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(回答先: 堂々巡りの反米厨房奇知外、北朝鮮や旧ソ連に支配されてみろよ正義とはその差だよ… Re: それを言うなら実際に日本に原爆を落としたアメリカはなぜ不問なのかとなる。 投稿者 木村哀痔 日時 2003 年 11 月 06 日 10:41:56)
島崎藤村「夜明け前」に出会えたのは、やはり京都で
わずかな間、生活したからであろう。
自分はこれまで吉川英次をはじめてして
数々の歴史小説を読んできた。いずれも舞台は京都である。
京都の空気に触れそして場所に立ち、一挙に歴史大河小説が
リアリティをもってきたのである。小説とは場所である。
物語とは場所である。
島崎藤村「夜明け前」が、戦後歴史小説と明確に違うのは
木曽街道宿場馬籠(まごめ)という、ひとつの場所に
設定しているからであろう。
本陣問屋庄屋、青山吉左衛門と半蔵、父と子。
自分の親父も庄屋の次男であったが、その家は
戦後農地解放で没落した。
自分は島崎藤村「夜明け前」によって庄屋の仕事が
何であるかも知った。感謝である。
平田学問の存在も知った。
ファッシズムとして規定されてきた
日本農本主義は再検討されなくてはならないだろう。
自分はそこにも進んでいくだろう。
自分は三島由紀夫と島崎藤村の文学的関係も感じた。
幕末から明治維新の民衆的生活を防衛したのは
当時の庄屋が学んでいた平田古代学だった。
新しい古さが近き世になる・・・
これが明治維新の王政復古の秘密だった。
マルクス主義史観では明治維新と民衆像を解明できなかったのである。
自分は17歳でマルクスのドイツ・イデオロギー(岩波文庫)を
読んで、その明確な論理に魅せられた。
しかしそこではあらかじめ、複合的な観点が削られていたのである。
万人が読んでわかりやすい論理にするためには
複合的なものを消さなくてはならない。
ここにマルクス主義の階級闘争に歴史主軸を置く史観が誕生した。
万人にわかりやすい教条理念であった。
そのわかりやすさが欠落の巨大さを物語る。
ゆえに悪魔ロンドンに本部がある世界権力は
マルクス主義と労働者階級を利用し各国に内乱を外部注入し、
近代化を促進したのである。
何故か?
アングロサクソン世界市場形成のためであった。
しかし、自分はおのれがマルクス主義者であったことを
悔やんではいない。
大学もいかない自分が読書を蓄積してこれたのは
文明批評としてのマルクス主義のおかげである。
対国家権力という巨大な他者もからだで学ぶことができた。
人間が社会から学ぶことができるのは実践からでしかない。
読書とは対話能力を歴史から学ぶ。ゆえに文学なのだろう。
われわれは過去の巨大な文学者から場所と人間を学ぶ。
それが職業としての読書家であろう。
革命運動においても、芸能集団が公演するにおいても
巨大な事業でもある。
事業を建設するためには、いかにおのれが貧しくとも
職業として参入することが重要である。
民主主義形体では事業が成立しない。
社会は職業として構成されているからである。
職業革命家がいなければ革命組織が瓦解する。
専従がいなければ政党も労働組合も瓦解する。
その公演にたずさわる職業人がいなければ
社会的な芸能集団の公演は成立しない。
民主主義芸能がやるのは発表会と人に呼ばれている。