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民主主義と自由主義の根幹をゆるがす政治資金規制法をただちに廃止せよ グローバルアイ
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投稿者 エンセン 日時 2003 年 10 月 25 日 17:38:34:ieVyGVASbNhvI

 
グローバルアイ 10月号
民主主義と自由主義の根幹をゆるがす政治資金規制法をただちに廃止せよ


民主主義と自由主義の根幹をゆるがす政治資金規制法をただちに廃止せよ

 日本は選挙の投票率が世界一わるい。
政治的関心も世界一低いのではないか。
その理由は――日本では、先進諸国が民主主義の要としている"戸別訪問"が禁止されているからだ。
政治と国民を切り離す目論見にもう一つ「政治献金」の禁止がある。
ドイツでは国民の政治参加を拒むこの献金制限法に「国民の政治意思を蹂躙するな」と訴訟に立ち上がった。



民の政治・選挙を官に売り渡した「政治改革」

 日本の政治は、いまなお九三年の細川護煕から九五年の村山富市にいたる"左翼"連立内閣がすすめた政治改革にがんじがらめに縛られている。
政治改革といえば聞こえはよいが、中身は選挙改革・政党改革である。
後藤田正晴が発案し、細川がすすめた政治改革は、結局、選挙や政党の"国家管理"化だったのである。

 本来、選挙や政党活動は民間のフィールドにあるものだ。
民主政治の要諦は、国会に民の代表者を送り込んで権力機構を掌握することにある。
したがって選挙と政党活動から官権を排除するのが、政党政治および普通選挙法の精神ということになるが、政治改革は、この二つを丸ごと国民の手から奪い去った。

 日本の政治はほとんど死に瀕したといえるのは、選挙・政党の"国家管理化"によって民主主義の神髄が消えてしまったからである。
民主というのは、国家にねじ伏せられないということだが、政治改革によって民の自由は大幅に制限されることになった。

 現在の選挙管理法や政党の規範は組合やいでイデオロギー政党には好都合だが、一般人をかぎりなく政治から遠ざける仕組みになっている。
たとえば、英米では民主主義の基本とみなされている戸別訪問が日本の選挙では厳禁だ。
組合やイデオロギー政党、宗教団体ではツーカーでも選挙や政党と無縁な一般人にあたえられる候補者の情報は、宣伝カーの連呼だけである。
これでは日本人はますます政治に疎くなる。



「政治献金」の禁止は参政権の侵害である。

 1999年、政治家個人への企業・団体献金を禁止する「政治資金規正法案」が成立した。
小渕内閣が公明党の連立参加に気配りしたのだろうが、この改革案によって個人も企業も、自由意志で政治家に献金ができなくなった。

 公明党や共産党が政治献金の禁止をもとめるのは、党費で政治運動をまかなえるからである。
共産党には自民党の政治資金をこえる300億円以上、公明党には百数十億円もの党費が集まる。
かれらは政治資金を公募する必要がない。
だが、特定のイデオロギーや宗教をもたない大衆政党の自民党にはそのチャンネルがない。
企業献金の禁止は、自民党ら保守系政党だけにダメージがあたえられる改革だったのである。

 「企業献金」がダーティーなイメージでつたえられ、同法改正案が正義の法であるかのようにマスコミは喧伝したが、この法改正によって国民の信条・表現の自由は大幅に制限された。
政党にたいする政治献金に制限や禁止をおこなうことは、正義どころか憲法違反の疑いが濃厚なのである。



「献金の自由」を保証して活発なアメリカの政治意識

 たとえばアメリカでは、米連邦選挙運動法で候補者への寄付限度額の設定および大統領選の一部公費負担、政治・選挙資金の公開を法で定めているが、その反面、政治活動委員会(PAC)をとおして何の拘束もない自由な政治献金をおこなえる制度が保証されている。
むろん戸別訪問や個人にたいする政治参加の勧誘もさかんだ。

 現在、アメリカには、政治献金の受け皿となるPACが約4300もある。
個人も企業も、PACをとおすことによって選挙運動法の拘束を免れているばかりか、この個人的な政治アプローチが社会的な連帯感を育み、とくに若年層の政治的無関心を防いでいる。

