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五十嵐仁の転成仁語 【リベラル左翼の日記風総選挙総括】
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投稿者 あっしら 日時 2003 年 11 月 19 日 16:23:20:Mo7ApAlflbQ6s


11月9日(日)

「民主党躍進、与党絶対安定多数確保」ということになりました。今日、投開票された総選挙の結果です。


 すでに各党の結果も分かっていますので、書いておくことにしましょう。自民党は237議席で選挙前議席から10議席減、民主党は177議席で40議席増、公明党は34議席で3議席増、共産党は9議席で11議席減、社民党は6議席で12議席減、保守新党は4議席で5議席減、無所属の会は1議席で4議席減、自由連合は1議席で現状維持、諸派は0で2議席減、無所属は11議席で6議席増となっています。
 総定数は480議席です。選挙前には欠員が5議席ありました。
 総選挙の結果、議席を増やしたのは、民主党と公明党、それに無所属です。無所属はほとんど「隠れ自民党」で、いずれ追加公認されて自民党に合流するでしょう。すでに、2人が公認されて自民党に変わっています。


 選挙の経緯と結果を見て、「なるほど、これが『政治改革』の本当の狙いだったのか」と思いました。かつての「政治改革」に秘められた真の狙いは、どちらが政権を取っても体制を不安定にすることのない「二大政党制」を実現することにあったからです。
 民主党は自由党との合併によって保守・中道化し、自民党と見分けのつかない「マニフェスト」を掲げて財界にも色目を使うようになりました。幻の「政権交代論」によって、「戦術的投票」を呼びかけ、共産党と社民党から支持者を引き剥がすことにも成功しました。
 その結果、いつでも自民党と政権を交代しうる「二大政党制」ができあがりました。それは確かに、政権交代を可能にするかもしれませんが、しかし、政策の根本的な転換を伴わない、ライスカレーがカレーライスになった程度のものでしょう。


 小泉首相が掲げる「構造改革」への懸念と批判は、民主党躍進の原動力の一つだったかもしれません。でも、そうやって躍進した民主党は、小泉流の「構造改革」をさらに早め、徹底することを要求しています。
 保守・中道の「二大政党制」化によって、アメリカ的な政党制に近づきつつあります。そして、その二つの政党が掲げている基本政策は、いずれもアメリカ的な新自由主義をめざすものです。
 かくして、日本はアメリカのような政治・経済を実現することになるでしょう。それは、アメリカと手をたずさえて「世界の孤児」への道を歩むことを意味します。


 これが、今回の総選挙で見えてきた21世紀における日本の道です。そして、そのような道こそ、かつて「政治改革」で目指された本当の目的だったのではないでしょうか。
 その意味では、この10年間は、決して「失われた10年」ではなかったということになります。「失われた」のは国民が願っていた「本当の改革」の道であり、その陰で、支配層が狙っていた革新政党排除と保守・中道「二大政党制」への道は、着々と掃き清められていたということになります。


 最近、元TBS・ディレクターの田中良紹さんが書いた『裏支配−今明かされる田中角栄の真実』(廣済堂、2003年9月)という本を読みました。そこには、故金丸信元副総理の次のような言葉が紹介されています。


 金丸氏は、「ガラガラポンだ」と言った。政界再編だ。自民党を二つに割り、社会党も二つに割って、自民党の片方と社会党の右派が合体して新党を作り、自民党とその新党とで政権交代が可能な体制を作るという構想である。社会党右派と合体するのは自民党最大派閥の経世会(竹下派)というのが金丸氏の考えだった。これまでの労働組合のような野党ではなく、国家の運営に当たることの出来る野党を作ることが政治改革の目標だというのだ。
 ……
 さらに政権交代を可能にするためには、選挙制度をこれまでの中選挙区制から小選挙区制に変えることが不可欠だと言われた。世界で中選挙区制を採用しているのは日本だけで、二大政党制の国はどこも小選挙区制だと言われた。小選挙区制の導入が政治改革の最重要課題として浮上していた。(同書、287頁)


 金丸さんの「慧眼」、恐るべしというところでしょうか。その後、金丸さんが主張していたように小選挙区制が導入され、3回の選挙を経て、とうとう二つの政党間で政権をキャッチボールできるような状況が見えてきました。
 金丸さんが倒れた後、93年の総選挙を前に、自民党は二つではなく三つに割れました。自民党から出た二つの新党はやがて合流し、紆余曲折を経た後、現在の民主党に流れ込んでいます。
 社会党の方も、金丸さんの予言通り、二つに割れました。右派は民主党に合流し、残った左派は、今回の選挙で消滅の危機に瀕しています。

 まさに、金丸さんの構想通りの推移です。金丸さんも、草葉の陰で喜んでいることでしょう。
 この構想の最終的な仕上げは、総選挙直前に実現した自由党の民主党への合流でした。その中心になっていたのは、金丸さんが寵愛した弟子の小沢さんです。
 ひょっとすると、小沢さんは先の金丸構想を聞かされていたのかもしれません。金丸死後、小沢さんの関わった「政治改革」と政界再編の全ては、金丸さんの「遺言」に基づくものだったのでしょうか。


 「死せる金丸」が、「生ける小沢」を走らせた。走りに走って、行きついた先が今回の総選挙の結果であった。まさか?


