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池田大作が「自分たちの思想は世界最高を行く」とする思想は“盗作”だった[月刊 日本]
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投稿者 なるほど 日時 2004 年 3 月 11 日 23:39:20:dfhdU2/i2Qkk2
 

池田大作が「自分たちの思想は世界最高を行く」とする思想は“盗作”だった(1/3) 投稿者:ロシアチョコレート投稿日:2004/03/07(Sun) 20:19:07
『月刊 日本』2004年3月号(第8巻第3号)の30頁から貼り付け
(貼り付け開始)

「言論の自由」を守る戦いの勇者からの提言

創価学会=公明党が自公政権の“オーナー”になった!

「言論妨害問題」で当時の池田会長の「謝罪」と竹入元委員長の「秘話」との断層を見つめ直し、自公政権のオーナーぶる創価学会=公明党に節度を求める。

遠藤欣之助(元『改革者』編集長)

えんどう・きんのすけ
昭和111年山梨県生まれ明治大学卒。民社党立党ら参画。民主社会主義研究会議の『改革者』編集長、衆議院政策担当秘書を歴任。主な著書に『改革者 西尾末廣』『日本における民主社会主義のルーツ』等多教ある。

公明党の成功と既成政党の「敗北」

 創価学会=公明党の高笑いが聞こえる。
 平成15年、第43回総選挙が終わってみれば、この選挙結果たるや、民主・自由合併効果に踊る民主党の政権選択の腰の据わらないカラ騒ぎ、社民、共産の左派政党のリストラ、自民党に見る創価学会=公明党の選挙協力への卑屈な姿勢、相変わらず選挙民は醒めたままの低投票率。
 ひとり、創価学会=公明党にとっては、昭和42年1月、第31回総選挙で悲願の衆議院(25議席獲得)に駒を進めて以来の「快挙!」として、祝宴を張りたい気分であろう。
 議席は34で公示前より3議席増の少数であるが、自民党当選議席の内、推定80数名を手堅く「配下」におさめ、自民党過半数割れを救った恩人として、見事、創価学会=公明党は小泉政権の実質的支配者“オーナー”になったのだ。
 特定の宗教団体を背景に持つ政党が政権の中枢に入り、政治的権カを行使するわけだが、国民は選挙結果の事実を認めるが、結果を素直に祝福できるだろうか。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(憲法第20条)のであり、この際、「政教分離」を真剣に考えてみる必要がある。
 昭和30年、創価学会は東京都議会の出直し選挙で「汚職腐敗と戦う清潔な政治グループ」として大量当選者を出し、地方選挙に拠点を作った。創価学会の「折伏」活動の前進と共に、31年参院選地方区で国政(参議院)に初参加、公明政治連盟(公政連)から公明党を結成、汚職腐敗打破、清潔な党を売り物に、昭和44年には衆議院に47議席を占める、自民、社会に続く立派な第3勢力に成長した。
 公明党は地方選挙での経験は、東京都政を始め、手堅く「第2勢力」を勝ち取ることで実質政権与党を動かす操縦術を学習した。保守系自民党は、いずこも例外なしに無所属・派閥対立で単一勢力の結束を欠き、国政選挙系列の2分化で「自分党」そのもの、常に内紛を抱えているので、その隙を巧みに操作し、地方公明党は“票の配分”という極意で「与党の要」に育っていった。


 地方首長の選挙には、うまいというべきか、 “嫌われ者” を承知なのか、「批判拒否政党」という世評を自覚し、公明党は決してでしゃばって独自候補を出さないが、保守系であれ、革新系であれ、「創価学会=公明党」が推薦に加わった陣営が勝利するという「神話」と「実績」を積み重ねてきた。

 近年、長野県知事、横浜市長、神奈川県知事、埼玉県知事、総選挙後の高知県知事選挙では、新しい地方の時代の経験で、無党派市民の参加によって、これまでの定番のオール与党・有権者の選択を無視する愚作を避けて戦った。首長選挙ではお決まりの労働組織「連合」・創価学会=公明党など、いかにも「組織」がありますよ、といった常連の伝統的介入を必要としなくなった選挙が実際に行われた。そして例外なく勝利を収めた。
 高知県のように、自民、公明、社民推薦などちょっと奇妙な合体が見られたが、負けた。しかし依然として金国的には「公明」神話が地方政治を支配している。
 しかし、大概の地方議会では、少数の公明党が準与党として、各自治体の予算権を握り、地方政治では公明党に首長および行政の生殺与奪の権限をしっかりと握られてしまったのである。
 参議院もまた決して多数ではないが、公明党勢力が与野党のバランスを支配し、公明党が院の決定権を左右する状態に恒常化している。「児童手当の引き上げ」「地域振興券」などで見られたご褒美のような政策は、創価学会=公明党へ媚びるその代償である。
自公合意の政権運営で国家基本問題が吹き飛ぶ?

