現在地 HOME > 掲示板 > 戦争41 > 1219.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: Re: 精神障害者差別はやめて。 投稿者 長壁満子 日時 2003 年 11 月 03 日 00:19:28)
> 差別ということばは、ある意味、差別狩りに便乗します。
> 私個人の見解ですが、権力に向うとき、私達一般民衆は遠慮はいらないのではないかと
> 思っています。合法的暴力装置にむかうとき、一般弱者をもってくること自体、それは、
> とてつもない、卑屈な差別なのではないでしょうか。
> 今、まさに、権力の大差別によって、人間が虫けらのように殺されていっています。
> 現実をみつめましょう。被差別者は差別に甘んじているような場合ではないと思います。
私たち一般民衆が権力に向かうとき、なるほど遠慮はいらないでしょう。
力関係からいって、フェアプレイはありえず、テロ的な手法も容認すべきかもしれません。
けれども、このときの「一般民衆」は「権力」よりも数段高い精神性を持っているべきです。
「一般民衆」は石原と同じように、「しな」「三国人」、あるいはネットにあふれている
「ちょん」などと中国人や韓国・朝鮮人のことを呼ぶのでしょうか?
石原の言動を追跡しているわけではありませんが、「きちがい」ぐらいのことは言いかねません。
彼らの場合、そのように差別する対象には過酷な対応をするでしょうし、差別をあおる
ことで「一般民衆」の分裂も図っているのです。
そんなやつらと同じ精神構造ではだめなんです。
「精神障害者差別はやめて。」と言うのが「被差別者は差別に甘んじている」「現実を
見つめていない」ことになるのでしょうか?「卑屈な差別なのではないでしょうか」は
は理解できません。「卑屈」と言う表現自体に差別を感じます。「権力に向かうのは私たち一般民衆であり、君たち被差別者は文句言わずついてくればいい」と言われている
ような気もします。
「一般民衆」内部での差別のほうが「権力」がするそれよりも深く陰湿だとは思いませんか?
そのようにして「一般民衆」はいがみ合い、「権力に向かえ」ないで来たのではないでしょうか。
だからこそ「権力に向かう」者は差別に対して無自覚であってはならないと思うのです。
「石原はけしからん それと言うのも長壁と同じでくるくるぱーだから 一緒にやっつけよう」
と言われて 向かい ますか?