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ブッシュ戦略と有事法制
1.ブッシュ政権によるイラク攻撃問題
2002年9月にブッシュ政権は、「国家安全保障戦略」(以下「戦略報告」)を発表した。戦略報告に盛り込まれた内容のなかで特に重要なのは、その異常を極めた脅威認識と先制攻撃を正当化する主張にある。
(1)脅威認識
異常を極める脅威認識とは、具体的には、抑止の考え方は、ごろつき国家・テロリストには無縁だとするものである。戦略報告は、その点を次のように述べる。
まず、「報復と脅威にのみ依存する抑止の考え方は、リスクを犯すことに積極的で、自国の人々及び彼らの富を賭けるごろつき国家の指導者に対しては有効に働かない」とする。また、「ごろつき国家の指導者は、テロリストに大量破壊兵器を渡す可能性がある」と指摘した上で、「抑止力は、気まぐれな破壊と無辜の民を標的にするテロリストには働かない」とするのである。
このような脅威認識の異常性は、直ちに明らかである。かりに「ごろつき国家」の存在を認めたとしよう。しかし、彼らが自らの権力基盤を灰にすることを覚悟して(なけなしのミサイルをアメリカに向かって発射しても、次の瞬間にはアメリカの大量報復によって彼らの国土が灰燼に帰することは目に見えている)アメリカに攻撃をしかけるという発想はあまりにも現実離れしている。
また、テロリストに大量破壊兵器を渡す可能性についても同様なことがいえる。アメリカの情報力及びそのマスコミを牛耳る実力をもってすれば、ごろつき国家がテロリストにそういう兵器を渡したかどうかは直ちに明らかにされ、ごろつき国家に対して大量報復の矛先が向けられることも見やすい道理である。9.11事件に関して、アメリカが血眼になってもつながらなかったテロリストとイラクとの接点という事実は、戦略報告の論点が成り立たないことを示すに十分なものがあるといえるだろう。
皮肉なことだが、この主張が成り立ちうるのは、アメリカが彼らを攻撃することがどうしても避けられなくなった場合のみである。すなわち、いずれにしてもアメリカが攻撃するということになれば、自暴自棄になったイラクが暴発せざるを得なくなることはあるからである。
(2)先制自衛攻撃論
しかし戦略報告は、委細かまわず先制攻撃を正当化する主張を次のように展開する。まず、「急迫した攻撃を行う危険のある相手から自分を守るためには、攻撃に曝される必要はない」というのだ。これは、自衛先制の正統性の条件として、急迫した脅威の存在だけで十分とするものであるともいえる。
元来自衛権行使が正当化されるのは、次の3条件が満たされる場合のみであることは広く国際法的に承認されている。すなわち、急迫不正、他に手段がないこと、必要最小限度、がそれである。戦略報告は他の2要件と急迫不正のうちの不正の部分をも無視して「急迫」性があるだけで先制自衛攻撃ができるとするのである。
戦略報告はさらに、ごろつき国家はテロ及び大量破壊兵器(WMD)の使用によろうとしているのであるから、「急迫した脅威という概念を今日の敵の能力・目的に適応させるべきだ」とし、「脅威が大きくなればなるほど、行動しないことのリスクは大きくなる」という理屈もつけて、「たとえ敵の攻撃の時間・場所についての不確実性が残っても、我々自身を守るための予想行動をとるケースがより緊要となる」とまで言ってのける。
このような先制攻撃論は、以下の点に照らしてもきわめて問題があるといわざるを得ない。まず、すでに述べたように、自衛権行使が正当化されるための3要件のうちの「急迫」性にのみ論拠をおいていることだ。また、国連憲章第51条が認める自衛権行使は、「武力攻撃が発生した場合には」という明確な制約が課されており、戦略報告はこの点をも完全に無視している。
そして改めていうまでもないことだが、「ごろつき国家」が先制攻撃をしかけるという主張・テロリストにWMDを渡すという主張が非現実的であることを無視している。
さらに、「急迫」性の議論を自ら壊しているという点も強調しなければならない。というのは、戦略報告は、敵の攻撃の場所・時間に不確実性が残っても予想行動をとることが緊要になるとしているからである。不確実性に対する予想行動というのは、「急迫」性の要件からまったくはずれている。
このように、戦略報告に示されたブッシュ政権のイラク(をはじめとしたいわゆるごろつき国家)に対する先制攻撃の主張はとうてい認めることができない代物であることが明々白々である。
なお、イラク攻撃を念頭においた安保理決議1441は、必ずしもアメリカの先制自衛の考え方にたって作られているとはいえない。決議では、「イラクによる諸決議違反、大量破壊兵器及びミサイルの拡散が国際の平和と安全に対する脅威となっている」ことを「認識」して、国連憲章第7章に基づいて行動するといっている。しかし、イラクのこの決議に違反に対しては、「イラクは重大な結果に直面するだろう」とだけ述べて、どういう措置がとられるかを曖昧にしている。国連憲章に基づく集団的措置の発動だとはしていないのだ。この点については、今後の事態の展開を注目する必要がある。
(3)北朝鮮・台湾有事問題に対する含意