 そして衆議院である。
 自民党は保守新党の復帰で「自民党単独過半数」を維持したが、自民の過半数確保を助ける60から80数議席の確保は、創価学会=公明党の選挙協力なくしては実現できない。選挙現場の現実を見ると、自民・公明の2党の合意で運営される政権は、常に公明党に強請(ゆす)られる宿命を負っている。
 公明党の背後にいる特定の宗教団体の“意向”が政権の中枢に重くのしかかってきた、ということである。自民党が自ら招き入れたと言うほうが正直だろう。
 自民党は、選挙に際しては政権公約として、憲法・教育基本法などの見直しを表明していたが、選挙後の「自民・公明政権合意」では自民党の党是の憲法改正の主張もきれいに吹き飛んでいる。
 衆院の憲法調査会の結論はあと1年後、一定の改正要綱案を作り上げるため、自民党は積極的に世論形成すべきで、妥協してはいけない。だがしかし、お世話になる創価学会=公明党の選挙協力の麻酔に痺(しび)れ、すでに国家基本問題に対する判断が鈍り始めた。
 公明党の得意な児童手当年齢引き上げとか、介護福祉の内政問題なら、協力者への返礼程度で体制に特別な影響はないが、国家基本の憲法改憲、教育基本法の見直し、集団的自衛権・尊厳をもって自衡隊の防衛省としての位置づけ、「拉致」「テロ・独裁」制裁の緊急問題を抱える外交・防衛問題については、自民党は公明党に譲ってはならない一線があるのである。
 野党の民主党も国家基本問題を正視せずに横向き姿勢で手薬煉(てぐすね)を引いて待ち受けているし、自民党は公明党、特に背後の創価学会の意向を忖度し、多分、毅然とした日本の進むべき道、姿勢を示せない事態がこれからしばしば見られるだろう。党内からは創価学会=公明党にお世話になった代償に対して必ず不協和音が起こるだろう。
 創価学会=公明党はこうした修羅場を歓迎するだろうし、自民党は国際関係の信義の上で軍事力と向き合う政治に取り組む時、公明党の機嫌を伺いながら政権運営を余儀なくされる。公明党を「抱えた代償」はスピーディーな決定・実行など先送り、想像を超えた重荷が自民党の自尊心を痛く傷つけていくことだろう。
 公明党は、政府与党の国民からの信用が失われても、小泉首相に義理立てせずに、時に横を向くと、多分、歓迎してくれるかもしれない自民党の中の不満グループや民主党のもとに飛び込んで自民・民主の拮抗の中で得意の遊泳をしていけばいいのだ、というくらい融通無碍、余裕のある視線を送っているのではないか。
 今年は参議院選挙だ。自民党勢力を完全復調させないためには、官僚不評も手伝って参議院では自民党議席を少数に甘んじさせるのが上策。自民党の参議院過半数には6議席が不足だが、協力する側からいえば、その効果・有り難みは相手が常に不安定であったほうが歓ばれる。
 1人区勝利のためには公明党の協カを絶対的に必要とする自民党は、公明党の全国比例区票掘り起こしについて、ますます「公明党1千万票」づくりに媚を売らなければならない。一方、民主党“協力議員”(旧民社系)にも適当な秋波を送ることを融通無碍な創価学会=公明党関係者は忘れないだろう。
 組織地盤低下した今日の労働組合組織活動には尊敬のかけらも持ち合わせないが、傘下の学会員が動きやすいように、有力労働組合には当該地方区選挙に協カしつつ、永年の協カ関係で「全国比例票はよろしく」願いたい……。創価学会=公明党は連合・労動組織にも愛想を満遍なく振りまいて、公明支持票を巧妙に手にしていくことだろう。
 裏返しに言うと、自民保守系もそして野党の陣営も、あわよくば創価学会=公明党の「巨大な組織力」に縋(すが)りたいという依頼心がある限り、創価学会=公明党ご一統は、これらの近寄る群れに、多分、わが思いを懐に隠してほくそ笑んでいることだろう。
カモは自らネギを背負ってくるものだ。

変幻自在な公明党の狙う目的は何か

 イソップの童話にふさわしい話がある。
 ある日、2匹のネコが獲物をめぐって争っていた。
「これはワタシのものだ」「いいえ、俺のものだよ」。そこへ、1匹の狐が通りかかり、「どうしたの? 何々、せっかくの餌を独り占めにしなくとも、私がうまく半分に分けてやるからおとなしく待ってなよ」
 そして狐は、肉の塊を2つに分け、両手で重さを測った。右が重いと言っては少しちぎって食べ、左が重くなったと言っては左を食べ、右、左、上手に分けてやる振りをしながら、とうとう肉はなくなってしまった。
 イソップは、意地を張った無益な争いは狡滑な野郎に漁夫の利を得させるぞ、と寓話に託して教えてくれる。
 60年代以降、日本では保革対立と言いながら、地方も国政も、無益な争いの結果、仲裁の見せ掛けで見事に獲物を奪ってしまった、狡滑な狐さんにしてやられたのである。社会党・民社党などの労働組合依存の組織の衰退、共産党の硬直した政策の停滞など創価学会=公明党にはたまらなくおいしい草刈場であった。
 池田大作創価学会会長は、公明党の結成の日に次のように述べている。
「私はあくまでも仏法の指導者である。政治・経済・文化等、万般にわたる大地、土壌を作っているのであり、また作って行く決心である。政治のことは政治家に任せ、私が政治家になるという意思は毛頭ない。ただし、国民の1人として、政治を監視し、また意見も述べることは当然のことと考えている。新時代を築く公明党が立派に成長して、民主政治、民主議会の檜舞台で、大衆の信頼と期待に応えていくことを願って祝福している」(昭和39年11月17日)
 公明党は、衆院初舞台は『反自民・中道左派』を旗印に、日米安保廃棄通告を意図して、社会党に近寄り、「社公蜜月」、時に、牛歩実力阻止などお粗末な野党戦術にはまって演じていた。議会主義の党・日米安保を肯定的に選択をすすめる民社党がいたのに、マスコミ論調が反米・反安保・反自衛隊・反体制の時代だから、世論迎含の公明党は無責任野党・社会党の後塵を拝していた。
 やがて次には、特に金融界の首脳の働きかけで、「是々非々・自民接近」。これは、自民党の過半数割れに備えた財界・保守政界の思惑があってのことだろう。一夜に数千億円(当時・今では1兆円とも言われる)を特別財務として徴収する宗教法人・創価学会の潤沢な財政に群がった金融首脳との親密な友好の仲での選択であった。
 またある年は、小説家・松本清張などの働きかけで、日本共産党と創価学会の「秘密協定」などを締結する局面もあった。下部組織・公明党は、左に右に、そして極左に揺れたのだからお疲れだろう。「創共協定」は、さすがに公明党の竹入義勝委員長らの“辞任”を決意した努力で大火傷せずに収まった。「信濃町・殿」ご乱心だった。
 社公民協カ、社会党の江田三郎、民社党佐々木良作書記長時代など公明党は新しい時代の中道政治を説いた。東海大学創始者・松前重義氏なども熱心であったが、ベトナム戦争・70年安保後、「公害問題」共闘程度の協調で、国家観、日米信頼関係に踏み込んだ政権担当能力の定見などは全く見られずに、江田・民社両派もそろって選挙協力の媚薬に酔い、独自の体力も細り、やがて革新の首座を公明に譲り、その力を喪っていった。
 公明党は野党の糾合が目的ではなく、地方議会で与党の味を知り尽くしているので、いかに政権与党に接近するかが至上命令であった。宗教と政治、宗教団体と政党の関係に不安を覚える人は多いが、時流に変幻自在な創価学会=公明党の動きに人は振り回された。戸惑いと不信も忘れて擦り寄る人も出てきた。


