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ASIA
日本
Hard Line, Hard Realities
拉致ヒステリーの落とし穴 【ニューズウィーク日本版 / 2003.10.22】
被害者の帰国から1年
拉致問題の解決だけに
こだわり続ける姿勢が
外交をゆがませている
横田孝、久保信博(東京)
デーナ・ルイス(ワシントン)
北朝鮮との国交正常化交渉を再開させて、東アジアに平和と安定をもた
らす――昨年9月17日、平壌を訪れた外務省の田中均アジア大洋州局長は
壮大なプランを描いていた。
この日、小泉純一郎首相が金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳
会談に臨むことができたのも、田中が水面下で北朝鮮と30回以上の交渉を
重ねてきた成果だった。日本の外交当局は、この歴史的な会談が北の軍事
的脅威を除く重要なステップになることを期待していた。
だが金正日が13人の日本人を拉致した事実を認め、そのうち8人は死亡
したと小泉に伝えると、平和への希望は吹き飛んだ。日本中が怒りを爆発
させ、田中は交渉の一線からはずされた。田中は独断で北に妥協したとし
て、「国賊」というレッテルを張られた。
今年9月には、田中の自宅前に爆発物が仕掛けられるという事件まで起
きた。タカ派として知られる東京都の石原慎太郎知事は、事件後にこう語
った。「田中均という奴、今度爆弾仕掛けられて、あったり前の話だ」
日本が怒りをいだくのも無理はない。独裁国家が10代の少女を含む多く
の市民を拉致したという事実は、人権と国家主権に対する重大な侵害にほ
かならない。問題は、怒りによって外交政策が有益なものになりうるのか
どうかだ。
昨年10月15日に5人の拉致被害者が帰国してから1年。日朝間の緊張は、
これまでにないほど高まっている。北朝鮮は今も5人の被害者を自国へ戻
すよう主張して譲らず、先週には核問題を話し合う6カ国協議から日本を
「排除」すると一方的に宣言した。
核開発を放棄しない北朝鮮とアメリカの関係は打開の糸口さえ見いだせ
ず、中国は北から大量の難民が押し寄せることに神経をとがらせている。
にもかかわらず、日本は「拉致」というたった一つの問題にこだわり、北
に敵対的なメッセージを送り続けている。
ここへきて、そうした姿勢に疑問を投げかける見方も出てきた。日本の
強硬姿勢はなんの成果ももたらさず、むしろ日本がこの地域に平和をもた
らす役目を務めようとするうえで障害になっているのではないか、という
見方だ。
拉致一色に染まった日本の世論は「対北朝鮮政策において政治的な足か
せになっている」と、戦略国際問題研究所(ワシントン)のウィリアム・
ブリアは言う。「北朝鮮の側から突破口が開けないかぎり、日本政府が大
きく踏み出すのは非常にむずかしい」
日本が核問題を無視しているわけではない。だが日本は、北に残る拉致
被害者5人の家族が帰国し、死亡したとされる8人の被害者の詳細が明らか
にされないかぎり、国交正常化交渉の再開には応じないとしている。自民
党の安倍晋三幹事長をはじめとする強硬派が主張しているのと同じ立場だ。
拉致の解決は大前提だが
今や拉致問題は、政治家にとって地雷のような存在と化しつつある。
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」は、
11月に行われる総選挙で、すべての立候補者にアンケートを行う計画を立
てている。
北朝鮮への経済制裁を支持するか、拉致はテロ行為と考えるかどうかな
どを尋ね、結果を投票日前に公表する。今回の選挙は「拉致された同胞を
救うための国民運動」という位置づけだと、民主党の西村真悟・前衆院議
員は言う。
メディアの過熱ぶりも、ヒステリーの域に達した。昨年秋、小泉が訪朝
した後の週刊誌には「『亡国官僚』田中均をクビにせよ!」「8人を見殺
しにした政治家・官僚・言論人」といった見出しが掲げられ、北に「弱腰」
の発言をした人物は名指しで攻撃された。
昨年10月、77年に拉致された横田めぐみの娘キム・ヘギョンを全国紙2
紙と民放テレビ1局がインタビューし、彼女が涙ながらに答える姿が報じ
られると、他のメディアはこの3社を袋だたきにした。拉致被害者と家族
の結束を乱そうとする北の「策略」にはまったというのだ。
怒りの渦は、罪のない在日韓国・朝鮮人も巻き込んだ。小泉の訪朝後、
各地の朝鮮学校には「子供を拉致してぶっ殺してやる」といった脅迫電話
が相次いだ。
そろそろ日本は冷静さを取り戻すべきだろう。日本の安全保障にとって
重要な問題は拉致以外にもあると、専門家は指摘する。
8月の6カ国協議では、北朝鮮の金永日(キム・ヨンイル)外務次官がジ
ェームズ・ケリー米国務次官補に対し、北朝鮮は核保有宣言と核実験を行
う用意があると語ったとされる。
10月2日には北朝鮮外務省の報道官が、8000本余りの使用済み核燃料棒
の再処理を完了したと発表。北はすでに最大7発の核弾頭を製造する能力
をもち、約200基の弾道ミサイルを日本に向けて配備しているという。
外務省の竹内行夫事務次官は8月、被害者家族の早期帰国を優先すると
明言しつつも、そのために「最もよい方法を探求し、(帰国を正常化交渉
の前提とするかについて)今から何かを決めてかかるといった考えはない」
と述べた。
