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長崎少年事件・補導少年糾弾サイトの嘘・デタラメ---反人権サイトの徹底研究(1)(メディアの辺境地帯)
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1171.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 24 日 11:43:06:0iYhrg5rK5QpI
 

反人権サイトの徹底研究(1)長崎少年事件・補導少年糾弾サイトの嘘・デタラメ
2003.12.6

http://www.aurora.dti.ne.jp/~osumi/hrmedia/antihr01.html

「人権と報道」分野において最近めざましい活躍をしているサイトに、「ザ・グレートチタ NANZOを斬る! マスコミ疑問符」がある。

 ザ・グレートチタ氏は特に長崎少年事件報道に対して活発な批判を展開しているが、批判の対象はマスコミにとどまらず、反人権サイトにまで及んでいる。

 11月21日には、「特別編 触法少年は無罪放免? 長崎幼児誘拐殺人事件加害者批判サイトを斬る」をアップロード。そこで「長崎幼児誘拐惨殺事件卑劣すぎる快楽殺人者の記録」という反人権サイト

http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/

を批判している。

 ザ・グレートチタ氏はこのサイトの問題点を一つひとつ洗い出しているが、その中でも特に悪質なのが、ザ・グレートチタ氏も述べているように、被害者擁護をうたいながら、被害者の性的被害を事細かに描写することで被害者の人権・プライバシーを侵害し、かえって被害者遺族を侮辱していることだろう。

 この反人権サイトの嘘・デタラメ・幼稚さを挙げればきりがないが、ザ・グレートチタ氏の指摘以外に私が気がついた主なものは次の通り。

その1:《逮捕・補導されたら「犯人」である》という嘘

 このサイトもご多分に漏れず、補導された少年のことを当初から「犯人」「加害者」と呼んでいる。推定無罪原則に違反するこの記述は、警察は絶対に誤りを犯さないという前提に基づいているが、そんなわけはないだろう。ちなみに「犯人逮捕」という表現もみられるが[1]、この事件では誰も「逮捕」されていないって(笑)。
その2:転載記事の出典を示さないデタラメ

 このサイトの情報源の大部分はマスコミからと思われるが、そのほとんどに出典が示されていない。表現者失格である。例えば、『ご遺族が発表なさった手記と関連記事全記録』[2]で今のところ唯一出典が示されているのは、『2003年9月25日毎日新聞夕刊から』とある『2003年9月25日「家庭裁判所へのご遺族の意見陳述所全文』[3]だけだ。

 ちなみに、『2003年10月6日「犯人に処分が下った後、発表なさった手記全文」(最新手記)』[4]の出典は03年10月7日付毎日新聞朝刊[5]であることが判明している。これらは「全文転載」にあたり、著作権法に違反していないか調べてみる価値がありそうだ。
その3:《人権の基準は世論や多数決原理に従うべきである》というデタラメ

「快楽殺人者の記録」サイトには次のようにある。

『俗に言う「打ち首」発言に各新聞誌は、「暴言だ」、「失言だ」だと報道していました。この件に関して何処かのホームページでアンケートをとっていました。結果、「問題あるが賛成できる」「問題なし」が88%でした』[6]

『示された世論の「声」に、国民のニーズに答えるものが法律です。・・・90%近くの国民が支持しない法律が、いまだに疑問も疑念も無く続いているようで、何故、民主主義なのでしょう?』[7]

 まさか「アンケート」をとっていた「ホームページ」とは「打ち首」発言をした本人のページではあるまいが(笑)、要するに、人権の基準は世論や多数決原理に従うべきであり、それが民主主義のルールであるという主張だ。

 とんでもない民主主義のはき違えである。

 かつて民主主義体制下のドイツでナチスが台頭したという歴史的教訓から、第二次大戦以降、人権の基準は世論や多数決原理に左右されてはならないという考え方だ。国連人権委員会が98年、日本政府による委員会への報告に対する最終見解で、

「委員会は、人権の保障と人権の基準は世論調査によって決定されないことを強調する。規約に基づく義務に違反し得る締約国〔=日本〕の態度を正当化するために世論の統計を繰り返し使用することは懸念される」[8]

と述べたことは記憶に新しい。日本でも、戦時中ほとんどの人が大日本帝国を支持していた。人権の基準は世論や多数決で決まるなどという主張は、歴史から何も学んでいない証拠だ。

その4:法律を商品・サービスのごとく扱うデタラメ

 先述の文章で特に印象的なのが、「国民のニーズに答えるものが法律です」というくだりだ。法律を企業が提供する商品やサービスと同じレベルでしか考えていないのだろう。これは今の日本の司法権力の方向性とピッタリ符合する。なぜなら、彼らは「司法改革」と銘打って法律や法律家の「商品化」「サービス化」を推進しているからだ。弁護士は「国民のニーズに答え」ます、というわけだ。

その5:取材被害に触れないデタラメ

 この反人権サイトはご多分に漏れず取材被害には一切触れていないが、長崎の事件では少なくとも、補導された少年が通っていた中学校や自宅に取材陣が殺到し、周辺生徒や地域住民に対する取材被害が起きたことが、長崎新聞の報告(7月13日付)からわかっている。同紙によれば、取材被害の具体的実態は次の通り。

