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ラマダン期間中の月【アルジャジーラ.infoの漫画です。 愚かなシャロンは毎日毎日イスラムの人々の神経を逆なでしている。】
イスラム圏では、赤十字は十字軍を連想させるので「赤新月旗」と言う
のが使われてる。ちなみに、キリスト・イスラムが混在する地域では「赤
十字/新月旗」らしい。これが知恵と言うものだ。
>これまで、キリスト教圏では「赤十字」、イスラム教圏では「赤新月」と
>単純に説明してきたが、それではこの両教徒が混在する地域ではどうして
>いるのだろうか? 「赤十字を描いた救急車には乗れないから」といって
>手後れになるムスリムのケガ人もいるのだろうか? 筆者はこうした疑問
>をずっと抱き続けてきたわけだが、数年前、ニュース映像の中にバカバカ
>しいほど単純な答えを見出だして腹を抱えて笑ったものである。ヨルダン
>川西岸だっただろうか、爆弾テロかなにかで負傷したケガ人の後ろにとま
>っていた白いライトバンには、堂々と「赤い十字と赤い新月が組み合わさ
>ったマーク」が描き込まれていたのである。抱き合うような形で仲良く描
>き込まれた「赤十字/新月旗」には脱力するほどの単純さと、見え隠れす
>る「人間の知恵」が同居していた。
http://www.infosakyu.ne.jp/~sekkan/sekijuji.htm
より抜粋。(全文は後ろで紹介)
イスラムの人々にとって神聖な月をシャロンの無神経な壁が視界を塞い
でいる。このことが、どういう意味を持つか無神経なものには理解できな
しらしい。ブッシュなどは、「十字軍」と言う単語を演説で言ってしまい、
宗教戦争ととられるのを嫌ってすぐに言い直し取り繕った。しかし、無神
経な壁の存在が毎日毎日イスラムの人々に糞米国、糞イスラエルの攻撃が
なんたるかを教えていくのだろう、、。
The Rising Sharon Wall (Baha Boukhari, Alayyam, 10/31/03).
せり上がるイスラエル・シャロンの壁。
The Ramadan Crescent crying for what's happening in Palestine and Iraq (Nasser Al-Ja'afari, Alquds, 10/31/03).
ラマダンの新月が、パレスチナとイラクに何が起きたのだと泣いている。
The Sharon Wall separating Palestinians from their Holy Mosque in Jerusalem. (Khalil Abu Arafeh, 10/31/03).
シャロンの壁は、パレスチナの人々がイェルサレムの聖なるモスクに近づくことを妨げている。
「赤十字」のこと
http://www.infosakyu.ne.jp/~sekkan/sekijuji.htm
なにげなく見ていても、UC世界にも赤十字がまだ存在しているという
ことはわかる。これはこれでよいのだが、ガンダムがワールドワイドな作
品として広く親しまれるためにはそれなりのグローバルな視点が必要だろ
う。しかるに、現状は赤十字なのである。宗教、特に既存のそれがタブー
なのは分かる。しかし、それを言っては「赤十字」も同じである。おそら
く疑問にも思わず使われ続けてきたものであろう。
そもそも赤十字はスイス国旗に描かれた「ギリシア十字」の地と紋の色
彩を反転させたものであり、元をただせばキリスト教のシンボル「十字架」
に行き着く。そのため、イスラム圏では宗教上の問題から使用されない。
ではイスラム圏では赤十字活動が行われていないかというとそうでもない。
アンリ・デュナンの精神はイスラム圏でも高く評価され、モチーフが「十
字架」である点を除けばなんら異を唱える人はいないのである。そのため、
モチーフをキリスト教の「十字架」からイスラム教のそれである「新月」
に変えた旗「赤新月旗」を以って医療活動のシンボルとしている。新月は
古くから回教圏で使われてきたモチーフであり、日本にも普及したクロワ
ッサンも元をただせばこの新月に行き着く。UC世界でイスラム教がどの
程度の形で残っているのかは不明だが、「アーガマ」のハサンなどはムス
リムの医師ではないかと睨んでいる。ならば彼の仰ぐ旗は「赤新月旗」で
あろうと思われるのだが、どうだろうか。
これまで、キリスト教圏では「赤十字」、イスラム教圏では「赤新月」
と単純に説明してきたが、それではこの両教徒が混在する地域ではどうし
