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世界に蔓延した悪性伝染病、それはシオニズムと共産主義(カナンの呪い・4章)
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投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 06 日 00:41:11:YTmYN2QYOSlOI
 

世界に蔓延した悪性伝染病、それはシオニズムと共産主義

 フランクフルトのイルミナティ本部から二つのカナン人の悪が生じ、疫病のごとく、世界中に広まった。シオニズムと共産主義である。
 第一インターナショナルはライオネル・ド・ロスチャイルド、ハインリッヒ・ハイネ、カール・マルクスから成り立っていた。ワイスハウプトは、1830年、八二歳でこの世を去った。そしてイタリア人革命家ジョゼッペ・マッツィーニが彼の跡を継いだ
 マッツィーニの指導のもと、イルミナティはその方策を直接行動に転じ、革命の勃発、政権の転覆と奪取を公然と目ざした。国際労働者同盟は行動主義というこのプログラムの第一歩であり、それは最初、イルミナティの一分派「正義者同盟 」として知られた。一八四七年、この一派はカール・マルクスに『共産党宣言』を書かせた。一八四八年に出版された『共産党宣言』は、各国のフリーメーソン支部の力で、たちまち世界中に流布した。長い政治的キャリアを通じて、マルクスがイエズス会やフリーメーソンと積極的に行動を共にしたのは周知のことだ。一八六四年、マルクスはロンドンで世界労働党を組織し、一八七二年にはそれをニューヨークに移して社会党と合同させた。アメリカで、マルクスはコラムニストとしていくつかの 新聞社から俸給を得ていた。これはフリーメーソンによって彼に手配された仕事口だった。
 一八六〇年、マッツィーニはアルバート・パイクをアメリカのフリーメーソンの長に指名した。パイクがフリーメーソンに加わってわずか一〇年後のことである。一八七〇年一月二二日、
マッツィーニはパイクに書簡を宛てた。内容はフリーメーソン全体を支配する高位階の秘密フリーメーソンから成る最高支配評議会の設立計画についてだった。それによれば、この最高評議会についてはフリーメーソンのいかなる組織も知ることは許されないとされていた。この指示は今日も生きつづけ、大部分のフリーメーソンは、そのような評議会など組織内のどこにも存在していないと強硬に反論する。が、チャールストン、ローマ、ベルリンに本部を構えた新パラデューム儀礼として知られるものには三つの評議会が含まれていた。この三つの評議会の長はアーキュラー・ミスティカ・マジック・ボックス(初期の無線通信機と推測される)によって毎日連絡を取り合っていた。当時、世界にこのような機材は七機しか存在していなかった。
 世界中に革命の動きをもたらしたもう一つの悪、シオニズムは世界中のユダヤの力を一つの運動に集結し、世界の至高世界権力としてイスラエル国家を建設することを目的としていた。ソロモンの神殿を再建し、そこに世界の富を蓄えることはフリーメーソンの公然たる目的でもあったから、シオニズムはもともとフリーメーソンから生じたことになる。それは最初、「改革派ユダヤ教」と呼ばれたが、グレイツの『ユダヤ人の歴史(History of the Jews)』には以  下のように記されているーー「ユダヤ人フリーメーソンの最初のロッジは(マイン河畔の)フランクフルトに置かれ、ユダヤ教改革運動の中心となった。」
 一八四二年、フランクフルトの改革派(ユダヤ教)友の会は以下のような指針を打ち出した。
 @バビロニア<タルムード>の律法的権威の否定
 A救世主によるエルサレムへの帰還の否定
 B日常語による寺院典礼
 Cシナゴークでの男女の区別の廃止(正当派ユダヤ教によって常に求められてきた男女の区別をおこなわず、女性も男性の横に座ることが認められた)
 改革派ユダヤ教はシオニズムだけでなく、いくつかのプログラムにも着手した。たとえば世界教会主義(他の宗教の指導者および会衆との積極的協力)やフェミニズム(男女平等)がそれだが、何より重要なのは、救世主がこの世に現われ、信徒をエルサレムに連れ帰ったりはしないということで、政治的行動主義すなわちシオニズムに訴えて、目的の実現を図ろうとすることになったことだった。この政治的シオニズムを真っ先に唱えたのはフランクフルトでマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと親しかったラビのヒルシェ・カリシャーだった。そし てモーゼズ・モンテフィオーレ卿、世界イスラエル同盟の設立者アドルフ・クレミューがこの新たな運動に勢いをつけた。この運動の目的はカール・マルクスの親友モーゼズ・ヘスの著書で大々的に発表された。旧ソヴィエト政府がイデオロギーとしてはシオニズムに反対する姿勢を打ち出していた事実を思うと、これはかなり皮肉な話しだ。
 いずれにしても、モーゼス・ヘスは「シオニズムの父」として知られるようになり、彼の著書に大きな影響を受けて行動主義に転向したジャーナリスト、テオドール・ヘルツルは、今では「シオニズム国家の父」として知られている。ユダヤ百科事典によれば、モーゼス・ヘスは、パレスチナへの帰還を求めつつ、改革派運動を指導したユダヤ人社会主義者であり国家主義者とされている。ちなみに、テオドール・ヘルツルが大きな影響を受けた著書とは彼の主要著書『ローマとエルサレム(Rome and Jerusalem)』のことである。

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