私たちが戦略報告の以上の主張に無関心であってはならない今一つの理由がある。ブッシュ政権の「悪の枢軸」論には、北朝鮮は名指しで含まれているし、名指しこそ避けてはいるが、中国が含まれていることは衆目の一致するところだ、ということだ。これから述べる新ガイドラインの周辺事態、武力攻撃事態法の武力攻撃予測事態とは正に朝鮮半島有事、台湾有事の事態を指すということだ。つまり、戦略報告はそのまま日本に影響してくるということである。
2.有事法制への発端と新ガイドライン
(1)北朝鮮「核疑惑」の真相
今日の日本における有事法制論議の発端について、明確な認識を持っているものは驚くほど少ないというのが筆者の偽りのない印象である。確かにかつて三矢研究があったし、1980年代はじめには防衛庁から「有事法制の研究について」と題する中間報告が2度にわたって出されたことはある。しかし、これらの研究・報告は、米ソ冷戦時における日本に対する外国からの攻撃に対処することを想定したものであったが、現在問題になっている有事法制はまったく性格を異にしている。
今回の有事法制論議の発端となったのは、1994年当時の北朝鮮のいわゆる「核疑惑」である。90年代はじめから北朝鮮による核兵器開発に疑念を抱いたアメリカが、北朝鮮に対して開発断念を迫った。その疑惑を否定した北朝鮮と国際機関を巻き込んで国際問題化した。外交交渉ではらちが明かないと判断したアメリカは、93年頃から北朝鮮の核関連施設に対して先制奇襲攻撃をかけて、その開発を阻止しようとした。この間の事情をよく伝えるのは、例えば朝日新聞の特集記事(1996年12月24日付)である。
詳しいことはこの記事に委ね、日本との有事法制とのかかわりに限定していえば、日本を基地として対北朝鮮攻撃を計画したアメリカは、当然のこととして北朝鮮ゲリラによる対日報復攻撃の可能性を考え、日本に1059項目の要求を突きつけた。これらの要求を満足させるためには有事法制の制定が不可欠だった。事態は、カーター元大統領が北朝鮮に飛び、金日成主席との話し合いが奏功して、戦争の危険性は土壇場で回避され、日本は有事法制を作るに至らなかったとされている。
(2)有事法制の土台:新ガイドライン
このようにして、危機は一応回避されたが、アメリカは、この事件を通じて、日本が有事法制を備えていないことがアメリカの軍事作戦行動を不可能にするということを思い知らされ、日本に対して本格的な有事法制作りを急がせる新たな動きに出ることになった。 90年代の日米間の動きを理解する上では、2000年10月に発表されたいわゆるアーミテージ報告(以下「報告」)が参考となる。
報告は、米ソ冷戦が終結した以後の日米安全保障関係について、「同盟関係の漂流状態は1990年代半ばまで続いたが、そのときに朝鮮半島の危機が起こり、両国の政策担当者の注目を集めることになった」と記し、さらに「1996年3月の台湾海峡の危機(注:台湾の李登輝が訪米したことを契機に高まった米中の軍事衝突の危機)は、日米両国をして日米同盟関係を再確認させる上でさらに刺激を与えることになった」と付け加えている。
こうして、アメリカの強力な働きかけのもとで、1996年の日米安保共同宣言が作られ、そこでの「ガイドライン見直し」の合意を受けて、1997年には新ガイドラインが成立することになった。この点を報告は、「1996年の日米安全保障宣言は、同盟を一新させる必要に向けての両国の関心を増すことに貢献し、新ガイドラインという形で防衛関係を新しい要請に応える具体的な変化を導いた」と評価している。
この新ガイドラインを受けて1999年には周辺事態法が成立するのだが、報告は、それだけではまったく満足していなかったことを、次のような表現で露骨に表明している。「しかしながら、1996年の宣言の意義がその後のハイレベルでの関心継続という形で支えられることはなかった。1990年代の終わりまでには、アメリカの政策当局者の多くが日本に関心を失ってしまった。アメリカの政策当事者の主な関心は中国との2国間関係に移ってしまった。」と。
これにはわけがあった。新ガイドラインには、「基本的な前提及び考え方」として、「日本のすべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において、専守防衛、非核3原則等の日本の基本的な方針に従って行われる」とされていたからである。憲法上の制約の範囲内で対米協力を行うということは、具体的には憲法9条の制約を守るということであり、つまりは集団的自衛権には踏み込まない、ということを意味する。しかし、有事法制はその制約を乗り越えないことにはとうてい実現しないものだった。
報告は、このような新ガイドラインについて、「新ガイドラインは出発点(floor)で、到着点(ceiling)ではない」と断じ、日本が集団的自衛権に踏み込んだ有事法制を作ることによって、対米軍事協力を全うすることを求めたのである。確かに報告自体は9条改憲を求めてはいない。しかし集団的自衛権行使への踏み込みを求める報告の意図はあまりにも明らかだった。報告の中心的起草者のアーミテージが2001年に発足したブッシュ政権の国務省のナンバー2になることにより、報告は文字通り、ブッシュ政権の対日政策の基本文書としての性格を強めることになった。