ているのだろうか? 「赤十字を描いた救急車には乗れないから」といっ
て手後れになるムスリムのケガ人もいるのだろうか? 筆者はこうした疑
問をずっと抱き続けてきたわけだが、数年前、ニュース映像の中にバカバ
カしいほど単純な答えを見出だして腹を抱えて笑ったものである。ヨルダ
ン川西岸だっただろうか、爆弾テロかなにかで負傷したケガ人の後ろにと
まっていた白いライトバンには、堂々と「赤い十字と赤い新月が組み合わ
さったマーク」が描き込まれていたのである。抱き合うような形で仲良く
描き込まれた「赤十字/新月旗」には脱力するほどの単純さと、見え隠れ
する「人間の知恵」が同居していた。
さて、救急医療活動に従事する団体はなにも「赤十字」「赤新月」だけ
ではない。世界で最も古い伝統を今に伝える救急医療団体があるのをご存
知だろうか。彼らこそ「聖ヨハネ騎士団」又の名を「ホスピターラー騎士
団」と呼ぶ。なにを時代錯誤な、と言われるかもしれないが、実際に19
98年現在で彼らは医療活動に従事しているし、おそらく21世紀まで存
続することは疑い得ない。「テンプル騎士団(聖堂騎士団)」と並んで最
古の騎士団である「聖ヨハネ騎士団」は12世紀初頭には既に存在してい
た。場所は聖地エルサレム。後に十字軍国家の小アジア撤退とともにキプ
ロス島を経て本拠をロードス島に移し、「ロードス騎士団」と称したが、
これも1522年に陥落し、1530年にはカール5世からマルタ島を与
えられ「マルタ騎士団」と称した。このマルタ島は地中海におけるキリス
ト教圏の最前線であったが、彼らはここを1798年、後の皇帝ナポレオ
ン(当時はまだ一将軍の身)に降伏するまで死守した。彼の島は長い歴史
の間に完全に要塞化され、その「バレッタ」の町は世界遺産にも指定され
ている。余談になるが、このナポレオンにはもう一つの最古級の騎士団、
「ドイツ騎 士団(チュートン騎士団)」も決定的な敗北を喫し、没落の
契機ともなっている。その後、聖ヨハネ騎士団は拠点をイタリアに移し、
現在はローマに本部を置いて領土なき国家として活動を続けている。彼ら
の運営する医療機関は現在でも世界中に進出しており、「白地に赤いマル
タ十字」を描いた救急車は今日もどこかで尊い人命を救っていることだろ
う。
ざっと現在機能している救急医療機関について見てきたが、お分かりい
ただけただろうか? このように日本ではあまり知られていない(それだ
け日本人の興味関心が西欧中心になってしまっているということなのだが)
団体も存在しており、彼らの存在は宗教と切っても切れない関係にある以
上、根の深いものであるといえる。こうした団体が一朝にして潰え去ると
いう類のものでない以上、UC世界にも当然生き残っていることであろう。
それを考えなしに「赤十字」で済ませてしまうのはいかがなものだろうか?
純粋に考えれば地球連邦の下では「赤十字」と「赤新月」が統合されて
いると見るべきだろう。そうすれば無用の対立も起きないのであり、連邦
の理念とも合致する。であればその旗印は「赤十字/新月旗」であるべき
であろう。ここまでは「理」である。しかし、そうは言っても何の説明も
なされぬままに「赤十字/新月旗」が画面に出れば99.99%くらいの
視聴者が面食らうことであろう。それこそ「考証」が「演出」を食ってし
まうことにもなりかねない。そこら辺のサジ加減が微妙なのだが、「GU
NDAM MILLENNIUM」ではこの辺にも手を抜くわけにはいか
ない と考えている。TV、映画、小説、コミック、それぞれに演出にも
差があろう。ハードな作品を書こうとされる方の参考になれば幸いである。
参考までに。「銀河英雄伝説」に登場する銀河帝国の医療機関のシンボ
ルマークは当然ながら「赤十字」ではない。「ヘルメスの杖」である。こ
ういう細やかな配慮には頭が下がる思いである。
追記、イタリア時代の(つまり19世紀以降)聖ヨハネ騎士団について
の記述をどこかで読んだ記憶があるのだが、自分の部屋の書架にあるにも
関わらず探し出せずにいる。騎士関係の資料か、紋章関係の資料か、はた
また戦史関係の資料か、とんと思い出せないのだ。すぐにローマに移って
それで「おしまい」ではなく、もう一つくらい面白いエピソードと変転が
あったような気がする。うっすらとだがパトロンの記述もあったように記
憶している。ジャンルも分からぬようであれば、あの「折檻図書館」と呼
ばれる魔窟から一冊の本を探し出すことなど不可能である。どなたか上記
の案件について心当たりはないだろうか?