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11月10日(月)

21世紀の進路を決める選挙として注目された総選挙の結果が明らかになりました。これについての論評を続けることにしましょう。
 まず、今回の総選挙での各政党の結果をどう評価するべきかということについて書くことにします。ただし、細かなデータが明らかになる前の論評ですので、暫定的なものであることをお断りしておきます。


 最初に、自民党です。自民党の獲得議席は237で、改選前議席の247より10議席減らしています。議席を減らしましたから、敗北したことは明らかです。
 自民党は、前回の2000年6月の総選挙では233議席の当選でした。今回の結果はこれを上回っています。しかし、これは「失言」を繰り返して評判が悪かった森前首相の下での「神の国」選挙でしたから、上回って当然です。


 問題は、このときの結果から4議席しか上回らなかったという点でしょう。小泉さんはあの森さんより、たった4議席分しかましではないということになります。これは「小泉神話」が崩壊し、「安倍効果」もほとんどなかったということを意味しています。
 このほかに、保守系無所属という「隠れ自民党」が11人います。これを全て公認すれば、248となって自民党は単独過半数の241議席を上回ることができます。
 したがって、与党が衆院の全委員会で過半数を占められる絶対安定多数の269を上回ったこととあわせて、小泉政権の基盤ということでいえば安泰です。議会運営において問題が生ずる可能性はそれほどないでしょう。


 しかし、「自民党」の名前で当選するかどうかは、自民党という政党に対する信任の度合いを示すものです。保守系無所属がどんなに当選しても、それが自民党への支持や信頼を示すことにはならず、かえって、候補者調整の不手際を示すだけです。
 小泉首相や小泉内閣への信任、構造改革への支持という点でいえば、国民は部分的に「ノー」と答えたことになります。安倍幹事長の起用や内閣改造、藤井道路公団前総裁の解任問題など、総選挙に向けてのあざとい「選挙対策」なども世論の反発を買ったかもしれません。
 いずれにせよ、これまでのあり方がそのまま信任されたと考えることはできません。世論の動向に従った民主政治を志すのであれば、小泉さんは、これまでのやり方をそのまま続けることは許されず、部分的にではあれ、何らかの修正が必要になります。


 「こんな時にこんな選挙をやって議席を減らすことはなかったのだ」という「抵抗勢力」の側からの批判と責任追及が強まるかもしれません。異論の大きかったイラク戦争でのアメリカ追随やイラクへの自衛隊派遣などについても、見直す必要があるでしょう。
 選挙結果に現れた異議申し立てに、真摯に耳を傾けることが必要です。それが、選挙後において小泉首相がまずやるべきことではないでしょうか。
 選挙結果にもかかわらず、もし、小泉さんがこれまでと同様の方向を押し進めるとすれば、「何のための選挙だったのか」という批判が起きることになります。これまでの政治や政策についての民意を問い、その結果、自民党の議席減という形で、国民は異議申し立てを行ったわけですから……。


 もう一つの与党である公明党は議席を増やしました。選挙区は9議席で現状維持でしたが、比例区で3増やして25議席を獲得し、総議席は34となりました。
 今回の選挙結果は、公明党にとっては望みうる最善のものだったでしょう。自民党と保守新党が議席を減らし、与党連合の中で公明党だけが議席を増やしたからです。
 その結果、与党全体での公明党の比重が高まりました。当然、これからの発言力も強まることになります。


 それでは、自民・民主以外の小政党が軒並み苦戦する中、何故、公明党だけが議席を増やしたのでしょうか。その理由は、自民党との選挙協力にあります。
 公明党といえども、自民党との選挙協力なしには、小選挙区での当選は不可能だったでしょう。このような選挙を繰り返していけば、協力相手との連立を解消できなくなるという事情は、自民党同様、公明党についても言えることです。


 しかも、今回、公明党の推薦を受けた自民党候補者の多くは、「小選挙区は私に、比例区は公明党に」と連呼していたそうです。自民党でありながら、公明党の選挙運動をやっていたということになります。
 自分さえ受かれば、自民党全体の議席はどうなってもかまわないというわけでしょうか。自民党候補者のアイデンティティの喪失、政党としての凝集力の低下が示されています。
 その結果、小選挙区で自民党に投票した支持者のうち、一定の人が比例区の公明党に投票したかもしれません。このような訴えが公明党の比例区での議席増に貢献した可能性があります。


 公明党が比例区で議席を増やしたもう一つの要因は、「棒杭効果」です。投票率という水位が下がれば、安定した堅い支持者をもつ公明党の議席が浮上することになるからです。
 今回も、史上2番目という低投票率の下で、このような「棒杭効果」が生じたに違いありません。他の政党の得票数が減れば、それほど増減のない公明党の得票率が自然に高まることになるでしょう。


 もう一つの与党である保守新党は、9から4へと議席を半減させました。保守新党の存在理由は自公連立に対する「粉飾」にすぎませんから、このような結果になるのも当然です。
 保守新党を生かすも殺すも自民党次第です。今回の選挙で、静岡7区の熊谷代表は落選しましたが、それは保守系無所属の城内実候補に敗れたからです。城内候補は自民党の静岡県連の推薦を受け、小泉さんの後ろ盾である森派の支援を受けていました。


 要するに、小泉さんや森さんは、熊谷さんを見捨てたということです。9万8000票と5万8000票で、4万票の大差が付いたということも、熊谷さんに対する自民党の冷たさを如実に示しています。
 今回の選挙で、保守新党は自民党に見はなされました。存亡の危機に陥った保守新党が、近い将来、自民党に吸収・合併されるのは避けられないでしょう。


 ということで、今日はここまで。明日は、野党の消長について書きます。


 追記:先ほど、7時のNHKニュースで、保守新党の解党が報じられました。「近い将来」がこれほど「近い」とは思いませんでしたが、ここに書いたとおりになったということです。


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11月11日(火)

驚きました。いつの間にか、20万ヒットを超えていました。
 確か、昨年の10月に15万ヒットを超えたと思います。約1年間で5万ヒット、1カ月で3800、1日で130ヒットというところですか。
 ご訪問、ありがとうございます。これからも、ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。


 すごい人がいるものです。アメリカUCLAのケント・ウォンさんです。約50人集まった講演会で、何も見ないで1時間半ほど報告し、その後の質疑応答もテキパキとこなしました。
 集会では火の出るようなアジ演説をされるとのことですが、さもありなんと思わせるような鮮やかさです。通訳が入りますから、ずっと1人で話をされたわけではありませんが、たいしたものです。感心しました。


