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子ども・地域を破壊するメディア企業:検証・長崎男児転落死事件と朝日・毎日の報道検証機関(浅野健一ゼミ)
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投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 17 日 05:44:18:0iYhrg5rK5QpI

子ども・地域を破壊するメディア企業:検証・長崎男児転落死事件と朝日・毎日の報道検証機関

浅野健一ゼミ 2003年12月3日
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2003/nagasakihtm.htm

*本当に特異な事件か

二○○三年七月、長崎県で四歳の男児が駐車場の屋上から転落死した事件で、中学一年生の少年(一二)が補導され、日本全体に衝撃を与えた。この事件では少年が補導された七月九日以降、新聞、テレビ、雑誌は「法の想定外」「不気味さ」「社会に対する犯行」「凶行」などの見出しで、センセーショナルな報道が展開された。

メディアは、事件の凶暴性を強調する一方で、少年が成績のいい普通の子どもだったとも報道し、「うちの子も、事件を起こすのでは」という不安感を与えた。

長崎家庭裁判所は九月二九日、この少年を児童自立支援施設に送致する保護処分を決めた。その際、家裁は保護処分決定要旨を決定要旨を公表した。異例の詳しい内容だった。

 この事件は「誘拐殺害事件」と呼ばれたが、少年に殺意があったとは思えない。少なくとも捜査段階では、男児がどのような経緯で転落死したのか分からない。自称ジャーナリストの大谷昭宏氏はテレビ朝日の番組で転落現場からの中継で、「明らかに殺意があったことが分かる」と断言していたが、「なぜあなたに分かるのか」と言いたい。

 新聞各社は捜査官らからリークされた非公式情報に基づき、少年の「供述内容」を垂れ流した。《「殺すつもりはなかった。騒がれたので突き落としてしまった」などと話したという。》(七月一一日の朝日新聞夕刊)《「ハサミで体を傷つけると、想像以上に騒ぎ出した。このまま親のところに戻すわけにはいかないと思った。手すり越しに落とすしかなかった」》(一七日の読売新聞)。

 新聞記者は警察の取調室に入れない。どうやって、こうした「供述」情報を入手したのかを明示すべきだ。

家裁は保護処分決定要旨を公表したが、「殺害」に関しては、「防犯カメラを発見したことにより動転」し、「その場から逃げ出すことのみを考え、逃走の邪魔になると考えた被害者を屋上から突き落とした」ことを直接的な要因と認定した。

少年は自宅の集合住宅にある防犯カメラにも強く反応していたという。

この決定要旨は、メディアが報じた「殺害」に至る経過説明と全く違っている。

 メディア企業は少年の名前を伏せて報道したが、社会的処罰欲を強めた無責任な人間たちが、インターネット上に少年の実名や学校名を流し、法務省が削除を命令した。

メディアは、被疑者、被害者の両方に対する集団取材で、地域社会を破壊した。日本では、少年法第61条は、「少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、指名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」と規定しており、メディア界は少年を匿名報道している。しかし、長崎事件では、記者が少年の実名をあげて取材し、自宅や通っている学校にも押しかけたため、少年は特定された。

メディアは少年が補導される前から、被疑者が中学生であることを報道して、取材が殺到した。警察は事情聴取を急いで、校外での職場体験学習に向かう集合場所で少年を任意同行した。同級生が連行シーンを見てしまった。

地元の長崎新聞は七月一三日、《報道陣の取材活動過熱、住民から批判の声》という見出しで、集団取材の人権侵害を告発した。記事は、《「子どもがおびえている」「常識がない」など批判の声が上がっている》と指摘した上で、次のように書いた。