「政治の根底には、必ず理念・思想がなければならない。理念・思想のない政治ごときは、羅針盤の無い船のごときものであって、近代政治の名に値しないのである。………しからば、現在の日本の政治は、なにをもって政治の理念としているか。残念ながら政治理念は皆無といってよいであろう。自民党を見ても、社会党を見ても、民社党を見ても、すべて政治の根底に思想、理念、哲学
がない故に、18世紀の政治と悪評されるのも当然であり、やむをえないことである。ここに、われらは、新しき日本の政治理念として、東洋哲学の真髄、日蓮大聖哲の大生命哲学を根底とする、王仏冥合の大理念をもって立ち上がったのである」(池田大作「政治と宗教』3〜4頁)
 理念もよろしいが、現実の議会活動での公明党の変幻自在の方針転換は責任政党としてなんと説明されるのだろうか。当時から創価学会=公明党は融通無碍、定見の無さを批判されてきたのである。
 しかし、究極の目標は日本の政界で社会党、民社党、共産党も埋没し、自民党が派閥政治の瓦解、単独で政権維持は難しい局面が訪れたいま、この人たちは自分たちが手を貸さなければ、日本の政治勢力はあり得ない、という自信というか、長年にわたって磨いてきた手練手管に笑みを浮かべ、当落の決め手はわが意中にありと、にわかに活気づいてきたのではないか。
 かのドイツのヒトラーが、ドイツ社民党に向かって勝ち誇った姿が目に浮かぷ。
「諸君はシャンパンの瓶のようなものである。われわれが握っただけでポーンと弾ける」
 ヒトラーは52%の過半数を握って全権委任法を通し、独裁政権、ついに共産党も社民党も解体へと追い込んだ。歴史は雄弁に語ってくれている。
 真髄を衝く冷静な批判もそれに倍加して増えればいいのだが、この頃ひと時のように、マスコミでは「創価学会=公明党」批判もいいが、彼らの裁判訴訟には閉口する、だからあまり積極的にかかわりたくない。創価学会=公明党の機関紙の印刷請負、定期的に出稿される全面広告の魅力、公正な批判精神も萎えて、ペンは鈍り「自主規制」に逃げているようである。

(続きます)

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[249]池田大作が「自分たちの思想は世界最高を行く」とする思想は“盗作”だった(2/3) 投稿者:ロシアチョコレート投稿日:2004/03/07(Sun) 20:17:15
(続きです)
得意絶頂!「選挙協力」で生殺与奪の権限

 囲碁に例えると捨石の妙というか、自らが極端に大きくならなくとも、また、全局面を支配しなくとも、石を捨てて「打って上げ」にすると、相手の石は見事に死ぬ。
 いよいよ創価学会=公明党は地方政治を掌中に収め、衆議院35年の活動の成果は「稔りの秋」を迎えたのである。
 政権与党にぴたりと付き、日本政治の方向を自在に操る実カをいま手にしたのである。たとえ自民党が単独多数であっても、閣僚ほか委員会委員長を除くと絶対多数ではない。自民党の「多数」の中身には、80議席余約3分の1は選挙協カの度合い・匙加減で常に創価学会=公明党に当落の生殺与奪の権限が握られている。
 かつて、国家基本問題を重視した反公明で無念に落選した有カ議員が、昨年年の選挙では「比例は公明に」とか、情けないお愛想を言い、自己の命の名簿まで渡して復活当選。これから以後、創価学会=公明党のカをもらわねば当選できないとなると、この人たちには創価学会=公明党のささやきは味を覚えたモルヒネ、それが病み付きの麻薬になってしまうのである。祖国日本を愛する伝統的保守を誇る白民党としては決して誉められるものではない。公明党は笑み満面、得意絶項であろう。
 だが、創価学会=公明党を心底信頼していいのか。物欲しげな自民党の創価学会=公明党の助けを頼りにするこれらの人にこの日本の運命を託してもいいのか。また一方で、公明の協カを物欲しげに期待する民主党の一部の迎合をも見て見ぬ振りでいいのか。
 公明党が政界を包む「腐敗・黒い霧」に反発して清潔な党を売り物に衆議院に出馬した頃、ライバルになった相手に参議院地方区は応援しますよ、と流し目を送りながら、都市部での議席を確実に獲得してきた。
 一方では、手近な攻略の的として先輩・民社党に「民捨党」と失礼な言いがかりをつけてきた。あの日以来の出来事などを、もう一度、創価学会=公明党の皆さんの浮かれ振りを鎮める意味で、当事者の私は振り返ざるを得ない。
 変幻自在な創価学会=公明党を政権の内部にまで招き入れてもよろしいのか、本来の民主政治を願う善良な市民は沢山いるのだろうから、時には立ち止まって、「特定の宗教団体を背景に持つ政党」の政権与党入りをどのように制御したらよいのか、お知恵をお聞きしておきたい。
 現下の政党指導者で創価学会=公明党の政権参加に対して危倶を抱いている人は中曽根康弘氏や小沢一郎氏のほかに誰がいるのだろうか。小沢氏は「特定の宗教団体と一体の政党」への危倶を率直に指摘しているようだし、選挙勝利のためにも公明党の協力は必要だという「常識」をきっぱりと否定して気概を感じる。
 政策討論、論争は大いに戦わせたほうがいい。ところが、公明党が衆議院進出以来2度目の総選挙を迦えた昭和42、43年頃の民社党は大人というか、党内では公明党の挑戦・挑発に大きな反発もなかった。どんなに攻撃を受けても、ぶたれても、「選挙協力」のまぶしい言葉に痺れ、党内の一部には公明党への反論は、相手を「刺激してはまずい」など、奇妙なほどの静けさであった。
 春日一幸、塚本三郎両氏ぐらいだろうか、愛知県下では公明党と堂々の戦いをしていた。選挙カーが頻繋にパンクさせられたり、注文しない出前の品が事務所に届いたりして、卑劣な挑戦であったが、民社は国政、県・市政とも完全勝利していた。
 不思議なのは、名古屋の地元では公明党と激烈な戦いを演じる春日さんが、なぜ箱根を越えると創価学会=公明党に「弱い」のか、話題になった。党幹部として党内の公明依存派への配慮ともう一つ、この創価学会=公明党グループは独特の調査能カというか、“下ネタ”などの恐喝まがいのことは朝飯前である。急遼、春日一幸氏が黙して書記長を辞任したこともある。(RC:銀座のホステスさんの1割以上は、学会員で全国組織「なずな会」を作っている。“下ネタ”要員?)