『中学校で開かれた緊急保護者会の終了後、校門を出た一人の保護者を十数人の報道陣が取り囲んだ。質問攻めにあった保護者が「記者会見で校長先生に聞いてください」と断った。これに対し記者の一人が「(原稿の)締め切りが迫ってるんだよ!」と語気荒く迫り、保護者が勢いに押されて話し始める光景もあった。

育友会や学校によると、偽の「警察手帳」を見せて生徒に取材しようとしたケースや、取材を断る生徒をタクシーの車内に誘い込もうとし、別の生徒に助けられたこともあったという。また、嫌がる生徒を追い掛け、バスに一緒に乗り込むマスコミもいたという』

 このサイトは、マスコミに破壊された学校や地域社会を踏み台に「被害者尊重」を唱えているというわけだ。

 これだけひどい取材が行われていたならば、被害者遺族自身にも被害が及んだ可能性は十分に考えられる。97年の神戸児童連続殺傷事件では、被害男児と女児の親がともに報道被害を訴えている[9]。それも事件からかなり経過してから。
その6:犯罪被害者にとって不都合・不利益な「復讐の権利」

 このサイトが執拗に主張するのが、「同害復讐の権利」だ。

『まず、僕は、被害者サイドの方々には、自然権として、同害復讐の権利があると思っています。なので、それを遺族が訴え、さらに、世論がそれに味方、ないし応援の声をあげることはまちがってはいないかと思います』[10]

 ところが、私はこのサイトもリンクを張っている「犯罪被害者の会」のメンバーから、これと全く正反対の主張を聞いたのである。

 それは00年12月3日に開かれた「人権と報道・関西の会」で、神戸児童殺傷事件の被害男児の代理人弁護士とともに「犯罪被害者」代表として参加していた「犯罪被害者の会」のメンバーの発言だった。

 このメンバーは、会の会長をつとめる弁護士が自らの事件で犠牲者の遺影を掲げたことについて、「実際はただ持って向けただけなのに、テレビなどがあたかも高々と上げたようなイラストを掲載した」と指摘。これが裁判長によるやり過ぎとの忠告と結びつけられ、やはり遺影の持ち込みはよくないという雰囲気を醸成しているのではないかと問題提起した。

 マスコミに煽られた報復主義が、かえって犯罪被害者の行動を制限してしまうという何とも皮肉な結果。そして、冤罪で書類送検され、その後不起訴になった会場の発言者から「もし犯人扱いされたらどうしますか」と問われたこともあって、ついにこのメンバーは「裁判は報復する場ではない」と言い切ったのである。

 私もその当時は、被害者は復讐したいと思うものと心のどこかにあったのか、意外な展開に正直驚いた。しかし振り返れば、自らも犯人扱いされた「松本サリン事件」被害者の河野義行氏や、弟を殺害した死刑囚の死刑に反対する原田正治氏のように、「復讐」の不毛を自覚する犯罪被害者もいることは確かだ。(そういう意味では、多様なはずの被害者を勝手に一つのイメージで決めつける反人権サイトは、一部の被害者の意図に反することをしているといえるだろう。)

 「復讐の権利」、これこそ犯罪被害者にとって不都合・不利益きわまりない「権利」なのである。

その7:「同害復讐」が「自然権」だという歴史の捏造

 「快楽殺人者の記録」サイトの運営者は「同害復讐」という言葉をどこで覚えてきたのか知らないが、これは約4500年前のバビロンで明文法として定められていた。それが「目には目を」で有名なハムラビ法典だ。

 しかし、「同害復讐」が「自然権」であるという反人権サイトの主張とは裏腹に、ハムラビ法典ではそれは過剰な復讐に対する規制法として存在していた。例えば、「もし目を損なったら、彼の目を損なわなければならない」というときには、それは目以外の器官を損なってはならないことを意味していた。しかも、ハムラビ法典では犯罪被害者は復讐を買い取ることもできると規定されていた。[11]

 「同害復讐」が「自然権」だと叫び、人権に敵対するだけでなく歴史をも捏造するこのサイトは、古代メソポタミア文明にも劣る野蛮であるといえよう。

その8:何を血迷ったか、「自由」「人権」そのものに敵対

 このサイトの運営者はついに何を血迷ったか、『歪んだ「自由」と「人権」に侵された国・日本』[12]などと書き、「人権」「自由」そのものに直接敵対するようになってきた。

 だが、あなたがそうやって書けるのは表現の「自由」があるからではないのか? 犯罪被害者の「権利」はどうしたのか? 誰かと比較することで、別の誰かの「自由」「人権」を認めない発想、これこそまさに「自由」「人権」に対する歪曲・侵害・敵対行為に他ならない。

その9:感情主義(または本音主義/ココロ主義)の誤り

 このサイトは至る所で、法律や社会に対する感情の優越性を説く。例えば、サイトの趣旨(ホームページに「法律論だけでなく感情があります」という断り書きがある)には、

『感情的と批判されるかもしれませんが、そもそも、これほどまでに感情を納得させられない法律の方こそ批判されるべきだと思います』[13]

