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イスラエルは大丈夫か
2003年11月19日 田中 宇
イスラエルは、ナチス・ドイツのホロコーストなどヨーロッパ(東欧、中欧)での差別弾圧から逃れたユダヤ人たちが作った国として知られている。多くのイスラエル人たちにとって、イスラエルこそが愛する祖国であり、ヨーロッパは自分たちを差別する忌まわしい場所であるはずだった。
ところが最近、イスラエルに対するそんな「常識」を壊す逆流の兆しが起きている。今年に入って、かつて一族が住んでいたドイツやオーストリア、ポーランドなどのパスポート(国籍)を取得するイスラエル人が増えている。これらの中欧の国々では、かつて自国に住み、今ではイスラエルに移住してイスラエル人となっているユダヤ人たちが、自国とイスラエルとの二重国籍を取得することを許可している。
かつて差別されたドイツやオーストリアの国籍など不要だと考える人が多かったため、二重国籍の申請者は多くなかった。ところが、たとえば在イスラエルのドイツ大使館では、2001年までは年間1300人ほどのイスラエル人が国籍申請にくるだけだったのが、2002年は2366人に増え、今年は上半期だけで1622人に達している。オーストリアの旅券を取得する人は、昨年は173人だったのが、今年は上半期だけで331人となった。チェコ、スロバキア、ハンガリー、ポーランドの在イスラエル大使館でも、旅券申請が急増している。
この件を報じたイスラエルの新聞「ハアレツ」は「家族の中で、東欧での弾圧を自ら経験した老人世代は国籍申請に大反対しているのに、息子や孫の世代は自宅を探し、老人世代がかつて東欧に住んでいたことを証明する大昔の文書を探し出し、大使館に持参して旅券を申請している」などと報じている。(関連記事)
▼建国以来最悪のイスラエル
イスラエル人が忌み嫌っていたはずの東欧諸国に戻る素振りを見せるのは、EUに加盟してビジネスチャンスが急拡大している東欧に移住して一旗揚げようという若い世代の目論見もある。だが、本質的な理由はそれではなく、自爆テロの増加や破綻する経済など、イスラエルが住みにくい場所になったことを嫌気し、とりあえず東欧のパスポートをとっておこうという人々が増えているからだ、とハアレツ紙は指摘している。
イスラエルには東欧方面から移住してきた「アシュケナジ」のほか、アラブ諸国から移住してきた「ミズラヒ」「スファラディ」などと呼ばれる系統の人々もいるが、アラブ諸国の反イスラエル意識が強まっているため、彼らはもはや昔住んでいたアラブの国に戻ることはできず、代わりにアメリカへの再移住を目指すという。
イスラエルは今、建国以来最悪の経済状況にある。治安の悪化で海外からの投資が減り、観光業も壊滅状態となっている。失業率は10%を超え、国家財政が悪化して年金などの支払額が5%カットされ、教育予算が削られて教師も大量解雇された。待遇の悪化に怒った労働者たちはストライキを頻発させている。(関連記事)
軍事費も12%カットされ、イスラエル軍の兵士は米軍からのもらい受けた古着の下着を支給されている。アメリカから90億ドルの臨時の資金援助(債務保証)を受け、国家財政の破綻を何とか免れている状態だ。(関連記事)
治安維持部隊は人員をテロ対策にとられているため、テロ以外の一般の犯罪に対する防止策や捜査が不十分になっており、マフィア型の組織犯罪や麻薬取引が増加している。「捜査してもらえないので、人々は犯罪にあっても警察に届けない。捜査願いを出す被害者は、保険金の支払いに必要な証書を警察からもらうためにやっている」などとハアレツ紙で批判されている。(関連記事)
イスラエル内外のユダヤ人がイスラエルを見放す傾向を強めているのは3年前の2000年ごろからのことで、これは成功しかけていたオスロ合意のパレスチナ和平交渉が、イスラエル側の右傾化によって破綻し、パレスチナ人がインティファーダ(抵抗運動)を再開してからのことである。パレスチナ人との和平が遠のくとともに、イスラエルに希望を持つユダヤ人が減り始めた。(関連記事)
▼軍と諜報機関のトップが政府批判
現在のイスラエルの問題は、経済悪化やテロの増加だけではない。「このままでは、国家としての存在そのものが危ない」という指摘がイスラエル内部から出てきている。その一つは10月末、イスラエル軍の参謀長(制服組のトップ)であるモシェ・ヤアロン(Moshe Ya'alon)が「このままパレスチナ人に対する弾圧や和平を嫌う態度を続けていると、イスラエルは国家として破綻する」と政府シャロン政権を非難したことだ。ヤアロンは「パレスチナ人に対して弾圧を強化したことは、本来の目的であるテロ防止に役立っていないどころか、イスラエルに対するパレスチナ人の憎しみを増加させ、逆にテロを増やしている」と述べた。