《中学校で開かれた緊急保護者会の終了後、校門を出た一人の保護者を十数人の報道陣が取り囲んだ。質問攻めにあった保護者が「記者会見で校長先生に聞いてください」と断った。これに対し記者の一人が「(原稿の)締め切りが迫ってるんだよ!」と語気荒く迫り、保護者が勢いに押されて話し始める光景もあった。
 育友会や学校によると、偽の「警察手帳」を見せて生徒に取材しようとしたケースや、取材を断る生徒をタクシーの車内に誘い込もうとし、別の生徒に助けられたこともあったという。また、嫌がる生徒を追い掛け、バスに一緒に乗り込むマスコミもいたという》

メディア記者は、何のために事件事故を取材・報道しているのか。「加害者」の特異性ばかりを強調する報道から、市民が学ぶことはほとんどない。

*「過熱取材」防止で申し合わせ

 長崎の報道機関の責任者たちは七月一〇日、新聞協会が先に決めた「集団的過熱取材」回避のための対応策に従って、以下のような申し合わせを行った。

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平成15年7月10日

長崎県報道責任者会議(亀山会)各位

(長崎新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、共同通信、時事通信、NHK、長崎放送、テレビ長崎、長崎文化放送)

幹事社 西日本新聞・長崎国際テレビ

 長崎市で起きた中学1年生による男児殺害事件に関連して、学校周辺の住民から「生徒が怖がっている」などの苦情が寄せられるなど、集団的加熱取材(メディア・スクラム)と思われる事案が起きています。

 亀山会では危機感を持ち、被害の防止を図る趣旨から、十日、緊急の会合を開き、以下の点について、確認しました。加盟各社は社内への周知徹底を図るようにお願い致します。

確認事項


1、補導された少年の中学校登下校時に生徒への取材や、少年の自宅前での待ち受け取材は自粛する。

2、学校現場への入り込み取材を自粛する。

3、これに伴い、長崎市政記者クラブの要請に応じて、長崎市教育委員会が関係学校長、PTA会長などとの会見を用意するよう申し入れる。

4、加盟各社は、テレビキー局など関係のある報道機関にも、上記の確認事項を守るように要請する。

                                        以上

*長崎新聞報道部長の講演

長崎新聞の峠憲治報道部長は一〇月二○日夜、人権と報道・連絡会の定例会で、東京などから駆けつけた報道陣の取材ぶりのひどさを率直に語った。

定例会には長崎新聞東京支社記者が取材に来てくれ、以下のような記事を21日付の長崎新聞に載せた。

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東京で「人権と報道」考える市民団体の集会
【東京支社】長崎市の男児誘拐殺害事件をテーマに「人権と報道」の在り方を考える市民団体の集会が二十日夜、東京都内であった。峠憲治・長崎新聞報道部長が、加害者の少年の両親に対する取材などを通して「事件の本質に迫るため、取材相手との信頼関係を地道に築くことが重要」などと指摘した。
 マスコミ報道による人権侵害の防止などを目的に活動する「人権と報道・連絡会」の定例会として開催。市民約四十人が参加した。
 峠部長が講師として取材の現状などを報告。本紙の一連の報道で、少年事件を報じる困難さに悩みながらも、報道陣の取材の過熱に対する住民の批判をまとめて掲載したり、識者を集めた緊急シンポジウムを開くなど多角的に取り組んできた経緯を紹介した。
 本紙が今月初めに掲載した少年の両親に対する単独インタビューについて「被害者の親だけでなく、加害者の親の思いも当然ある。両方報じることで事件の本質に迫ることができる。少年の両親と信頼関係を結ぶことができたのは、特ダネを取るという以上の意義を感じた」などと話した。
 参加者からは集団的過熱取材(メディアスクラム)の規制の在り方や、単独インタビューに対する反響などについて質問が相次いだ。

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この事件では、男児の遺族が少年の両親が謝罪しないことを非難し、メディアはそれを強調して報じた。鴻池防災担当相が「犯罪者の親は市中引き回しの上、打ち首にすればいい」という暴言を吐いた。「少年の両親はなぜ謝らないのか」という非難も強烈だった。

