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『賃金と社会保障』No.1359(2003年12月上旬号)
はじめに―故金丸信氏の“慧眼”恐るべし
金丸氏は、「ガラガラポンだ」と言った。政界再編だ。自民党を二つに割り、社会党 も二つに割って、自民党の片方と社会党の右派が合体して新党を作り、自民党とその新 党とで政権交代が可能な体制を作るという構想である。社会党右派と合体するのは自民 党最大派閥の経世会(竹下派)というのが金丸氏の考えだった。これまでの労働組合の ような野党ではなく、国家の運営に当たることの出来る野党を作ることが政治改革の目 標だというのだ。
……
さらに政権交代を可能にするためには、選挙制度をこれまでの中選挙区制から小選挙 区制に変えることが不可欠だと言われた。世界で中選挙区制を採用しているのは日本だ けで、二大政党制の国はどこも小選挙区制だと言われた。小選挙区制の導入が政治改革 の最重要課題として浮上していた*1。
故金丸信元副総理の“慧眼”、恐るべしというところだろうか。この構想を語った後、金丸氏が主張していたように小選挙区制が導入され、三回の選挙を経て、とうとう「国家の運営に当たることの出来る野党」が登場し、二つの政党間で政権をキャッチボールできるような状況が見えてきた。
金丸氏が倒れた後、九三年の総選挙を前に自民党は二つではなく三つに割れた。自民党から出た二つの新党・新政党と新党さきがけはやがて合流し、紆余曲折を経た後、現在の民主党に流れ込んでいる。社会党の方も、金丸氏の予言通り二つに割れ、右派は民主党に合流し、残った左派は今回の総選挙で消滅の危機に瀕している。
まさに、金丸氏の構想通りの推移だと言える。この構想の最終的な仕上げは、総選挙直前に実現した自由党の民主党への合流だった。その背後には二一世紀臨調からの働きかけがあり、中心になって動いたのは金丸氏が寵愛した“弟子”の小沢一郎氏である。
ひょっとすると、小沢氏は先の金丸構想を聞かされていたのかもしれない。金丸氏の死後、小沢氏の関わった「政治改革」と政界再編の全ては、金丸氏の“遺言”に基づくものだったのだろうか。
“死せる金丸”が、“生ける小沢”を走らせた。走りに走って、行きついた先が今回の総選挙の結果であった。まさか?
保守・中道「二大政党」制への道―総選挙の結果
「民主党躍進、与党絶対安定多数確保」という見出しが踊っていた。総選挙翌日の新聞各紙である。朝日、毎日、東京は前者を、読売、産経、日経は後者を強調するという違いはあったが、基本的な評価に変わりはない。
総選挙の結果、自民党は二三七議席で選挙前議席から一〇議席減、民主党は一七七議席で四〇議席増、公明党は三四議席で三議席増、共産党は九議席で一一議席減、社民党は六議席で一二議席減、保守新党は四議席で五議席減、無所属の会は一議席で四議席減、自由連合は一議席で現状維持、諸派は〇で二議席減、無所属は一一議席で六議席増となった。総定数は四八〇議席で、選挙前には欠員が五議席あった。
この結果、議席を増やしたのは民主党と公明党、それに無所属である。無所属はほとんど「隠れ自民党」で、やがて追加公認されて自民党に合流するか自民党と同一歩調をとることになる。
選挙の経緯と結果は、かつての「政治改革」の“真価”が発揮されつつあることを示している。「政治改革」に秘められた真の狙いは、金丸氏が語っていたように、どちらが政権を取っても体制を不安定にすることのない「二大政党制」を実現することにあったからだ。
民主党は自由党との合併によって中道寄りのスタンスを強め、自民党と見分けのつかない「マニフェスト」を掲げて財界にも色目を使うようになった。幻の「政権交代論」によって「戦略的投票」を呼びかけ、「二大政党制」的枠組みを作ることに成功した。
それは確かに、政権交代の可能性を生む。しかし、根本的な政策転換を伴わない、ライスカレーがカレーライスになった程度のものかもしれない。小泉首相の「構造改革」への懸念と批判は「民主党躍進」の原動力の一つだったが、そうやって議席を増やした民主党は、小泉流の「構造改革」をさらに早め、徹底することを要求している。
保守・中道の「二大政党制」化によって、この日本にもアメリカ的な政党制が近づいた。そして、その二つの政党が掲げている基本政策は、いずれも新自由主義をめざすものだ。このままいけば、日本はアメリカのような政治・経済体制を実現することになる。それは、アメリカと手をたずさえて“世界の孤児”への道を歩むことを意味するだろう。
