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明石氏について質問
http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/661.html
投稿者 木村様へ 日時 2003 年 10 月 22 日 23:04:15:vmfZxtFhSmjxY

(回答先: 次は元UNTAC(国連カンプチア暫定統治機構)代表の明石康かな。Re: 「伝説」の緒方氏 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 10 月 22 日 15:29:19)

はじめまして、木村様。

明石康元国連事務総長特別代表の事について
木村様が評価されているご様子を見て
どのような役割を果たされたのかを知りたいと思い
グーグルで検索してみたら、このような情報がありました。(下記2点)

この記事を読みましてから、
木村様のページのボスニア紛争に関する
記事を一通り読ませていただきましたが、
この中に明石氏の事は出ていませんでしたのでお聞きしようと思い
こちらに投稿させていただきます。

私が現時点で調べる事の出来た範囲において下記の記事を読む限り、
私は1995年7月に起きたとされる「スレブレニツアの虐殺」が
「無かった事」にされている事に非常に疑問を感じますし、
そのきっかけとなったのが明石氏の判断ならびにNATOのフランス人軍司令官である
と総括する向きもある事をはじめて知りました。

これらの記事から私は明石氏は何らかの重大な失策から
ボスニア紛争で大きな犠牲を出したのでは無いかという見解を持っています。
この事については日本の国内では詳細があまり伝えられていないように感じます。

また、下記の文章にもある通りに、この事が引き金となり、
90年代に国連による国際紛争介入における無力感が生じる遠縁ともなり、
アメリカの軍事介入を招いたということも書かれています。

私の語学力が乏しく判断材料が少ないために、
グーグルで探し出したこれらの日本語の記事に頼るだけで
「確かにそうなのかも」と記事内容に納得せざるを得ませんが、
少なくとも記事を読む限り、果たして今回明石氏がイラクの地を踏む事が
本当に諸外国から認められるものであるのか、私自身は疑問を持っています。

明石氏に関するこの記事も何らかのプロパガンダなのでしょうか。
それとも事実として大きな失策をしたのでしょうか。
これらが事実だったとして、この時の明石氏の責任は問われ無いのでしょうか。

投稿やHPを見る限り専門家だとお見受けしております。
明石氏に対してどのような分析をしてどのような見解をおもちなのでしょうか。

またこの「安全地帯」で起きた欧米のメディアの昔の虐殺の詳報を
もしご存知の方がおられましたらお知らせください。
なにせ、綴りがわからず、検索にかける事が事が出来ません。
よろしくお願い致します。


その一 

「ヤスシ・アカシという人物は災禍だった。国連の歴史にも特筆される大災禍だった。
アカシのためにボスニアでの平和維持活動(PKO)は歴史上でも最も効率の悪い軍事行動となってしまったのだ」
ジーン・カークパトリック氏は「アカシ」という名を口にするとき、とくに力をこめ、表情を険しくした。同氏は1980年代にレーガン政権の女性国連大使として活躍し、いまもブッシュ政権から国連人権委員会の米国主席代表に任じられた高名な国際政治学者である。
 
 同氏はワシントンの大手シンクタンクのAEIが六月中旬に催した集いで国連の平和維持活動について講演し、過去の失敗の最大例としてボスニア紛争への1994年からの国連の介入をあげ、その介入の責任者の明石康氏を糾弾するのだった。
 
 明石氏といえば、日本ではまさにミスター国連として名声が高かった。九十二年のカンボジア和平での国連代表としての実績は国際的にも広く認められた。九十四年には旧ユーゴスラビア国連特別代表としてボスニア・ヘルツェゴビナに送られたのだった。ボスニアでは文官ながら国連防護軍の最高権限を与えられた。ボスニア地域では軍事的に優位なセルビア人勢力がイスラム系のボスニア人住民に攻撃を続けた。九十五年七月には国連が安全だとみなしたスレブレニツァ地区に集まったイスラム系住民のうち成人、少年あわせて男性八千人もがセルビア側に虐殺された。悪名高い「民族浄化」だった。
カークパトリック氏はこのときの国連の責任を八年が過ぎたいまも、ピンで刺すようにはっきりと明石氏に帰するのである。

