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朝日【(マハティールの22年)「親日」繁栄と限界と】
いかにも似非紳士らしく問題のマハティール演説の内容の評価を避けている。
http://www.asahi.com/paper/international.html
■《強権と発展:1》東方政策 「夢」持てない留学生
(マハティールの22年)「親日」繁栄と限界と
「Tの2乗を積分で計算すると、解は……」
マハティール首相(77)の引退が1週間後に迫った24日、クアラルンプール郊外のマレーシア最高学府、マラヤ大学の「日本文化館」。真剣な表情の若者が物理の授業を日本語で受けていた。
マハティール首相が81年の就任直後に「日本の技術と勤労倫理に学べ」と打ち出したルックイースト政策(東方政策)で日本に派遣されるのは、毎年180人。2年間、日本人教師から徹底的に日本語を鍛えられる。
放課後、留学を志した動機を聞いた。「日本の先端科学を会得したい」「トヨタに就職して自動車産業の強さを知りたい」。全員が大学や高専の理工系に進む。
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85年のプラザ合意による円高以来、多くの日本企業が低賃金で政治が安定しているマレーシアに進出し、日本語に堪能な留学生は引く手あまただった。だが、90年代末から日本の不景気と中国へのシフトで新規採用が抑制され、一時は7割を超えた日本企業への就職率も現在は1割程度だ。
日本で機械工学を専攻し、一昨年にマレーシアに戻ったモハド・ナジブさん(26)は旅行ガイドなど短期の仕事をしながらポストの空きを待っている。「せっかく学んだ能力が使えないのが悔しい」
日本企業に就職した者も5年10年と働くうちに次々と退職している。留学生同窓会会長のザバ・ヨウンさん(40)は「米系企業は頑張れば社長になれるが日本企業の社長は本社の出向者ばかり。留学生の仕事は通訳や現場管理が多く、夢が持てない」と話す。ザバさんも6年間働いた日本企業を95年に辞め、友人と貿易会社を作った。
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「日本の失敗からも学ぶ必要がある」。21日、バンコクのアジア太平洋経済協力会議(APEC)の会見で、マハティール首相は、経済が低迷する日本への皮肉とも取れる言葉を漏らした。
首相は国会の一部にあった異論を強引に抑え込み、東方政策を推進した。だが、今は首相の口から以前のような日本賛美は聞かれない。マレーシア政府の中では日本、韓国に加え、成長著しい中国を東方政策の対象に加える構想が議論されているという。
日本はマレーシアに積極的に政府の途上国援助(ODA)を供与し、マレーシアはそれを活用してクアラルンプール国際空港や高速道路など重要なインフラを次々と建設してきた。マハティール首相も在任中に50回以上も訪日し、歴代の首相と親しい関係を築いた。国産車開発には日本メーカーの力を借りた。
両国の緊密な関係が最も発揮されたのがアジア経済危機だった。外貨準備が底をついたマレーシア政府は98年春、「融資を受けることで信用できる国であることを世界に示したい」と日本に緊急融資を要請。日本はわずか数カ月で2千億円の円借款を決めた。
当時、駐日大使だったM・H・カティブ氏(現マラヤ大理事長)は「苦しい時に助けられた恩は政府全員が今も忘れていない」と振り返る。
しかし、国民1人あたりのGDP(国内総生産)が3700ドルに成長したマレーシアがODAから卒業する日は近い。後継者のアブドラ副首相と日本のパイプも、それほど太くない。
日本の外交関係者は指摘する。「マハティール首相あっての両国関係。引退でマレーシアは『特別』から『普通』の友好国に変わっていくだろう」
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強い指導力と東方政策でマレーシアに急速な経済発展をもたらしたマハティール首相。一方で、イスラム勢力の台頭やブミプトラ(土地の子)政策の未完成、強権的な野党弾圧など、さまざまな問題も残した。今月31日で引退する首相の22年を検証する。(クアラルンプール=野嶋剛)
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《キーワード》ルックイースト政策 高い勤労意欲や規律、政府と経済界が一体となった経済政策など国家建設の手本をマレーシアの「東」に位置する日本や韓国に求めたもので、アジアは西欧から学ぶという既成概念を覆す発想として打ち出された。マレーシア政府は公費で日本、韓国に留学生や研修生を大量に送り、03年までの日本への長期留学生は3200人を超え、首相の息子も日本に留学した。ただ、留学生を通じて日本の技術移転を図るという当初の狙いは、日本の本社が研究・開発の主導権を握る傾向が強く、成果があまり上がっていないとされる。