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democrat氏が本物の弁護士なら冤罪に立ち向かえないだろう [さざ波通信:一般投稿欄より]
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/824.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 05 日 00:23:57:Mo7ApAlflbQ6s


時々覗いている「さざ波通信」で、“おいおい、これがほんもんの弁護士かよ”と思わせる人間性と思考力をお持ちの自称弁護士に遭遇したので紹介させていただく。

やり取りの全文は末尾に転載していますので、先にそちらをお読みいただいたほうがいいかもしれません。
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ecologosさんは、阿修羅サイトでも投稿しているecologosさんのようです。
一方のdemocratさんは、自称通り弁護士であれば、共産党支持者の人権派弁護士と想像できる人です。(この評価は、さざ波通信の書き込み内容から判断したものです)


democratさんは、ecologosさんの「まず、個の意思が全体の意思に正確に反映しない世界の現状を冷厳に見据えた言論が必要だというのが、私の基本的な考え方です」という部分に対し、「「・・・冷厳に見据えた言論」のできない一般民衆は、人間として自然な「個の意思」を表明すべきでないということであろうか?」と切り返している。

これは、ecologosさんの“個の意思が全体の意思に正確に反映していないという現実を冷厳に見据える必要がある”という論旨を完全に取り違えたものである。
「冷厳に見据えた言論」ができないのは弁護士democratさんであり、彼いわくの“一般民衆”ではないってことがわかっていないようだ。
democratさんが書いた部分だけが印象に残ると、人権派弁護士らしく思えるから始末に困る。


ecologosさんの「9・11テロ非難の声が人間=個として自然なことは当然ですが、それが集まって、アフガン戦争以後を後押ししたのではないですか。そしてテロは拡散したのです。これを大衆に説明しましょう。また侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう、と言いましょう。こうした言論に瑕疵があるでしょうか。言論は、その字面で、一時、個にとって溜飲を下げるためのものではないと思います。もちろん、大衆に支持される言論・運動という視点は常に必要です」に対しては、「ecologos氏は、「9.11のようなテロに非難の声をあげれば、それが反テロ戦争を後押しし、さらにテロが拡散する。だから、テロを非難すべきでない」というように大衆に説明するそうだが、このような倒錯した説明で誰が納得するだろうか? テロ非難が人間として当然の声であれば、このような理屈で押さえられるわけがなかろう」と応えている。

ecologosさんの「侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう」が、「9.11のようなテロに非難の声をあげれば、それが反テロ戦争を後押しし、さらにテロが拡散する。だから、テロを非難すべきでない」と“意訳”できる思考過程は恐いものがある。

democratさんの「「侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう」という論理も倒錯している。アフガン報復戦争やイラク侵略戦争は、それ自体が国際法上無法で人道上残虐な国家テロだから反対すべきなのだ。「抵抗テロを引き起こすから」というのはあくまでも二次的な理由にすぎないし、それで運動を盛り上げられるわけでもあるまい。」は筋が通っているが、ecologosさんの“侵略テロ”には「国際法上無法で人道上残虐な国家テロ」という意味が含まれていることがわかっていない。

そして、democratさんは「「アメリカとイスラエルの国民を一体どうやって説得するのだろうか?」という私の問いかけは、(テロ非難の声はテロリストには届かないが)「イスラエルもアメリカも戦争遂行者を選挙で落とすことが可能です」というecologos氏自身の発言に対するものだ。「選挙で落とす」ために、氏は「犯罪被害者を説得」しなければならない」という反論は頓珍漢である。
ecologosさんの反テロ戦争=“侵略テロ”であるという声が世界を覆えば、米国やイスラエルの統治者を「選挙で落とす」一助にはなるであろう。


democratさんは、「これらのことから飛躍して、「ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しない」とか、「戦争反対!シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています」などという普遍的命題を帰結させるのは、「事実」ではなくてecologos氏の「思想」(まさに大衆蔑視のニヒリズム)である。」とecologosさんを切って捨てている。
ecologosさんの戦術が有効なものかどうかは別として、「ヒューマニズムは反戦平和運動の原動力とか出発点であっても、その内実ではありません。普遍的な理念も、頭の中にひっそりと格納されているだけでは力にならないのです。民衆は動かず、戦争遂行者と戦争メディアがこれを利用する。現在、これがヒューマニズムの利用のされ方。」( http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/readers/0311/r0311_49.html )というecologosさんの考えへの反論になっていないものであり、どこから、(まさに大衆蔑視のニヒリズム)というレッテルが出てくるのか不思議である。


democratさんの「だから、「戦争反対!ばかり書かれた新聞を購読する人はいない」などというのは全くとんちんかんな反論だし、デモは効果的でないがオルターナティブ・メディアは効果的というのも頭でっかちの思いこみにすぎない。」というのもecologosさんの意を無視した批判である。
デモそのものを否定しているわけではないecologosさんは、ヒューマニズムは端緒であっても、論理的な支えがなければ「反テロ戦争」正当化論理に絡め取られてしまうというのが基本的な立場だと思われるからである。


