飯沼 [01/06/21(木)-22:34] |
シンさんへ遅くなりました。 |
ご意見ありがとうございました。 須磨厚久さんのご意見を踏まえたうえでご返事いたします。 私たちは、ごく普通の市民が集まって発足したグループです。その“ごく普通の私たち”を動かしたものは何か。それは「A君は無実だ」という確信と「こんなことがあってはならない」という思いでした。確証と確信がなければここまで運動を続けられはしません。私たちにとって大事なのはA君の無実を明らかにして彼を救うことです。そこでは、「人にどう思われるか」よりも「彼のために何ができるか」に重点があるのです。 言葉の遣い方や表現が断定的となり、それによって受け入れ難いものを感じる人たちがいる一方で、事件に関するもやもやが払拭された、疑問が解けてすっきりした、自分もそう思う、と感想を寄せてくれる人たちも大勢います。そのことに私たち自身が驚いています。私たちは、A君の無実を信じてくれる人たちと共にこそやっていきたいと思います。同じひとつのことを同じように信じられる人たちと心を合わせることが、ひとりひとりの力を足した分よりはるかに大きく強い力を出すことができるからです。 真実が少しずつでも明らかになっていけば、批判的、否定的だった人も認めざるを得なくなる。それでいいと思うのです。初めから全ての人に訴えが届くとは思えませんし、最後には「真実」の前で心を開いてくれればそれでいいのです。彼が社会に戻るときはきっと、多くの人の共感や励ましが彼に向けられるでしょう。 もちろんその時点でも、「彼が犯人」との思い込みから解放されない人も残ってはいます。しかし、真犯人が明かされることで、それは解けます。全ての人がA君の真実を知ることになります。 これは希望的観測ではありません。真犯人に関してはA君の無実の確信(論証できます)とは別に私たちなりにしっかりとした根拠をもっています。しかし今すぐそれをここで公にするつもりはありません。私たちだけでなく、実はたくさんの関係者は真犯人についての真実も知っています。口をつぐんでいるだけです。が、それも、その人たちの「良心」が、やがてその人たちの口を動かしていくことになるでしょう。 この事件で私たちは常に「人の心」を信じ、それに訴え、働きかけてきました。誰もが持っている「良心」は真実に沿って生きることを求める心です。人に「心」がある限り、真実が葬られることはありません。
シンさんの御助言には分かるところもありますが、私たちは以上のような気持ちでこれからも動いていきます。彼の無実を願いながらも発言したり行動したりできずにいる人たちは本当にたくさんいます。その人たちの願いはきっと届きます。 細かな分析と御指摘には御礼申し上げます。もちろん、非難や中傷とは受け取りません。意見の表明は自由なもの、と思っております。ですが、当フォーラムのホームページ及びパンフレットをもう一度読んで頂ければ、疑問や指摘に応えるものが全て提示されています。(風呂場のルミノール反応のことについても論証しています。)
「真夏には雪は降らない、まして積もらない」も、正確には「その可能性が極めて高い」と言うべきかもしれませんが、実際は断言して差しつかえないでしょう。それと同じ意味で「A少年は酒鬼薔薇聖斗なんかじゃない。これは冤罪だ」と、私は改めて断言致します。
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| *0012-01 シン [01/06/22(金)-00:40] |
| お返事有難う御座います。貴方のおっしゃることはその通りだと私も思いますが しかし私は「一刻も早く真実を明らかにし、A少年の無実を証明すること」が最大の目的であると思い、その為には反感を買うよりもより多くの方に同感して神戸事件に疑問の目を持って頂く事がその近道だと思ったのです。 また須磨さんのお返事にも書いた通り、こういった意見もあるということをご理解頂けたら幸いです。
>真犯人に関してはA君の無実の確信(論証できます)とは別に私たちなりにしっかりとした根拠をもっています。 とのことですが、何故公にされないのですか?なにか出来ない理由でもあるのでしょうか?私にはどうしてもそれが理解出来ません。 もしそのことでA少年が救われるのなら、今すぐ公にされることを考慮されては頂けませんでしょうか?
