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あっしらさんあなたの回答の要旨です
《ご自身の言動を省みてください
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/618.html
あなたとのやり取りは終わりにさせていただきます。
物事をもっと峻別して見られることをお奨めします。
用語
戦術主義:
目的を達成するためであれば、自身が違うと思うことや悪いと判断するもの でも戦術 =手段として利用することを正当だと考え、戦術の有効性についての現実的判 断も願 望や期待に影響されやすいこと。
理念主義:
かくあるべきと思っていることを基準に他者の行動や考えを判断する傾向が 強く、現 実を生きている人たちが持つ多様な価値観や判断への思慮が欠けていること。》
わたしはあなたの論法が「イカサマばくち」と下記のように非難しているのですよ。
教えを乞う立場でもなく、あなたを師とあがめているわけでもありません。
「ご自身の言動を省みてください」
「物事をもっと峻別して見られることをお奨めします。」
と勝手に、上座にたって、教訓をたれるのは、あなたの習性ですか。
具体的な内容ではなく定義を
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/612.html
定義のない概念を都合よく使うのは「いかさまバクチ」
あなたは私を悪質な戦術主義者だと誹謗しています。 理念主義者も同様です。
ところが、戦術主義者という用語について、あなたに説明を求めても、具体的に延々と 説明したとするも、定義の説明が有りません。理念主義者についても。
定義を示すことなく、客観性をもたない言葉で、議論すれば変幻自在です。あなたがル ール決定権とルール変更権を保持しながらのゲームとなります。
やっと用語の定義が呈示されましたが、ゲームが終了してから、ルールが示されたようなものです。しかも、その用語も不正確です。求めているのは戦術主義者、理念主義者です。微妙に異なる、戦術主義、理念主義の定義を求めていません。
定義の意味だけでなく、その根拠(例えば広辞苑第4班852ページ)も求めています。あなたの勝手な解釈なんて、求めていません。そして、どのような分野で、その用語が確立しているのかも。
私だけでなく、あなたの用語使用法について HotRood さんも疑問を抱いていますよ。
次の投稿を弟子達とよく読んでください。すばらしい文章なのに、埋もれてはもったいないので、引用します。
一言
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/613.html
投稿者 HotRood 日時 2003 年 11 月 06 日 12:31:56:ZVRPb2T4djeiA
あっしらさんはフォーラムが被害者の父親に対し接触を試み、その拒絶を持って「父親犯人説」を本人に告げてまでも接触しようとする姿勢を批判して「理念主義者」という言葉を使った。
この「理念主義者」という言葉を私も調べてみたが、どうも一般に認知されている言葉のようではない。ただ、あっしらさんに同調レスを付けたクエスチョンさんが「カルト」という言葉を使っている。エンセンさんもカルト同様なモノをフォーラムに感じたがごときことを書いている。それだけなら良いのだがあっしらさんを無条件に絶賛しているところが秋波を送っているようで非常に寒い。
小犬さんの嫌悪はここにある。
「 あつしらさんとその弟子達のの限界はそこにあるように感じます。みんなで、批判している一連の投稿には嫌悪感を覚えました。」
「理念主義者」という言葉を本当に理解しているのかどうかも疑わしい方々が一斉になびく様は大きな魚に吸いつく小判鮫のようでもある。
かくいう私も「理念主義者」という言葉は理解できない。「理念」と「主義者」を分けて考えて、「実践」に対する「理念」をイデオロギーとするのならばフォーラムは実際に行動している「実践主義者」と呼べるのではなかろうか?
行動する者が、行動しない傍観者を評して「理念主義者」というのならば多少は理解できそうではある。
このあたりの錯誤を互いに訂正しなければ話しはこじれるがままだ。
小犬さんが書く。
>一定義のない概念を都合よく使うのは「いかさまバクチ」
>
>二徹底的に非難する相手を、評価してきたと主張するのは矛盾
>
>三 ヒステリツクな意趣返し
>
>四私はあなたに身の上相談をしているのではありません。
>
>味方の振りをしながら、背中を切りつける卑怯な人々を見つけた場合に、貧弱
>な声で、裏切り者と叫ぶことだけです。
私には小犬さんの方に理があるように感じるがいかがか?
元来、阿修羅掲示板とは情報の氾濫の中にあって淘汰されつつある真実を暴くがごとき理念に賛同し集う投稿者で溢れていた。
それが正しいか間違っているかは問題ではない。それは受け取り手の感性にゆだねられている。その感性を放棄しているがごとき投稿に対しては私もやはり嫌悪感を感じてしまう。
私の感性では世間に潜む「巨悪」を感じる時、阿修羅掲示板を覗いている。
神戸事件はその最たるものであった。ゆえに思考を巡らし真実に近づいているとの実感は、踏み込んでしまった小さな一個人に対してえも言われぬ恐怖感を伴わせた。
阿修羅掲示板はそのような「巨悪なモンスター」を感じさせるサイトであってほしい・・・というのは私の願望ではあるが、最近の幾人かの馴れ合い投稿には私の楽しみにしている「恐怖」を相対化し、阿修羅掲示板を娯楽雑誌のレベルまで低下させてしまう存在のようにも感じている。
5年ほど前になるが、とあるオフ会で話題になったことがある。
「阿修羅掲示板のオフ会なんてのは考えられないよね。あったら阿修羅は阿修羅じゃなくなっちゃうよ(笑)」
仲良くされるのは結構なことだが、該当すると思われる方々には一考されたい。