創価学会=公明党と言論戦――「盗作」の指摘

 公明党機関誌『公明』(42年11月号)に「中道主義と折衷・中庸主義の相違」という飛田敏彦氏の論文が載り、民社党の綱領には思想的基盤がなく、民主社会主義には思想がない。中道主義は折衷、中間のヌエ的な存在で、思想を語るに足りない。――「民社党よ、お前は人間でない」というくらい、民社党に対して大上段の批判が寄せられた。
 池田大作会長が労働組合「民労」の新組織を作る提唱をされた時だから、宗教団体が独自で、総評・同盟のほかに系列の「労働組合」を作るお考え、民主社会主義を批判する時の公明党の「人間性社会主義」に関心を抱き、シリーズで刊行していた「創価学会の思想』という本を読ませてもらった。
 その3巻『労働運動と宗教 仏法と人間性社会主義』(鈴木一弘、矢野絢也共編)を開いてみると、池田大作会長の序文、「創価学会教学部の研鎖琢磨の功は、実に全世界の思想界の最高を行くものである」というお墨付きの立派な本である。


 ところが、私の目に触れた「仏法と人間性社会主義」の項目の「U社会主義と人間性社会主義」その3「ヒューマニズムと唯物論」という中見出しによる、「マルクス」「ケインズ」「キェルケゴールとカミュ」「ヤスパース」の項目ので、彼らの「人間性社会主義」を根拠付けるさまざまな思想を取り上げているのだが、それがすべて(解釈があべこべの愛矯なところもあるが)、武藤光朗氏(民主社会主義研究会議・議長)の『社会主義と実存哲学』(創文杜刊)の書物からの無断盗作されていたのである。
 参考文献として引用ならよろしいのに、と同情したが、「民社には思想がない」という売られた喧嘩、買わずにいられない。私は丹念に調べて「盗作」を突き止め、盗用そのものを難詰するつもりは全くないが、“無断盗作”をしておきながら、「自分たちの思想は世界最高を行く」ものだという池田大作会長をはじめ、創価学会の倨傲、傲慢な態度を徹底的に批判した。
 自分たちだけが絶対的真理を持ち、絶対間違いのない不謬の真理を独占している、内なる宗教的信念は自由だが、そういう独善・驕りは民主政治の基礎の自由の魂を破壊する。宗教者は謙虚であって欲しい、というメッセージを送ったのである。
 創価学会の諸君が、「民社党には思想がない」と言うのならば、その民社党の綱領作成に参加した理論家の著書から盗作して自分たちの「人間性社会主義」の根拠とするなどという考えは、尋常な頭脳では考えられない。ましてや、武藤光朗教授は、民主社会主義の研究と普及を使命とする思想団体の議長である。
 私は盗作という「盗むなかれ」というだけで非難はせずに、盗用しながら、相手の立場を断定的にけなし、「思想はない」「民捨党」とさげすむ「創価学会の思想」に対して事実をもとに冷静な批判を加えた。
 問題はここから後の出来事である。私の文章は、民社研機関誌『改革者』(第94号・43年1月号)に「創価学会の思想への疑問」と題して、無断盗用の比較対照を添えて、自分たちの思想のみが絶対だという倨傲を諌める内容を掲載した。

 印刷所に入稿した段階で、当方が校正紙を見る前に、すでに公明党の関係者にゲラ刷りが回されており、「池田大作会長の批判の部分」だけは何とか削除して欲しいと、ある筋を伝わって「要望」が聞こえてきた。
 著者である武藤教授は、大学の授業で創価学会関係者の無断盗用を語ったすぐ後に、聴講生からの通報なのであろうか、教授の自宅に文章を担当された公明党のS参議院議員が訪ねられ、武藤教授に『改革者』掲載予定の私の原稿掲載の取り下げを陳情した。この参議院議員氏は武藤光期教授が雑誌発行元責任者の民社研議長、私が編集長であることをご存知なかったのであろうか。
 創価学会=公明党の人たちは、この後、経済界、金融関係、三菱、富士両銀行(当時)の頭取を通じて雑誌掲載を取り下げるように陳情してきたり、富士銀行の頭取・岩佐凱実氏などはよせばいいものを竹入委員長の申し出を民社党の西村栄一委員長に伝えてきたりした。上層の者に頼めば自分たちの言い分が通るという錯覚をお持ちなのか、筋違いな連絡・要請が雑誌刊行間際までいろいろ交差した。
 私たちの民社研は独立した思想団体であり、政党の干渉を受けるものでもないし、ましてや、「民主社会主義には思想がない」という批判を受けての反論なのだから、民社党の幹部から、「公明党の言い分を聞いてやって欲しい」などという常識はずれな申し出を受け入れるはずもない。
 なぜか盗用の無礼を詫びるより、彼らの申し出は「池田会長の批判だけは削除願いたい」という常識では考えられない内容の要請であった。私の批判は盗作論文を掲載して、序文に「世界最高の思想だ」とたたえる池田会長の驕り、宗教者の謙虚さに欠けているところを批判しているのだから、特定個人の部分だけを、申し出通りに削除するわけがない。
創価学会=公明党の言論妨害工作