大笑いなのは、democratさんが、ecologosさんの「さて、ついに外交官二人がイラクで殺害されました。二人への同情をテコに、小泉らのテロには屈せず・・・が喧伝されるのではないかと、心配です。democratさんも皆さんも、日本の言論の実情とそれが果たす役割を、しっかりとご覧いただきたいと思います。」の部分に対し、「貴重な人命が奪われたことに関して(しかもその直後に)、このようなシニカルな高みの見物的発言を平気でできる神経だけは持ちたくないものだ。人間としての同情の気持ちがどこに向かうか、何の「テコ」になるのか、それはまさに我々の言論と運動の課題であろう。それとも、ecologos氏の「冷厳に見据えた言論」とやらでは、「小泉の喧伝に利用されるから死者に同情すべきでない」と説くのだろうか? 」と揶揄し切り返したつもりになっていることである。

「二人への同情をテコに、小泉らのテロには屈せず・・・が喧伝されるのではないかと、心配」しているecologosさんに、「このようなシニカルな高みの見物的発言を平気でできる神経だけは持ちたくないものだ」と揶揄し、「ecologos氏の「冷厳に見据えた言論」とやらでは、「小泉の喧伝に利用されるから死者に同情すべきでない」と説くのだろうか?」と、最初に取り違えた論旨を再び使って、無思慮にも「「死者に同情すべきでない」と説くのだろうか?」と自分の人権派ぶりを強調して終わっている。

まあ、弁護士は知性と論理が商売の売りだから、ひとの論理に負けまいとする気持ちがわからないではないが、democratさんの知性と論理に頼ったら、冤罪から逃れることは無理だと思われる。

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言論の役割・個と全体(11/25のdemocratさんへ)2003/11/29 ecologos、30代、自由業

 まず、個の意思が全体の意思に正確に反映しない世界の現状を冷厳に見据えた言論が必要だというのが、私の基本的な考え方です。
 9・11テロ非難の声が人間=個として自然なことは当然ですが、それが集まって、アフガン戦争以後を後押ししたのではないですか。そしてテロは拡散したのです。
 これを大衆に説明しましょう。また侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう、と言いましょう。こうした言論に瑕疵があるでしょうか。言論は、その字面で、一時、個にとって溜飲を下げるためのものではないと思います。もちろん、大衆に支持される言論・運動という視点は常に必要です。
 「アメリカとイスラエルの国民を一体どうやって説得するのだろうか?」と言われますが、通常、犯罪被害者を説得しますか?法に則り粛々と犯罪を裁くのが普通だと思いますが。
 日本で反戦世論が盛り上がらないことをもって、「ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しない」と言いました。またイラク戦争を阻止できなかったことをもって、「戦争反対!シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています」と言ったのです。これが事実ではないですか?
 デモ隊のなかで歌を合唱する人を見かけますが、沿道の人に訴えるものがあるかどうかは、疑問です。「戦争反対」「NO WAR」のプラカードばかり見せられて感じるものがあるかどうかも、疑問です。善意の運動でも、「効果」が求められるのです。
 どのような反戦運動が効果的か?オルタナティブ(マス)メディア(木村愛二)になればいいと思います。「戦争反対!」ばかり書かれた新聞を購読する人はいないでしょう。劣化ウランなど自分たちの知らない事実を知らせてくれなければ、反戦運動に聞く耳を持たないでしょう。新聞で置き換えれば購読しない。結果、大衆の(ヒューマニズムの強度を高めることをもって)反戦世論を高揚させることはできないと思います。
 さて、ついに外交官二人がイラクで殺害されました。二人への同情をテコに、小泉らのテロには屈せず・・・が喧伝されるのではないかと、心配です。democratさんも皆さんも、日本の言論の実情とそれが果たす役割を、しっかりとご覧いただきたいと思います。

http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/readers/0311/r0311_76.html
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ニヒリズムの証明(ecologos氏へ)2003/12/3 democrat、40代、弁護士