 さて、お待ちかねの総選挙へのコメントを続けることにしましょう。今日は、野党の成績についてです。


 今回の総選挙での野党各党の消長はどうだったでしょうか。野党では、文句なく民主党の一人勝ちです。
 しかし、今回の選挙での真の勝利者は、ただ一党しかありません。それは公明党です。民主党ではありません。
 民主党はマスコミなどでは「大躍進」と評価されており、確かに、改選議席137を40増やして177になりました。しかし、果たして、そんなに「躍進」したといえるのでしょうか。


 民主党は、「政権交代」を実現するために票を集中するよう訴えました。マスコミも、「二大政党」化を後押しし、マニフェストを持ち上げ、「政権選択」が唯一の争点であるかのような報道を行って、民主党の援護射撃を行いました。その「成果」が、今回の結果だったと言えるでしょう。
 このマスコミの大キャンペーンの後押しを受けて、民主党は共産党や社民党から議席を奪い、無党派票の半数以上を獲得しました。共産党が失った11議席と社民党から離れた12議席は、いずれも民主党のものになりました。
 比例区でも、民主党は自民党を上回って第一党になりました。無党派層は、小選挙区と比例区で投票する相手を分けるなどという面倒なことはせず、両方とも民主党に入れたものと思われます。


 こうして、共産・社民から23議席を奪ったとすれば、民主党が今回純粋に増やした議席は17議席にすぎません。これが自民党や保守新党から奪った議席です。
 しかし、今回は自由党と合同してからの初めての選挙になります。「合併効果」で票を増やし、候補者調整や共倒れの防止などによって効率的に当選させることができたという面もあったでしょう。
 その結果としての純増が17議席だというのでは少なすぎるのではないでしょうか。200議席を目標としていた民主党からしても、177議席という結果は不満の残るものでしょう。とても「躍進」だなどといって、手放しで喜べるものではないでしょう。


 それでも増えたことは確かですが、問題はこれからです。この結果をどう評価するかが注目されます。政権交代が政策転換に結びつかず、自民党と代わり映えのしない政策を掲げたために、政権交代のインパクトが小さくなったからだというのが、一つの見方です。
 私はそう思います。今回の民主党のマニフェストは多くの曖昧さや問題を含んでおり、せいぜいが「ためらいがちな支持」であったため、この程度の結果に終わったのだと思います。
 しかし、逆に、もっと中道寄りにして、財界などからも安心して支持してもらえるようにしなければならないという総括もあり得ます。政治資金をエサに、支持できるような政策に変えていこうとする日本経団連の誘いに、民主党も乗ってしまう可能性があるからです。


 そもそも現在の民主党は、旧自民党出身者と旧社会党出身者という大きな二つの流れを受け継いでいます。自由党との合流によって安保・防衛問題でのタカ派も流れ込みました。
 その結果、防衛問題でいえばタカ派とハト派、経済問題でいえば急進的自由主義路線と社会民主主義的「第3の道」路線とが混在するようになっています。アメリカのブッシュ大統領とイギリスのブレア首相が一つの政党にまとまっているようなものです。


 選挙前だということもあって、このような路線上の違いは不問に付され、その分、マニフェストの内容は当たり障りのないものになりました。このアンビバレントな状況は、今後の民主党にとって大きな問題になる可能性があり、そのどちらの方向を選択するかは、今回の選挙結果の総括と密接に関わることになるでしょう。
 民主党は、以上に述べたどちらの方向で今回の結果を総括するのでしょうか。民主党の今後が注目されます。


 次に共産党と社民党です。この両党は、マスコミの「政権選択」大キャンペーンによってはじき飛ばされてしまいました。
 共産党は革新無党派の票のほとんどを失い、前回参院選と同じくらいの票しか獲得できませんでした。ほとんど“裸”になってしまったような状況です。
 北朝鮮の労働党との関係や辻元問題で逆風の直撃を受けた社民党は、さらに大きく落ち込み、従来の支持層の一部をも失いました。“裸”どころか、“骨”になってしまったと言うべきでしょうか。


 「政権選択」論を背景とした「戦術的投票」論は、小選挙区だけでなく、比例区での無党派などからの投票も抑制した可能性があります。「政権交代のために民主党を増やす」というのであれば、なにも小選挙区だけに限らず、比例区であってもよいわけですから。
 それに、小選挙区制の本来的機能の問題もあります。小選挙区制が小政党を排除し、次第に力を弱めていくことは制度の導入以前からわかっていました。このような効果があるから、小選挙区制が導入されたとさえ言えるほどです。
 この点については、私も拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』(労働旬報社、1993年)で、次のように指摘しました。

 小選挙区制を採用すると、各選挙区ではそれぞれ比較第一党しか当選できません。常に当選を争うことの出来る政党の数には限りがありますが、小選挙区制の場合には、それがさらに限られてしまうという問題があります。
 常に当選を争うことのできる大政党のグループと、ほとんど当選を争うことのできない小政党のグループができた場合、後者の政党は次第に力を弱めていくことになります。自分の投票を有効に生かそうと考える選挙民の多くは、当選の見込めない候補者よりも、多少問題はあっても、当選が見込める候補者に投票する可能性が高いからです。
 こうして、何回かの選挙が繰り返されれば、一議席を争うことのできる二つの大きな政党とその他の政党との得票差はどんどん開いていくことになります。やがて中小政党は候補者を立てることさえあきらめてしまうでしょう。……
 そもそも、「二大政党になりやすい」ことが小選挙区制の「優れた特性」の一つにあげられているのは、このような小政党の排除を前提にしているからです。小政党が当選しにくく、そのために有権者がやむを得ず次善の選択を行わなければならないような状況を作り出した上で、有権者の投票行動を当選を争うことのできる二つの政党に押し込んでいくわけです。これがどうして「優れた特性」なのでしょうか。
 有権者の選択の幅を小さくしてむりやり二大政党を作り出すようなやり方は、決してフェアだとはいえません。(同書、69〜70頁)