これが、今回の総選挙で見えてきた二一世紀における日本の進路である。そして、そのような道こそ、かつて「政治改革」が目指した本当の目的であった。
その意味では、この一〇年間は、決して「失われた一〇年」ではなかったということになる。「失われた」のは国民が願っていた「本当の改革」の道であり、その陰で、金丸氏や財界などがねらっていた革新政党排除と保守・中道「二大政党制」への道は、着々と具体化されてきたということになる*2。
「小泉神話」の崩壊
今回の選挙で、自民党の獲得議席は二三七となり、一〇議席減となった。議席を減らしたのだから、自民党が敗北したことは明らかである。前回の総選挙では獲得議席は二三三議席で、今回の結果はこれを上回っている。しかし、これは「失言」を繰り返して支持率を落とした森前首相の下での「神の国選挙」だった。上回って当然だろう。
自民党は小選挙区で、四三・八%の得票率で五六・〇%の議席を獲得した。小選挙区制は第一党にきわめて有利であり、今回もまた“制度のカラクリ”に助けられたことになる。
また、自民党は一九八の小選挙区で公明党の推薦を受け、一六八人が当選した。毎日新聞の調査によると「公明票が自民党候補に全く入らなかった場合を想定すると、一六八人のうち半分の八一人が落選していた計算になる*3」という。
問題は、それにもかかわらず前回をたった四議席しか上回らなかったという点にある。これは「小泉神話」が崩壊し、「安倍効果」もほとんどなかったということを意味している。与党三党の得票率をあわせても、小選挙区四六・六%、比例代表四九・八%で、いずれも過半数に及ばない。小泉首相や小泉内閣への信任、構造改革への支持という点でいえば、国民は「イエス」と答えたわけではない。
これまでの与党のあり方は、完全に信任されたわけではなかった。世論の動向に従った民主政治を志すのであれば、小泉首相はこれまでのやり方をそのまま続けることは許されず、何らかの修正が必要になろう。
この選挙結果に現れた異議申し立てに、真摯に耳を傾けなければならない。選挙結果にもかかわらず、もし、小泉首相がこれまでと同様の方向を押し進めるとすれば、「何のための選挙だったのか」という批判を受けることになろう。これまでの政治や政策の是非について民意を問い、その結果、自民党の議席減という形で国民は異議申し立てをしたのだから……。
唯一の勝者は公明党
もう一つの与党である公明党は議席を増やした。選挙区は九議席で現状維持だったが、比例区で三議席増やして二五議席を獲得、総議席は三四となった。今回の選挙で議席を増やしたのは公明党と民主党だったが、本当の意味で勝利したのは、比例票で過去最高の八七三万票を獲得した公明党だけである。
今回の選挙結果は、公明党にとっては望みうる最善のものだった。自民党と保守新党が議席を減らし、与党連合の中で公明党だけが議席を増やしたからだ。その結果、与党内での公明党の比重が高まった。当然、これからの発言力も強まることになる。
それでは、自民・民主以外の小政党が軒並み苦戦する中、なぜ公明党だけが議席を増やすことができたのだろうか。その理由の一つは、自民党との選挙協力にある。
公明党といえども、自民党の応援なしには小選挙区での当選は不可能だった。当選した九区のうち、比例代表の公明得票が次点候補の得票を上回った選挙区は一つもない。候補を立てた一〇選挙区では「公明候補に投票した人のうち四四・四%が自民支持層」で、「公明支持層」の「三二・一%」を上回っている*4。自民支持層のお陰で当選するような選挙を繰り返せば、自民党と同様、公明党としても連立を解消することはできなくなるだろう。
今回、公明党の推薦を受けた自民党候補者の多くは、「小選挙区は私に、比例区は公明党に」と連呼していた。自民党でありながら、公明党の選挙運動をやっていたということになる。自分さえ受かれば、自民党全体の議席はどうなってもかまわないというわけだ。その結果、「比例で自民支持層の五・九%が公明に投票した*5」という。
公明党が比例区で議席を増やしたもう一つの理由は、「棒杭効果」である。投票率という水位が下がれば、安定した堅い支持者をもつ公明党の議席が浮上することになるからだ。
今回も、史上二番目という低投票率の下で、このような「棒杭効果」が生じた。他の政党の得票数が減れば、それほど増減のない公明党の得票率が自然に高まることになる。
もう一つの連立与党だった保守新党は、九から四へと議席を半減させた。保守新党を生かすも殺すも自民党次第だ。静岡七区の熊谷保守新党代表が自民党森派の応援する保守系無所属候補に敗れたように、今回の選挙で保守新党は自民党に見はなされた。存亡の危機に陥った保守新党は、結局、自民党に吸収・合併され、姿を消した。