週刊朝日 > 船橋洋一の世界ブリーフィング
冷戦後の岐路に立つ赤十字「中立」の新たなシンボルを
http://www3.asahi.com/opendoors/span/syukan/briefing/backnumber/300/390.html
赤十字国際委員会(ICRC)代議員大会は来週、セビリアで赤十字活
動の標章(emblem)をめぐって話し合う。
会議には専門家委員会の「標章に関する報告書」が提出される。
報告書は、白地に赤い十字のマークと、イスラム圏で使われている「赤
い新月(三日月)」のマークという現行方式に代えていくつかのオプショ
ンを示している。
(1)現在の標章をすべて廃止し、赤い菱形とする。
(2)現在の方式に赤い菱形を加える。
(3)戦場での看護・救援用の標章と通常の用途のための標章を分け、戦場での標章は赤い菱形に代える。
(4)現在の方式にダビデの星を加える。ダビデの星はイスラエルの赤十字が一九四八年以来使用している。
(5)現行方式に赤い菱形マークとダビデの星マークを追加する。
(6)現行の白地に赤い十字と赤い新月マークを並立させる。
赤十字組織・運動のマークといえば、白地に赤の十字と通常思われてい
るが、イスラム圏では赤い新月マークが戦前から使われてきた。これに対
しイスラエルは建国以来、ダビデの星(red shield of David)を使うこ
とを主張している。
赤十字国際委員会はアンリ・デュナンの『ソルフェリーノの思い出』の
出版を契機にジュネーブ公益協会が各国の有力者に呼びかけて一八六三年、
設立された。委員会はスイス法人で、スイス国民により構成され、本部は
スイスのジュネーブに置かれた。その際、スイスに敬意を表して、記章は
スイスの国旗の赤地に白十字の配色を逆にしてつくった。
戦争中でも敵味方を問わず、傷ついた兵士を救おう、捕虜も人間として
扱おう、という思想はジュネーブ条約(赤十字条約)に結実した。
そうした活動をする場合、「中立」の象徴であるこの標章を掲げれば攻
撃されない。標章は重要な意味を持つ。
キリスト教世界で生まれた人道運動である。ごく自然に十字を採用した
ものだろう。ただ、赤十字はその後、標章には宗教的意味がないことを繰
り返し強調してきた。
しかし、のちにイスラム諸国が赤十字運動に参画するようになると、そ
こに宗教的シンボルを認めた。彼らはそれに代えて赤い三日月を標章とす
ることを主張した。結局、この赤い新月マークも正式な標章として認めら
れるようになった。
冷戦が終わり、冷戦は内戦に取って代わった。
それに伴って、民族、宗教的紛争が前面に出るようになった。ボスニア
内戦も、ルワンダ内戦も、チェチェン紛争もそうした種類の戦争だった。
こうしたなか、国際赤十字の「中立」が、にわかに危うくなった。その
劇的な例がチェチェン紛争の際の虐殺事件である。
これはチェチェン共和国の首都、グロズヌイの近郊にある赤十字の病院
で就寝中の外国人医療スタッフ六人が射殺された事件で、六人のうち五人
は女性だった。この病院は至る所に赤十字のマークが張られていたが、そ
れがかえって挑発を生んだ。
今回の標章をめぐる改革は、そうした深刻な事態に直面した赤十字・赤
新月本来の目的である人命の救助、中立の維持を貫くことができるかどう
か、の試金石にほかならない。 「公平」「中立」は実行するとなると難
しい。
ペルーの人質事件では赤十字委員会ペルー駐在代表のミニング氏が「テ
ロリスト側と談笑した」という理由でペルー政府から「ゲリラ寄り」と疑
われ、白眼視された。
現地の赤十字国際委員会に派遣された日本赤十字社の職員たちは職務上、
事件に関してはいっさい語らないとの姿勢を貫いた。そのため、人質の家