長崎新聞の記者は、少年の両親と信頼関係を築き、独占インタビューした(注1)。両親の声を伝えたのは長崎新聞だけだ。「自らを戒めようと載せた」そうだが、捜査段階でこうした記事が掲載されるのは珍しい。

両親は、自分の子どもが加害者であることをなかなか信じることができず、補導から約一カ月後の八月九日に少年と面会して、犯行を認めたので、謝罪の手紙を書いたが、遺族に受け取りを拒否されたことを明らかにした。記事は週刊誌などが伝えた家族像がいかに

峠部長は「少年側からの話は事件の本質に迫るのに必要な記事だった」「加害者の少年の両親も、ある意味で、この事件の被害者だと思う」などと語った。

少年の両親に対するインタビュー記事は、長崎新聞の特ダネだったが、なぜか両親の発言内容が共同通信と西日本新聞にも後で掲載された。

長崎新聞が一○月二日に掲載した両親との一問一答(抜粋)は次のようだった。 

《父親 すべて親の責任だと思っている。わびてもわびきれないが、わびる以外に何もできない。
 母親 これからは誠意を尽くして、生活を切り詰め、一生をかけて三人で償っていきたい。あんな残忍なことをして自分たちの罪です。家庭環境が至らなかった。一日も早く三人で謝罪に行くことを当面の目標にしたい。

 両親 一日も早く種元さんにお会いして、謝罪することができたらと思います。》

*西日本新聞に後追い記事

一○月三日の西日本新聞は《長崎男児誘拐殺人 中1両親「一生償う」 謝罪の思い語る しつけの方法後悔も》という見出しで、次のように報じた。
 《長崎市の種元駿(しゅん)ちゃん=当時(4つ)=誘拐殺人事件で、児童自立支援施設に送致された中学一年男子生徒(12)の両親が「大切な子息の尊い命をなくしてしまって本当に申し訳ない。息子と三人で一生かけて償いたい」などと遺族に対する謝罪の言葉を関係者に話していることが二日、分かった。男子生徒の補導後、両親の心情が明らかになったのは初めて。
 関係者によると、両親は男子生徒が事件を起こしたことについて「すべて親の責任であり、(長崎家裁の)決定要旨に書いてあるような発達障害についても気付いてやれなかった」「(不器用な息子の将来を悲観して)しつけを厳しくしすぎたことが、息子を追い込んでしまったのかもしれない」などと、保護者としての責任を痛感しているという。
 遺族に対する両親の謝罪が遅れたため、事件から一カ月半後に書いたという謝罪の手紙を遺族に受け取ってもらえない状態が続いている。
 謝罪が遅れた理由について「生きているのがつらく、二人で死に場所を求めてさまよったこともあった」「息子の口から話を聞くまでは、無実であることを信じてやりたいという気持ちがあった」と説明。
 しかし、八月九日ごろに長崎少年鑑別所(長崎市)で生徒に面会して以降は「息子の将来のことも考え、生きて家族で罪を償っていくしかないと思うようになった」と語った。
 謝罪の具体的な時期については「心の整理がまだ十分にできていない」と明言を避けているが、「できれば遺族のもとに会いに行って直接おわびをしたい」と話しているという。
 遺族側は公の場での謝罪を求めているが、両親の付添人の弁護士は「現在、生徒の両親と、公の場に出るのか、謝罪文を公開するのか話し合っている」と説明している。》

*共同通信も後追い

共同通信は一○月二日、《「一日も早く謝罪したい」 長崎の男児誘拐殺人で両親》という見出しで、次のような記事を配信した。

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「一日も早く謝罪したい」  長崎の男児誘拐殺人で両親
【編注】朝刊メモ(74)の(ア)本記、長崎発

