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田原牧さんに聞く ネオコンの出自はトロツキスト
米国の原理の下今でも世界革命目指している
2003-7-25
利害関係超越した思想集団
キリスト教右派との同床異夢
反ソ反スタに転じたトロツキスト
日本など眼中にないネオコン
田原牧さん
利害関係超越した思想集団
――ずばりネオコンとはどんな人たちですか?
★今のブッシュ政権を突き動かしている原動力はネオコン(新保守主義派)だといわれます。しかし一口に「ネオコン」といっても、何か一つのメンバーシップがあるわけではないし、内部的にも一枚岩ではありません。ネオコンがアメリカ政治の中で画期的なのは、一言でいえば彼らが思想集団・戦略集団だということです。今までのアメリカ政治は、利害調整型の政治が基本でした。民主党であれ共和党であれ、人種的な共同体など様々な利益集団の利害と意見を代弁し、路線の方向性が左右されてきた。
ところが、ネオコンはそうした利害調整型の政治とはかけ離れています。ネオコン自体、今は共和党ですが、民主党の時代もありました。二大政党なんて道具として使い易い方に属せばいいぐらいにしか考えていません。自分たちが頭の中で思い描いてきた世界を地球規模で実体化すること、それが彼らの背骨です。
ネオコンの人たちの世界観は、人によって多少のばらつきがありますが、だいたい次のようなものです。アメリカ型の民主主義を世界に強制すること。これが第1点。第2点目に、イスラエルの中東支配成就の手伝いをアメリカにさせること。その手段としては「先手必勝」の先制攻撃戦略です。
欧米諸国をはじめ20世紀の国際社会の基本的な論理は、戦争にもルールがあるというものでした。ふたつの世界大戦を経ることで、相手を勝手にぶん殴ってはいけない、国際的な合意・理解を抜きに他国を攻撃してはいけないという「抑止」の発想が一応あったわけです。ところがネオコンは、自分たちから見て不正義なものに対しては、先に殴って潰してしまえと主張する。ここが非常に画期的であり危険な側面です。
戦後日本では、新旧左翼も市民運動も、さらには進歩的知識人と呼ばれる人たちも、平和主義や進歩主義を主張してきました。アメリカでも、たとえばチョムスキーなどはそうですね。彼らはおしなべて平和主義や戦争にもルールがあるといった考え方を文明の進歩だと考えてきました。
ところがネオコンは、そうした20世紀の平和主義や進歩主義といった営為そのものを否定します。そんなのは文明の進歩でもなんでもないという。文明の進歩とは何かというと、大惨事が起きるのを未然に予防することだとネオコンは考える。
こうした発想は、彼らの先生役の一人レオ・シュトラウスという政治哲学者から学んだものです。ナチス・ドイツに迫害されアメリカに亡命して来たシュトラウスは、何か惨事が起きた後に、その意味合いは何かなどと論じる既存の政治学や政治思想を否定します。大惨事を発生させないようにすることこそが政治学の真髄だという。ナチスのような危険因子は事前に排除しなければならない。こうした考え方が、ネオコンの先制攻撃戦略のバックボーンにあるわけです。
――ネオコンは軍需産業や石油資本と結びついているのではないのですか。
★軍需産業や石油資本と結びついているのは、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官なども同じですが、彼らはネオコンではなく、右派の軍事強硬派です。よりお金儲けに傾いていますが、ネオコンは軍需産業との結び付きでもその世界戦略実現という「大義」の色合いが濃い。単なる金儲けのためではない。
ブッシュ陣営に入る前、ネオコンは、チェイニーやラムズフェルドに飯を食わしてもらっていたという経緯があります。共和党の中に「PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)」が創設されたのは1997年。ネオコンはPNACでチェイニーやラムズフェルドに可愛がってもらっていた。つまりチェイニーやラムズフェルドはネオコンのスポンサー。ある種一蓮托生ではありますね。
もうひとつ、もともと「中東屋」の私が注目するのは、ある意味、ネオコンに非常に類似しているのが、アル・カーイダあるいはウサマ・ビンラーディンなどのイスラム急進主義の中の一派だということです。
