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(回答先: Re: [選挙]衆院選 小選挙区 自民復調、4議席 /静岡 [毎日新聞] 投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 11 日 23:31:18)
[’03衆院選]静岡 分裂、区割り変更、統一…焦点区の結果分析 /静岡
◇辛勝や大勝の背景探る
自民の復調と比例での民主の躍進が目立った衆院選から一夜明けた10日、当選者は厳しい選挙を振り返り、勝利の喜びをかみしめた。衆院7区で連立与党党首の熊谷弘氏が落選したことは全国的にも大きく報じられ、1区と5区でも激しい接戦の末、当選者が決まった。出口調査や取材結果をもとに、担当記者が焦点区の結果を分析した。
◇つぶし合いで漁夫の利−−1区
前回に続いて自民分裂となった結果、上川陽子、田辺信宏両氏の「つぶし合い」になり、支持層が重ならない民主の牧野聖修氏が選挙区での当選を決めた。
前回惜敗した牧野氏は今回、マニフェストを前面に掲げ、民主候補であることをこれまでになく強調し、出口調査では民主支持層の7割以上を獲得した。今回、1区比例で民主は自民に1万1600票差(前回約4300票)をつけており、民主の票の伸びが選挙区でも表れたと言えそうだ。
上川氏は前回、自ら引き起こした分裂選挙を制したが、今度は泣かされる形になった。9月末、田辺氏が立候補を表明すると、陳情への対応ぶりなどをめぐって不満がうっ積していた静岡市議の一部が公然と反旗をひるがえした。「因果応報」と語る自民党県連関係者がいるほどで、事態収拾に乗り出す動きはなく、陣営幹部も「これほど批判が多いとは思わなかった」と振り返る。
田辺氏はなぜ、共倒れも十分に予想できた選挙にあえて出馬したのだろうか。支援した元県議の一人は「上川氏が連続当選すれば、自分が次の選挙に自民公認で出る道は断たれるという恐れがあった」と解説するが、田辺氏は立候補表明の直前まで迷い続けていた。選挙戦終盤に追い上げを見せたが、準備不足が響いた。また、自民支持層の票を期待するあまり、離党が直前まで遅れ、無党派層にアピールできなかった。
今回は各地で自公の選挙協力があったが、公明県本部は1区については最後まで態度を保留し続けた。出口調査では、公明支持層の約半数が田辺氏に、約3割が上川氏に分散しており、このことも牧野氏には有利になった。【北川仁士】
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◇富士、三島の得票で明暗−−5区
区割り変更で、自民と民主の前職同士が対決した新5区は、有権者の6割を占める富士、三島両市の有権者の投票行動が勝敗を分けた。富士市では激しい競り合いで投票率が上がり斉藤斗志二氏が制したが、三島市では細野豪志氏が大量リードを奪った。その得票差で明暗が分かれた形だ。
細野氏が攻め込んだ斉藤斗志二氏の地元・富士市では、前回衆院選で県内ワーストワンだった投票率が2・27ポイント上昇。これが選挙区全体の投票率も押し上げた。上昇理由について、斉藤陣営幹部は「(細野氏の登場で)これまで選挙に関心がなかった人が投票にでかけた」と分析する。細野氏に追い上げられた斉藤陣営は、農協や旧大昭和などの組織票を固め、結果的に自民、民主両陣営の票が伸びた。
斉藤氏が富士市で獲得した6万1000票は、史上最多の票数だ。細野氏に約1万票の差をつけた。両陣営とも「富士での戦いはほぼ互角」と見ていたが、出口調査の結果からは斉藤陣営が公明支持層に加え、社民支持層の一部も取り込んだことがうかがえる。
一方、細野氏は地盤の三島市で順調に得票を伸ばした。連合支援による労組票と反自民票を取り込み、約3万6000票を獲得。自民の組織票に頼った斉藤氏に1万8000票の差をつけた。細野陣営幹部は「読み通りの結果」と見る。
三島市は都市部で自民が弱く、比例の得票も約1万7000票と、民主の2万5500票を大きく下回った。斉藤陣営のある幹部は「三島の選対がほとんど機能しなかった。(集票マシンの)大昭和がなくなった痛みを初めて感じた」と、苦戦の理由を打ち明けた。【中村牧生、大楽眞衣子】
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◇実態違う“協力”態勢−−7区
7選を目指した保守新党代表の熊谷弘氏が、無所属新人の城内実氏に約4万票の大差をつけられる予想外の結果となった。熊谷氏は自民、公明の推薦を得て「与党統一候補」となったはずだったが、実態はあまりにもかけ離れたものだった。
自民党では、森派幹部や閣僚たちが相次いで城内氏応援のため選挙区入りした。自民執行部は「全員の行動を統制することはできない」(町村信孝総務局長)と事実上黙認する姿勢をとった。公示前は「意に介さない」としていた熊谷氏だったが、劣勢が伝えられた選挙戦最終日には記者団に「内閣が一斉に攻め寄せてくる。ひきょうだ」と声を荒らげ、あせりの色がありありと浮かんだ。
公明も「約束を守る」(阿部時久県議)と表面的には支援を表明したが、過去に熊谷氏が強烈な公明党・創価学会批判を展開した経緯もあり、動きは鈍かった。出口調査によると、熊谷氏は自民、公明支持層のそれぞれ2割強の支持にとどまる一方、城内氏がそれぞれ約6割を獲得したこともそれを裏付けている。
何より致命的だったのは、これまで離党を繰り返した揚げ句、昨年末に野党から与党入りしたことにも説得力のある説明ができなかった点だ。有力支援者だったスズキの鈴木修会長に見限られ、出身の北遠地区を除くすべての市町村で得票が軒並み城内氏を下回ったこともそれを裏付ける。
選挙に強く、結束力を誇った後援会は「熊谷党」と称せられた。しかし、選挙戦の中盤以降「(後援会が)締まらない」という悲鳴にも似た声が漏れ、あきらめに似た雰囲気も漂った。何より士気につながる「十分な説明」がなかったことが最大の敗因かもしれない。【吉崎孝一】
(この記事には表「小選挙区市町村別得票数」があります)(毎日新聞)
[11月11日20時53分更新]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031111-00000001-mai-l22