 日本ではPACが根付かない理由は地盤やコネで当選してきた代議士が現状に満足しているからだ。
新しい選挙方法をとりいれたら熱心な新人に指定席を奪われかねない。
「選挙の自由」は一大国民運動としてもりたててゆかねばならないが、これを大マスコミが批判する。
選挙違反が増えるというのである。
この愚論によって公明・共産がキャスティングボードを握る現在のチマチマとした選挙風土ができあがった、といってよい。



政治・選挙の国家管理は「社会主義化」

 残るはパーティーだけだが、年間100億円以上を集めるパーティーが是で政治献金は非とするのは理屈にあわない。
このパーティーもしばしばマスコミの批判を浴びる。
支持者が自由意志で参加するパーティーを禁止すれば自民党は手足をもがれることになるが、マスコミがそうしむけるのは立派な政治活動だ。
マスコミにだけ表現の自由があり、国民に信条や表現の自由がないというのであればおかしな民主主義である。

 北朝鮮にも選挙制度があるが、立候補者は一人、投票サボタージュや無効投票には厳罰とあって立候補者は100%の票を集めて当選する。
民主国家が選挙管理法を"有名無実"化するのは、全体主義はこの選挙制度を国家管理のもとにおくからである。
細川から村山へいたる内閣がもとめた政治改革は、民主・自由主義の精神に逆行する政治・選挙の国家管理化だったわけだが、そもそもこの改革案は、1998年のリクルート事件をきっかけに「カネのかからない政治」を実現する目的でおきた改革運動だった。



「官導政治」の道標だった後藤田・細川の政治改革

 音頭をとったのは、後藤田正晴の自民党政治改革委員会だが、内務省出身の後藤田は、もともと官僚色のつよい政治家だ。
政治の腐敗にたいする批判精神は旺盛でリクルート事件捜査では当局の尻を叩き、マスコミからもしばしばもちあげられたものだった。

 政治家の手足をしばるこの改革案は、竹下・海部・宮沢の三内閣でいずれも見送られ、事実上の廃案扱いだったが、首相就任後の初の記者会見で先の戦争を侵略戦争と言明した歴史オンチの細川首相が政権を放り出す寸前に"政治改革四法"として成立させ、それを羽田・村山ら自虐史観内閣が踏襲、以後、日本の政治は、後藤田の目論見どおり、官僚主導型となり、旧大蔵省・日銀がつくりあげたバブル経済からその崩壊をへて現在の"政治の不毛時代"へとつながっている。

 政治献金やカネのかかる選挙=悪と短絡したのは、細川や村山が自由主義や民主主義の何たるかを知らなかったからだ。
国家で管理しようとすれば、民のカテゴリーにある選挙や政党は死ぬ。
政党助成法を筆頭に公職選挙法改正、選挙区画定審議会設置法、政治資金規正法の四法案が成立したのは細川内閣が倒壊する直前だが、この四法が日本の政党政治の手足を縛る一方で官導政治を浮上させ、現在の"官僚型政治"をつくりだした。



政党政治を腐らせた助成金という毒饅頭

 四つの政治改革のうち、選挙法・選挙区法は選挙改革だが、政治資金法・政党助成法は、政治活動に大きな影響をあたえる、カネにまつわる規正である。
この政治資金規正法は1975年の三木武夫内閣からいくたびも改正をかさね、1999年にはついに政治家個人への企業・団体献金を禁止する改正案が成立し、政治家は、待遇上、役人と何らかわらないものとなった。

 これが日本の政治家を決定的にダメにした。
同法改正の発案者だった三木は、クリーンだけが売り物の無能な政治家だったが、改正法の施行以後、国会は、政治力ゼロの能無し"ミニ三木"の殿堂となった。
決定的だったのは政党に運営費が交付される政党助成法だった。

 政治家が役人のように国から資金をあてがわれてはお先真っ暗である。
歳費も党費も国の丸抱えでは政治家が"役人化"しないわけはない。

 選挙では個別訪問の禁止、政治家として献金の禁止、政党活動は国の丸抱えでは、企業や個人との接点が失われ、政治家の質はかぎりなく低下してゆく。
案の定、政治家は役人のお飾りとなって人気取りだけに忙しい。
知名度が上がって選挙にうかりさえすれば、あとは公金でのうのうと先生様でいられるからだ。



