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(回答先: 非難する対象は行為で罰する対象はその人 投稿者 小魚骨 日時 2003 年 12 月 28 日 16:38:31)
執行(屠殺)されるまでの、生け贄状態は想像すら困難ですが、執行時の状況もまた、一寸も逃げようのない刑死という事実は、本人からすればまさに地獄といえます(かくて死刑は執行された)。
被害者遺族が加害者に報復する以上に、替わって行われる国の処刑は何百倍も残酷。ましてや冤罪だったときには目もあてられない。
いつも私が思うのは、個人の犯罪はおおかた、それ相応の厳しい罰が課せられるというのに、国家の不純な動機、それこそ死刑に値する殺戮は、許されるということです。誤解を承知でいいますが、国家権力の犯罪からすれば、個人の犯罪など微々たるもの。動機からいっても、殺戮の量からいっても。かばうわけではないですが、宅間被告は恐怖のあまり、精一杯つっぱっているようです。この男ほど、臆病で世渡りが下手で愛情に縁のない(愛情をかんじられない)人間はいないとおもいます。
究極のところ、国家権力の殺戮を覆い隠す装置としての一部に、個人の刑罰があるとおもっています。