民主党とはどういう政党か―選挙民、民主へ「ためらいがちな支持」
野党では、文句なく民主党の一人勝ちだ。民主党はマスコミなどでは「大躍進」と評価されており、確かに、改選議席一三七を四〇も増やした。しかし、果たして、そんなに「躍進」したといえるのだろうか。
民主党は、「政権交代」を実現するために自党候補に票を集中するよう訴えた。マスコミも、「二大政党」化を後押しし、マニフェストを持ち上げ、「政権選択」が唯一の争点であるかのような報道を行って、民主党の援護射撃を行った。その「成果」が今回の結果だったと言える。
このマスコミの大キャンペーンの後押しを受け、民主党は共産党や社民党から議席を奪い、無党派票の半数以上を獲得した。共産党が失った一一議席と社民党から離れた一二議席は、いずれも民主党のものになった。
比例区でも、民主党は自民党を上回って第一党である。無党派層は、小選挙区と比例区で投票する相手を分けるなどという面倒なことはせず、両方とも民主党に入れたものと思われる。
こうして、共産・社民から二三議席を奪ったとすれば、民主党が今回純粋に増やした議席は一七議席にすぎない。これが自民党や保守新党から奪った議席になる。
しかし、今回は自由党と合同してからの初めての選挙であった。「合併効果*6」で票を増やし、候補者調整や共倒れの防止などによって効率的に当選させることができたという面もあっただろう。共倒れ防止で得た六議席*7を差し引いた純増が一一議席というのでは少なすぎる。二〇〇議席を目標としていた民主党にとっても不満の残る結果だろう。とても「躍進」などと言えるものではない。
問題は、この増加をどう評価するかである。政権交代が政策転換に結びつかず、自民党と代わり映えのしない政策を掲げたために、政権交代のインパクトが小さくなったからだ、というのが一つの見方だ。私は、そう思う。今回の民主党のマニフェストは多くの曖昧さを含んでおり、せいぜいが「ためらいがちな支持」であったため、この程度の結果に終わったのである*8。
しかし、逆に、もっと中道寄りにして、財界などからも安心して支持してもらえるようにしなければならないという総括もあり得る。これは、政治献金をエサに、民主党の政策を支持できるような政策に変えていこうとする日本経団連の誘いに、民主党が乗るということである。
そもそも現在の民主党は、旧自民党出身者と旧社会党出身者という大きな二つの流れを受け継いでいる。自由党との合流によって安保・防衛問題でのタカ派も流れ込んだ。その結果、防衛問題でいえばタカ派とハト派、経済問題でいえば急進的自由主義路線と社会民主主義的「第三の道」路線とが混在するようになっている。アメリカのブッシュ大統領とイギリスのブレア首相が一つの政党にまとまっているようなものだ。
選挙前だということもあって、このような路線上の違いは不問に付され、「結果として対立軸は見えにくくな*9」り、マニフェストの内容は当たり障りのないものになった。このアンビバレント(両義的)な状況は、今後の民主党にとって大きな問題になる可能性がある。そのどちらの方向を選択するかは、今回の選挙結果の総括や今後の進路と密接に関わることになるだろう。
平和・護憲政党が枕を並べて“討ち死”ということでいいのか―共産・社民両党の歴史的敗北
共産党と社民党の両党は、マスコミの「政権選択」キャンペーンと小選挙区制とによって挟撃され、歴史的敗北を喫した。両党には北朝鮮の拉致問題での攻撃が加えられ、共産党にはセクハラ問題での筆坂議員の辞職、社民党には辻元議員や土井党首元秘書の逮捕という独自の逆風が吹き付けた。
共産党は革新無党派票のほとんどを失い、比例代表では前回参院選と同程度の四五九万票しか獲得できなかった。前回の総選挙より二一三万票も減らしており、ほとんど“裸”になったといえる。社民党はさらに大きく落ち込み、、比例代表で前回より二五七万票減の三〇三万票と従来の支持層の一部をも失った。“裸”どころか、“骨”になってしまったと言うべきだろうか。
「政権選択」論を背景とした「戦略的投票」論は、小選挙区だけでなく、比例区での無党派などからの投票も抑制した可能性がある。「政権交代のために民主党を増やす」というのであれば、なにも小選挙区だけに限らず、比例区であってもよいわけだから……。
それに、小選挙区制の本来的機能の問題もある。小選挙区制が小政党を排除し、次第に力を弱めていくことは制度の導入以前からわかっていた。このような効果があるから、小選挙区制が導入されたとさえ言えるほどだ。