 長崎市の男児誘拐殺人事件で、中一少年(12)=児童自立支援施設送致=の両親が「すべて親の責任。一日も早く種元駿ちゃんのご両親に会って謝罪したい」などと周囲に話していることが二日、分かった。
 関係者によると、両親は「一生かけて(少年と)三人で(罪を)償っていきたい」などと話しており、遺族側への謝罪の方法を考え続けているという。
 両親は少年の補導後、精神的ショックから親類とも連絡を絶って所在不明となり、七月二十三日の第一回審判にも出席しなかったが、八月になって少年鑑別所で少年に面会。その後は付添人を通じ、遺族側に謝罪の手紙を渡していた。
 一方、遺族側は「一カ月もたって、手紙一通では収まりがつかない。公の場で謝罪の意思を示してほしい」などと受け取りを拒否。手紙は代理人が封を開けず保管している。
 遺族への謝罪が実現できていないことについて、両親の関係者は「(さらに行動を起こすほどには)気持ちの整理がついていないのだと思う」と話している。
 【編注】たねもと・しゅん

----------------------------------------------------------------------------

《「すべて親の責任。一日も早く種元駿ちゃんのご両親に会って謝罪したい」などと周囲に話していることが二日、分かった。
 関係者によると、両親は「一生かけて(少年と)三人で(罪を)償っていきたい」などと話しており、遺族側への謝罪の方法を考え続けているという。》

 共同通信の記事の情報源は、「周囲」「関係者」としか書いていない。両親は共同通信の取材を受けていない。長崎の記者たちによると、少年の両親は、長崎新聞記者以外に、共同通信記事にあるような話を一切していないという。「これは盗作だ」と断言する地元記者もいる。

 長崎新聞は共同通信の加盟社であり、共同は長崎新聞から記事や写真の提供を受けることができるのに、それをせず、引用部分を盗んだとしか思えない。

メディアは被害者の男児の実名を出し、「○ちゃん」と報じた。男児の姓名を出していいか遺族に聞きもせずに、なれなれしく呼んだ。

新聞各紙に出た男児の顔写真は、県警が行方不明になった捜索時に使った写真だ。県警の提供という断り書きもなしに、死亡後に掲載している。遺族の了解はいらないのか。

 

*西日本と共同の情報源は?

両社はかぎ括弧でくくった引用部分の情報源を明示すべきだ。両社は、「長崎新聞の報道によると」という形で報道すればよかった。

私がこういうことを書くと、メディア企業は、過敏に反応することが多い。

読売巨人軍の監督問題のときの読売新聞の渡辺恒雄社長もそうだったが、マスコミ企業が当事者になった場合の周章狼狽、そして「無責任な評論だ」と批判する。「ハイエナのような取材陣」とボヤクこともある。渡辺社長が報道陣を前に、「てめーら、こういうのをメディアスクランブルというんだ」(メディア・スクラムの間違い?)と凄んだのは迫力満点だった。集団取材で人権侵害を受けたときには、

「メディア・スクラム」(media scrum)という外来語が、1999年ごろから、集中豪雨的な取材・報道による個人と地域社会の生活を破壊する「集団取材の報道被害」「取材による人権侵害」の意味で使われているが、このカタカナ表現は誤訳だ。原寿雄氏の造語だが、英語圏ではこういう意味はない。また日本新聞協会などが使っている「集団的過熱取材」という日本語も、妥当ではない。報道関係者がスクラムを組んで、集団として加熱した取材をすること自体がだめなわけではない。権力による不適切な行為や犯罪嫌疑については、もっと「過熱」すべきであろう。元毎日新聞記者、井上泰浩広島市立大学助教授によると、《「英語」では、サメの群れ(記者やカメラ・クルー)が一匹のか弱い獲物(市民)を食い物にすること(人権侵害)に譬え、「狂食」(feeding frenzy)という。加熱取材ではなく、集団狂乱取材だ。さらに、被害者の心情を無視して執拗な取材をすることをメディアによる被害者の「再被害化」(re-victimization)という。取材によっては被害者を二重の被害者にしてしまう、メディアは二次加害者になると認識を変えるためにも「集団加熱取材」「メディア・スクラム」という呼び方の変更を提言したい。ここでは、集団で襲いかかるような取材、そして人権やプライバシーをないがしろにする取材を含めて「人権侵害取材」と呼ぶ。》(「法学セミナー」2002年5月号「人権侵害の境界線を越える取材」)