 「国連の指揮下に入った北大西洋条約機構(NATO)軍がイスラム系住民の虐殺を図るセルビア勢力軍を空爆しようとしても、アカシの許可を得なければならなかった。だが彼は許可を出さないか、出しても五、六時間の空白を設けた末だったため、虐殺を阻めないことがほとんどだった。アカシは軍事作戦に関してはまったく未経験かつ無能力だった。スレブレニツァの大虐殺も近くにいたオランダ軍がその阻止のために必死でNATOの空爆を要請したのに、認められなかったのだ」明石氏としては国連平和維持活動の中立性や対話を重視しての判断であろう。しかも個人ではなく国連としての組織の対応だったはずだ。だが米国だけでなく欧州諸国のほとんどの関係者もボスニア紛争では明石氏を頂点とした国連組織の不適切な対応が「民族浄化」を広げ、平和維持には完全に失敗した、と総括するようなのである。
 
 とくにセルビア側の虐殺責任者が戦争犯罪裁判にかけらて当時の事情がわかればわかるほど、国連の「末必の故意」に近い無力ぶりが浮かんでくるのだ。明石氏に対してもカークパトリック氏とは政治的立場を異にする民主党リベラル派の国際政治学者ルース・ウェッジウッド氏までが「明石氏はカンボジアでは難民救済や民主的選挙実施にすばらしい成果をあげたが、セルビア軍のどのタンクを空爆して進撃を止めるべきか、というような軍事的判断にはまったく不向きだった」とミスキャストを強調する。
 
 明石氏個人の言動を含めてのボスニアでの国連組織の軌跡、とくにスレブレニツァの大虐殺との因果関係は米人記者デービッド・ローデ氏が九十七年に出した「エンドゲーム」という書に詳しい。同書はこの大虐殺はもし明石氏や国連防護軍のフランス人のベルナール・ジャンビエール軍事司令官がNATOによる空爆をすぐ認めれば、防げた、と断じている。
 
 いずれにしてもボスニア紛争での国連の平和維持活動はスレブレニツァの大虐殺により完全な失敗とみなされるにいたった。欧米諸国全体でもこの種の戦争や紛争はやはり国連を主役にしては和平を実現できない。という悲しい総括を生むことともなった。
とくに米国はこの大虐殺を冷戦後の国連平和維持活動での歴史的な失態とみて、ときのクリントン政権も国連への新たな姿勢を打ち出すようになった。ボスニア紛争には米国は主権国家として調停に乗り出し、和平協定を成立させ、米軍部隊二万人を独自に現地へ投入することとなったのだ。
こうした国連の歴史的な曲がり角で実は日本の代表が主役となっていたという事実はきわめて多様な示唆に富むといえよう。


その二
阿修羅よりエーテルさんの記事転載。

ボスニア・セルビア人共和国、スレブレニツァの虐殺を否定(ロイター) 日時 2002 年 9 月 04 日 18:34:46:

[バニャルーカ(ボスニア) 3日 ロイター] ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国のセルビア人共和国政府は、スレブレニツァで起きたとされる虐殺は、イスラム教徒の想像、または、ねつ造であるとする報告書を発表した。
 報告書は、セルビア人勢力が1995年7月、国連が指定した「安全地域」に移動した際に、2000人から2500人のイスラム教徒が死亡したが、その多数は戦闘で死亡した兵士だった、と結論づけている。
 国連および赤十字はこれまで、この事件で8000人近くが死亡したとしている。また、国連の旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷(オランダ・ハーグ)の検察は、死者の多くは少年や老人で、拘束されたうえ処刑されたり、森のなかを追跡されたうえ捕まった、との見方を示している。
 しかし、この報告書は、死亡したイスラム教勢力の兵士が疲労していたために、戦闘を民間人の虐殺と誤って認定し、実際には虐殺は発生しなかった、と結論づけた。(ロイター)
[9月4日8時36分更新]

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