 今回の選挙で生じたのは、まさに「小政党が当選しにくく、そのために有権者がやむを得ず次善の選択を行わなければならないような状況を作り出した上で、有権者の投票行動を当選を争うことのできる二つの政党に押し込んでいく」ことでした。「戦術的投票」の勧めは、まさにそのようなものだったと言えるでしょう。こうして、やむを得ず、「次善の選択」を行った方も多かったと思います。

 したがって、私から見れば、すべては予想したとおりに推移していることになります。「それ見たことか」と言いたいところですが、そんなことを言ってみてもしょうがありません。
 問題は、小選挙区制がこのような制度上の「特性」を抱えていることがわかっているのに、それに対して何の工夫もなされていなかったというところにあります。これについては、すでに総選挙の前に、日本共産党綱領改定案への論評という形で、次のように私見を述べたことがあります。

 ……選挙制度がすぐに変わる、つまり小選挙区制がなくなる展望は、今のところほとんどありません。また、共産党が単独で小選挙区において議席を争い、多くの選挙区で当選するということも、近い将来の可能性としては、それほど大きくはないでしょう。
 それではどうするのでしょうか。小選挙区を諦めて、比例代表区だけで議席を獲得するのでしょうか。
 これでは、小選挙区制を導入して共産党など小政党を閉め出そうと考えていた自民党などの思い通りになってしまいます。それで良いのでしょうか。

 多分、ここから先の議論は綱領改定案との関連は薄くなるでしょうが、この機会ですから書かせていただこうと思います。
 それはたった一つのことです。共産党は、小選挙区でも議席をねらえるような工夫をするべきだということです。自民党などの与党勢力でもない、これとほとんど変わらずすぐに妥協してしまう民主党などでもない、第三の極を作るべきだということです。
 そうすることによって、政治変革を願う人々の受け皿を提供するべきでしょう。具体的には、政策の近い社民党や新社会党などとの協力・共同に取り組むべきです。当然、これには政治が変わることを望む無党派の人々も含まれます。


 共産党・社民党・新社会党などが合同して新党を作るという方向もあるでしょう。一挙にそこまで行くのが難しければ、選挙団体を作るということもあり得ます。
 これらの政党で「明るい日本をつくる会」のようなものを作り、そこを母体に各種選挙で候補者を擁立するということも考えられるでしょう。それが可能であれば、革新懇など既存の組織を母体にしても良いと思います。
 要は、いくつかの政党が一緒になって1人の候補者を推すということです。従来からの私の主張である「大左翼」の今日版であり、日本版「オリーブの木」だと言っても良いでしょう。


 小選挙区で議席を争うことを諦めたら、自民党などの思うつぼです。第三極を作って候補者を立て、小選挙区で当選するかもしれないという希望を生み出すことが肝心です。
 このような萌芽は、すでに各種の首長選挙で生まれてきています。この経験を、議員選挙にも応用するべきではないでしょうか。
 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」。共産党には、捨て身の覚悟で新しい境地を開いてもらいたいものです。

 これが、そのときに書いた私の意見です。どう工夫するか。やり方はどうでも良いのです。
 小選挙区でも議席を争えるという可能性や希望を持たせるためにどうするか。その点が重要でしょう。その必要性は、これを書いたとき以上に高まっているように思われますので、今後の方向性としても、同様の提言をしたいと思います。
 少なくとも、今回の選挙でも、川田悦子さんが立候補した東京21区に共産党の独自候補を立てるというようなことはするべきではなかったでしょう。これは今回の総選挙に対する姿勢を示すものであり、東京21区だけでなく全国的な意味があったと思います。まあ、今さらこんなことを書いても手遅れですが……。

 社民党も、このままではジリ貧です。共産党と社民党という「戦後民主主義」を担ってきた二つの平和・護憲政党が枕を並べて“討ち死に”というのでは、日本の将来は一体どうなるのでしょうか。
 小選挙区制の壁をどううち破るのか。「これなら何とかなる」と思わせるような起死回生の刷新策を、共産党・社民党ともに協力して、是非、打ち出していただきたいものです。

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11月12日(水)

テレビや新聞などマスコミでは、二大政党状況が強まったことを歓迎する声があふれています。今日、研究会の後で一杯やったとき、私の近くでもこれを歓迎する声があり、いっそのこと比例区をなくして小選挙区制だけにした方がはっきりするし、政権選択も明確になるという意見がありました。
 なるほど、共産党や社民党が議席を減らすはずです。「政権選択」論が、私の隣にまで押し寄せてきていたのですから……。


 民主党政権を期待する声が、私の周りでも高まっていたということになるでしょう。「政権交代」への渇望がそれだけ強かったということになります。
 これまで、何度も書いたように、政権交代それ自体の意義を、私は認めています。たとえ悪くなっても、政権は変わりうるということを示すという点で、それは意味のあることだという意見を私は認めます。
 ただしそれには、もし悪かったらその後に変えられるという前提条件をつけなければならないと思います。それも、悪い方にではなく良い方に。


 「二大政党制」は、それ自体善であるという意見には賛成できません。政権交代自体が善であるということには、ためらいながら賛成します。
 そこで、問題です。二大政党制になれば政権は交代するのか、ということです。これには、イエスともノーとも答えられます。
 人びとの支持態度がどう変わるのか、それが過半数のラインをどれだけ超えるのかによって、この答は変化するからです。小選挙区制の下では、ある水準まで変化は抑制され、ある水準を超えれば変化は底上げされます。


 第2の問題は、政権交代があったとして、それがどこまで政策転換に結びつくのかということです。政権が交代すれば、それだけで良いのだという意見もあるでしょう。
 自民党でなければさし当たりどの政党でも良い、という立場の私には、この意見に惹かれるところがあります。今回の総選挙でも、私の判断は揺れました。
 でも、やはり、民主党は自民党よりましなリベラル政党であると、私には確信できませんでした。それどころか、もっと悪くなる部分もあると思われました。
 政権交代が可能だとして、それがもっと良い、自民党よりはましな政権になるという保障があるのでしょうか。もっと良いリベラル政権になると確信できるような政党に、是非、民主党は変身して欲しいと思います。


