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「様々な喜びや悲しみの70年」天皇陛下の会見全文 [朝日新聞]
http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/1162.html
投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 24 日 00:48:52:dfhdU2/i2Qkk2
 

(回答先: 過去に学び平和希求を 天皇陛下、70歳に (Kyodo) 投稿者 ああ、やっぱり 日時 2003 年 12 月 23 日 14:35:40)

「様々な喜びや悲しみの70年」天皇陛下の会見全文
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 【質問】70歳と申しますと、杜甫の詩に「人生七十古来希」と詠まれた年齢です。とはいえ、現代ではむしろ多くの人が迎える年齢で、当時とは意味合いも違ってきているように思われます。ひとつの節目として、70年を振り返り、陛下ご自身に喜びや悲しみをもたらした出来事についてお聞かせください。

 【天皇陛下】質問に正しくお答えするために、紙を準備してきましたので、それに沿ってお話ししたいと思います。

 70年には、様々な喜びや悲しみの出来事がありました。その中で、今日まで心を離れない喜びや悲しみについてお話ししたいと思います。70年を振り返り、日本が先の大戦による国民の多くの犠牲と国土の荒廃から立ち上がり、貧富の差の少ない平和な民主主義の国として発展し、国民が様々な面で豊かになっていることに、深く喜びを感じております。多くの困難を乗り越え、今日の日本を築くために、力を尽くした人々の努力に深く感謝しています。

 しかし、この70年の間には、多くの悲しい出来事がありました。最も悲しい出来事は、先の大戦で300万人以上の日本人の命が失われ、また、日本人以外の多くの外国の人々の命が失われたことです。さらにこの戦争では、戦後も原子爆弾による放射能や、ソビエト連邦への抑留などにより、多くの人々が犠牲となりました。

 戦後の悲しい大きな出来事としては、古くは5千人以上の人々が犠牲となった昭和34年の伊勢湾台風、近くは6千人以上の人々が犠牲となった阪神・淡路大震災があります。また、阪神・淡路大震災の2年前には奥尻島とその対岸を津波と地震が襲い、200人以上の死者、行方不明者が生じました。誠に痛ましいものを感じました。日本は地殻のプレートの接点にあり、毎年のように台風に襲われることから、自然災害が起こりやすく、近年、犠牲者の数は少なくなりましたが、今でも1年間に100人前後の人々の命が失われています。誠に悲しいことです。

 私自身にとり、深い喜びをもたらしてくれたものは、皇后との結婚でした。どのような時にも、私の立場と務めを大切にし、優しく寄り添ってきてくれたことは、心の安らぐことであり、感謝しています。2人の結婚生活ももう45年になりますが、その間に子どもたちも成長し、私どもも公務を果たしつつ、変わりなく日々を送れることをうれしく思っています。

 【質問】陛下は去年、前立腺がんの告知を受け、病状を国民の前に明らかにした上で手術を受けられました。告知を受けられたとき、国民に事実を公表する意思を固められた経緯、手術の前後、回復され公務に復帰されたときのそれぞれのお気持ちと、現在のお考えをお聞かせください。

 【天皇陛下】検査入院をする前から、PSA(前立腺特異抗原)の値などで心配な状況と聞いていましたので、検査の結果、前立腺にがんがあったという報告を聞き、すぐに手術のことを考えなければならないと思いました。入院中は手術を含め、北村(東大)教授をはじめ関係者から手厚い医療と看護を受け、深く感謝しています。

 入院中、皇后が毎日付き添ってくれ、紀宮もしばしば来てくれたことは、精神的にまた実際に入院生活の非常な支えと助けになりました。また、入院中、多くの人々が皇居などを訪れ、記帳してくれましたが、心配してくれた気持ちがうれしく、記帳簿を見ることは大きな励ましになりました。

 手術の結果は、かなりの程度確実に、がんは取りきることができたと思うということで、公務に復帰したころはPSAの値も下降しており、回復のために明るい気持ちで散歩に励んでいました。しかし、その後に、PSAの値が微増してきました。今後のことは、皇室医務主管をはじめ、専門家の判断を仰ぐこととしています。現在は公務も多く、忙しい日々を過ごしていて、病気のことを考えることはほとんどありません。公務をしっかり果たしていくことが、病気にあたって、心を寄せられた多くの人々にこたえる道であると思っています。