非常に乱暴な見方かもしれませんが、どういうところが共通しているのかと言えば、ひとつにはネオコン自体は数十人単位の、極少数のインテリゲンチャの集団です。彼らは別に軍人ではありません。同じように、ビンラーディンたちも、インテリゲンチャといいますかイスラム法学者、イスラム法を世界的にきっちりと展開したいと考えている人たちです。そういう意味ではビンラーディンたちも、やはりひとつの思想集団です。
ネオコンもビンラーディンも、近代の国境であるとか、あるいは民族の自決権、さらには国家主権といったものを超えてしまっている人たちです。少なくとも世界観、視点としては、国境や民族、国家といったものはもう邪魔、大したものではないと考えている。ある意味、非常にバーチャルな人たちなのです。
ネオコンもビンラーディンも少数思想集団なのですが、両者を取りまくマジョリティに圧倒的な影響力を与えている。ネオコンの場合はアメリカ国民、ビンラーディンの場合は世界のイスラム教徒です。もちろんアメリカ国民もイスラム教徒も大半は非常に穏健な人たちです。しかしイラク戦争の熱狂一つみてもアメリカの大衆は、明らかにネオコンの側に引っぱられています。
一方、イスラム教徒にしても、ビンラーディンのやっていることを即座に受け入れる人は極少数にすぎません。しかしアメリカがイスラム諸国を攻撃すればするほど、ビンラーディンはイスラム教徒からある種のシンパシーを集めることになります。ガタガタ議論しているよりもビンラーディンのいう「聖戦」の方が正しいのではないかと感銘を受ける人たちが増えていく。
日本の政治もそうですが、これまで銭金・利害が基本的なファクターでした。でもネオコンの人たちは、大金を稼ぎたいから今の世界戦略を発動しているわけではありません。ビンラーディンにいたっては、サウジの大金持ちだったのに、あえてそれを放棄して、やりたいことをやっている。この人たちは、小市民の穏やかな平和など眼中にありません。存在そのものがオーラを発しているような、非常にインパクトのある人たちなのです。そこがネオコンとビンラーディンに共通する恐さです。
キリスト教右派との同床異夢
――キリスト教右派とネオコンとはどんな関係なのですか。
★実際にネオコンの手足になって、彼らを支えているのはキリスト教右派です。キリスト教右派の力については、日本ではきちんと認識されていないように思います。今私のいる同志社大学神学部一神教学際センターの森孝一先生が面白いことを言っています。アメリカのキリスト教右派の政治勢力を日本の政治シーンの中に置き換えると創価学会─公明党の約2倍の政治勢力になるというのです。政治というものは、足し算・引き算ではなく、むしろ掛け算・割り算のようなところがある世界ですから、創価学会の2倍の勢力というのは、政権取りを十分争えるだけの勢力です。
私のイメージとしては、キリスト教右派をいわば手足とし、その頭脳部分をネオコンが握っている。ブルドーザーの運転手がネオコンで、キリスト教右派がブルドーザーの本体みたいな感じですかね。
──大衆を前衛が指導するボリシェビズムみたいですね……(笑)。
★それは私も感じています。でもキリスト教右派とネオコンの接点は、本来それほど無いはずなのです。まずキリスト教右派とネオコンは思想においては全く相容れない。例えばネオコンは国際主義、キリスト教右派は基本的にアメリカ一国主義です。もうひとつ、これは当たり前ですが、キリスト教右派は宗教勢力。ネオコンは世俗勢力です。
さらに言えば、キリスト教右派の人たちは一般的に「ユダヤ人嫌い」ですが、ネオコンの多くは在米ユダヤ人です。キリスト教右派の中のウルトラ右派の人たちは、今でも南部などではミリシア=自警団と呼ばれる民兵組織を持っています。この人たちに至っては、アメリカを悪くしたのは黒人とユダヤ人だと言って憚らない。
そもそも相容れないネオコンとキリスト教右派がくっついたのには、やはりいくつかの要件がありました。ひとつにはネオコンが道徳主義・倫理主義を訴えるようになったことです。60年代中盤から後半にかけてのことですが、当初アメリカでは非常にショッキングに受け取られました。