 第3に、政権交代があったとして、その後の民主党政権が期待はずれだったとします。そのときにはどうしたら良いのでしょうか。
 そのときには、また政権を交代させれば良い、そのために二大政党制があるのだと、小選挙区制支持者は言うでしょう。でも、そのときのもう一つの政党は自民党です。
 このとき自民党は、過去を反省して民主党よりもずっと良い政党になっていると、誰が保障できるでしょうか。もっと、右翼的で悪い政党になっているかもしれないではありませんか。


 現政権に対する選択肢として、より良いものが提供されるという保障はどこにもありません。政権交代後の民主党に失望し、政権交代前の自民党よりも悪くなった自民党しか選択肢がないとき、有権者はどうしたらよいのでしょうか。
 二大政党制を支持し、政権選択論を主張する方に問いたいと思います。常により良い選択肢が提供されるという保障はどこにあるのでしょうか、と。
 イラク戦争への協力で批判を浴びている英ブレア政権より、保守党の政権の方がよりましだといえるのでしょうか。政権交代後の民主党政権が駄目だとなった場合、それよりももっとましな政権という選択肢が保障されるのでしょうか。


 大丈夫だ。民主党が駄目なら、その後にもっと良い政権が選べるのだと、もし、請け合ってもらえるのであれば、私も政権交代論に賛成します。二大政党制になり、小選挙区制で敗北した政党が必ず政権担当政党よりもましな政党になるということが保障されるのであれば、私も小選挙区制に賛成しましょう。
 でも、そんな保障はどこにもありません。もし、よりましな選択肢がなかった場合、「ああ、こりゃ駄目だ」となっても引き返すことができないというところに、小選挙区制と二大政党制の恐ろしさがあります。


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11月13日(木)

土井たか子社民党党首が、総選挙惨敗の責任をとって辞任しました。大変残念で気の毒に思いますが、でも、やむを得ないでしょう。


 秘書給与不正流用問題で、辻元さんに指南したのは土井さんの元の秘書・五島さんだといわれ、五島さんも逮捕されています。今回の選挙では、土井さんは小選挙区で自民党候補に敗れて落選し、比例区で復活しました。
 何らかの形で、自らの責任を明らかにする必要があったでしょう。このまま居座るのは、土井さんご自身にとっても絶えられないことだったに違いありません。
 6月27日、中央大学の後楽園キャンパスで開かれた国際公共政策シンポジウムの折、土井さんのあいさつを聞いたことは、すでにこのHPでも書きました。そのときも元気のないのが気になっていましたが、とうとうこうなってしまいました。大変、残念です。


 ところで話は変わりますが、昨日、二大政党制のもつ「恐ろしさ」について、書きました。これは、私の体験に基づいています。
 私は大統領選挙のあった2000年9月から1年間アメリカに滞在し、その後、各国訪問の途上、イギリスにも行きました。アメリカにはラルフ・ネーダーの第3党「緑の党」があり、イギリスにも「自由民主党」という第3党があります。
 この第3党はアメリカでは全く無力です。議会に議席をもっておりません。


 ただし、イギリスの様相は多少異なります。イギリスでは2001年6月に総選挙があり、そのときの獲得議席は、労働党413、保守党166、自由民主党52、アルスター統一党11、スコットランド民族党5、ウェールズ党4、その他8となっています。
 比例区をもたないイギリスでも、第3党以下の小政党が議席をもっています。これはイギリスという国が「連合王国」であり、強力な支持基盤をもつ地域政党が存在しているためです。労働党と保守党も、それぞれの地域的な勢力分野はかなりはっきりしています。
 それでも小政党にとっての壁は存在しています。かなりの得票率を取る自由民主党でも、議会では保守党の三分の一以下にしかなりません。


 その結果、イギリスでも、労働党に対抗する選択肢は保守党しかありません。最近、補欠選挙で自由民主党の候補が当選しましたが、それは例外で、自由民主党に投票しても多くは「死票」になってしまいます。
 それでは、労働党によるイラクへの英軍派遣に反対だという場合、保守党に投票することが異議申し立てになるのでしょうか。なりません。保守党もイラクへの英軍派遣に反対していないからです。
 このように、どちらも駄目だとなった場合、二大政党制では選択肢が消滅してしまいます。これが二大政党制の「恐ろしさ」です。


 アメリカの場合も同様です。先の大統領選挙で、ブッシュとゴアが競い、ネーダーも参戦しました。しかし、ネーダーは泡沫候補扱いで、現実的な選択肢にはなっていませんでした。
 民主党の新自由主義的経済政策に反対する人は、異議申し立てをするためにブッシュに入れたかもしれません。しかし、ブッシュの共和党も、新自由主義です。経済政策では変わりありません。ブッシュの当選によって、かえってタカ派的志向が強まり、アメリカは泥沼に陥っています。
 このように、よく似た政策が掲げられた場合、ある面ではましだと判断して投票しても別の面ではもっと悪くなるということがあります。これも二大政党制の「恐ろしさ」です。


 アメリカとイギリスは小選挙区制の泥沼に陥って苦しんでいます。この両国でも、小選挙区制と二大政党制には多くの批判があります。
 しかし、今のところ、この制度が変わる見通しはありません。小選挙区制を採用するようになった国は多くありますが、小選挙区制をやめた国はほとんどないと思います。
 小選挙区制は、政治に現実的な影響を与えることができる政党を二つに限定し、この二大政党が有利な地位を占めることができる制度だからです。これが小選挙区制の持つ「魅力」になっています。