とあり、さらに『法律家に否定的に捉えられる「感情論」について』[3]で次のように唱え、感情>世論(社会)>法律という体系化を図る。

『世論は「感情」があってしかるべきだと思います。そして、その結果、示された世論の「声」に、国民のニーズに答えるものが法律です』

 この《感情(人間心理)があってこその社会、法律》という思想、すなわち感情主義は、いまや日本全体を覆い尽くしており、これに正面切って異議を唱える者がほとんどいない。そのことが一方で「本音」が書きこまれるネット掲示板の賛美につながり、他方で文部科学省が学校にばらまいている「心のノート」なる書物につながっているものと考えられる。

 ここに、今の日本社会の最大の問題点があると私は考えている。

 それではなぜ感情主義(または本音主義/ココロ主義)が間違っているのか。これが実に簡単な理由なのだ。感情を持つことは一人でもできる。しかし一人では社会を構成しない。社会を構成しない生物は人間ではない。これが感情主義の誤っている理由だ。

 次のような「思考実験」をしてもよい。「快楽殺人者の記録」サイトの運営者がある日突然、社会から完全に隔絶された無人島へ飛ばされたとする。その場所で、この人物はサイトで主張していたことを、おのれの感情に従っていくらでも叫ぶことができる。しかし、それを誰が聞くのか。

 このように、感情が社会に優先するという思想はいとも簡単に覆すことができる。社会があってこそ感情を伝えることができるのだ。

 感情主義をこんなに単純な理屈であしらっていいのかという反論は容易に想像できる。しかし、感情主義はこの程度の理屈で否定されるほど脆弱な主張なのだ。

 次に法律と感情との関係を考察する。先ほどのハムラビ法典から明らかなように、法律は当初から(人ではなく)法による国家の支配を目的としていた。法律は権力者(王)の感情次第で国家の運営が左右されたり、民衆が処罰欲でもって必要以上の復讐をすることを抑止してきた。

 結局、感情主義者とは反対に、感情が社会や法律をつくる訳ではないと断言できる。(なお、ここでは法律と社会との優先順位については論じない。感情主義に対する反駁さえできればよいからだ。)

 それでは、日本で感情主義がなぜここまで普及してしまったのか。これについては別の機会に詳しく論じようと思うが、考えられる原因を箇条書きにして示す。

* 「法による支配」の欠如。
* いわゆる「義理人情」概念。
* 自然権思想の弱点、およびその人権思想への影響。

 「法による支配」の欠如はすでに多くの議論があるが、後二つはほとんど議論されていない。

 「義理人情」概念についていえば、「義理」とは本来は「道理・筋道」という意味であること、近松門左衛門(江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎作家)が芸術論で安直な「人情」の表出を批判していたにもかかわらず、今日ではそれがほとんど忘れ去られ、「人情」面ばかりが強調されていることを挙げておく。

 自然権思想を説いた西欧の主な思想家はホッブズ、ロック、ルソーであり、後の二人は人権思想の成立に計り知れない影響を及ぼしたが、人権思想が歴史的に自然権思想に負っていることは、いまや「弱味」として、感情主義に立脚する反人権側によって徹底的に利用されている。これは是非克服しなければならない問題だろう。(だからといって、自然権を批判的に取り扱い、これを押さえつけるために中央集権政治を擁護したホッブズに立ち返ることはしないが)

 ここで批判した反人権サイトも「自然権として、同害復讐の権利がある」と主張し、自然権思想の弱味に露骨につけ込んでいるが、日本新聞協会も、実名報道・プライバシー侵害を正当化するために次のように主張して、自然権思想の弱味を利用する「模範」を示していることは注目に値する。

『メディアの取材・報道には「国民の知る権利」に応えるという重大な使命がある。特に、裁判員制度が対象とする重大事件に関する報道は国民の関心が強く、そしてその関心は自然なものである』(裁判員制度に対する見解、5月15日発表)

(続く)

[1] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/zakki.htm

[2] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/syuki.htm

[3] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/setunaru.htm

(原文:http://www.mainichi.co.jp/news/article/200309/25e/025.html

[4] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/saigono.htm

[5] http://www.mainichi.co.jp/news/article/200310/07m/079.html

[6] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/sub2.htm

[7] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/kennkai3.htm

[8] 規約第40条に基づき締約国から提出された報告の検討・人権委員会の最終見解・日本(外務省のページ)

[9] 神戸児童連続殺傷事件の被害女児の親に対する報道被害は、本サイト「神戸事件にみる被害者遺族への報道被害」を参照。また被害男児の親に対する報道被害は「人権と報道・関西の会シンポジウムに参加した」から「神戸事件被害者代理人が訴えた実名報道被害」を参照。

[10] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/kennkai5.htm

[11] 詳しい解説が以下のサイトにある。

 http://homepage1.nifty.com/manyapage/parque/akuma/akuma16.htm

 原典は中田一郎訳「ハンムラビ法典」(リトン、2002年)。

[12] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/kennkai4.htm

[13] http://heso37564219.hp.infoseek.co.jp/sub5.htm

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