*原寿雄氏のアナクロ発言

日本のメディアは、事件・事故の被害に遭った人を当然のように実名報道する。しかし、被害に逢ったことを知られたくない人もいるはずで、諸外国では、遺族の意向を聞いてから報道する国も多い。自分の姓名は自分がコントロールする権利があるというのが、国際的な流れである。

ところが、日本を代表する新聞の一つ、朝日新聞は一〇月三〇日、「被害者報道のあり方」について特集する中で、被害者の遺族が反対しても実名が原則だという論を展開した。がっかりすると共に、こんなことを言い放つ新聞社はなくなってしまうだろうと思った。

 この記事は朝日新聞の「報道と人権委員会」の委員である原寿雄・元共同通信編集主幹、浜田純一・東大大学院教授(情報法・憲法)、尾崎行信・元最高裁判事の三人による議論をまとめたものだ。

 原氏は《実名を出すのは、純粋な私人であっても、事件や事故に遭った時から公共性を帯びるからだと考えざるを得まい。運悪く被害者になった場合には、社会人として説明をする義務も負う》と発言。浜田氏は《原さんの意見は、基本的な理屈として重要だと思う。被害に遭った場合には、いや応なしに社会の脈絡に引き込まれる、という言い方になるのかなと思う》《事件や事故が起きてしまった時に名前の出るリスクは負担すべきだろう》と賛同した。

 浜田氏は《原点はやはり、人々の素朴な好奇心だと思う。それ自体は、ある一定の倫理的な水準があるわけではない》と述べた。

 記事では、長崎の少年事件取り上げて、浜田氏が「こうした少年事件は社会的な衝撃が大きいので、事件直後の記事はやはり大きな扱いにならざるを得ない」と不当に過熱した初期報道を擁護した。

一〇月一五日付の毎日新聞「記者の目」欄で、横田信行記者は、「何でも特異性に結び付けようとしている自分」への反省とともに、家裁決定についても《専門家でも、信頼関係を築いて真相を究明するには、もっと長い時間が必要だったと思う》と疑問を呈している。浜田氏の論はあまりに幼稚だ。

朝日新聞の特集記事は、また、記者が「こんな時はどうしたら?」というケースとして、次の二つのケースを挙げた。

 《A パチンコ店駐車場で強盗事件が起きた。店長に取材すると「店名が出たら、悪いうわさが立ってつぶれかねない。責任をとってくれるのか」と言われた。こういうときは、どうすればいいのだろう。

 B 2歳児が電車にはねられ、顔写真を借りに行って遺族にどなられた。なぜ写真が必要なのか、相手も自分も納得できる理由が見つからず、取材に戸惑いを覚えた。》

 原、浜田両氏が、被害者の取材は不可欠だと力説したのに対し、司会者の朝日新聞の津山昭英・編集担当補佐は、《しかし「あなたには公共的な役割があるから」という言い方では、取材に応じてもらうことは難しい》と質問している。朝日の記者のほうが、「第三者」より倫理的なのだ。

この問いに対して、浜田氏は、《確かにトラブルになりかねないからと、本来伝えるべきことを伝えないのはまずい。ホテルでの自殺の場合も似たことが起きようが、営業をする者は社会的存在だから、防犯管理をしっかりやり、事件や事故が起きてしまった時に名前の出るリスクは負担すべきだろう》と答えた。