 国民への公表については、日程の変更や治療を国民の理解の下にすることが大切と考えているからです。このような公表は、40年前、皇后が皇太子妃のときに胞状奇胎を患って、流産の手術を受けたときにもしています。胞状奇胎は悪性化する可能性もあるので、手術後、2年間の観察期間中は懐妊は控えるようにと言われました。公表によって、再度の妊娠を危ぶむ声も出て、悲しみと不安の中で、公務に励んでいた皇后にとり、秋篠宮を懐妊したことは、ひとしお喜ばしいことであったと思います。私も本当にこのときは心配しました。

 【質問】陛下のご公務を含めたご活動全般について、医師団だけでなく、ご入院中献身的な介護をされた皇后さまや紀宮さまも負担を軽減することが望ましいと考えておられますが、「ご負担軽減」についての陛下のお考えをお聞かせください。

 【天皇陛下】2人とも私の健康を心配して、負担の軽減について考えてくれていますが、公務を減らすとは言っていません。天皇の公務は、ある基準に基づき、公平に行われることが大切であるという私の考えを共有しているからです。日程の組み方などに配慮するという必要はあると思いますが、公務を大きく変えることはないと思います。

 【質問】歴代天皇の中で初めて「象徴天皇」として即位されてから15年がたとうとしています。この間、日本は超高齢化や少子化、犯罪の低年齢化、厳しい経済情勢など社会的な変化に直面しています。さらに国内外で平和の揺らぎを感じさせる出来事が後を絶ちません。陛下は平成の15年間をどのようにとらえ、また今後どのようなことに心を留めて務めを果たされたいとお考えか、皇族方に果たして欲しいと望まれていることも併せてお聞かせください。

 【天皇陛下】この15年間は瞬く間に過ぎた、という感じを受けています。この間、質問にもあったように様々な問題が起こってきています。

 この中で、高齢化の問題は極めて深刻な問題で、高齢化率は年々上昇しています。地方を旅していても、都市を離れると、高齢者が多くなるということに、高齢化率の上昇を感じます。国民みなで、高齢者をいかに支えていくか、ということが今後の重要な課題だと思います。

 近年、高齢者や障害者に対する関心が高まり、その人たちのために行政的配慮をはじめボランティア活動が盛んになってきていることは、この意味で非常に心強いことと思います。阪神・淡路大震災や、その2年前に起こった北海道南西沖地震の災害は、非常に悲しいことでしたが、救援に赴いたボランティアの活動はまことにめざましいものがあり、被災地を訪問して深い感銘を受けました。みなが助け合って、これらの厳しい状況を少しでもよい方向に向けていくことが大切と思います。

 現在の日本はこのように様々な面で厳しい面がありますが、それを昭和元年から15年までの期間と比べるとき、平成の15年間は、自然災害にはまことに厳しいものがありましたが、比較的平穏に過ぎた15年であったということをしみじみ感じます。この15年間を支えてきた人々に、深い感謝の念を抱いています。

 昭和の15年間はまことに厳しい期間でした。日本はこの期間、ほとんど断続的に中国と戦闘状態にありました。済南事件、張作霖爆殺事件、満州事変、上海事件、そして、昭和12年から20年まで継続する戦争がありました。さらに、昭和14年にはソビエト連邦軍との間にノモンハン事件が起こり、多くの犠牲者が出ました。

 国内では、5・15事件や2・26事件があり、また、5・15事件により、短期間ではありましたが大正年間から続いていた政党内閣も終わりを告げました。この15年間に首相、前首相、元首相、あわせて4人の命が奪われるという時代でした。その陰には厳しい経済状況下での国民生活、冷害に苦しむ農村の姿がありました。

 そして、戦死者の数も増えていきました。皇太子時代に第1次世界大戦のベルダン(フランス)の戦場の跡を訪ねられ、平和の大切さを強く感じられた昭和天皇がどのような気持ちでこの時期を過ごしていらっしゃったのかと、時々思うことがあります。私どもはみなで、このような過去の歴史を十分に理解し、世界の平和と人々の安寧のために努めていかなければならないと思います。

