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(回答先: 金 <ゾラ・セレクション>第7巻 エミール・ゾラ著 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 03 日 08:04:32)
件 名 : [新刊案内] マルク・クレポン著 白石嘉治 編訳 『文明の衝突という欺瞞』
差出人 : noriko
送信日時 : 2004/02/02 19:41
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マルク・クレポン著 白石嘉治 編訳 『文明の衝突という欺瞞』
[原著] Marc Crepon L'IMPOSTURE DU CHOC DES CIVILISATIONS
Editions Pleins Feux , 2002
新評論 2004-01 iSBN4-7948-0621-3 \1900+税
http://www.shinhyoron.co.jp/
http://www.shinhyoron.co.jp/books/newb/0621-3.htm
[目次]
日本語版への序文
第1章 文明概念の問題
第2章 恐怖を作り出す文化,敵を作り出す文化
付論 『文明の衝突という欺瞞』を読むために
1 法・歴史・政治 …… 桑田禮彰
2 文化の力の追求 …… 出口雅敏
3 文化と翻訳 …… マルク・クレポン
編訳者あとがきにかえて
講演会[2004-1月 = 終了]案内から転載
http://www.shinhyoron.co.jp/event031225.htm
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■ マルク・クレポン(Marc Crepon)氏略歴
> 1962年生まれ. フランス国立科学研究所(CNRS)研究員. 専門領域は哲学. とりわけ言語とナショナリズムの関係に焦点をあてた著作活動を展開している. おもな著著として『精神の地理学』(1996), 『言語の悪しき
霊』(2000), 『言葉の約束』(2001)がある.
■ 『文明の衝突という欺瞞』要旨
> 9月11日のテロ攻撃以来, ハンチントンの「文明の衝突」論が再浮上する. それは, 米国の一連の武力報復を暗黙のうちに正当化する. この状況に対して, 著者は「文明の衝突」論が文化本質主義に基づく議論であること
を明快に説く. また文化本質主義を前提するかぎり, われわれの世界が「恐怖と敵を作り出す文化」に蝕まれていくと警鐘を鳴らす.
>
> これまでも学術的なレヴェルでは, ハンチントンの議論の難点が数多く指摘されてきた. だが, クレポン氏のように, 状況に介入しつつ理論的な批判を行う試みはなかった. さらにクレポン氏が日本語版のために書き下
ろした付論「文化と翻訳」では, ベンヤミンの翻訳論を出発点としつつ, カントの永遠平和論への回路が探られる. それは, 同じく付論に収録された桑田禮彰氏「法・歴史・政治」, 出口雅敏氏「文化の力の追求」の論考と
ともに, 今後いっそうの困難が予想される状況への確かな視座を提供するはずである.
■ 文化をめぐる言説のインフレーションに抗して 編訳者・白石嘉治 (しらいし・よしはる)
> 小泉とブッシュが首脳会談で「グレート・リーダー」「ストロング・リーダー」と呼び合う. 自衛隊のイラク派遣を目前に, いわば剥き出しの愚かさが露呈している. 石原についても同様である. 彼は排ガスのように失
言を撒き散らしながら, アニメ, カジノ, 監視カメラに執着する. これらに対する追認と忍従. われわれはどこかで, 批判の回路を見失ってしまったのではないか?
>
> クレポンの『文明の衝突という欺瞞』が指し示しているのは, こうした状況に対する批判の糸口である. 9・11以後に再浮上したハンチントンの「文明の衝突」論によるかぎり, 「西洋」と「イスラム」の戦争は避けられ
ない. 米国の中東地域への愚行がこうして正当化される. それに対して, クレポンは「文明の衝突」論が前提している文化本質主義を批判する. 文化本質主義とは, 文化的特徴を自然の法則のように変わらないとみなす立場
である. そこには, 異質なものを排除する暴力, 「偽装された人種主義」が潜んでいるのである.
>
> われわれにとって, こうしたクレポンの批判の持つ意味は貴重である. なぜなら, 日本文化(ないし日本人)の独自性を強調する本質主義的な言説が, 政治的な対米従属をいわば癒すために要請されているともいえるか
らである. だからこそ, 小泉がブッシュに迎合すればするほど, 人々は「文化人」石原の人種主義的な言動を欲望するのだろう. クレポンの議論は, この悪循環を断ち切る手掛かりとなるはずである.
>
> さらにクレポンは, カントの「永久平和論」を支持し, そのハンチントン批判を「人類の単一性」という語で結ぶ. この素朴さにたじろぐべきではない. カントの「永久平和論」と同様, クレポンの議論は見掛け以上に
したたかである. そのことは, クレポンが日本語版に寄せた論考「文化と翻訳」からも窺える. 彼はそこでベンヤミンの翻訳論を援用しつつ, 文化における普遍的なものを措定する可能性を語る. 「人類の単一性」への信頼
とは, 文化をめぐる言説のインフレーションに抗して, われわれが『文明の衝突という欺瞞』を手掛かりに思考すべきもう一つのことである.
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編訳者あとがきにかえて より 抜書き
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私が本書の翻訳を新評論の山田洋氏に持ちかけたのは, イラク反戦運動が高揚していた2003年の2月末. 米国の中東における愚行がなし崩しに追認されていたが, それは「文明の衝突」の不用意な流通と無関係ではないとい
う直感があった. 実際, 反戦を唱える者たちですら, 米国の戦争を正当化する「文明の衝突」を踏まえた議論をするという奇妙な光景が繰り広げられていた. たとえば, ある者は「文明の衝突」という現実から逃避してはな
らないと説き, またある者は共同主観としての「文明論的反戦」を掲げていた. とはいえ, 翻訳を申し出たときに, イラク侵略戦争を追認する回路の中で「文明の衝突」が果たしている役割について, 私に明確な考えがあっ
たわけではない. ただ, クレポンの書物の翻訳を通じて, 自分を取り巻いている状況を何とか理解したいという気持ちが強かった …… 個人的には, 本書をめぐる議論と翻訳作業を通じて, 日本における文化本質主義的な言
説の編成がより明瞭になった. それは米国に隷属した政策と無関係ではない. つまり, 米国に対する政治的な無力をいわば癒すために, 「文明の衝突」論のような文化の独自性を戯画的に強調する言説が要請されているので
ある. この政治と文化の悪循環の中で, 日本政府が米国に迎合すればするほど, 人々はたとえば「文化人」としての石原都知事の人種差別的な妄言を欲望するのだろう. こうした悪循環を絶ち切るためにも, 文化は批判的な
自立性を取り戻すことを迫られている. 本書がささやかながらも, その一契機となればと願っている. ……
http://www.freeml.com/message/chance-forum@freeml.com/0017485;jsessionid=eqsn44we71