これについて私は、一〇年前に次のように指摘したことがある。
常に当選を争うことのできる大政党のグループと、ほとんど当選を争うことのできな い小政党のグループができた場合、後者の政党は次第に力を弱めていくことになります。 自分の投票を有効に生かそうと考える選挙民の多くは、当選の見込めない候補者よりも、 多少問題はあっても、当選が見込める候補者に投票する可能性が高いからです。
こうして、何回かの選挙が繰り返されれば、一議席を争うことのできる二つの大きな 政党とその他の政党との得票差はどんどん開いていくことになります。やがて中小政党 は候補者を立てることさえあきらめてしまうでしょう*10。
今回の選挙では、まさに「小政党が当選しにくく、そのために有権者がやむを得ず次善の選択を行わなければならないような状況を作り出した上で、有権者の投票行動を当選を争うことのできる二つの政党に押し込んでいく*11」形が生まれた。「戦略的投票」の勧めは、そのようなものだったと言えるだろう。こうして、やむを得ず、「次善の選択」を行った有権者も多かったと思う。
したがって、私からすれば、この結果は意外なものではない。問題は、小選挙区制がこのような制度上の「特性」を抱えていることがわかっているのに、共産党や社民党はそれに対して何の工夫もしてこなかったというところにある。小選挙区でも議席を争えるという可能性や希望を持たせるためにどうするのか。共社両党の生き残りのためには、この点の工夫が不可欠であろう。
両党は、このままではジリ貧である。共産党と社民党という「戦後民主主義」を担ってきた二つの平和・護憲政党が枕を並べて“討ち死に”というのでは、日本の将来は一体どうなるのだろうか。
小選挙区制の壁をどう打ち破るのか。「これなら何とかなる」と思わせるような起死回生の刷新策を、共産党・社民党ともに協力して、是非、打ち出してもらいたいものだ。来年夏に予定されている参議院選挙までに、どのような新機軸を示せるか注目される。
二大政党状況をどう見るか
この選挙の結果、マスコミには二大政党状況が強まったことを歓迎する声があふれている。しかし、二大政党制が理想的な制度であるという意見に与することはできない。
第一に、二大政党制になれば必ず政権は交代するのかといえば、イエスともノーとも答えられる。人びとの支持態度がどう変わるのか、それが過半数のラインをどれだけ超えるのかによって、この答は変化するからだ。小選挙区制の下では、ある水準まで変化は抑制され、ある水準を超えれば変化は底上げされる。
第二の問題は、政権交代があったとして、それがどこまで政策転換に結びつくのかということだ。政権交代が可能だとしても、それがもっと良い、自民党よりましな政権になるという保障はどこにもない。少なくとも、もっと良いリベラル政権になると確信できるような政党に民主党が変身することが、二大政党制を評価する場合の最低限の要件だろう。
第三に、政権交代後の民主党政権が期待はずれだった場合、そのときにはどうしたら良いのかという問題もある。現政権に対する選択肢としてより良いものが提供されるという保障はない。政権交代後の民主党に失望し、それよりも悪い自民党しか選択肢がないとき、有権者はどうしたら良いのだろうか。もしこのような状況になった場合でも引き返すことができないというところに、小選挙区制と二大政党制の恐ろしさがある。
アメリカではゴアに対する選択肢はブッシュしかなかった。イギリスでは労働党に対する選択肢は保守党しかない。この例を見ても、二大政党制は決して理想的な制度だとはいえない。それは、いったん落ち込んでしまうとそこから抜け出すことがほとんど不可能な泥沼のようなものだ。この泥沼の中で、イギリスとアメリカは苦しんでいる。
日本は、なにゆえ、わざわざ好き好んで、この泥沼に入り込まなければならないのだろうか。泥沼に入り込む前に、引き返す勇気こそが今、我々に必要なのではないだろうか。イデオロギー的な二極対立が弱まり、多様化複雑化している現代社会において、もはや二大政党制は時代遅れの“遺物”にほかならない。
投票率の低下という問題
なお、今回の選挙では投票率の低さが注目された。小選挙区比例代表並立制が導入されてから、九六年五九・六五%(史上最低)、二〇〇〇年六二・四九%、今回五九・七三%と、三回の選挙連続して六〇%前後の低投票率になっている。この点についてもふれておく必要があろう。