 この「魅力」に誘われ、有利な地位を保障された二大政党(日本でいえば、自民党と民主党)が自ら進んでこの有利さを手放すことは極めて困難です。それどころか、その有利さを強めようとするでしょう。民主党が、比例区80議席の削減を掲げ、小選挙区の比重を高めようとしているのは、そのためです。
 自民党は、心の中では単純小選挙区制が良いと考えているはずです。それを正面切って掲げていないのは、連立相手の公明党への配慮です。
 今回の選挙では、公明党の下支えがなければ、自民党は小選挙区で81議席を失っていただろうという試算があります。保守新党の解党と自公連立への変化は、このような公明党への配慮をさらに強めざるをえません。


 このように、イギリスとアメリカの例を見ても、二大政党制は決して理想的な制度ではありません。それは、いったん落ち込んでしまうとそこから抜け出すことがほとんど不可能な泥沼のようなものです。
 この泥沼の中で、イギリスとアメリカは苦しんでいます。それは、イラクでの戦争と同様です。
 何故、わざわざ好き好んで、この泥沼に入り込まなければならないのでしょうか。二大政党制とイラクでの戦争という泥沼に……。


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11月15日(土)

先日、私の書いた総選挙結果へのコメントについて、ある方から、大要、下記のようなご意見をいただきました。このHPの読者にも同じような感想をもたれた方がおられるかもしれませんので、ご本人の承諾を得て、ここに紹介させていただきます。

 今回の総選挙に対する五十嵐先生のコメントには,賛同するいっぽう,「それは違うのでは」と思う内容のものがありましたので,僭越ながらご意見を差し上げる次第です。
 ご意見を差し上げたいのは川田悦子氏の件に関してです。事実認識が五十嵐先生には不足していると思ったからです。
 「無党派と共産党の共同」と言った場合,共産党だけでなく,いわゆる「無党派」の方にも節度が必要なのではないでしょうか。川田氏の件に関しては,共産党排除の立場から脱却できなかった川田氏の方に問題の根源があります。どうして共産党ばかりが悪く言われなければならないのでしょうか。共産党といわゆる「無党派」とが共同する場合,どうして共産党の方だけがひっこまなければならないのでしょうか?私は,いつもそのことが腑に落ちません。


 これが、私に寄せられたご意見の一部です。無党派にも問題があるのに、どうして共産党だけが譲らなければならないのかという趣旨で、川田さんの件については、具体的な経過や問題点が指摘されていました。
 これについて、私は以下のようにお答えしました。


 ご意見、ありがとうございました。そこに書かれたような詳しい事情や経過を私は知りませんでした。問題は、私のような『しんぶん赤旗』の熱心な読者にも、はっきりとわかるように経緯が伝わっていないということです。まして、有権者の多くの方には、「何をやっているのだ」としか見えなかったでしょう。
 また、そのような事情があったにしても、その事情を明らかにした上で、なおかつ、候補者擁立の辞退を明らかにするべきだったと思います。選挙の結果、川田さんと共産党候補は2万票の差でダブルスコア以上になっています。有権者は、共産党よりも川田さんを選んだのであり、そちらの方がまだ当選する可能性があったということです。
 無党派候補者の言動や信義の問題があったとはいえ、それを大きく包み込んでいく度量が共産党には必要なのではないでしょうか。少なくとも保守政治への打撃になるなら、多少の欠点や問題には目をつぶり、そのような度量の大きい対応をとっているのだということを有権者にアピールした方がよかったのではないでしょうか。今回の結果でいえば、事情の良く分からない革新支持者の顰蹙を買っただけで終わったように思われます。

 「共産党といわゆる『無党派』とが共同する場合、どうして共産党の方だけがひっこまなければならないのでしょうか?」というご意見ですが、革新「無党派」というものは、そういうものだと思います。革新を志向しつつも、さまざまな「欠点や不十分さ」(共産党からすれば)があるから、依然として「無党派」なのです。共産党の理想とするような無党派であれば、いつまでも無党派のままではいないでしょう。
 政治革新のために、それを志向する無党派の志を支え実現するために、共産党はいつでも「ひっこむ」用意があるという姿勢を示してこそ、革新政治の屋台骨を支えることができるのではないでしょうか。「真の革新」としての信頼と尊敬を獲得するには、筋を曲げない原則的立場だけでなく、懐の広い度量と柔軟な対応が必要なのではないでしょうか。時には、不利を覚悟し、自らの党派的利害を離れて政治全体の革新のために「身を捨てること」、これが今の共産党に求められていることです。そうすれば、いずれは浮上できるに違いありません。
 「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」です。

 これに対して、ふたたび、「だからこそ,共産党には『政治のプロ』として,相当な忍耐強さが必要なのですね」という感想を寄せていただきました。そうだと思います。
 大局的な見地から、大義のために、どれだけ党派としての利害を離れて行動できるかが、今、共産党は試されているように思います。共産党がこの歴史の試験をパスできるかどうかは、21世紀における日本の進路をも左右することになるでしょう。

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11月16日(日)

片道、2時間半かけて埼玉県の北東のはずれ、栗橋まで行って来ました。静御前が亡くなった土地ということで、お墓があるそうです。
 ここに行ったのは、亡くなった義父の弟、私からすれば義理の叔父さんの一周忌の法要があったからです。しこたま飲まされて、一辺に疲れが出てきました。


 というのは、先週はやけに忙しい一週間だったからです。日曜日には総選挙の投票と開票があり、月曜日にその結果が明らかになりました。このHPでもコメントを書き続けています。
 火曜日には、国際労働研究センターと共催で、ケント・ウォンさんの講演会がありました。これについては、このHPでも触れました。
 水曜日には、研究所のプロジェクトである「戦後労働運動史資料集」作成のための編集会議がありました。