 この問題について民社研で会議を持った時、別件で来所した前委員長・西尾末廣先生などは、「学者、論者が自己の言論を金銭や妥協で取り消してはならぬ。言論人の誉れは言論の自由を守り通すことだ。遠藤君は改革者として民主主義の命・言論の自由に賭けて断じて引いてはいけない」と、風雪に耐えた大先輩からの嬉しい励ましをいただいた。
 政治的工作裏取引を拒んだのは、政治的自由の精神によって言論・出版の自由を行使して、公開のもとでお互いの相互批判を通し、切礒琢磨をして真理を見出していきたいと願い、特定の個人のみを守ろうとする不純な非公開性と沈黙を避けたのであった。
 創価学会=公明党の特定個人のために作為のある対応は、批判をことさら拒絶する「暗さ」を感じた。
 『経済往来』に、創価学会が作ろうとしていた労働組合「民労」構想を批判した時も、2度目にはまた銀行筋の干渉で掲載を妨げられたこともある。渡部一郎氏(RC:通子の夫)の反論を受けたので再び、宗教団体の池田会長が労働組合運動に関与する動機の不純を編集者の許可を得て、再反論を寄稿したが、銀行筋に影響を受け、『経済往来』掲載は直前にカットされた。やがて同誌は長い歴史を閉じた。
 創価学会の千渉は執拗であった。いま、同会会長の秋谷栄之助(城永)氏や竜年光都議会議員などに、私はホテルに呼び出され、「会長批判だけ止めてくれ」「墨で消してくれ」、半ば閉鎖的なルームで強制的にひざ詰め談判だった。
 竜年光さんは晩年、「日蓮正宗の教義に違背」「宗教法人としての逸脱」「日蓮正宗に対する背信」で日蓮正宗の規則で破門された創価学会は、認証の教義・「日蓮正宗」と関係のない団体だから、宗教法人としての適格性に欠ける。……「創価学会はもう宗教ではない」と断定。戸田城聖師薫陶の信仰を持つ竜氏は『池田創価学会を解散させよ』(日新報道)と、本山離脱の「池田創価学会」を批判され、執念を燃やしておられる。
 私は内なる信仰の教義には門外漢であるが、宗教法人認可の是非は竜年光氏の言い分に肯けるが、それほど後年、創価学会・池田大作氏に批判を加えられる人なら、なぜあの時はあれほどまで「池田擁護」をされ、言論・出版妨害を加えたのか、宗教者なら、澄んだ眼でもう少し目利きがあってもよろしかったと思う。電話、黒枠つきのハガキなどで「銀蝿」「死ね」とか、ご一統様方からは沢山の「ご挨拶」をいただいた。
 新聞広告まで責任校了にした版下と異なり、創価学会=公明党の言論出版妨害の記事のタイトルについて当該の「創価=公明」の文字を抹消した事件までおきた。立派な日刊紙である。
 毎日新聞・内藤国夫氏は都庁詰め記者で、もし公明党が政権与党になったらどうなるか、都議会を観察され、「批判拒否体質」を持つ政治団体の実態を明らかにしてくれ、『公明党の素顔』を出版された。そしてここでも、発行元のエール出版や本人には出版妨害工作が相当加えられた。内藤氏は都庁から労働省詰めに配転、ほどなく退杜。創価学会ウオッチャーになったが早世された。
 余計なことだが、毎日新聞社は後に創価学会=公明党の印刷請負大手になった。地方新聞杜も自社の発行部数より大量の創価学会=公明党系の新聞印刷に輪転機を回す「下請工場」になっている。独立不羈の言論機関が特定宗教団体の“下請け”になったのでは、惻隠の情、言論の品格に傷をつけないであろうか。
 藤原弘達の『創価学会を斬る』(日新報道)の出版は衝撃的であった。

妨害に挫けず戦った藤原・内藤氏らと体験報告

 内藤国夫、藤原弘達など創価学会=公明党の批判書を出版し、例の如く同様の妨害工作を受けた同士として、一番先に妨害を受けた私が呼びかけ、民社研学生部主催で「われわれは沈黙しない――公明党の虚像と実像」と題して、畏友・上条末夫氏の司会で、体験者3人の言論・出版妨害の実態公開シンポジウムを開催した。(『改革者』第118号、昭和45年1月)
 昭和44年11月26日、日本海員組合本部の大会議室を借用、民主主義日本の死活的重要問題の言論の自由、公然・隠然と言論・出版の自由を奪う創価学会=公明党の被害体験を持つ3人がそろって発言した。聞く人には共感と驚きを与えた。当日は、マスコミ各社の記者・論説委員なども多数が見えていたのだが、翌日のニュース記事にはほとんど掲載されなかった。
 読売新聞は、創価学会の国立競技場開催の文化祭・人文字(RC:北朝鮮にマスゲームとカードセレクションを教えていたらしい 『北朝鮮データブック』重村智計 講談社現代新書の189頁参照)を伝えなかったということで「不買運動」を起こされていたし、当時は、各紙とも「ツルのマーク」のタブー、自己規制をしており、創価学会=公明党への批判は躊躇して、ペンは死んでいた。
 恥ずかしいことだが、民社党の機関紙記者も取材に見えていたのだが、この赤裸々な体験談は民社の新聞には掲載されなかった。当の記者は泣いていた。12月総選挙が間近に迫り、公明党の選挙協力にひれ伏した一部の願望が党内を支配していた。
 言論の自由を守れ、民主主義の本質である自由の問題が赤裸々に焙り出されたというのに、言論妨害者の数に恐れ、政党も、新聞も沈黙した。わずかに当日、時事通信社が取材し、「国内政治解説」ニュースとして配信、『週刊新潮』がこれを受けて公明党の言論妨害、民主主義の危機を伝えた。その後、『週刊新潮』は創価学会=公明党に対して一定の見識を持った批判精神で編集・記事掲載に努力している。
 この言論・出版の自由を守る戦いは議会制民主主義の党・民社党の真価を高める。大胆に選挙戦で訴えるべきだと西村栄一委員長には申し入れをした。委員長は遊説記者会見で必ず披露して大々的に、衆議院では公明党は不要なり、民社が頑張る姿を訴えますよ、という話であった。
 だが、委員長記者会見では話題は不発! 西村委員長の無念は察するが、なんと民社は同日に、佐々木良作書記長が選挙戦の真っ最中、「公民共闘」を打ち上げた。福井県で日経連専務の某氏(惜敗)を擁立し、兵庫の自分の選挙区同様に「公明支援」を頼りにした。民社党はこの時、公明党47議席の後塵を拝し、第4党の地位に転落した。
 民社党が言論・出版妨害との戦いを忘れている時、日本共産党は『週刊新潮』の報道を受け、選挙戦後半は、私たちの公開討論を元に記事を作り、党を挙げて創価学会=公明党の言論・出版妨害問題を事件として取り上げて「言論の自由を守る党」だとか、連日、号外ビラを大量に撒き散らして戦った。