というのは、激しい差別をうけてきたユダヤ人は人権問題などには鋭敏で、特にニューヨークのブルックリンといった貧乏人街出身のユダヤ系知識人は、非常に進歩的と当時一般に思われていました。その人たちが突然、国家がポルノに対する検閲を行うべきだとか言い出した。ポルノが悪い理由というのが、さすが元トロツキスト――これについては後で話します、ポルノは資本主義の腐敗を最も象徴しているものだから悪いというのです。アーヴィング・クリストル――今のウィリアム・クリストルのお父さんはそう語っている。
アメリカのキリスト教右派の人たちの理想郷は、NHKでも放映している「大草原の小さな家」ですから、ネオコンの道徳主義と共鳴するところがある。少なくとも悪くはない。理解し合えるところがあるわけです。 第2点目。これが一番大きいと思いますが、ネオコンもキリスト教右派も、イスラムの脅威を強調します。イスラムの世界的な復興運動の流れはずっとあるわけですが、79年のイラン革命を一つの転換点に80年代、90年代と急速に拡大していきます。そうしたイスラム復興の流れに対して、キリスト教右派は宗教的な意味で危機感を持ち、ネオコンはイスラエルの防衛という立場から危機感を持った。イスラム復興の脅威、それがネオコンとキリスト教右派を結びつけたわけです。
第3のポイントは、これは『ネオコンとは何か』にはあまり書かなかったのですが、ネオコンが在米ユダヤ人の現状について非常に不安を覚えている点です。在米ユダヤ人は、世俗主義(secular)の人が大部分ですから、他宗派との婚姻がどんどん進んでいます。ユダヤ教というのは基本的に母系で、一般にユダヤ教徒の母親から生まれた人がユダヤ人です。他宗派との婚姻が進み、将来的にアメリカ国内のユダヤ人コミュニティが弱体化した場合、今みたいに活発なロビー活動が不可能となる。そうするとイスラエルに対する保障ができなくなりかねない。そこでユダヤ人コミュニティの代替物としてキリスト教右派に眼をつけた。これがもう一つの理由としていわれていることです。
反ソ反スタに転じたトロツキスト
――ネオコンは今後もブッシュ政権に大きな影響力を行使し続けるのでしょうか。
★保守中道派の巻き返しは十分あり得るでしょう。けれども、少なくとも現状においてはネオコンがまだリードしているのではないでしょうか。ネオコンは大衆の心をつかむ術に非常に長けていますね。例えば、イラクの大量破壊兵器がいい例です。実際に大量破壊兵器があろうがなかろうが、戦争で勝ってしまえば「勝てば官軍」だと高をくくっている。そんなのは反則なのですが、「民主主義の回復」という政治目的を達成するためなら、どんな手段も正当化されるというのがネオコンの考え方です。その「大胆さ」は侮れない。
――自分たちは絶対的な正義だと信じているわけですね。
★自分は正義だと思いこんだ奴は強いですからね。ところでネオコンが「思いこんだ」のは、昨日今日の話ではありません。実はネオコンの出発点は、レーニン主義、ボルシェビズムなのです。私が『東京新聞』の記事に、ネオコンはもともとトロツキストだったと書いたとき、意外と反発が少なかった。一部届いた反論も有り体な話で、ネオコンは要するに転向者なのだから、トロツキズムと関係ないという反論です。でもそんなのは反論にもならない。
今現在の政治主張がなんであれ、イズムといいますか、物事を考える時の癖や傾向というものは、若いうちに仕込んだ発想が生涯ついて回るものです。例えば西部邁さんや亡くなった清水幾太郎さんは右派だと言われますが、既存の右翼勢力――例えば玄洋社の流れの右派などとは、明らかに発想が違う。ネオコンにも同じような側面があるのです。
ネオコンは誕生してから50〜60年になります。彼らは元々はアメリカ社会主義労働者党(SWP)というトロツキスト党に属していました。ソ連が1939年、独ソ不可侵条約でナチス・ドイツと手を結んでしまう。第四インターの指導者トロツキー自身は、ソ連を労働者国家として評価し擁護するという立場をとっていました。
これに対してアメリカ社会主義労働者党の当時の幹部は、トロツキーがなんと言おうと、ナチスと手を結ぶようなソ連を労働者国家として擁護することはできない。労働者国家擁護ではなくて、いわば「反スタ(反スターリン主義)」でいこうと主張し激しい党内論争が始まります。ここで「反スタ」を主張したのが、もともとのネオコンの根っこになった人たちです。