国民の税金を無差別的に政党にバラまく憲法違反

 この政党助成金は国民一人当たり年額250円(総額309億円)を各政党の所属議員数と国政選挙の得票率に応じて分配するものである。
任意の政党に国が助成金を出すこの制度は、思想・信条・表現の自由を保証する自由主義とは相容れないどころか、真っ向から対立する。

 共産党は政党助成金を受け取っていないが、共産党員は納めた税金のうち、政党助成金該当額の半分近くを自民党へ強制的に納入させられていることになる。
多額納税者には自民党支持者が多い。
かれらの税金でなりたっている政党助成金の半分近くも社民党や公明党、民主党などの野党へ流れている。

 これは国民の政治意思の重大な蹂躙である。
個人の政治意思とかかわりなく税金が政党助成金へ化けるからである。

 後藤田や細川・村山が企業からの政治献金禁止や派閥の解体、政党の国家管理を目論んだのは、社民主義的あるいは官僚社会主義的な考え方からだが、この政治改革によって日本では国民の意思が政党にほとんど反映されなくなったばかりか、政党政治が崩壊した。

 政党助成金法では5人以上、2%以上の得票率があれば助成金を受け取れる。
細川政権倒壊以降、新進党が太陽党、フロム・ファイブのほか六党に分裂するなど連立政権をめぐって分派・野合がくり返された挙げ句、日本の政治は焦点も足腰も定まらない、野合政治へと転落した。



かつて政治家の実力は集金能力ではかられた

 かつて大物政治家は派閥の領袖として集金能力を問われた。
政治家としての力量が企業からの献金額に反映されたわけだが、それが政治家を育て上げ、政党政治にダイナミズムをあたえた。
特定個人や企業からの献金や派閥の力学、親分・子分の関係が政党政治をより重層的なものにしてきたわけだが、それが、国民が政治家の力量をはかることができる唯一のバロメーターだった。

 陣笠議員も、能力がある者は派閥という人間集団のなかから巣立っていった。
ある者は派閥の領袖からひきたてられ、あるいはトップに押し上げられる。
政治家と有権者、支援する企業とのつながりは、そういうドラマ性によって培われるものだが、政治家がひとしく政党助成法の分配にあずかっているようでは、パワフルな政治家がでてくるわけはない。
じじつ政治家個人への企業献金ができなくなると、派閥はただの政策集団となり、派閥の親分・子分の関係は事実上解消した。
三木が企業の政治献金を目の敵にしたのは、政治家のみならず人間としても魅力に乏しかった三木に政治献金をおこなう企業がなかったからだった。
カネが集まるのは人望や人間的魅力があるからである。
企業が見向きもしない政治家は、口先でうまいことを言っても、所詮、能力が疑われる小物である。

 大物政治家が企業から政治資金を集め、多くの子分をとりこむという図式はダーティーな方法にみえるかもしれないが、それが人間社会というものである。
日本は金権政治を憎むあまり、政治家と企業・個人の関係を叩き切った。
その結果、何がおきただろう。
政界には経済界の情報がはいらず、経済界は政治力を失い、日本は清濁あわせ呑むエネルギッシュな自由主義的国家から、小粒な社民主義的国家へ転落していった。
政府と銀行、大企業がいがみあっているような国が発展するわけはない。



ドイツで裁判がはじまる「献金禁止」は自由侵害?

 いまドイツでは、政党助成金制度が国民の政治意思を蹂躙しているとして裁判で存続か廃止が争われている。
この政党助成金は、もともと西ドイツやアメリカ(大統領候補は集めた政治資金と同額資金を国から受け取ることができる)で発達した制度である。
ところがこれを借りてきた日本で肥大化した。

 政党助成金制度をとっているのはドイツのほかフランス、スウェーデンなどだが、総額では日本が断トツだ。
国会議員の数が多いせいもあるが、議員一人当たりの収入をみても世界一だ。
歳費のほか期末手当、立法事務費、文書通信交通費と年額4500万円もの報酬がある。
政党助成金、議員報酬、議員宿舎、JR無料パスなど議員特権を国からのあてがい扶持でのうのうとしている政治家が国益のために身を粉にして働くとは到底思えない。
この"政治資金規正法"と"政党助成法"という希代の悪法が、日本の政治家を限りなく下劣にしたのである。


http://homepage3.nifty.com/globaleye/starthp/subpage01.html

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