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日本の大手メディアではインドネシアに関する報道が少ない理由
下の方で、インドネシアに関する報道が問われていたので、ほんの一例を紹介する。
日本の大手メディアの記者も、以下の状況にあるからである。
ただし、最後に出てくる「永井浩」は、旧知の元毎日新聞外信部記者で、そういう現状に批判的である。つまり、千人に一人ぐらいは、具眼の士がいることはいるのである。
http://plaza18.mbn.or.jp/~modernH/paper16.htm
[中略]
「顔のない」関係
インドネシアにきてよかったと思うとき、という質問に対し、「お父さんは、『毎日あのこんぎつした電車このらなくて、運転手つきの車にのって行かれるし、帰りも早く、みんなといっしょに食事もできる日が多い。ゴルフにも、たくさんいかれる。」
お母さんは、『……だから勉強になるしテニスは夜もできる。お客さんが来ても、あとかたづけは、女中さんがやってくれるので、お母さんはなにもしないでねることができる」と答えました」とある生徒が書いたという(「マンゴウの実る村から」)。
毎月の家賃だけでインドネシア人の年収の何倍もする家、かつてのオランダ植民者やいまのインドネシアの上流階級の住むような家に日本の商社マンたちは住んでいる。二、三人の女中や運転手をやとうのはあたりまえだ。その夫人がたは女中を「家に泥棒を飼っているみたい」といって、冷蔵庫に鍵をかけたり、卵に1、2、3と番号をつけたり、女中を「試すつもりで、いくらかをサイドボードの上に、何週間も、わざとそのままにしておい」たりする。「義理とか恩などは無縁です.同じ人間だからというような同情や勝手な信頼を寄せてはいけません。まして何かを期待するなどとんでもないことです」と決めつける。日本からきた夫人に会って、「いつも色の黒いインドネシア人と、陽に焼けた日本人ばかりをみなれている中で、その方の色の白さ、肌の美しさ・そしてやさしさが印象的でした」といってはばからない(谷口恵津子『マダム・商社』学生社、一九八五年)。
その子どもたちにしても彼らの接するインドネシア人とは、女中や運転手であって、インドネシア人と遊んごことがないという生徒が半数をこえるという。おぼえても「役にたたない」インドネシア語を 学ばせようとする親ははとんどいない。
[中略]
シンガポールの新聞記者卓南生は、日本人に根強い「北人南物」論をすてきらないかぎり、「東南ア ジアとの間に真の友好を打ち建てることはできない」と手きぴしい。「北人南物」論とは、北、つまり日本には「人」(技術、文化、文明など)があり、南には「物」(天然資源、商品市場、簾価な労働力 と女性など)があるという戦前からの考えかただ(『現代の鎖国』)。
明治のはじめ欧米を訪問した岩倉具視らの使節団の報告書を分析した田中彰は、東南アジアにかかわってその特徴を次の三点に整理している。第一に、ヨーロッパ文明信仰、第二に、「東南アジアは文 明とは縁のない、怠惰な人々のいるところだとみる「南洋」観」、第三に、「日本を近代化し、富強にするためには東南アジアの資源に目を向けよという東南アジア資源着目論」である(日本人と東南アジア」)。 石油など日本が必要な資源、輸出市場、安い労働力、観光地(青い空、きれいな海、安い免税品、買 春、「エスニック料理」などなど)……、こうした日本人の東南アジア・イメ−ジにはそこで生まれ生活している人びとの息吹が欠けている。
かつて日本が東南アジアを占領しようとした最大の目的は、重要資源の獲得だった。そのために「反 日」的だとみなした、とくに中国系の住民を最初に徹底的にいためつけた。それがシンガポールの大虐 殺であり、マレー半島での一連の虐殺だった。中国人を同し人間とはみていなかった。そしてそれ以上 に各地の住民を、「土民」「土人」「原住民」と蔑視していた。日本はその指導者になろうとしたのだった。こうした意識を今日の私たちはどれほど克服することができているのだろうか。
日本企業のアジア進出を肯定的にみる人には、かつての侵略についてあまり問題にしない人が多い。 反対にアジア進出の問題性を考えると侵略の問題も考えるようになるし、その逆の場合もある。戦争中と現在と、日本のアジアに対する見方、関わり方に共通する側面があるからそうなるのだろう。 といって、日本人を一面的に加害者あつかいすることも実態に反する。アジアの人びとを差別する企業 が日本の民衆の健康をも犠牲にしているということも、忘れてはならない。侵略戦争のなかで、虐殺に直接手をくだす役割をあたえられたのはふつうの人たちだし、むだ死にを強いられ、戦争の犠牲になったのもふつうの人たちだ。
フィリピンのルーペン・アビト神父は次のようにいっている(永井浩『地方の国際化」新泉社、一九八九年)。
「日本は物質的に豊かになったものの、人間はかえって貧弱になり、心を病んでいるのではないでしょうか。つまり、第三世界の人びとに対しては加害者である日本人も、こうして自分の社会の中では被害者なのだ、という二重の加害・被害の構造が見えてくる。」