 原氏は《 私も「店名が出るとつぶれかねない」と店長が言う事情を詳しく聞いてみたい。なるほどと思われれば、そのことを記事に書くことも考える。このケースのもう一つの課題は、報道による予測し得ない結果について、メディアはどこまで責任を負う必要があるのか、だ。たとえば「愛人と同乗していた車が大事故に遭ったが、愛人関係が世間にわかってしまうから出すな」という訴えにまで、メディアは配慮すべきなのかどうか》と述べた。

 浜田氏は、《愛人と車に乗るのなら、事故に遭って報じられるリスクもみずから負うべきだろう。何もかも新聞が責任を持つというのはおかしい》とまで言った。

 Bの顔写真について、浜田氏は《こんな幼い子どもが電車にはねられたことは、社会的なニュースだ。事故の悲惨さを伝える上で、顔写真の語る意味は大きい。遺族の同意の有無だけで判断はできないと思う。むしろ、取材の仕方や写真の選択、記事の内容で、遺族に配慮すべきだろう》と語った。

 原氏は《皆が共感を持って知り、憤り、事故をなくすにはどうするかを考えてもらうのが報じる狙いとすれば、実名や写真が出た方がリアリティーが増すことは間違いない。読者の印象も強くなり、報道の目的を達することにもなる》と発言した。

 「事件報道の意味」について、原氏は、《まず第一に、自分の周りや社会で何が起きているかを知りたいという、人間としてはごく自然な、個人的な欲求に素直に応えるのは新聞そのもののスタートだ。また、事件・事故はあってはならないし、できるだけなくしたい。それには、予防や再発防止を考えるための情報を社会が共有する必要がある。事件や事故の報道は、そういう社会的な要求に応えるものでもある。それともう一つ、重要なのが、法の適用の監視だ》と表明。

 浜田氏は《人々が知りたいという欲求が原点だという点は全く同感だ。事件報道について、「社会の正当な関心事」に応えるものであるべきだといわれるが、正当な関心事とは何か。その原点はやはり、人々の素朴な好奇心だと思う。それ自体は、ある一定の倫理的な水準があるわけではない。むしろ、どんな動機であれ、好奇心を持って追究して、ほかの人の権利とぶつかるところで正当かどうかの境界が決まる、ということではないか》と述べた。

 原氏はさらに次のように付け加えた。

《そうした個人的な欲求にどこまで応えるかが問題だ。個人的な欲求も公共的関心のすそ野を形成している。その中には極めて個人的な、例えば性的な事件や犯罪のおもしろい手口をもっと詳しく知りたいなど、きわめて特殊な個人的要求があるが、それは報道が応えるべき対象ではない。すそ野をあるところで切って、公共的関心だと多くの人が肯定できるような、すそ野の上の部分に応える。それが報道ではないか》《人命尊重は人権の基本。その人命にかかわる事件・事故報道の社会的必要性について、報道人は自信を持つべきだ。そのうえで、何をどこまで報道すべきか、被害者を始め関係者の声に十分耳を傾け、大胆な改革に取り組んでもらいたい》。

結局、被害者も被疑者・被告人も実名を原則に、行き過ぎを注意するということで、犯罪報道の犯罪を実質的に肯定した。

特集記事には、河原理子・編集委員が《被害に遭った人やその関係者の話を聴くことは大切だ》《「だれが」は地域社会にとって大切な情報であり、事件記事では実名が原則だ》《簡単に被害者の情報を消していくことで、被害者を単なる記号や数にしてはならないとも思う》などと書いて二人と大筋で同じ意見を述べた。河原氏は新聞労連の集会でも「被疑者の人権は守られているのに、被害者の人権は守られていない」と発言したことがある。分かっていないのだ。

 メディア企業の入社試験の面接で「被害者の雁首(顔写真)をとって来い」とデスクに命じられたら、どうするかという質問があるらしい。受験生の間では、「とりに行かない」と答えると落とされると言われている。