この発言に、救う会のメンバーや「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会
(家族会)」の蓮池透事務局長は、政府の公式見解と異なるとして激怒。
竹内は発言を撤回せざるを得なかった。
「国民の命を犠牲にして得られる国益とはなんだと、外務省は世論から
問いかけられた」と、拓殖大学の重村智計教授は言う。「国交正常化のほ
うが国民の命より大切だなどと口にする官僚もいたが、それではもう国民
が納得しない」
議論ができない民主国家
拉致問題の全面解決を繰り返し主張することは日本の長期的な国益にか
なうと、一部の政治家は主張する。北朝鮮には強硬路線しか通用しない、
という考え方だ。
「政策を一本化してもらって、支障になるものは排除する必要がある」
と、「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連
盟(拉致議連)」の副幹事長を務める民主党の原口一博・前衆院議員は言
う。
だが、論争自体が存在しないことを懸念する向きもある。「北朝鮮が一
枚岩だから日本も一枚岩でないといけないという人たちがいるが、日本は
民主主義国家だからいろいろな見方があっていい」と、国際基督教大学の
柴田鐵治客員教授は言う。「偏狭なナショナリズムが日本を覆ってしまっ
ている」
民主党の西村は4年前、日本も核武装するかどうかを国会で検討するべ
きだと週刊誌で発言したことを批判され、防衛政務次官を辞任した。タブ
ーなしに議論することの重要性を痛感しているはずの西村に、拉致問題を
めぐる状況は核武装の議論をタブー視しているのと同じ構図ではないかと
問うと、こんな答えが返ってきた。
「そのとおり。議論がないと言えば、小泉首相が平壌で共同宣言に署名
すべきだったかどうかという議論がない。(拉致問題の解決法としても)
経済制裁や宣戦布告などいろいろなオプションがあるが、今は懇願するだ
けで、議論がない」
本誌は家族会の蓮池事務局長にも現状についての意見を求めたが、蓮池
は取材に応じなかった。
強硬派は、目に見える形で北に圧力をかけることを望んでいる。「経済
制裁を科さなくて拉致や核の問題を解決できるのか」と、救う会の佐藤勝
巳会長は言う。「話し合いで解決できるなら、なぜ25年間も解決できなか
ったのか」
失われた独自外交の好機
強硬派は、北へ現金や物資を運んでいるとされる万景峰号の日本への入
港禁止も求めている。自民党は先週、北朝鮮への送金停止を検討すると発
表した。
もっとも、日本だけが経済制裁を実施しても効果があるかどうかは疑問
だ。北に流入する燃料や食料の大半は、中国が供給している。北朝鮮は、
経済制裁は「宣戦布告」とみなすと主張してもいる。
経済制裁を実施すれば東アジアの軍事的緊張が高まり、韓国や中国から
の資本流出を引き起こして経済を破綻させると、慶応大学の小此木政夫教
授は指摘する。「日本が単独で経済制裁に踏み切るのは、政策としては愚
の骨頂だ」と、小此木は言う。
対北朝鮮強硬派は以前から、日本はもっと積極的な外交をして東アジア
における国益を守るべきだと主張してきた。昨年の日朝首脳会談はそのチ
ャンスだったが、拉致問題をめぐって2国間のパイプは断ち切られ、経済
協力やミサイル実験の凍結延長といった問題を決着させる道は閉ざされた。
「核というグローバルな問題の解決に日本は重要な役割を果たせるはず
だったが、その存在はレーダーから消えてしまった」と、東京大学の姜尚
中(カン・サンジュン)教授は言う。「今の日本は、小さな穴から世界を
見ているという印象しか受けない」
日本にとって今の問題は、失った主導権をいかに取り戻すかだ。アメリ
カや中国にとっては、北朝鮮が核をもつことで、東アジアに核開発のドミ
ノ現象が起きることだけは避けたい。「拉致問題については日本の主張を
支持するが、核問題にも取り組む必要がある。優先するのは核のほうだ」
と、米国務省のある当局者は言う。
日本はいずれ、政策の優先順位を見直す必要に迫られるだろう。「北朝
鮮は体制保障と経済再建の両方を必要としている」と、慶応大学の小此木
は言う。「拉致問題だけを先に解決しても、北朝鮮は体制保障を得られな
い。だから、核問題が前進しないと拉致問題も動きださない」
カギは日本が握っている
注目されるのは、早ければ11月に開催される次回の6カ国協議だ。日本
に残された選択肢は、核問題を段階的に解決するようアメリカに働きかけ、
同時に正常化交渉再開の明確な条件を北に示すことで拉致問題解決の道筋
をつけることだと、専門家は指摘する。
日本は北朝鮮がどこまで譲歩すべきかを伝える必要があると、チャール
ズ・プリチャード前米北朝鮮問題担当特使は指摘する。8月の6カ国協議で
も1時間足らずではあったが、日本は北と拉致問題について話し合うこと
ができた。
「どこかに必ず窓はある」と、プリチャードは言う。「北朝鮮は拒否ば
かりするが、たいていは最終回答ではない。彼らはこの問題を動かすこと
ができるし、日本はその機会を与える必要がある。日本政府にはそれがで
きるはずだ」
それができなければ、来年もまた、何も進展がないまま10月15日を迎え
ることになりかねない。
拉致問題をめぐる
かたくなな姿勢は
日本が地域の平和の
推進役になるうえで
障害になっている
ニューズウィーク日本版
2003年10月22日号 P.16
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