 1日おいて金曜日には、これもHPで書いたとおり、労働関係シンクタンクフォーラムに出席しました。一度に10本の報告を聞くというハードな会です。
 昨日は、法政大学経営学部教授であった故佐藤昌一郎先生を偲ぶ会がありました。最後の書となった『官営八幡製鉄所の研究』(八朔社)の刊行をお祝いする会でもあります。
 そして今日は、冒頭にも書いたとおり、叔父の法事です。2日続けて、故人を偲ぶ会があったというわけです。


 これらの催しに顔を出しただけでなく、その後の夜の飲み会や2次会にも付きあったため、ほぼ連日飲み続けることになってしまいました。先ほど「疲れた」と書きましたが、これは正確に言えば“飲み疲れ”です。
 しかも、帰ってきてから総選挙へのコメントの続きを書き、HPを更新し、そしてもう一本、頼まれた原稿を書いていました。締め切りは明日17日の月曜日になっています。
 綱渡りの毎日でした。おっと、まだ、最後の原稿は書き終わっていませんので、過去形にするのは早すぎるかもしれません。


 というわけで、この間書き続けてきた総選挙へのコメントを続けさせていただきます。これは明日のアップで、一応終わる予定です。
 今回の総選挙では、各党の消長と共に、注目すべき点がいくつかありました。その一つは投票率の低さであり、第2に小選挙区のスキャンダル議員排除機能の検証です。第3は「マニフェスト」選挙についてであり、第4にマスコミ報道のあり方にも触れることにしましょう。


 第1に、今回の選挙でも投票率の低さが注目されました。これで、小選挙区比例代表並立制が導入されてから、96年59.65%(史上最低)、2000年62.49%、今回59.73%と、三回の選挙連続して60%前後の低投票率になっています。
 実は、小選挙区制の下では投票率が下がるだろうということも、私は以前から予想していました。これについても、拙著『一目でわかる小選挙区比例代表並立制』(労働旬報社、1993年)のなかで、次のように書いています。

 はじめから当選を競い合うような政党が二つくらいしかなく、出てくる候補者が毎度おなじみで、しかもその当落がほぼ予想できるということになれば、人々の選挙への興味と関心は大幅に減退するでしょう。中小政党が排除され、自分の願いを託せる候補者がいず、二大政党が競い合っていてもそのどちらも支持できないという人の場合、はじめから「投票するな」といわれているようなものだからです。当然、投票率は下がります。
 また、たとえ自分の支持できる候補者が立っている場合でも、その当選がほとんど望めないとなれば、その人はその候補者への投票意欲を失うかもしれません。その結果、当選の望めるよりまし候補者に入れるか、はじめからあきらめて危険するという可能性も強まります。(同書、78頁)


 今回の場合、小選挙区では50議席ほど入れ替わっています。6分の1強の変化ということになりますが、ほとんどの選挙区は、自民・民主・共産の3党の候補者しか立っていません。競争パターンが画一化していることは明らかです。それだけ、選択肢も狭まっています。
 「はじめから当選を競い合うような政党が二つくらいしかな」いという点では、まさに予測したとおりになったといえます。このような状況の下では、棄権が増え、投票率が低下するという予測も、残念ながら実証されたと言わざるを得ません。

 地方の農村部での投票率低下が目立つという傾向も出ています。これも、勝敗が見えている勝負には、関心が低下するということかもしれません。自分の一票では何も変わらないということになれば、投票する意欲が下がるのも当然でしょう。
 小選挙区で当選の可能性が低い共産党や社民党の支持者が投票所に足を運ばなかったということも、この両党の得票数が減少した要因の一つかもしれません。投票所に行かなければ、小選挙区だけでなく比例区の得票も減少することになりますから……。


 第2に、小選挙区のスキャンダル議員排除機能という問題です。この選挙制度が導入された時、「政治改革」との関連で強調されたのは「悪いことをした候補が落選をする」(福岡政行『細川内閣と政界再編94−どこが変わる日本型民主主義』第三書館、1993年、10頁)ということでした。今回の結果はどうだったでしょうか。
 注目された福岡2区で、女性スキャンダルを抱えた山崎拓自民党副総裁が落選しました。これは「悪いことをした候補が落選をする」見本の一つです。大阪19区でも暴力団との交際や秘書給与の肩代わりが問題になった保守新党の松浪健四郎候補が落ちました。これも同様の例だといえるでしょう。
 他方、問題やスキャンダルを抱えていながら復活した当選者もいます。最も大物は、無所属で当選した山形3区の加藤紘一元自民党幹事長でしょう。元事務所代表の脱税などの責任をとって議員辞職しましたが、1年7カ月ぶりに返り咲きました。YKKの盟友だった山崎さんとは、明暗を分ける結果になっています。
 秘書給与流用問題で議員辞職した田中真紀子候補も無所属で当選しました。1年3カ月ぶりの政界復帰です。


 議員辞職したということは、本人がその責任を認めたということを意味しています。「悪かった」と言って辞めた人を、「まあ良いじゃないか」と有権者が国会に押し上げたようなものです。立候補する方もする方ですが、それに投票して当選させてしまうのも大きな問題じゃないでしょうか。
 結局、これらの例からいえることは、「悪いことをした候補が落選をする」かどうかは、選挙制度とは関係ないということです。当選できる知名度や人気があり、有力な対抗馬がなければ当選し、そうでなければ落選します。
 比例区名簿に載せない、あるいは公認しないという形で政党は自らの姿勢を示すことができますが、強力な地盤があれば無所属で立候補して当選することは可能です。そして、加藤さんのように、「みそぎは終わった」ということで、すぐに自民党に戻ることもできます。
 政治改革との関連で述べられた小選挙区比例代表並立制弁護論の論拠の一つは、このようにして崩れ去ったということになるでしょう。そうじゃありませんか、福岡政行さん。


 ということで、この続きはまた明日……。


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11月17日(月)
気持ちの良い、小春日和の1日でしたが、風は冷たく、木枯らし1号が吹いたそうです。甲州街道沿いのイチョウ並木も黄色く色づいてきました。
 冬近し、の風情です。


