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http://www.al-pha.com/fp/seisho/5seisho.htm
5.キリスト教は西洋の宗教か
「日本には神様がたくさんいるのに、わざわざ西洋の神様なんて信じなくても」と、冗談とも本気ともつかないことを言われることがあります。多くの日本人は、クリスチャンも含めてキリスト教を西洋の宗教と考えています。
日本に初めてキリスト教をもたらしたフランシスコ・ザビエルがイタリア人だったこと、その後日本に来た宣教師の多くが欧米人だったこと、キリスト教(カトリック)がローマを中心に発展していったこと、プロテスタントも結局はカトリックの流れを汲んでいることを考えれば、それは自然なことかもしれません。
しかし、聖書の舞台は最初からずっと中東が中心です。ヨーロッパが登場するのはキリスト復活後、弟子達が伝道旅行に出かけた「外国」としてです。そして、聖書の登場人物もイスラエル民族が主人公で、中東に住む複数の民族が脇役です。ヨーロッパ人はもともと神を知らない外国人(異邦人)でした。
アジアのいちばん東にいる日本人にはピンときませんが、中東はアジア大陸の一部で、文化は独特ではありますが、ヨーロッパよりはずっとアジアに近いと言えます。イスラエル人は民族的にはアングロサクソン系でもラテン系でもなく、アジア系に分類されます。
後世に描かれたイエスや母マリアの肖像を見ると、いかにも「白人」的なものが多いのですが(極端なものは青い目で金髪のものもある)、実際には肌は浅黒い(日本人より濃い色と思われます)、髪も黒いイスラエル人だったのです。
日本に住んでその価値観に触れて、初めて聖書の話の意味が分かったというアメリカ人がいました。
ダビデ王が戦いの地で「喉が乾いた」と言うのを聞いた家来が、命がけで敵地の井戸から水をくんでくる場面があります。王はそれを知ると「とてもこの水を飲むことはできない。これはそなた達の血と同じだ」と言って水を地面に注いでしまいます。このシーンはそのまま時代劇に置き換えても、ぴったりきそうです。
「なんという空しさ、なんという空しさ、すべてはむなしい。」で始まる「コヘレトの言葉(伝道者の書)」は、日本人の無情感にぴったりです。
教会の音楽というとすぐにパイプオルガンを想像してしまいます。バッハやモーツァルトがその発展に大いに貢献した教会音楽は、いかにもヨーロッパ的なものとして完成されました。でも、聖書の時代にはもちろんオルガンなどはなく、単純な楽器で素朴な音楽が奏でられました。イスラエルの民族音楽は短調で、日本の民謡や演歌に共通するもの悲しい響きを持っています。
聖書を読むときに、「これは西洋のもの」という考えを頭から追い払い、アジアを土台としたアジア民族の物語として読んでいけば、もっともっと身近に感じることができるはずです。
◇中村芳子著「3日でわかる聖書」(ダイヤモンド社刊)より抜粋