 皇族はそれぞれの立場で、良識を持って国や人々のために力を尽くしていくことが大切と思います。

 【質問】陛下は先月の鹿児島県ご訪問で、即位後47都道府県を一巡されたところですが、今度2巡目に入るトップに沖縄県ご訪問が来月、予定されています。陛下は、ご即位前から数えてすでに7回、沖縄県を訪問されていますが、その中で、様々な沖縄の人々との出会いもあり、沖縄県に対するイメージも陛下の中で変化してきていると思いますが、この機会にあらためて、陛下の沖縄県に寄せられるお気持ちなどをお聞かせ願えないかと思います。

 【天皇陛下】今度の沖縄県の訪問は、国立劇場おきなわの開場記念公演を見ることと、それから、まだ行ったことのない宮古島と石垣島を訪問するということが目的です。

 しかし、沖縄県と言いますと、私どものまず念頭にあるのは、沖縄島、そして、伊江島で地上戦が行われ、非常に多くの、特に県民が犠牲になったということです。このたびも、そういうことで、まず国立沖縄戦没者墓苑に参拝することにしています。

 この沖縄は、本当に飛行機で島に向かっていくと、美しいサンゴ礁に巡らされ、いろいろな緑の美しい海がそれを囲んでいます。しかし、ここで大きな血が流された、58年前に非常に大きな血が流されたということを常に考えずにはいられません。沖縄が復帰したのは31年前になりますが、これも平和条約が、日本との平和条約が発効してから20年後のことです。その間、沖縄の人々は、日本復帰ということを非常に願って様々な運動をしてきました。このような沖縄の人々を迎えるにあたって、日本人全体で沖縄の歴史や文化を学び、沖縄の人々への理解を深めなければならないと思っていたわけです。

 私自身も、そのような気持ちで沖縄への理解を深めようと努めてきました。私にとっては、沖縄の歴史をひもとくということは、島津氏の血を受けているものとして心の痛むことでした。しかし、それであればこそ、沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです。

 沖縄県の人々に、そのような気持ちから少しでも力になれればという思いを抱いてきましたが、そのような気持ちから、沖縄国際海洋博覧会の名誉総裁を務めていた機会に、その跡地に、「おもろさうし」という沖縄の16世紀から17世紀にかけて編集された歌謡集がありますが、そこに表れる植物を「万葉植物園」(千葉県市川市など)のように見せる植物園ができればというつもりで、提案したことがあります。

 海洋博の跡地は潮風も強く、植物の栽培が非常に難しいと言っていましたが、「おもろ植物園」(沖縄県本部町)ができ、一昨年には、秋篠宮妃が子どもたちと訪れています。そのような気持ちもあって、文化財が戦争でほとんどなくなった沖縄県に「組踊」ができるような劇場ができればと思って、そのようなことを何人かの方に話したことがあります。この劇場は、このたび開場記念公演を迎えるということで、本当に感慨深いものを感じています。

 沖縄は離島であり、島民の生活にも、ことに現在の経済状況は厳しいものがあると聞いていますが、これから何とか、みんなで、日本人全体で、沖縄県民が復帰を願ったことが、沖縄の人々にとって、良かったと思えるような県になっていくことを切に願っています。 (12/23 05:51)

http://www.asahi.com/national/update/1223/010.htm
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Emperor turns 70, renews peace pledge The Asahi Shimbun



  Emperor Akihito said the imperial family will continue to work for peace amid events that threaten stability at home and abroad.

The emperor, in a news conference ahead of his 70th birthday today, also said he is determined to carry out his official duties as usual, despite medical tests in October that showed an elevated level of prostate-specific antigens. The emperor underwent surgery in January to remove his prostate.

The emperor said that in his 70 years, he has felt much ``joy and sadness.''


``The most tragic of events was World War II, in which more than 3 million Japanese people and huge numbers of non-Japanese lost their lives,'' he told reporters.


Comparing his 15 years on the throne with the early years of the reign of his father, Emperor Showa, the emperor said, ``I wonder from time to time what feelings Emperor Showa harbored through that period, having visited the site of the World War I battlefield at Verdun as crown prince and feeling strongly the importance of peace.

``I believe that, fully understanding such history, we must strive for peace for the entire world and security for all people,'' the emperor said.(IHT/Asahi: December 23,2003) (12/23)

http://www.asahi.com/english/nation/TKY200312230137.html

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