 尾崎氏の発言は常識的だったが、「被害者実名原則」に対する本質的な批判にはなっていない。原、浜田両氏の見解は時代錯誤で、報道被害の深刻さについての無知、無感覚を暴露した。こんな姿勢で新聞を編集発行していけば、新聞はつぶれていくだろう。朝日新聞はこの委員会を「第三者機関」というが、苦情の受け付けは手紙だけで、広報室が受理して判断する。委員会に「第三者」を入れているというが、現在の事件事故報道を根本的に批判しない人たちをお手盛りで選んでいる。朝日新聞は、いますぐこの二人をやめさせるべきであろう。

朝日新聞のこの特集記事には委員三人の顔写真が大きく掲載されていた。原、浜田両氏は「顔写真によるリアリティー」を強調するが、無責任な会話を続けるこの人たちの顔を見たくなかった。顔写真はこの記事に必ずしも必要ないと思う。

一〇月一四の新聞協会報によると、神戸新聞は記者の行動規範を明文化する中で、実名報道原則の見直しを検討中だ。「被害者は原則匿名、被疑者は微罪では原則匿名とし、例外的に実名とする場合を具体例で説明する」方向だという。連続児童殺傷事件で、警察情報に振り回され、取材が地域社会を破壊した反省からの改革である。

 高士薫・社会部長は、「実名原則主義と社会の意識がかい離し、読者に説明のつかないところまで来ている」と同紙に語っている。

 また、サンテレビも「事件直後の被害者取材はしない」との方針だ。宮田秀和・報道部デスクは「被害者の思いを伝えるのは事件の翌日でなくてもいい。息の長い取材が重要だ」と述べている。

 神戸新聞とサンテレビの改革に新聞、テレビの未来への希望を託したい。

――――

(注)10月2日の長崎新聞の記事の全文は以下のとおり(長崎新聞HPから引用);

「息子を一生懸命育てたつもりだが、すべて私たち二人の責任です」。長崎市の男児誘拐殺害事件で、中学一年の少年の両親は「何としても両親と社会におわびしなければ」と心に決め一日、長崎新聞社の取材にあらためて応じた。父親は終始硬い表情で、母親は時折、言葉を詰まらせながらも「これからは償いのために生きる」と誓った。
一問一答は次の通り。
―駿ちゃんと遺族、社会に対してどういう気持ちでいるか。
父親 大変申し訳ない。すべて親の責任だと思っている。わびてもわびきれないが、わびる以外に何もできない。本当に申し訳ないことをした。
母親 法が許すなら、少年院でも刑務所でも入れてもらい、普通の殺人者と同じように罪を償わせたかった。これからは誠意を尽くして、生活を切り詰め、一生をかけて三人で償っていきたい。今まで隠れたような形になって申し訳ない。深く深く反省しています。息子をきちんと専門家に治療してもらい、社会の役に立つ人間に更生させたい。
―これからの生活は。
母親 社会を不安に陥れ、長崎にいるのも心苦しいが、生きて償っていくためには長崎に住んでいくしかない。批判も正面から全部受け止め、罪を償いたい。
―事件後、どう過ごしていたか。
毎晩めい福祈る
父親 毎日、生きているのがつらかった。抜け殻のような生活で、眠れない日々が続いた。夫婦とも体調を崩し、貧血や目まいで倒れた。毎晩寝る前に、駿ちゃんのめい福を祈って手を合わせていた。息子にも「反省しながら毎日忘れずにお祈りしなさい」と伝えた。
母親 死に場所を探してさまよった。アドレス帳や免許証も処分した。
―どうして謝罪が遅れたのか。
母親 (補導から一カ月過ぎた)八月九日ごろ、付添人弁護士に連絡を取り、長崎家裁に行った後、長崎少年鑑別所で、事件後初めて息子と面会した。種元さんへの謝罪の文は書いて持っていたが、どうしても息子の犯行なのかを確認したかった。面会のとき、息子が「はい」と認めたので、弁護士を通じて謝罪の手紙を清書して送った。全然兆候が見えず、頭では息子がやったと分かっていても「まさか、あの子が…」と思った。
父親 駿ちゃんは帰らないが、息子は生きている。それを思うと心が痛んで会えなかった。
―少年の両親に対して「市中引き回し」との大臣発言もあったが。
母親 自分が子供の代わりに死刑になってもいいと思った。
―遺族の意見陳述書には目を通したか。
父親 胸が詰まってどうしようもなかった。大切なご子息の尊い命をなくしてしまい、ご両親、ご親族の方に申し訳ない気持ちでいっぱい。
母親 あんな残忍なことをして自分たちの罪です。家庭環境が至らなかった。一日も早く三人で謝罪に行くことを当面の目標にしたい。何が何でも生きて、子供を更生させたい。