(続きます)

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[248]池田大作が「自分たちの思想は世界最高を行く」とする思想は“盗作”だった(3/3) 投稿者:ロシアチョコレート投稿日:2004/03/07(Sun) 20:13:50
(続きです)
政治家、財界人が言論・出版妨害の仲介役

 内藤国夫、藤原弘達の両氏はすでに鬼籍に入られたが、私と3名は創価学会=公明党の言論・出版妨害を受けても挫けず、怯むことなく堂々と戦った勇士だが、当時のほとんどの創価学会=公明党批判者は「言論の自由の戦い」であることを失念したように、仲介者の介入とか、著書買い上げとか不純な取引をしていた。
 私は、言論の自由の戦いを日本共産党とも共闘する藤原弘達氏と異なり、言論の自由を共産党が言う資格を認めないので、弘達さんとも途中で行き違いをしたが、想像を絶する妨害と戦った固い同志であることには変わらなかった。
 自民党幹事長・田中角栄氏の仲介。
 藤原弘達氏はわれわれのシンポジウムで語ったものである。藤原宅にかかった電話。弘達さんは特徴ある声の主からだったから、
「何ですか、うちにまで電話とは……」と応えると、電話をしてきた角栄氏は言った。
「弘達ちゃん、広告だよ、創価学会だよ」
「どうかしましたか」
「あれには竹入委員長が困って泣きついてきたんだ。何とかしてくれないか。何とかあの本を出さないようにしてくれないか」
「自民党の政治家のあなたが外の政党の世話をずいぷん焼くんですね、おかしな話じゃないか」
「まあ、そういうことを言わないで、あなたとは昔からの知り合いだから、いっぺん何はともあれ会ってくれよ」
 赤坂の千代新という料亭。藤原が着くなり、角栄は、
「竹入を呼ぼうか」
「何の話だ。あなたが会いたいというから来たんじゃないか。しかし、自民党の要職にあるあなたが利敵行為じゃないのかね」
「いいや、ただ、この際はあれらに一本、貸しを作っておきたい。その代わりあなたに借りが出来るがね」
 角栄さんらしいがさつさだが、正直な話。
 弘達さんはよせばいいものを、条件は何だと聞いたら、
「再版はしない」
「知人に少し配る分以外、後は全部買い取る」ことにしよう。
「10万部だよ、初版は。自民党が買うのかね」と聞く。
「いいや、創価学会=公明党が買うだろうさ」
 弘達さんが言うのには、角栄と話をしている数日間は、誹謗中傷の電話や手紙がぱたりと止まったそうだ。見事なくらいの組織掌握力、大衆操作の恐ろしさについて藤原弘達氏は驚いていた。
 後日、日をおかずに、弘達先生は料亭「のぶ中川」に参上、竹入、矢野氏などが別室につめており、竹入氏は「行っていない」と後に証言するが、席をはずした角栄さんは、「わかった、この話はなかったことにしてくれ」、これも角栄さんらしい返事。
 しかし、「なかったことにしてくれ」と言われても、「あったことは、いまこの通り、数日間の電話は何だ」……弘達さんはきっぱりと角栄さんに言い放ったそうである。
「あなたが自民党の幹事長として、言論妨害の片棒を担ったことは奇怪千万。あなたは総理大臣にはなれませんよ。こういう民主主義、政党政治のルール違反をする者に、弘達命を賭けてでも総理大臣にはさせない」と啖呵を切ったが、金満家・田中角栄は佐藤栄作首相の後、総理大臣に就任。角栄さんご贔屓の赤坂の名亭「千代新」は、いまではパチンコ屋に変貌、「のぶ中川」も廃業。隣部屋に控える待合政治は昔の話。
 自民党の創価学会=公明党対策も次元の低い角栄的損得・貸し借りが行われ、今日に至って、本来の善良な自民支持者を失い、おおらかな保守党・自民党の基盤を崩していった。
 民社党もまた、春日一幸氏以降、塚本三郎氏など公明党と死闘を交わした愛知県では優位に立っていたが、党内は労働組合を含めて「公民共闘」に流れ、ここでも民社党の支持基盤を崩していく運命にあった。

池田大作会長講演『言論・出版妨害問題』を猛省

 池田大作会長(当時)が創価学会第33回本部総会で講演、言論・出版妨害問題について天下に詫びた。「政教分離」というあの頃のあの謙虚さを忘れてもらったのでは困るので、敢えて触れたい。
 創価学会池田会長は、昭和45年5月3日、東京両国の日大講堂で開かれた総会で、「出版妨害問題、猛省する」と次のように述べた。


