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(回答先: 西村眞悟「抜けば必ず切らねばならない」:侍侮辱集団に協力翼賛していた屁タレ政治屋の卑怯ぶり 投稿者 【公安情報ESPIO!転載】 日時 2003 年 12 月 23 日 19:12:27)
「征伐隊」と接点 西村真悟議員とは
石原氏に共鳴 タカ派化
「征伐隊」などを名乗り朝鮮総連や政治家などを狙い銃撃、銃弾送付したとされる犯行グループと、民主党の西村真悟衆院議員とのつながりが浮上した。タカ派の論客として知られる西村議員は、主犯の村上一郎容疑者が主宰する「刀剣友の会」の最高顧問を務める。西村議員とはどのような人物か。
十九日、西村議員の事務所から出された本人の談話によると、「村上容疑者とは一九九九年ごろ地元の支持者を通じて知り合い、友の会への会合に出席したり、講演をするなどの付き合いがあった」という。
最高顧問に就任したのは今年七月ごろ。村上容疑者が経営する「日本レジン」は九九年七月から今年十一月までの六回にわたり計二百十万円を西村議員に献金している。
西村議員は九三年、民社党から衆院議員に初当選した。父親は民社党委員長も務めた西村栄一氏だ。「初当選の時は外交問題ではなく、食品の消費税は取るべきではないとか、そういう訴えをしていた」と政治評論家イの小林吉弥氏は言う。
「京大法学部に八年間いて、いったん神戸市の市役所職員になった。その後勉強して三十代半ばで弁護士になった。外交問題に目立った発言をするようになったのは石原慎太郎氏と親しくなったあたりからではないか」
九七年五月、当時新進党の西村議員と、衆院議員を辞めた後の石原氏は、中国、台湾との間で領有権をめぐって問題となっている尖閣諸島に同行した。「雑誌で対談などが組まれるようになり、ますます意気投合したようだ」と西村議員をよく知る関係者は言う。
九九年十月、防衛政務次官となり、着任会見で「国民が殺されないと反撃できないなんて不道徳」と発言していた。さらに週刊プレイボーイの対談での「日本も核武装した方がええかも分からんということも国会で検討せなアカンな」などの発言内容が問題となり、事実上の更迭になった。
北朝鮮問題では拉致議連の幹事長も務め、北朝鮮に対する送金停止などを訴えていた。
西村議員は書面で、「私は、彼が犯罪者であるとの前提ではなく、支持者の一人として、私の信条を理解してくださる好漢としてお付き合いしていた」と釈明している。
[中日新聞 2003年12月23日]