族から「冷たい」「どこの国の赤十字なんだ」といった非難にさらされた。
ところで、日本赤十字社は西南戦争のとき、佐野常(つね)民(たみ)
(元老院議員)らが始めた博愛社が前身である。日本政府は一八八六年、
ジュネーブ条約に加盟した。
ドイツのカールスルーエで開かれた第四回万国赤十字会議には日本から
陸軍軍医総監の石黒忠(ただ)悳(のり)が出席した。
会議二日目に、条約を欧州以外の国にも適用すべきか否か、という議題
が欧州の委員から提出された。石黒はこれには「心外の事と憤慨し」た。
そこで「独逸(ドイツ)語精通の森林太郎君を通訳として抗議した」。森
林太郎、つまり森鴎外である。
赤十字運動に人種的差別を設けるのなら、席を立つ、と啖(たん)呵
(か)を切ったのである。議場は騒然となった。
ここでオランダ代表のポンペが「日本は立派な文明国である」と援護射
撃をし、流れを変えた。ほかにもそれに賛同する意見が相次ぎ、この議題
は撤回された。
ポンペ・ファン・メールデルフォールトはオランダの海軍軍医である。
幕末に幕府から招請。長崎で五年間、近代医学と診療の実際を教えた日本
近代医学の恩人と言われる。石黒も若き日、ポンペの医学書を手写、勉強
した。
石黒は明治の初め、陸軍の衛生部、軍医の標章をつくるにあたって、赤
十字の標章とすることを起案したところ、太政官(内閣)から「赤十字は
宗教に関係がある。陸軍軍部内の標章に用いるのはもってのほか」と却下
された。
そこで、十字から縦の一文字を削って、白地に赤の横一文字とすること
とし、軍医の帽子には銀の盾の中に赤羅紗の一文字を付けたのを用いた。
これがちょうど赤い舌を出したように見えるので、世間からは「舌出し軍
医」などと呼ばれた。 (以上は石黒忠悳著『懐旧九十年』大空社、によ
る。石黒はその後日本赤十字社社長となった)
ジュネーブの赤十字国際委員会によると、今回の会議は「討議するだけ。
ただ、今世紀中には結論を出さなければ」という。
「舌出し」でもなんでもいいから、ここは知恵を絞って、いや知恵を出し
て、「中立」の新たなシンボルをつくってほしい。
10月29日付
■《天声人語》
明治初期、日本が国際赤十字に加盟するときのことだ。過去に同種の事
業をしたことがあるか、と問われた。南北朝時代の武将楠木正行(まさつ
ら)がおぼれる敵兵五百余人を助けて衣薬を与えた故事で答えたという
(芳賀矢一「国民性十論」)。国文学者の芳賀は、外国からは「野蛮な国」
と思われていたのだろうと苦々しげに記した。
加盟にあたっては、政府内に異論もあったらしい。太政大臣三条実美
(さねとみ)は「耶蘇(やそ)のしるしじゃ」と言ってキリスト教風の十
字を使うことを嫌ったという(吹浦忠正『赤十字とアンリ・デュナン』中
公新書)。
赤十字の標章は、創設者デュナンの祖国スイスの国旗の形をそのままに、
色を逆にするという発想からだった。これが後々までもめごとの原因にな
った。イスラム圏では十字には抵抗が強いということで、赤い三日月、
「赤新月」を採用、組織も赤新月社と名乗るようになった。ただし、グル
ープの一員であることには変わりない。
27日、バグダッドの赤十字国際委員会の現地本部を標的にしたテロの
実行グループは、赤十字についてまったく無知だったとは思えない。あえ
てその歴史的役割を踏みにじる行為に出たと考えるべきだろう。
イラクでのゲリラ攻撃は不気味に範囲を広げている。占領軍への攻撃か
ら、仲介ないし緩衝役の国際機関への攻撃へ。戦場でも中立を保証され、
救護活動をする赤十字への攻撃は、さらに一歩進めた挑戦的といえる攻撃
だ。
暗澹(あんたん)たる気持ちになるとともに、改めて占領政策の根本に
過誤があるのではないか、との思いも強い。