実は、小選挙区制の下では投票率が下がるだろうということも、私は以前から予想していた。これについても、次のように書いたことがある。
はじめから当選を競い合うような政党が二つくらいしかなく、出てくる候補者が毎度 おなじみで、しかもその当落がほぼ予想できるということになれば、人々の選挙への興 味と関心は大幅に減退するでしょう。中小政党が排除され、自分の願いを託せる候補者 がいず、二大政党が競い合っていてもそのどちらも支持できないという人の場合、はじ めから「投票するな」といわれているようなものだからです。当然、投票率は下がりま す。
また、たとえ自分の支持できる候補者が立っている場合でも、その当選がほとんど望 めないとなれば、その人はその候補者への投票意欲を失うかもしれません。その結果、 当選の望めるよりまし候補者に入れるか、はじめからあきらめて危険するという可能性 も強まります*12。
今回の場合、七割弱の選挙区では自民・民主・共産の三党の候補者しか立っていず*13、競争パターンが画一化し、それだけ選択肢もせばまった。「はじめから当選を競い合うような政党が二つくらいしかな」いという点では、まさに予測したとおりになったといえる。このような状況の下では棄権が増え、投票率が低下するという予測も、残念ながら証明されたと言わざるを得ない。
地方の農村部での投票率低下が目立つという傾向も出ている。これも、勝敗が見えている勝負は関心が低下するということの現れかもしれない*14。自分の一票では何も変わらないということになれば、投票する意欲が下がるのも当然だろう。
小選挙区で当選の可能性が低い共産党や社民党の支持者が投票所に足を運ばなかったということも、この両党の得票数が減少した要因の一つかもしれない。これもまた、共社両党の敗北を招いた要因の一つだったかもしれないのである。
二〇〇三年一一月二一日脱稿
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*1 田中良紹『裏支配−今明かされる田中角栄の真実』廣済堂、二〇〇三年、二八七頁。
*2 日本経団連の奥田碩会長は、一一月一〇日の記者会見で、「頻繁に交代するのは困るが、一定の時期をおいて政権の交代があってもいい」「米国みたいに二大政党がいいと思っていた。今回の選挙で日本にいつ定着するかが見えてきた」と、選挙の結果を評価した(二〇〇三年一一月一一日付『東京新聞』)。
*3 「比例代表で公明党に投票した人のうち六一%が小選挙区で自民党候補に投票した」ため、この「公明党の比例得票数を単純に差し引くと」、こういう結果になるという(『毎日新聞』二〇〇三年一一月一一日付)。
*4 『産経新聞』二〇〇三年一一月一一日付。
*5 『日本経済新聞』二〇〇三年一一月一一日付。
*6 民主党の小選挙区での絶対得票率は二一%で、投票率が低下したにもかかわらず、前回総選挙の民主党一七%と自由党二%の合計を上回った(『朝日新聞』二〇〇三年一一月一〇日付夕刊)。
*7 前回の総選挙で民主・自由の票が自民党を上回りながら共倒れした一一選挙区のうち、六選挙区で民主党が当選した。残りの五選挙区でも四人が比例で復活当選しており、「民主と自由の合併は民主躍進に一定の効果があった」と評価されている(『日本経済新聞』二〇〇三年一一月一〇日付夕刊)。
*8 小沢氏は選挙後、「負けは負け。反省すべき点は二つ。候補者の日常活動が足りないことと政策論の三分の一を占める安全保障、社会保障、教育論で玉虫色の部分が残っていることだ」と述べている(『日本経済新聞』二〇〇三年一一月一八日付)。
*9 『朝日新聞』二〇〇三年一一月一一日付。
*10 拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』労働旬報社、一九九三年、六八頁。
*11 同前、七〇頁。
*12 同前、七八頁。
*13 主な政党の対決パターンは、自民・民主・共産が一九九選挙区(六六%)、自民・民主・社民・共産が三八選挙区(一三%)、自民・社民・共産が二一選挙区(七%)などだった。これらの合計は、小選挙区の八六%になる。
*14 選挙区を人口密度の高い順に「大都市型」「都市型」「農村型」と分けた場合、一一三ある「農村型」選挙区で自民党は八八人が当選した(『毎日新聞』二〇〇三年一一月一一日付)。当選率は七八%もの高率であり、いかに自民党が農村部で強いかを示している。
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/03sousenkyo.htm