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ジョージ・W・ブッシュ考
インタビュアーとして名高いデビッド・フロスト(所詮体制べったりの放送人ではあるが)が米国で訪英直前の藪吉にインタビューを行い、その模様がBBCで放映された。藪吉が話すのをじっくりと聞いた(見た)のは実は初めてであったが、それにしてこの男を大統領として頂いている米国人に対しては、今更ながら「おまえらあんな男が大統領なんてえばってるアメリカの国民でいることによく耐えられるねえ。よく恥ずかしくもなく表を歩けるねえ」という言葉を献上するしかない。
エドガー・アラン・ポーの推理小説に「盗まれた手紙」というのがある。名探偵デュパンが、さる貴婦人の手紙を盗んで政治的に利用しようとする悪辣な大臣の知的水準を正確に推し量って、手紙の隠し場所を探り出す話だが、この中で人間の知力を推し量る技術に話が及び、「相手が握ったおはじきの数が奇数か偶数かを当てるおはじき遊びで、学校中のおはじきを取ってしまった小学生」のエピソードが紹介される。
最初に相手が奇数を握っていて「偶数」と言ってはずれたとする。この子どもはその次に相手が奇数・偶数のどちらを握るかを正確に予測するから強いのである。相手が愚鈍な子どもだと見れば、「こいつは最初に奇数を握って勝ったから、次は変化をつけようとして偶数を握るだろう。」と推定し、相手がもっと賢そうな子どもだと見れば「こいつは変化をつけるというこちらの読みの逆を行くくらいの知性がありそうだ」、と読んで再び奇数でくると予測するのである。この小学生は相手の知性のレベルを正確に測定することがこのゲームの秘訣だと言い、そのために「相手の顔の表情をそっくりまねしようと試みる。その上で自分の頭にどんな考えが浮かんでくるかじっと待つのだ。」とませたことを言うのである。
この伝で藪吉の顔の表情をまねしてみようとしたら、頭の中に浮かんできたのは、「オレって昔からバカだバカだって言われ続けてきたし(何せDubyaがあだ名だ)、自分でもバカだってことはよく分かってる。分かっちゃいるけどそれでも、はずみで大統領にまでなっちまった以上、公然とバカにすることだけは絶対許さないかんな。コンチキショウ。絶対だぞ。いいか。ヤローッ!ザケンナヨーッ!ハアハア(逆上して興奮したため息を切らした)」という想念だけであった。
イラク侵略についての批判に話が及ぶと、藪吉は必ず血相を変えて「mass grave(無数の死体埋葬遺棄死体)murderer(人殺し)、children clutching toys(ぬいぐるみを抱いたまま殺された子ども:何と安っぽい!),」の感情訴求用語の3点セットを全く同じ順序で繰り返し、サダムの暴虐を訴える。この同じパターンが3回ほど繰り返されたが、事前にチンパンジーに芸を仕込むように訓練を受けたことが見え見えであった。阿修羅で藪猿と呼ばれるのも無理のないことだ。この男の知性では即興という芸当はいかにプリミティブな水準でも到底不可能だろう。
語彙のレベルは概ね米軍の下級兵士並(自在に使える語彙は平均2000足らずだという説もある)であろう。その上英語の発音はただでさえ知恵遅れっぽく響きかねないテキサスなまり(Texas drawl)で、おまけに正確に発音ができない。United Statesは「ユナイテッド・ステイツ」と発音できず「ユナイラステーツ」でお茶を濁す。自分の国の名前もまともに発音できない男が、その国の大統領をやってるのだから、こいつは本当のJokerである。例の「あはは」という乾いた笑いを献上するしかない。背景を知らない人が彼の話すのを聞けば、いやしくもイェール大学とハーバード大学の大学院で学んだ経歴の持ち主と思う人は絶無であろう。無論裏口から入って裏口から出たと思われる。
まあ在任中に9・11のような危ない企みが実行されることが分かっていたとしたら、なまじ自分で判断できる賢い大統領よりは、徹底的に側近が書いたシナリオの棒読みに徹するバカ殿型のキャラクターの方が無難だという判断があって白羽の矢がたったのだろう。
デビッド・フロストのうんざりした表情からは「一応アメリカ大統領だからあんまり機嫌を損ねるわけにもいかないんだけど、馬鹿のインタビューは五倍疲れるんだよね。」という本音がありありと見て取れた。何しろ小学生に大人がインタビューしているようなものである。視聴者だってまっとうな思考力を持っている人だったらすべて同じ感慨をいだいたに違いない。
繰り返しになるが、アメリカ人だって一定の知性や判断力を持ち合わせている人々はそれなりに(少なくとも100万単位で)いるはずだ。そういう人々にいいたい。「あんた達こんなごろつきみたいな人間に自分たちの運命を握られていて本当にいいの?冗談じゃないんだよ。経済とか行政とかいう話以前に大勢人が死ぬんだよ。自分の国でもよその国でも。このバカのために。」藪吉がいなくなれば代りの人間が大体同じような政策を踏襲して、地球に害を与え続けるであろうことも実は想像に難くないのだが、それでもこう言わざるをえない。