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(回答先: Re: でも何も報道しない、ないしウソの報道をするよりはましでは? 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2003 年 11 月 07 日 09:23:26)
「まし」という評価は幼稚園では通じても実戦の役には立たない。
中国新聞は、仮そめにも、世界に冠たる被爆地の地方新聞ですぞ。ここの論調が、日本ばかりか世界に通用してしまうのである。だから、その位置の重要性の自覚を求めているのである。
比喩は殺伐になるが、武器の優劣は決定的である。
平和売人または平和論者には、英語でpeacemongerとからかわれる程度の実践経験のないミーちゃん、ハーちゃんが非常に多くて、特に、組織ともなると、ソ連を典型とする役立たずの独裁にまで堕落し、反対物に転化するのである。
だから、数十年このかた、その被害と悲哀を味わい尽くした私は、いかに誤解されようとも、確信を持って、「偽の友」批判に精を出しているのである。
さらに私は、日本テレビ相手の16年半の不当解雇撤回闘争で、裁判の原告となっただけでなく、法廷や労働委員会での尋問を担当したし、東京地方争議団共闘会議の副議長として、法廷闘争対策を担当し、多くの争議、薬害などの市民訴訟の共闘会議に代表として参加してきた。
厳しい批判に耐えて研究し直す当事者、弁護団、支援者、共闘会議などの連携が無ければ、巨大企業や国を相手取った戦いには勝てないということを、身にしみて知っている。
その私から見れば、平和運動とか平和主義を自称する報道なんてものは、甘い、甘い、あまちゃん、チャンリンなのである。