日本国内では、小泉首相が2001年の終わり頃から急に有事法制のことを言い出したために、有事法制は政府・与党の発案になるものとする理解が広がっている。しかし事態の真相は、ブッシュ政権の発足時から、新ガイドラインで約束した内容の有事法制を憲法の制約を乗り越えて作ることをアメリカが日本に要求してきたことに端を発すると見なければならないのである。
アメリカの対日圧力は、2001年のいわゆる同時多発テロ(「9.11事件」)を契機にさらに強まることになった。当時の日本では、テロ対策特別措置法だけに焦点が当てられた。しかしアメリカから見れば、事件後、在日米軍を含め最高度の臨戦態勢を敷いたアメリカに対し、日本がまったく在日米軍を守る体制を敷く余地もなかったことは、有事法制を欠く日本の問題点をさらけ出すものと映ったに違いない。この事件を通じて、アメリカが日本に対して、有事法制作りへの圧力を強めたであろうことは容易に想像できる。
3.新ガイドライン安保の本質
武力攻撃事態法案など有事3法案の内容については、すでに様々な解説書が出ている。本稿では、憲法9条の制約を突き破ることを前提とする有事3法案がいったいいかなる日米軍事同盟の形成を目指そうとしているのかに焦点を当てることとしたい。結論から言えば、60年安保の枠組みを大きく突き破る、まったく異質の軍事同盟への踏み込みであるということである。これを本稿では新ガイドライン安保と名付けることとする。つまり、新ガイドライン及びそれの受け皿としての周辺事態法及び有事3法を基礎とする新しい軍事同盟の形成である。その点を以下において、5点の特徴に照らして検証することとしたい。それを対照表で示せば次のようになる。
60年安保 新ガイドライン安保
防衛主体安保 攻撃主体安保
本土有事安保 全面有事安保
事前協議あり安保 事前協議なし安保
自衛隊担当安保 国民総動員安保
国際法遵守安保 国際法無視安保
(1)防衛主体安保から攻撃主体安保へ
60年安保の第5条によれば、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。(後略)」とある。少なくとも歴代日本政府の説明によれば、60年安保は日本を防衛することを主眼とする同盟条約であった。
しかし新ガイドラインでは、そのXにおいて、「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態である」とし、さらに「周辺事態への対応に際しては、日米両国政府は、事態の拡大の抑制のためのものを含む適切な措置をとる。…日米両国政府は、適切な取り決めに従って、必要に応じて相互支援を行う。」と定めている。つまり、日本に対する直接の攻撃を待たずして、周辺事態においても日本はアメリカの軍事行動に対して積極的に協力することを定めているのだ。防衛主体から攻撃主体へ変化、という所以である。
(2)本土有事安保から全面有事安保へ
例えば1978年のガイドラインでは、前提条件として、日米が研究・協議する事項として、「日本に武力攻撃がなされた場合またはそのおそれのある場合の諸問題」と述べており、日本本土が攻撃される場合のことを問題とすることが明らかにされていた。
これに対して新ガイドラインでは、例えば「X 日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)の協力」として、「日米両国政府は、個々の事態の状況について共通の認識に到達した場合に、各々の行う活動を効果的に調整する。」とし、また、「W 日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等」においては、「日本に対する武力攻撃に際しての共同対処行動等は、引き続き日米防衛協力の中核的要素である。」としている。つまり、日本本土が有事になる場合のみならず、周辺事態においても日米間の軍事協力を「効果的に調整する」としているのだ。正に、本土のみならず、全面有事への対応が狙われていることが分かる。
(3)事前協議あり安保から事前協議なし安保への変質
60年安保では、安保条約第6条において、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカガッシュ国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」と定めつつ、「日本国から行われる戦闘作戦行動…のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。」とする付属交換公文によって、アメリカによる日本の基地使用が無条件ではないことを定めていた。より分かりやすく言えば、日本の平和と安全に影響があると日本側が判断するときには、日本はアメリカの基地使用を認めるが、日本の平和と安全に影響がないと判断するときには、アメリカによる基地使用を拒否することができる(従って、アメリカは日本を基地とする戦争を行うことができない)というものだ。これを事前協議条項という。