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| *0012-02 飯沼 [01/06/22(金)-15:24] |
| もちろん考慮しています。 今はどういう形でそれを公表するのがいいのか、そのタイミングを見ている段階です。それには批判もあるでしょうが、その責任は私たちが負います。 実は私たちは「ある人」に幾つかの質問をしました。それは事件の根幹に関わるものでしたが、その人からは何の回答もありませんでした。 その人の「代理人」と称する弁護士から「警告書」が送られてきましたが、内容はピントはずれのものでした。弁護士と電話で話をしましたが、彼は私たちが「その人」に出した何通もの手紙の内容を全く知りませんでした。「その人」は、手紙を自分の弁護士にさえ見せることが出来なかったのです。 その後も私たちは働きかけを続け、ついには「あなたが真犯人なのですか?」という質問書を内容証明で送るに至りました。「回答がなければ認めたものと解釈します」 と書き添えて。それでも回答がないので、今度は「やはりあなたが真犯人なのですね」という確認書を送りました。その内容証明郵便は受け取りを拒否されたので、ご自宅と勤務先に届けました。勤務先では面会を求めましたが、「会議中」と偽られて会えませんでした。同僚の人が「そのあたりにいるはずですが・・・」と、困ったように言っていました。 「その人」は、今は、「手紙を読んでいない」と言っていますが、それはありえません。なぜなら、膨大な手紙のコピーを、その人の親族の方々や職場の責任者など送ったり、手渡したりしているからです。私たちはいつも「彼に真実を語ってもらってください」と申し添えています。彼に近い親族の一人は、「この事件には関わらないで下さい」ととても苦しそうに懇願しておられました。別の親族の方は「ノーコメント」と言ったきりでした。「彼が真犯人だと、私たちは言っているのですよ」という、私の問いかけに対してです。 私たちは、彼の代理人に会って話し合うことを求めていますが、全く応じようとはしません。 現在、昨年からの彼への働きかけの手紙類を資料集にする作業を進めています。膨大な資料が、私たちの手元にはあります。それらを、私たちの責任において公にします。 弁護士が無実のA君を守らず、警察や検察が真実を知りながらそれを隠蔽するのであれば、何の力ももたない私たち市民は、真実そのものの力に頼るほかありません。 批判や危険は覚悟の上です。しかし、真実を求める心は、同じ心の人たちを呼び集めていくものなんだなという喜びのなかで、この運動をさせてもらっています。
長くなりました。 最後に付け加えておきますが、私たちは「その人」を責めたり糾弾したりするつもりはありません。彼には彼の苦しさがあったのだと理解しています。 過ちは、それを上回る貢献によってこそ贖われ、償われるものだと思っています。 無実のA君にそうしたように、「その人」がこれからの人生を真実の喜びのなかで生きていけるように、私たちは力添えしていくつもりです。真実は誰をも傷つけず、誰もがそれによって救われ、喜びとなるものだと、私たちは思っています。(その人には、なかなか伝わらないようですが・・・)
それにふさわしい時期がくれば、ためらわず公にします。そしてその時期はそう遠くはありません。 この事件は、わが身の保身を最優先する「おとな」の醜さが凝集したものです。少年とその家族のかけがえのないものを全て踏みにじって。 だからこそ、若い人たちの手本になるような、いやいや、せめて若い人たちが大人に絶望しきってしまわないような解決をもたらせたいのです。私たちは、冷静沈着に検討・検証しながら、信じた道を進みます。それが間違いであることが分かれば、その時点でそれを認め、詫び、過ちを償っていきます。(残念ながら「その人」に関しては間違いではないようですが。)
シンさん、これでよろしいでしょうか? 要は、私たちはA君とその家族のことのみならず、「その人」とその家族のことも併せて考えているということです。 その意味で私たちは、捜査官でもなければ、執行官でもないのです。 「人として」この事件の解決を求める者達です。 分かっていただけると嬉しいのですが。
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| *0012-03 シン [01/06/23(土)-01:42] |
| お返事有難う御座います。
>私たちはA君とその家族のことのみならず「その人」とその家族のことも併せて考えているということです。 その意味で私たちは、捜査官でもなければ、執行官でもないのです。 「人として」この事件の解決を求める者達です。
重々承知致しました。それでも私は一刻も早く公にされてA少年とその家族が 救われることを望んでおりますが。 彼には彼の苦しさがあったのだとしても本来責められるべき人であるには変わりないのですから。「その人」やその家族を考えることも大事だと思いますが、A少年は未だ彼の身代わりとなっているのです。
ところで「その人」に疑いの目が向けられた根拠についてはどういったことからなのでしょう? もし宜しければその経過について話して頂けますでしょうか?
メールどうも有難う御座いました。返信しましたのでお読みください。
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