また、テロリストが西岸地区からイスラエル本体側に入ってくることを防ぐ名目でイスラエル政府が西岸地区内で建設を進めている「防御壁」について「イスラエル本体と西岸の境界線に壁を作るのではなく、西岸内部に壁を張りめぐらせる計画となっており、パレスチナ人の町や村を不必要に分断してしまい、パレスチナ人の絶望感や怒りを増加させる結果になりかねない」と主張し、防御壁のルートを見直すよう政府に求めた。(関連記事)
この発言に対しシャロン首相は激怒し、ヤアロンに辞任を求めたが、外務大臣など閣僚内部からもヤアロンを支持する人々が現れ、シャロンは批判を受け入れざるを得なくなった。
続いて11月14日には、国内の治安維持を担当する秘密警察部門「シンベット」の4人の元長官たちが連名で、シャロン政権のパレスチナ人に対するやり方を強く批判し「早くパレスチナ側と和平を結ばない限り、イスラエル国家はいずれ破綻する」と断言した。(関連記事)
4人の元長官の主張の趣旨は、以下のようなものだ。パレスチナ人(アラブ人)はイスラエル人(ユダヤ人)よりも出生率がはるかに高い。このままだと近い将来、パレスチナ占領地を含むイスラエルではユダヤ人が人口的に少数派になってしまう。今はまだパレスチナ人がイスラエルに統合されるより自分たちの国家を建設することを選択し、イスラエル政府がパレスチナ人に選挙権を与えていないことが問題になっていない。(関連記事)
だがパレスチナ人は、いずれ明確に多数派になった時点で、自前の国家を持つより、選挙権を獲得してイスラエルを政治的に乗っ取ろうとするだろう。イスラエルがその動きを弾圧すれば、アパルトヘイト時代の南アフリカと同様、国際的に非難され、譲歩させられて、パレスチナ人の勝利に終わるだろう。ユダヤ人の国として作られたイスラエルは、その時点で消滅することになる(多くのユダヤ人にとって、ユダヤ人のための国でないイスラエルは国家としての意味がない)。そうなる前に、イスラエルとパレスチナを別々の国にすべく、和平交渉を進めなければならない・・・。(関連記事)
(今はイスラエルのユダヤ人が500万人、パレスチナ人が300万人、イスラエル国籍を持ったアラブ人が100万人で、ユダヤ5・アラブ4となっている)
従来イスラエル内外で出ていた「パレスチナ人と和平交渉すべきだ」とする主張のほとんどはパレスチナ人の「人権」を重視したものだった。それだと「パスレチナ人に対して寛容な対応をすると、テロ活動やイスラエルに対する敵対行為が増えてしまう」というイスラエル人の不安に応えることができず「イスラエルを守るためにはパレスチナ人と和平交渉しない方がいい」という結論になってしまっていた。ところが、シンベットの元長官たちの提案は逆に「イスラエルを守るために和平交渉が必要だ」という理論になっており、画期的である。
ここ数カ月、同様の指摘があちこちから出てきており、それに呼応するかたちでパレスチナ人の側も「パレスチナ人国家の創設が無理なら、占領地の管理やインフラ整備などをイスラエルにやってもらう状態に戻した方がいい」という意見が出始めている。(関連記事)
▼ロードマップの代わりに出てきたジュネーブ協約
ヤアロン参謀長やシンベットの4人の元長官たちによる「パレスチナ人と交渉すべきだ」という主張は、最近出てきた新しいパレスチナ和平案の動きとリンクしている。これは「ジュネーブ協約」と呼ばれているもので、3年前に破綻したオスロ合意を策定したイスラエルの中道派勢力と、パレスチナ側のアラファト側近がスイスのジュネーブで秘密裏に会合を重ね、10月中旬に発表した。
この協約は、パレスチナ国家の樹立、エルサレムがイスラエルとパレスチナ双方の首都として共有されること、イスラエルは占領地から撤退すること、イスラエルから追い出されてレバノンやシリアなどに住んでいる難民の帰還権をパレスチナ側が放棄することなどが盛り込まれている。(関連記事)
ジュネーブ協約は、アメリカ主導で今春スタートしたが破綻した和平交渉の枠組み「ロードマップ」に代わるものとして登場した。そもそもブッシュ政権がロードマップを推進するようになったのは、イラク侵攻に至る過程で、アメリカ中枢の内部が、今回の戦争に消極的な中道派と、積極的なタカ派(ネオコン)とが対立したことに関係している。中道派やイギリスのブレア政権は、イラク侵攻を挙行するなら代わりにパレスチナ和平交渉を進展させ、イスラエルの力を肥大化させないようにして、中東地域のパワーバランスを崩さないようにする必要があると主張した。
その結果、ブッシュはイラク侵攻の直後、ロードマップを推進すると表明した。イスラエル政府は「アラファトが相手なら交渉しない」と主張したので、アメリカはアラファトに圧力をかけて無理矢理に引退させ、代わりにイスラエル側の受けが比較的良かったアブ・マーゼンを首相に据え、交渉をスタートさせた。