その後の彼らの転身は急速で、50年代初頭の朝鮮戦争では、アメリカの介入――米軍派遣を積極的に応援するようになります。それはもう「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という感じで、この世の諸悪の根元はスターリンのソ連だと、とにかくソ連攻撃を徹底的に行う人たちになっていきます。
――なにか日本の革マル派に似ていますね。
★70年代当時、ネオコンは民主党の中にいました。基本的な主張は反ソ連、とにかくソ連をやっつけろ。そのためにアメリカはどんどん軍拡し、ソ連包囲のウイングを伸ばさなければならないとネオコンは主張していました。
ところが70年代は、ベトナム戦争の後遺症でアメリカがどんどん内に籠もっていった時代です。ネオコンが表舞台に登場する機会はなかった。そこに1979年、ネオコンにしてみれば一種の「神風」が吹く。イラン革命があり、翌年にかけてソ連のアフガニスタン侵攻が開始されます。ニカラグア革命も起きる。
こうした事態の進展に対して1981年、「強いアメリカ」を掲げるレーガン政権が誕生します。ここでネオコンは一気に羽ばたく。レーガン時代にネオコンは、国防総省のなかに根付き、軍需産業とも結合して政治的な物質力を蓄えます。その後、イラン・コントラ事件に打撃を受けて水面下に潜ることになりますが、ブッシュ・ジュニア政権の誕生と共に全面的に政治の表舞台に出てきた。
もう一つネオコンの特徴は、ふつう保守というのは、社会福祉をなるべく少なくして「小さな政府」を求めます。ところがネオコンは社会福祉に熱心で、民主党のニューディールをも高く評価する。旧来型の保守の「自由化と小さな政府」といった発想とは180度違う。ネオコンは社会主義的な傾向を色濃く引きずっています。いずれにしてもネオコンの出発点はトロツキズムです。彼らが夢想するのは今でもやっぱり具体的な中身は違えど民族と国境を越えた世界革命・永続革命なのでしょう。
日本など眼中にないネオコン
――ネオコンは日本についてどう考えているのでしょうか。
★最近のネオコン系知識人の新聞インタビューを読んでも、日本なんてどうでもいいといいますか、そもそも関心がないという印象を受けました。ネオコンは非常にリアリストですから、今の日本がアメリカに従順だからその世界戦略上、「助かる。もっと手を貸してくれ」といっているだけです。
小泉首相はアメリカのイラク戦争を全面的に支持した理由として、アメリカときちんとおつき合いしておかないと、北朝鮮有事の際に日本を守ってくれないと言っていました。けれどもネオコンが北朝鮮問題で一番気にしているのは日本ではなくて中国です。ネオコンは北朝鮮問題も対中国戦略の一つのベクトルと考えています。
いずれにしてもネオコンは、日本のことなんか大して眼中にありません。ネオコンが親身になって日本を守ってくれるわけがない。日本にテポドンが何発か飛んでくる恐れがあるとしても、本気になればためらわずに北朝鮮を攻撃するでしょう。ネオコンはそのくらいの荒っぽさはなんとも思っていない人たちです。
欧州諸国は、そうしたネオコンの恐さを理解しています。ネオコンに逆らうと木っ端みじんにやられかねないと非常な緊張感を持ってネオコンに対応している。ところが日本の政治指導部は、ネオコンの恐さを理解していない。
別に反戦平和の立場から言うのではありません。日本の国益や安全保障について考えたとき、日本政府・外務省がネオコンについてきちんとリサーチして対応しているとはとても思えないのです。イラク戦争開戦の前夜まで、日本の外務省は「開戦は回避される」と判断していたと聞いています。完全に判断を間違っている。日本の外務省に入ってくるアメリカからの情報は旧来の中道派情報に偏っていて、それに引っぱられている。
政治的に右とか左とか、戦争か平和かといった選択以前の問題として、情報収集能力があまりにも情けない状態の日本の外務官僚は官僚失格でしょう。こうしたことでは日本の未来は本当に危ないと思いますね。
たはら・まき 1962年生まれ。95年から1年間、カイロ・アメリカン大学アラビア語専科に留学し、97年から2000年まで東京新聞カイロ特派員。現在、東京新聞社特別報道部勤務。同志社大学一神教学際研究センターの客員フェロー(イスラーム地域研究)。近著に『ネオコンとは何か』(世界書院)。田原拓治名での著作に『イスラーム最前線 記者が見た中東、革命のゆくえ』(河出書房新社)。