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上原勇作陸軍元帥直属の陸軍特務、吉薗周蔵の手記に注目する(落合莞爾「ニューリーダー」誌連載)
投稿 平成16年02月28日00時42分
太田龍の時事寸評
平成十六年(二〇〇四年)二月二十七日(金)
(第八百六十七回)
http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
○月刊「ニューリーダー」誌に、落合莞爾氏の「陸軍特務吉薗周蔵の
手記」が連載されて居り、平成十六年三月号で、九十七回目。
○「吉薗」の「薗」は、滅多に使われない漢字で、その読み方が分ら
ない。
○一応、薗(その)、吉薗(よしぞの)、と読んで置く。
○筆者は、この連載を、途中から読み始めて居るので、この吉薗周蔵、
と言う人物の素性が分らない。
○平成十六年三月号(「ニューリーダー」)の第九十七回目によると、
周蔵の祖母、三居こと吉薗ギンズルが、昭和六年、九十一歳で亡く
なった。このギンズルは、天保十二年(西暦一八四一年)生れ、
そして、このギンズル女は、元帥上原勇作の叔母にあたる、とある。
○上原勇作陸軍元帥は、薩摩藩の最後の大物、として知られて居り、
大正昭和初期、日本陸軍、ひいては日本の国家中枢の実力者の一人。
○吉薗周蔵は、この上原陸軍元帥直属の「陸軍特務」であったと言う。
○この関係は、吉薗周蔵が、上原の親戚であったことに由来するもの
であったわけだ。
○吉薗ギンズルは、薩摩武士、四位次兵衛の娘に生まれ、宮崎の郷士
吉薗家の養女に入り、京都で、下級公家、堤哲長の子、林次郎を生む。
林次郎の長男が、周蔵。
○ギンズルが上原勇作の叔母、とあるが、そのギンズルが世話をして、
吉薗周蔵は、上原元帥の特命を帯びて、大正昭和前期、秘密諜報工作
活動に従事して居た、と言うことである。
○その吉薗周蔵は、死後、克明な日記を残した。
○周蔵の死後、遺族がそれを大切に保管して居り、
落合莞爾と言うひとが、吉薗家の許可を得てそれを閲覧し、それを
もとに、「ニューリーダー」誌に長期連載中、と言う次第である。
○これで、吉薗周蔵と上原元帥との長期に亘って続いた特別な関係の意味
と根拠が、腑に落ちた。
○吉薗周蔵と言う人物のこうした役割からすれば、その名前その業績が、
全く、人目に触れず、知られることもなく、まして公式の歴史、マスコミ
報道には、全く登場して来なかったのも、当然であろう。
○注目すべきことは、
落合莞爾氏が、吉薗周蔵手記にもとづいて、上原勇作陸軍元帥は、
ユダヤ陣営の人物であることは疑いの余地なし、そして、米国留学
時に、フリーメーソンに入会加盟して居たことも確実である、として
居られる、その説である。
○改めて、この「陸軍特務吉薗(よしぞの)周蔵」問題に焦点を当てる
必要を認める。
(了)