ところが新ガイドラインでは、すでに紹介したように、「周辺事態は、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態である」とはじめから決めてかかっている。ということは、いかなる事態も日本の平和と安全に影響があるのであるから、もはや事前協議条項を発動する余地はないということになるのである。要するに新ガイドライン安保は事前協議なし安保へと大変身することになる。
(4)自衛隊担当安保から国民総動員安保へ
60年安保のもとで作られた78年ガイドラインでは、例えば「T 侵略を未然に防止するための態勢」という項目で、「2 日米両国は、日本に対する武力攻撃がなされた場合に共同対処行動を円滑に実施しうるよう、作戦、情報、後方支援等の分野における自衛隊と米軍との間の協力態勢の整備に努める。(後略)」というように、有事の際に行動するのが自衛隊に限られる文言が含まれていた。これは、当時の政治状況においては、有事に国民をも巻き込むということに言及するだけでも、内閣が吹っ飛ぶほどに健全な国民の意識が働いていたためである。
ところが新ガイドライン安保では、正に国民総動員安保への変質を意図する文言が至る所に盛り込まれている。例えば、「V 平素から行う共同の取り組み」に関し、「3 日米両国政府は、日本に対する武力攻撃に際しての共同作戦計画についての検討及び周辺事態に際しての相互協力計画についての検討を含む共同作業を行う。このような協力は、双方の関係機関の関与を得た包括的なメカニズムにおいて行われ、日米協力の基礎を構築する。
日米両国政府は、このような共同作業を検証するとともに、自衛隊及び米軍をはじめとする日米両国の公的機関及び民間の機関による円滑かつ効果的な対応を可能とするため、共同演習・訓練を強化する。」として、平時から公的機関はもちろん民間の機関を動員することを意図しているのである(じつは、この部分はすでに日常的に行われている)。
それだけではない。「W 日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等」という項目においては、「2 日本に対する武力攻撃がなされた場合」の「(3) 作戦に係る諸活動及びそれに必要な事項」として、「(ホ) 自衛隊及び米軍は、日米間の適切な取り決めに従い、効率的かつ適切に後方支援活動を実施する。
日米両国政府は、後方支援の効率性を向上させ、かつ、各々の能力不足を軽減するよう、中央政府及び地方公共団体が有する権限及び能力並びに民間が有する能力を適切に活用しつつ、相互支援活動を実施する。(後略)」と述べ、中央政府はもちろんのこと、地方公共団体及び民間をも動員することを明確にしているのだ。
おなじことは「X 周辺事態の協力」においても規定されている。すなわち、「2 周辺事態への対応」の「(2) 米軍の活動に対する日本の支援」の項では、「(ロ)後方地域支援を行うに当たって、日本は、中央政府及び地方公共団体が有する権限及び能力並びに民間が有する能力を適切に活用する。(後略)」として、やはり、地方公共団体と民間を動員することを明らかにしているのである。
私たちは、有事3法案において初めて国民総動員の考えが打ち出されたと考えがちであるが、そのような理解はまったく正しくない。じつは、新ガイドラインの中にすでにそういう方針が含まれていたのである。9条の制約を突破することにより、新ガイドラインは、いまやそのもっとも危険な本質をむき出しにしつつあるといわなければならない。
(5)国際法遵守安保から国際法無視安保へ
60年安保ではその第7条において、「この条約は、国際連合憲章に基づく締約国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響を及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。」としており、国連憲章を介して、自衛権行使の要件が60年安保にも適用されることが明らかだった。ということは、すでに述べた1994年の北朝鮮の「核疑惑」に際してのアメリカの先制攻撃への日本の協力が許されないことはもちろん、ブッシュ政権が公然と打ち出しているイラクに対する先制攻撃に対する協力も当然許されない。
ところが新ガイドラインでは、「U 基本的な前提及び考え方」において、「3 日米両国のすべての行為は、紛争の平和的解決及び主権平等を含む国際法の基本原則並びに国際連合憲章をはじめとする関連する国際約束に合致するものである。」としている。つまり、アメリカが行う戦争行為はすべて国際法に合致するということを言い放っているに等しい(じつは、新ガイドラインは、英文のみが本文であり、日本語は訳文にすぎない。「合致するものである」に該当する英文は「合致するであろう」となっている)。
ここまで来ると、政府・与党の対米追随ぶりはその極点に達したといわざるを得ない。アメリカがイラク攻撃に踏み切る場合、日本政府はそれを支持する立場を打ち出すことをあらかじめ宣言しているに等しいのである。「ごろつき国家」とは、正にアメリカ及びそれに追随する日本にこそ適用されるべき形容であることを強調しなければならない。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/usa/file31.htm