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(回答先: Re: 日共似非左翼と、創価学会と三国志と水滸伝。 投稿者 長壁満子 日時 2003 年 11 月 12 日 11:36:54)
長壁さん、こんにちわ。
クエスチョンさんへのまたまた的外れの批判を読んで愕然とすると同時に肩の荷を降ろしました。
● 的外れの批判
反戦平和の価値観を持ち米英支配層の妄動を批判されてきたクエスチョンさんが、目的を実現するためには戦術(手段)が重要だという意で書かれた投稿に対し、「結果よければすべてよし。こうして、何もかも正当化されていくのですね。ブッシュがその汚い手口で、悪魔の大量巨大破壊兵器で、人類を破壊しつくしても、クエスチョンさん側が生き残れば、ブッシュはすばらしいのですよね。みなさんのものさしは、自分への利害なのです。」という批判は、おおよそまともな思考力がある人であれば噴飯物だと判断するはずです。
目的を達成するという結果のためには、主客(敵味方)の力関係をはじめとした現実の諸条件をきちんと把握しできるだけ迅速にかつ害と犠牲が少なくて済む戦術を立てなければならないという趣旨だと私は理解したクエスチョンさんの書き込みに対しそのようなレスをされた思考過程を是非とも知りたいと思っています。
その後ろのブッシュが云々クエスチョンさん側が云々については、長壁さんの独断と思い込みから発せられたいわれなき攻撃で、開いた口が塞がらないほどのショックを受けています。
変なおじさんが『Re: 真の思想的犯罪者は?』( http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/523.html )で書かれている「選挙板へのご投稿が途絶えているのは、一連のやりとりの内容を反芻し熟考されているためだ、と思いたいです。目の覚めるようなご投稿の再開を期待しております」を共有していたからです。
長壁さんの思いを勝手に忖度させてもらうと、クエスチョンさんのタイトルのなかに「日共似非左翼」という文字があったり、その前に『日共、民コロは糞米のエージェントではないかと考えています。』(http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/508.html)という投稿があったことから、クエスチョンさん=反共主義者=敵対者だという意識が働いたからではないかと思っています。
長壁さんは、ご自身の理念(価値観)によって、理性(物事を論理的に判断する能力)を押し潰し、すなわち、読解力を押し潰し、すなわち、他者への思い遣り(思慮)を押し潰しているように思われます。
理念なき理性はおぞましいものですが、理性が基盤にない理念は実効性に乏しいものです。
「みなさんのものさしは、自分への利害なのです」と、それが悪いことであるかのように書かれていますが、自分の利害をものさしにすることのどこが悪いのですか?
長壁さんは自分の利害ではないものさしで物事を判断されているのですか?
(虐殺された小林多喜二や戦前の非転向共産党員を称賛されている書き込みから想像はできますが...)
何をもって物事を判断するものさしにすればいいのかご提示ください。
私が物事を判断するものさしは、自分の利害(=好悪・善悪)です。
● 肩の荷
ここ3、4日、寝ても覚めてもというわけではないですが、阿修羅でのやり取り以外は何も知らない長壁さんにどう説明すればご理解が得られるのか考えてきました。
この阿修羅でいろいろ書き込みをしてきましたが、自分の判断や結論を信じて欲しいと思ってそうしているわけではなく、共有する事象をあのように見ることもできるのかとか、そう見えたときはあのように考えることもできるのかといった材料にして欲しいと思いながら書き込みを続けています。
他の方々の投稿も、自分が知らない知識を得たり、自分が持たない視点や思考方法を知る機会として多いに参考させてもらっています。
自分と正反対の結論を提示している書き込みから、自分とほぼ同じ結論を提示している書き込み以上の糧を得ることも数多くあります。
現実は不断に変化しています。
あるときの判断は、そのときには有効であっても、現実の変化とともに有効性を失うこともあります。
有効性を失わないのは、素直に納得できる価値観と合目的的な思考力だと思っています。それあれば、結論的内容を後生大事に抱きかかえている必要はありません。いつでも、そのときの思考で合目的的な結論を導き出すことができるからです。
今回のクエスチョンさんへのレスを読んで、長壁さんは、自分にとって「どうでもいい存在」になりました。
「政治的思想的犯罪者」という挑発的な指弾をことさらする必要はなかったと思っています。
全知全能からは遥か遠く微知微能で残された生きる時間も少ない自分が長壁さん問題や共産党問題を正面から考える必要性を捨て去る機会になりました。
長壁さんや共産党と議論するよりも、ネオコンや国際金融家と議論するほうがずっと意義があるとさえ思っています。
彼らは、価値観はまったく相反するとは言え、あなたたちとは違って合目的な思考をめざしていると思っています。
議論した結果、彼らが価値観を変えるとは思っていませんが、やり方を変える可能性はあると思っているので、そういう人とは議論する意義があると考えています。
民主党はなぜ有事立法を...という問い掛けに答える機会もないままですが、あまり害を振り撒かない範囲での長壁さんのご活躍を祈っています。