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(回答先: 半兵衛さんは支離滅裂ですよ。 投稿者 小犬 日時 2003 年 11 月 07 日 10:52:07)
>私は、市民フォーラムと「父親は真犯人でない」で考えが異なりますが、彼らの活動に対しては賞賛する立場をとっているのです。どのような立場をとるかは好き嫌いの問題だと思っています。
あなたの説を解釈するならば、あなたは父親が真犯人ではないけれど、フォーラムの根拠のない父親真犯人説と不可解な言動(つまり父親へのストーカー的言動。あっしら氏提出資料3---フォーラムの掲示板抜粋)は賞賛に値するという立場である以上、あなた自身が分裂を起こしているとしか捕らえようがありません。
なお、人命にかかわる問題に対する立場が好き嫌いで決まるというのは、きわめて軽率な発言で無責任です。阿修羅事件板での投稿には無縁だと思います。
この立場(フォーラムの主張ではなく行動のみを擁護する)から発言される限り、神戸事件を冷静に見ようとする人々には無縁の発言であり、議論がかみ合わない、いつまで経っても平行線で終わるし、この事件板では議論を打ち切られた。
私はあなたのおっしゃる立場が好き嫌いの問題であるということに関心があり、再度レスしました。
立場とは好き嫌いで決められるものだろうか?
不可解な事件についてはまずもって懐疑主義でのぞむ立場が、現在のマスコミと権力の動きからすれば必要な「立場」ですね。そこからすでに家裁で結審された神戸事件の犯人特定について、証拠不在を理由にA少年の供述が偽計により誘導されたものであり、冤罪であることが明白であると認識する、ここまでは通常の認識だと思います。
「3日後に少年が発見されたときに、腐敗しているべき内臓組織が筋肉組織より健全に維持されていたことから、冷凍庫に保管されていたことになります。そして土師さんには、誰にも知られずに利用できる冷凍庫を保有していたとは想像出来ないからです。また、厳戒態勢の真っ只中に、死体を運搬できるのは、警察か、諜報員しかありえないからです。」
あなたがこのように立派な認識をもっているのに、立場は父親犯人説のフォーラム(の行動)を支持する(好き嫌いのレベル)とは笑止千万。なぜそのような立場の構造になるのか認識論的に説明せよ。一見過激で期待をもてるという野次馬根性ですね。
「好き嫌い」(気まぐれ)の成せるわざであろうから、この立場には「冤罪」と認めるけど「冤罪を晴らす」などという実践性は見られない。
フォーラムの主張を支持することによってあなたが真犯人説を取る立場に限りなく接近し結果としては同一の主張になっているではないか。
――以下子犬氏投稿を引用 (http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/548.html)---
「普通なら、国際的謀略犯罪への異議申立は、国家の嫌うところであり、抑圧に出てくるものです。しかし、フォーラムへの弾圧が、墓穴という結果になりかねません。権力機構は逡巡しています。
土師さんに沈黙を強いているとするならば、それは権力機構の保身のためです。ビラを撒かれる前に被害者家族が転居したという事実は土師さんにとっては不本意でしょう。でも警察をはじめとする権力機構の方針だと思われます。神戸事件が、どんな形であれ、裁判に付されることを避けているように思えます。それは、神戸事件の冤罪を炙り出す結果となっています。
この捨て身の告発に対して、批判することは無責任です、彼らに敬意を覚えます。冤罪であると確信しても、マスコミが権力機構の広報機関と化した現代では、無傷の告発活動はありえません。土師さんを真犯人としたビラの配布には反対ですが、配布した人々を批判はできません。告訴され、逮捕されることを切っ掛けに、自ら被告となって、冤罪を公的訴訟のまな板に据えようとしている行為を、口先ヒュウマニストが批判するのは醜くさえ思えます。
あつしらさんとその弟子達のの限界はそこにあるように感じます。みんなで、批判している一連の投稿には嫌悪感を覚えました。」
----------------この文章の中から下記抜粋-----------------------
