏名を名乗った。
駅前では、いつものことである。ぐずぐずしちょるから、署長か警視庁か、聞いてみろ、と言ったら、黙って引っ込んだ。小泉首相の婦女暴行逮捕歴のこともしゃべったぞ!
これぐらいの言論の自由の行使もしないで、いじいじインターネットだけしてるようでは、人生、先が暗いよ、諸君!
我が編著『9・11事件の真相と背景』(副題:「テロ」か? 自作自演の戦争挑発謀略か?アメリカ=イスラエル=世界支配構想の核心を突く)より抜粋:
[中略]
●欧米流「デモクラシー」とは何か?
私は、昨年の9・11事件よりかなり前から、この問題に興味を抱き、追究し続けていた。私は、常に実態から考え直すのである。
英語のデモクラシーの起源は、ギリシャのデモスクラトスにあり、これはデモス(「部族」とか「区」と解釈されている)とクラトス(権力)の合成語である。
ギリシャでは、現代のいわゆる「市民権」を持つのは人口の10分の1の征服民族の末裔のみであって、実態は少数の支配部族の内部の政治方式でしかない。「区」に配置された部隊の兵士の集団的な「権力」と理解した方が、歴史的実態に合っている。
つまり、自らも奴隷主の一般兵士の合議制権力なのであって、発生的には「奴隷」状態を象形した「民」を主権者であると思わせるような訳語は、決定的な間違いなのである。すでに「軍事民主主義」と呼んでいる研究者もいる。
●アメリカ流「民主主義」とは何か?
アメリカ「民主主義」なるものの歴史的実態は、本章の冒頭に紹介したアメリカ製漫画本、『戦争中毒』にも、的確に描き出されている。原住民を騙し、殺し、駆逐して、ではあるが、「自由に土地を入手できる」条件の上に、黒人奴隷制を経済の基本として、初めて成り立っていたのである。日本語の訳題が『アメリカの民主政治』などとなっている歴史的な名著の著者、1880年代のフランス人のトックヴィユは、その実態を、基本的には個人主義なのであると見抜いた。歴史的な事実経過を見れば、人口の10分の1の支配層の制度の一つであったギリシャ民主主義と共通する欺瞞に満ちた差別支配、軍事貴族支配の一種の継続でしかないことが明確になる。
私は2000年秋、パレスチナ内戦勃発と同時に、東京は港区赤坂のアメリカ大使館前で英語の抗議演説をした。その時に、私は敗戦国の少年としてアメリカ民主主義を教え込まれたが、それが真っ赤な嘘だと知ったと言い、アメリカ民主主義については「デモクラシーよりも同じギリシャ語源ならデマゴギーの方がふさわしい」と、何度も繰り返してやった。これこそが「デモクラシー」の言葉の魔術を打ち破る最上の切り返しの秘伝である。
●欧米流「文明」とは何か?
日本では「文明」と訳す英語のcivilizaionの語源は、ラテン語のcivitas(市民権)などの語群とともに、都市を意味する英語のcityと同じ語源から発している。やはり同じ語源のcitadelは、はっきりと城や砦を意味する。つまり、「文明」という言葉を使うにしても「都市文明」の方がまだ実態に近い。ラテン語の語幹のciviはcieoと同じ意味とされており、cieoには「召喚する」の意味がある。これもどうやら、兵役義務を負う「市民」に由来するのではないかと考えると、非常に分かりやすくなってくる。つまり、軍事的な征服集団の基地と財産こそが、英語の「文明」(civilization)なのである。
以上の理由により、決まり文句の「民主主義と文明を守る戦い」を語源および実態に即して解釈し直すと、軍事都市、語源は城塞に盤踞する軍事集団による農村の制圧となる。
私は、この連中の「クラトス」(権力)を、日本の小領主の侍の合議制と同じものと断定する。ギリシャでもローマでも、その合議によって、戦争が決定されたのである。むしろ、この方が、王制よりも、貴族=重装騎兵中心の貴族制よりも、さらに強固な結束を作り出せたので、ギリシャやローマの地中海周辺世界の制覇が可能になったのである。
このような政治制度を築いたギリシャやローマの地中海周辺世界の制覇の時代を、欧米では、「パクス・ロマーナ」、「ローマの平和」と呼ぶ。かくして今の今、古代のギリシャ・ローマと同様の政治制度を持つ超大国による「パクス・アメリカーナ」、または「新世界秩序」への「アメリカン・ドリーム」ならぬ悪夢の予兆が、世界を覆っているのである。
[後略]