ところがその後、イラク統治は泥沼のゲリラ戦状態となり、ブッシュ政権は国内支持率が落ちて弱体化し、イスラエルに対しても強いことを言えなくなった。それをみたシャロン政権は、ロードマップで求められていた不当入植地の撤去を止め、いったん撤去した入植者の拠点の復活を黙認するようになり、パレスチナ側を包囲する防御壁の建設を開始し、テロ対策と称してガザや西岸で空爆や市民に対する弾圧を強めた。9月中旬にはアブ・マゼンが「これでは和平を進められない」として辞任し、ロードマップは頓挫した。(関連記事)
それと入れ替わりに10月に出てきたのが、ジュネーブ協約だった。パレスチナ側が難民帰還権を事実上放棄する点がロードマップとは違っていたが、それ以上に違う点は、ロードマップがアメリカ主導だったのに対し、ジュネーブ協約はヨーロッパが仲介してイスラエルの中道派とパレスチナ側が直接交渉した結果出てきたということである。
1993年に締結されたオスロ合意も、最初はヨーロッパ勢の仲介でイスラエル側とパレスチナ側がオスロで秘密交渉を繰り返し、それが結実する段になって、アメリカのクリントン大統領が自分の手柄にしようと入り込んできて、合意の調印はアメリカのホワイトハウスの前庭で行われ、アラファトとラビンが握手する真ん中でクリントンが両者の肩に手をかけている、という構図の映像が世界に配信されることになった。
▼アラファトの復活とネオコンの仲間割れ
ジュネーブ協約の進展が発表されるに合わせ、イスラエル国内ではヤアロン参謀長やシンベットの4人の元長官たちが「和平交渉を進めてパレスチナ国家を創建しないとイスラエルは破滅する」と主張し始めたことは、全体としてイスラエル国内の世論を「戦争」から「平和」に転換させようとする動きになっている。ジュネーブ協約は11月4日、オスロ合意を推進したがその後暗殺されたラビン元首相の命日という和平を象徴する日に調印され、イスラエルではラビンをしのんで10万人が集まった。人口が600万人しかいないイスラエルでは、10万人は大変な数である。(関連記事)
1948年の建国以来、国民皆兵の状態にあるイスラエルでは、将軍として活躍した人がその後政治家になるケースが多く、他の国々のように、軍と政府の対立や、軍と国民の対立が存在しない。参謀長やシンベット元長官らが政府を批判したことは、世論にかなりの影響を与えている。
ジュネーブ協約の登場と合わせ、パレスチナ側ではアラファトが権力を奪回し、余裕が出てきたアラファトは、イスラエル側に「早く和平交渉を進めよう」と呼びかけたりしている。アメリカではパウエル国務長官がジュネーブ協約に対して支持を表明しているほか、意外なことにネオコンの頭目であるウォルフォウィッツ国防副長官も「パレスチナ問題は軍事ではなく外交で解決されねばならない。パレスチナ問題が解決しないので、アメリカとイスラム世界との関係が悪くなっている」と述べ、この協約を支持している。(関連記事)
もともとネオコンはイスラエル右派政権を支持しており、イスラエルにとっての脅威をなくすために、ブッシュをそそのかしてイラク侵攻に持ち込んだと思われる経緯がある。ウォルフォウィッツは、自分の政治生命を守るため、シャロンを裏切るようなことを言い出したのかもしれない。同じネオコンでも、ウォルフォウィッツと双璧をなすリチャード・パール(国防政策委員)はジュネーブ協約を強く批判しており、弱体化してきたネオコンが仲間割れを起こしている可能性もある。(関連記事)
イスラエル経済が破綻している大きな原因の一つは、財政のかなりの部分が入植地の拡大のために使われてしまっていることだ。入植地には人口の3%しかおらず、不均衡な財政支出となっている。アメリカの平和団体の調べによると、アメリカからイスラエルに支援された資金の約半分は、入植地の建設に回されている。和平交渉を進展させ、入植地が撤去される方向に動けば、イスラエル経済が復活できる可能性も高まる。(関連記事)
オスロ合意の崩壊以来、イスラエル右派政権は、アメリカが仲裁する和平交渉に対していったんは従うそぶりを見せながら、その後交渉を骨抜きにしたり、難癖をつけて交渉を座礁させるという戦略を何回も成功させてきた。イスラエル右派は「アラブ人はいったん和解しても、あとでイスラエルが弱みを見せたら再び攻撃してきて、イスラエルが滅亡するまであきらめないだろう」と考えて交渉を拒否してきた。
今回もシャロンは「イスラエルはパレスチナ人のテロに対して正当防衛を行っているだけなのに、それを批判する者は反ユダヤの差別主義者である」などと言ってヨーロッパなどからの批判に抗戦している。だが、ここにきて「和平交渉を拒否し続けてもイスラエルは滅亡する」という主張が広がり始めたことは、イスラエルが再び交渉に対して積極的になる可能性が高まっていることを意味している。(関連記事)
http://tanakanews.com/d1119israel.htm