 ご返事をいただいたが、私にはやはり斜に構えたニヒリズムにしか見えない。

>まず、個の意思が全体の意思に正確に反映しない世界の現状を冷厳に見据えた言論が必要だというのが、私の基本的な考え方です。

 「・・・冷厳に見据えた言論」のできない一般民衆は、人間として自然な「個の意思」を表明すべきでないということであろうか?

 ecologos氏は、「9.11のようなテロに非難の声をあげれば、それが反テロ戦争を後押しし、さらにテロが拡散する。だから、テロを非難すべきでない」というように大衆に説明するそうだが、このような倒錯した説明で誰が納得するだろうか? テロ非難が人間として当然の声であれば、このような理屈で押さえられるわけがなかろう。

 実際には、9.11テロ直後の世界は、イスラム諸国を含めてテロ非難一色だった。ブッシュ政権がアフガン報復戦争を強引に進めなければ、かつてない国際的なテロ包囲網でテロリストは孤立させられたはずである。テロ非難は、本来、政治暴力を言論と民主主義の力で封じ込めるためのものであって、今回のアフガン戦争以降の経緯はブッシュ−ネオコン政権の好戦的性格に帰せられるべきものである。

 「侵略テロが抵抗テロを引き起こすから侵略テロをなくそう」という論理も倒錯している。アフガン報復戦争やイラク侵略戦争は、それ自体が国際法上無法で人道上残虐な国家テロだから反対すべきなのだ。「抵抗テロを引き起こすから」というのはあくまでも二次的な理由にすぎないし、それで運動を盛り上げられるわけでもあるまい。

 次に、「アメリカとイスラエルの国民を一体どうやって説得するのだろうか?」という私の問いかけは、(テロ非難の声はテロリストには届かないが)「イスラエルもアメリカも戦争遂行者を選挙で落とすことが可能です」というecologos氏自身の発言に対するものだ。「選挙で落とす」ために、氏は「犯罪被害者を説得」しなければならない。

 日本で反戦世論(正確には反戦「運動」)が盛り上がらなかった理由は様々あろう。また、イラク戦争に突っ走ったブッシュ政権の狂気は、何もデモの力だけでなく、仏独露の諸大国をはじめ世界の多数の国々の公然たる反対によっても止められなかったのである。
 これらのことから飛躍して、「ヒューマニズムを基礎にして民衆は連帯しない」とか、「戦争反対!シュプ(純粋なヒューマニズムの唱道)のデモは反戦の力になりえないことが、残念ながら、証明されています」などという普遍的命題を帰結させるのは、「事実」ではなくてecologos氏の「思想」(まさに大衆蔑視のニヒリズム)である。

 そもそもデモというものは、多数の人が街頭行動に立ち上がること自体にアピールの意義があるものだ。記事の内容で説得する新聞とは自ずから役割が異なる。デモや街頭行動の表現方法には、プラカードもあれば歌もあるし、反核運動のときの「ダイ・イン」や「人間の鎖」、薬害エイズのときのラップパレードだってある。いずれもメッセージそのものは単純でストレートなものだが、そのときどきの大衆の気分感情を捉えれば、有効な運動となりうる。
 だから、「戦争反対!ばかり書かれた新聞を購読する人はいない」などというのは全くとんちんかんな反論だし、デモは効果的でないがオルターナティブ・メディアは効果的というのも頭でっかちの思いこみにすぎない。

 最後に、

>さて、ついに外交官二人がイラクで殺害されました。二人への同情をテコに、小泉らのテロには屈せず・・・が喧伝されるのではないかと、心配です。democratさんも皆さんも、日本の言論の実情とそれが果たす役割を、しっかりとご覧いただきたいと思います。

 貴重な人命が奪われたことに関して(しかもその直後に)、このようなシニカルな高みの見物的発言を平気でできる神経だけは持ちたくないものだ。
 人間としての同情の気持ちがどこに向かうか、何の「テコ」になるのか、それはまさに我々の言論と運動の課題であろう。それとも、ecologos氏の「冷厳に見据えた言論」とやらでは、「小泉の喧伝に利用されるから死者に同情すべきでない」と説くのだろうか?

http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/readers/0312/r0312a.html

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