「今度の問題は言論妨害の意図は全くなかったが、結果としてすべて言論妨害と受け取られ、関係者に圧カを感じさせ、世間にも迷惑をかけたことは、まことに申しわけなく、残念でならない。確かに法律に抵触するものでなかったが、法に触れないからかまわないというような独善的な姿勢で済まされる問題ではなく、まさに道義的に考えなければならない最も大切な問題だと思う。
 今回の問題については、あまりにも配慮が足りなかった。名誉を守るためとはいえ、これまで批判に対して神経過敏すぎた体質があり、それが寛容さを欠き、社会と断絶を作ってしまったことは認めなければならない。
 今後は二度と同じ撤を踏んではならない。言論の自由を守り抜くことを、私たちの総意として確認しよう」

 池田大作会長は「国立戒壇」という表現は将未使わないと明言し、政治進出は、当初謳った「戒壇」建設のための手段ではないと確言。公明党は、宗教上の目的を党の目標とする必要もないし、すべきでない。あくまで現行の憲法の定める信教の自由を遵守し、宗教的には中立を貫き、政教分離でいけばよい。――
 公明党の基本的進路を宗教団体・創価学会会長が指揮するように語るというのも、部外者には違和感を呼び起こすし、言論・出版妨害問題の反省は対外的に話す前に、何よりも当事者に詫びるのが常識なのに、一般論での「謝罪」だったように思える。
 なにゆえに、共産党との無益な争いを絶対にやめると、ことさら言わねばならないのか。言論自由の問題は、宗教次元の学会と政治次元の共産党との関係を述べ、融和を説けばいい問題なのか。
 これが後の創価学会と共産党との秘密協定につながるのだが、一党独裁の共産党との共存などナンセンスであり、言論の自由の反省なら、共産党との秘密協定でなく共産主義の独裁のドグマとは戦う決意を強めるべきではないか。
 政教分離のメニューの徹底、公明党と創価学会との関係も人事、組織、選挙活動など、その後の実態は行動が示しているように、学会と党との分離は言われるようには明確ではないのではないか。
『竹入秘話』重要発言・学会と党は「放射線」的関係

 竹入義勝公明党委員長が現役退任後、『朝日新聞』(平成10年8月26日〜9月18日)紙上で語った回顧録「竹入秘話――55年体制のはざまで」は、政教分離を表明された創価学会と公明党との関係を、竹入氏は自分自身の体験から、きわめて率直に語っている。20年にわたり公明党の委員長を務めた竹入義勝氏の話だけにこれは傾聴しなければならない。
 公明党の重要問題などは、依然として、創価学会会長の指示で決定がなされている実態を、竹入氏は正直に語っている。委員長としてのご自身の辞任の話が一番わかりやすい。竹入氏は何度も委員長辞任を言い出したことがあるという。
 最初は、言論出版問題の騒動が収まった後、「創価学会の本部で、北条浩理事長、秋谷栄之助さんら幹部に辞意を伝えた」。結局、慰留だが、竹人氏は次のように言う。
「創価学会の世界には独特の論理がある。『辞めるか辞めないかは、自分で決めることではない。任免は池田大作会長の意思であり、勝手に辞めるのは、不遜のきわみだ』というものだ」と。
 2回目、本部前で暴漢に刺された時。72年、総選挙で47から27議席に大惨敗した時。いずれも、「辞めるなら創価学会も辞めなければならないぞ」と、言われても聞き入れてもらえない。
 3回目は「言論出版問題後の対応で、政教分離を文字通り進めようとした私と、大きな変化を求めなかった創価学会との間に溝が出来ていた」と、なかなか正直だ。
 4回目は創価学会と共産党の協定の時。北条理事長から、「弟子が反対するなら破門だ」と言われ、「やむを得ません」と応えている。結局、竹入氏が委員長を辞めたのは昭和61年、夏の衆参同時選挙の後しばらくして、池田名誉会長の許しが出て、12月党大会で書記長の矢野絢也氏と交代した。
「政治家になって学会との調整に8割以上のエネルギーをとられた。公明党・創価学会の関係は環状線で結ばれているのではなく、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う」。
「宗教人に徹する」と鮮明にした池田大作氏の世間への宣言と異なり、公党の責任者の任免権まで握る宗教人の存在を述懐された竹人義勝氏の発言は、しっかりと留めておきたいと思う。
 私の関心事は、創価学会=公明党がどのような関係なのか、言論出版問題後の反省、「政教分離」が具体的に運動の中で整理されたのか、公党の党員たちが証明してくれればいいことだと思う。
 しかし、創価学会=公明党と他の政治関係者は、宗教と政治の混同を注意して理性的に対応されればいいのだと思う。
 その意味で、自民党の田中角栄という政治家は軽率な「政治屋」ではなかったか。民主政治のもとでは、言論には言論で切礒琢磨しあえばいいものを、言論の自由妨害工作をする政治集団に取り入って、自由抑制の側に立ったということ、その後の友邦と一方的に断交して中国大陸にのめりこんだ粗忽外交、国内政治では、金権腐敗、利益誘導政治に走った罪は大きい。媚中、朝貢外交の原点、品格なき日本の保守党の崩壊の源だろう。
 竹入元公明党委員長は、「助けたり、助けられたり」の角栄との関係を終生忘れないと、妨害工作の顛末を語る。
「創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった。……田中さんは、追及されると、『竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいを焼いているだけだ』と釈明していた。これには感激した。……言論問題は田中さんらに大きな負い目になった。
 選挙になると、よく、全国の候補者リストに、ところどころにアンダーラインを付けたのが送られてきた。『よろしく頼む 越山角栄』、乱暴な要求も飛んできた」
 以心伝心、田中角栄の人情の機微、苦労人の優しさは天下一品だっただろう。
 選挙を戦う者にとって、創価学会=公明党の「協カ」は心強い味方であろうし、垂涎の的であるのは確かであろうが、一服の麻薬が酔わせるように、身を崩しても忘れられない秘薬を自民党で使い始めたのが、田中角栄なのは間違いない。
 公明党の人たちがよく話したものだ。われわれには議席以上の力がある。自民党の中に秘仏のように「玉」を沈めてあると。