 ということで、昨日の続きです。これで、総選挙へのコメントは終わりです。何か、ご感想等ありましたら、お寄せ下さい。
 なお、この間連載したコメントは、手を入れて補正した後、『賃金と社会保障』に掲載される予定です。多分、12月に出る号になると思いますので、ご笑覧いただければ幸です。


 さて、昨日の続きです。第3に、今回の総選挙で話題になった「マニフェスト」についても、補足しておきましょう。
 「マニフェスト」ということで公約が具体化したこと自体は、悪くないと思います。今後の業績評価投票の重要な参考資料になるでしょうから……。
 しかし、政権公約といわずに、「マニフェスト」などとことさら横文字を使ったところに、ある種の意図が感じられます。これによって目新しさを装い、政権選択を前面に出すという民主党の選挙戦術だったと思われるからです。


 いや、正確に言えば、これは民主党ではなく、その背後にいた21世紀臨調の仕掛けでした。そのために、菅さんなどに働きかけたのが京セラの稲盛会長であり、それは日本経団連の奥田会長など財界の意向を受けた動きでもあったようです。
 もしそうであるなら、「マニフェスト」選挙を大宣伝したマスコミはこの財界仕込みの選挙戦術のお先棒を担いだということになります。これは、21世紀臨調や民主党の戦術的勝利だったと言えるでしょう。
 「マニフェスト」を前面に掲げることで、選挙の土俵と対決構図を作ることに成功したわけです。うまくやりましたね。


 ただし、この「マニフェスト」が、投票において実際にどれだけ参考にされたか、どれだけ争点を明確にするのに役立ったかというと、それほどのことはなかったように思われます。11月12日付『朝日新聞』は、「大いに重視」が2割弱、「重視しなかった」も3割程度と報道していますから……。
 民主党支持層では「大いに」と「少しは」を合わせて9割近くが「マニフェスト」を重視したようですが、これも、重視したから民主党に投票したのか、民主党を支持していたから重視したのかはっきりしません。この二通りの解釈が可能でしょう。


 「マニフェスト」は個々の政策の内容を具体的なものにしましたが、問題は、それでも選挙での政策的争点が必ずしも明確にならなかったという点です。自民党はイラクへの自衛隊派兵争点にすることを避け、民主党もそれほど積極的に取り上げませんでした。
 民主党は党内で異論があるため、憲法問題、イラク派兵、教育基本法、年金財源などでの政策が不明確でした。消費税問題も、自民・民主両党が避けた争点だったと言えるでしょう。


 このように、いかに政策が具体化しても、それが総花的すぎれば、選挙での争点にはなりません。そこに重要な政策が掲げられていなければなおさらです。
 「マニフェスト」によって選挙が政策本位になったかという点では、評価が分かれるでしょう。少なくとも、政権選択が注目されたために、政党本位になる傾向が出てきたということは認められますけれど……。


 最後に、テレビなどマスコミ報道のあり方にも触れておくことにしましょう。今回の選挙報道の特徴は、マスコミが大々的に政権選択キャンペーンを展開したことです。
 このようなキャンペーンは、民主党にとって有利に働き、共産・社民両党には不利に働きました。それは、政権交代のために野党の票を民主党に集中しようということを意味していましたから……。
 共産党と社民党の大敗北は、小選挙区制という制度と政権選択というキャンペーンに挟撃された結果だったと思います。共産党にはセクハラ問題での筆坂議員の辞職、社民党には北朝鮮の拉致問題と辻元議員の逮捕という独自の逆風が、それぞれこれに加わりますが……。


 したがって、今回の総選挙でのマスコミは、中立ではありませんでした。はっきりとした意図を持って選挙報道を行い、その推移を注目していたと思います。政権交代を実現し、政局を流動化させるということが、その目的でした。
 それは、恐らくは政治的なものではなく、「面白く」したいというマスコミ特有の性癖によるものだったでしょう。政治が流動化すれば注目度が高まります。ワイドショーの視聴率は上がり、雑誌や新聞は売れます。
 その結果、政治がどうなっていくかは、さしあたりマスコミの関心外の事柄です。視聴率の数字を上げるためにモニターを捜し出して買収するくらいですから、選挙報道に味付けするくらいは朝飯前でしょう。


 このようなマスコミの偏りが、誰にもはっきりと分かる形で明瞭に現れた瞬間がありました。出口調査を元にした獲得議席の予測です。
 今日の『朝日新聞』には、出口調査のバイアスについての分析がのっています。そこでも指摘されているように、不在者投票には公明党支持者など堅い票が多く、これは出口調査に反映されない、スキャンダル議員への投票などは聞かれても答えない回答拒否がある、マスコミで好意的に報道されている政党への迎合的回答がある、などの問題点が出口調査にはあります。


 これらの結果、調査には独特の「バイアス」がかかるというわけです。これが、今回の予測がはずれた原因の一つでした。
 しかし、それ以外にも重要な要素があったように思われます。それは、マスコミ報道自体の偏向です。
 NHK以外、大半の民放局の予測が大きくはずれた原因はここにあります。「民主党に伸びて欲しい」という主観的な願いが、客観的な数字となって現れてしまったわけです。


 11月13日付『東京新聞』には、「局ごとの出口調査といっても、調査サンプルのデータは、フジとTBSの場合、ほとんど同じ。予測数の違いは、そのデータを局の担当者がどう分析し判断したかの違いではないか」という指摘が出ています。こう話しているのは、「大はずれがなかったフジテレビ局員」です。
 そうです。民放各社の中でもフジテレビだけは、それほどの「大はずれ」がありませんでした。それは、出口調査の数字の違いではなく、その数字を分析し、判断する点での違いによるものです。
 このような分析や判断がなされたのは、「フジ・サンケイグループ」が政権交代を望まなかったからではないでしょうか。そのために、民主党の「躍進」を過大に評価することがなかったというのが、私の仮説です。皆さんは、どう思われるでしょうか。


http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm

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