「土師さんを真犯人としたビラの配布には反対ですが、配布した人々を批判はできません。告訴され、逮捕されることを切っ掛けに、自ら被告となって、冤罪を公的訴訟のまな板に据えようとしている行為を、口先ヒュウマニストが批判するのは醜くさえ思えます。」
彼らがビラを配布した結果として告訴され逮捕され、冤罪を公的訴訟のまな板に据えたであろうか?結果は警告を受け縮み上がり、「話し合いに応じよ」と示談をほのめかしただけである。相手に読まれもしない手紙を送って行動したとお茶を濁しているだけである。常識的にみてストーカー行為と呪文のオンパレードのような「手紙」に答える必要などないわけで、ストーカー行為に対してはこれを阻止するには警告しかないだけのことだ。
フォーラムの人たちが現実に逮捕され、権力と戦い、「警察か、諜報員」が関与した「国際的」謀略を暴く戦いが果敢に展開されているならば、話はわかるが、まったくそれがない。
「自ら被告となって、冤罪を公的訴訟のまな板に据えようとしている行為」というが、すでに6年を経過しても「フォーラム」としてはいまだに動きがないようだが。
冤罪を冤罪として付審判と再審請求闘争を戦っているのは後藤昌次郎氏のみである。冤罪を晴らすために自ら被告となって法廷闘争を戦う気概をもって展開しているのは彼一人だ。多くの学者文化人とて賛同し周辺で支援をしているが、「私を告発せよ」という後藤氏の捨て身の戦いと同一レベルで展開されているとは思えない。それでも共産主義者でも自由主義者でも「立場」を超えて冤罪に怒りを燃やした多くの人々の共感を得ている。
フォーラムが依拠した「神戸少年事件の真相」は「真相を究明する会」(革マル派中心といわれた)が刊行したパンフレットであった。冤罪説のはじまりは革マル派のこの刊行物からがスタートであるし、ここで展開されているのは謀略による冤罪説であって国家権力の関与が推論されている。私ははっきり言ってこんなこと言ったら革マル派はやられるな、と思ったが、彼らの勇気ある発言と行動は、それまでの沈黙した重苦しい雰囲気を一気に晴らし真相を暴いててくれた。そうであったからこそ事件を見直す流れがでてきた。しかしその結果革マル派は権力から「冤罪」を主張しているからといって露骨に攻撃を食らったわけではない。
「カルテ盗」「盗聴(これは別件です)」なる微罪を口実に逮捕攻撃が加えられ、壊滅的打撃を食らっただろうと思う。権力に逆らえばどんな仕打ちを受けるかという見せしめ攻撃であり、国家権力の憎悪がなみなみならぬものであることがわかる。革マル派はそのごおとなしくなり、「解放」でときおりコメントを出しているが、現地で地道な活動をしているのが現状だろう。
なのに、同派のサイトでは長崎の事件の冤罪性についてはついに言及さえ成されていない。
これだけ激しく戦われているのに、いまだにA少年は収監されているだろうし、世論がマスコミや警察の垂れ流し情報をうのみにしている現状を打開することは非常に難しい状況である。むしろ神戸の事件で少年法が適用年齢を引き下げられ、長崎事件で再検討する状態まで許している。
これほどの「決意」が必要なのに、フォーラムの言動は口先だけではないのか。
ついでにお聞きしたいが、長崎の男児殺人事件については、あなたの「立場」をはっきりお聞きしたい。ここでいう「立場」の根底には原則的に「冤罪」事件には鋭いセンスがあると思うので、参考までにお聞かせください。
もうひとつ、東電OL殺人事件の犯人とされたネパール人ゴビンダさんの今回の最高裁の反動判決(有罪、無機懲役)にも言及してください。
フォーラムは言及していないので発言しない、とでも?
「好き嫌い」で立場が決まるのなら、私も関心があります。
あなたが神戸少年事件を「国際的謀略犯罪」と捕らえる以上、フォーラムの行動をこの関係でいかに捉えていらっしゃるのだろうか。事件について「国際的謀略」との関係で明らかにしてください。実体論も必ず明らかにして。少なくとも真犯人とされる父親はフォーラムでは父親個人の犯行のように捕らえているようだが。それゆえ行動も父親のみをターゲットにしているが。
この質問に回答なければ私もこれで打ち切りさせていただきます。