―どんな子供だったのか。
犯行気付かず
母親 寂しがり屋で、買い物に行くときにはいつも付いてきた。私たちにとってはいい息子だった。息子の犯行とは全然気付かなかった。息子が自分の犯行を打ち明けられない雰囲気の家庭だったのかと思うとつらい。手足も不器用で体力もなかった。将来どうやって食べていくのか心配で、マンツーマンで勉強を教えたりした。いいところを伸ばしてあげたかった。
 本人はコンピューター関係の仕事に就きたいと言い、普通に近づけようと頑張ったことが負担だったかもしれない。周囲に相談していればよかったと、悔やんでいる。
 私がぜんそくで寝込むと優しくしてくれた。子供が変わっているとは思えなかった。気付いてあげられなかった。自分のいたらなさが犯行に追いやってしまったのだと思う。親子三人の罪だと思っている。
父親 自分は仕事人間で家庭のことはすべて妻に任せっきりだった。妻から何度も相談を受けたが、仕事の疲れもあり十分に相談にも乗れなかった。一部週刊誌などで妻だけ悪く言われるが、本当によくやってくれていた。自分の父親としての責任が足りなかったと感じている。
―長崎家裁の処分をどう受け止めているか。
幼さ消え別人
母親 息子のこととはいえ軽過ぎる。きちんと病気を治し、罪を償うまで出てきてほしくない。
父親 われわれは死んでしまえば楽だが、子供だけに責任を負わせるのではなく、子供を治していくのが償い。
母親 次の審判までを目標に生きてきた。
父親 このままでは最終審判までは持たないとも思った。
―補導(七月九日)前後はどんな様子だったのか。
母親 (補導当日は)警察が家に来て、信じられなくあぜんとした。朝食の後片付けの最中で着の身着のまま出て行った。
父親 職場で「犯人が捕まった」とのうわさが流れ、よかったと思っていた。
母親 息子と一緒に事件を報じるワイドショーを見た。息子は全然表情を変えず普通にしていた。私が「ひどいね」と言うと、息子も「ひどいね」と言った。
父親 本人は一生懸命ごまかしていたのかもしれない。
―面会のときの少年の様子は。
母親 表情がなく別人のよう。自分の子供とは思えない感じ。幼さが消えて神妙な面持ちだった。返事しかしなかった。
―今一番何を望んでいるか。
両親 一日も早く種元さんにお会いして、謝罪することができたらと思います。

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エンセンさん、みなさん、おはようざいます。

師走を迎え、急に冷え込んできたので少年が風邪をひかないか心配です。

浅野健一氏は少年の「供述」へいたるいきさつや、物証の乏しさなど、事件そのものの突っ込みや冤罪性へのコメントはしていませんが、「神戸少年事件」と同様のアプローチをしています。マスメディアの無責任な報道姿勢を批判することの中になんとなく胡散臭さを感じてはいるようです。これ以上は突っ込めないインテリゲンチアの限界を見てしまう思いです。
少年の両親の言葉は少年像を語ることで少年の無実が読み取れます。涙が出てきます。

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