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あっしらさん、初めまして。最近この掲示板を見るようになった者でこれが初投稿になります。
この事件について私もほとんど詳しいことは分からないのですが私見を述べさせていただきます。
まず、この「見殺し行為」についての是非ですが、私はこのような「見殺し」は人間としてあってはならない事だと思います。
自分たちも遭難していたのならともかく頂上にまで達する余力がある状態での行為ですから、自分たちも疲労困憊していただの救助してもどのみち助からなかっただろうなどの理屈は後付けの言い訳でしかありません。
しかし、私は彼らを声高に批判したりはしません。というのは、彼らは犯罪を犯した訳ではないからです。
彼らの犯した行為は人間としては許されざる行為ですが他人から糾弾されるものではありません。
ただ私は、おそらく彼らにとっては名誉であろうチョモランマ登頂を評価しませんし、彼らとの友人としての付き合いはごめんこうむります。
と、言ってしまえばそれまでなのですが、あっしらさんの投稿ですしこの事件にはもっと深い意味が隠されているような気がするので、ちょっと別角度からも考えてみました。
ここからは全て私の推測です。もし事実と違うところがあればご指摘ください。
前述の感想はこの福岡チョモランマ登山隊の全員が「己の目的のためには他人の命などどうでもよい」と考えていた場合にはそのまま当てはまりますが、はたして彼らはみんなそのような非情な人間だったのでしょうか?
問題は「チョモランマ登頂」という目的が個人の目的ではなく「登山隊という集団の目的」だったことにあるのではないでしょうか?
彼らは内心では遭難者を助けたいと思いつつも、それによって「集団としての目的」が達せられなくなるのを恐れて口をつぐんだという解釈もできるのでは?
そう考えるとこのスレッドは「民主国家の国民はワガママで良いのです」のスレッドともリンクしてきますね。
「集団(国家)の目的のためには個人(国民)はワガママを言ってはならない」
「個人(国民)の大多数のワガママが集団(国家)の目的を形成してゆく」
今の日本はどっちなんでしょうね。(聞くまでもないかな?)
私はよってたかってパッシングされない程度に(笑)ワガママな国民でありたいですね。