野党停滞・自民過半数割れ公明の独壇場――国家基本問題など

 社会(社民)党も民社党も共産党も、公明党との「協力」に揺れた時もあるが、革新という言葉の軽さとともに時代の波に洗われて淘汰されてきた。
 言論・出版妨害事件で、創価学会会長の池田大作氏が満天下に謝罪をするなどというのは、胸中察するに余りある屈辱的であっただろう。
 それに先立って、民主主義の常識として、自由社会の生命である言論の自由を守る民主社会主義の陣営は、昭和45年1月の恒例の全国研究会議において、役員のみならず参加者の合意で声明文『言論・出版の自由を守るために』を発表した。
「言論・出版の自由は、自由と民主主義とを根本信条とする思想研究団体・民主社会主義研究会議の死活的関心事である。
 われわれは、言論・出版の自由を脅かすがごとき公明党の前記の工作(注 藤原・内藤・遠藤に対する妨害)に対し、この第11回民社研全国会議に結集した意思を背景にして厳重に糾弾するとともに、この自由を断固として守り抜く決意を表明するものである。――民主社会主義研究会議」
 日本国憲法の保障する「言論・出版の自由」に対する重大な脅威となる虞のあるものだ、という強い決意を示した。(『改革者』119号・昭和45年2月号掲載)
 自由を守る戦いをよそに、ダウン寸前の公明党に誰あろうか、民社党西村栄一委員長は、池田大作会長謝罪演説の後、どのような「秘薬」が届けられてきたのか知らないが、態度が急変した。党内には、塚本三郎外多数が、国会で池田会長喚問要求を提起している時、民社党の「党を挙げて戦う」という決議もどこ吹く風、「公明党の仏法民主主義、人間性社会主義は民社党の民主社会主義と全く同じだ」……「公民協カで進もう」と、突如として西村委員長は変身、まもなく短日のうちに神に召された。民社も解党への坂道を転げ始めた。
 今般、自民党の過半数が辛うじて確保されたが、この後、参議院での自民単独過半数の回復など厳しい。衆参両院で自民の絶対安定過半数に届かない状況では、これまで見てきたような選挙協力など、創価学会=公明党の「媚薬の誘惑」が働き、国家基本問題の課題が、特定の宗教集団の掌に握られたままである。
 竹入義勝元委員長が体験を語った記事をめぐり、竹入氏に対して、言論妨害時代に乱発された悪罵、非難と似たような攻撃が、創価学会=公明党の関係者の間から、怒濤のような響きでなされていたが、本質的には「批判拒否体質」、憎悪・排他の癖は何も変わっていないのではないか。
 竜年光氏が、宗教法人としての資格に疑義を持ち、宗教法人の税制優遇に疑問をもたれているが、どのように処理されているのか。宗教法人認可届出は各都道府県から国に認証権が回ったが、当該団体の関係政党が政権に深く参画していて国による公平な検証が出来るのか、疑問である。
 宗教法人の税制優遇は「宗教」団体に与えられるものであり、当初の教理である日蓮正宗本部から破門を受けた創価学会は日蓮正宗と異なり、いかなる宗教法理の認証のもとで宗教団体を構成されているのか、竜氏の問題提起に応えていないのではないか。葬儀など友人葬、僧侶をお呼びしないのはご自由だが、宗教法人の認証教理は宗教団体の命ではないのか。
 言論妨害に挫けず、誰よりも戦いに先駆けて荒野に叫び続けた1人として静かに言いたい。新進党結集以来、公明党の友人たちと選挙を共に戦ってきたが、自由人になったいま、あえて言いたい。「公明党よ、天下の公党たれ」と、昔、『諸君!』(昭和45年3月号)で反省を促したが、もう一度言う。
 言論・出版の自由は、自由と民主主義とを根本信条とする者の死活的関心事である。都合が悪ければ自主規制でマスコミは沈黙を続けるだろうし、政党・政治家には、目の前の「利益」に立ちくらみ事の本質を忘却する癖があるものだ。
 くれぐれも、イソップの寓話に出てくる狡滑な狐に惑わされないようにしたい。選挙に勝つ、負けるは政治家・政党活動にとって大切な要諦だが、もう一段と広い心で内外時局を睨みながら、この国の政治的自由を守る研ぎ澄ませた感性、雅量だけは、お互いに持ち続けていきたい。
 特に自由民主党総裁・小泉純一郎氏は私的なことだが、結婚された夫人を選挙事務所には絶対に加えなかったという。普通は夫唱婦随で選挙活動がなされるものだと思うが、「創価学会と関係がある」奥さんは選挙事務所に入れたくなかった? 夫婦関係など興味はないが、選挙と創価学会=公明党にそれほど気遣われたのであるなら、総理・総裁のお立場は理解するが、日本国の基本問題において創価学会=公明党の時に湧き上がる情緒的な反響にも毅然とした定見で処断されることを希望しておきたい。
 これまで、与野党政治家の対公明党とのおかしな対応を見るまでもなく、選挙協力の囁きでゆめゆめ政治信念を曲げないで欲しい。言論機関は広告の魅力のほか圧カに挫けずに勇気を鼓舞して欲しい。
 ラスト・サムライ、気骨のある政治家が少なくなったが、党派を超えて、日本が辱めを受けない気概のある政治を進めるために、いま、何をすればいいのか、何をしてはいけないのか、決然と生き方を問い直したい。
 拉致、テロ、独裁――人間の尊厳と自由にかける戦いを決意して、戦後の落し物、政治と軍隊、「国軍」と向き合う政治を回復し、国家基本問題、憲法制定と教育基本法見直しなどに気概を持って取り組み、日本がだらしなく崩れていくのだけは見たくない。老若男女、志のある同志が立ち上がってもいいだろう。
 政権参加の公明党は、先輩が指摘する創価学会との「放射線的関係」を潔く越えて、国民政党としての研鑽を果たして欲しい。秋(とき)は、そこまできたのではないか。

http://members.jcom.home.ne.jp/netspace/ynippon/monthlynippon/front.htm

(貼り付け終了)

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