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(回答先: アインシュタインの科学と生涯 目次I 投稿者 乃依 日時 2004 年 1 月 04 日 01:22:42)
http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity1031.html
●シュレーディンガーの猫とボーアの相補性とゲーテの色彩論
見たその一瞬、でたらめに確率でしか現れないミクロの物質。それでは、観測していないとき、それは、どのように動いているのだろうか。観測していないときの状態を考えるとき、量子力学の最も奇妙な世界が広がる。量子力学によれば、観測者が見ていないとき、電子は、どこか一つの場所にあるのではない。電子は、確率にしたがって雲のように薄く広がっているのだ。それが、量子力学の考えである。観測をしないとき、電子は波として、原子核のまわりを動いている。そして、その波は重ね合わされ、雲のように原子核をくるんでいる。あくまで、一個である電子が、雲のように広がっているのである。
ミクロの物質の実体を雲のような波として考えること。それが、量子力学の最も中心となる理論である。そして、人間が観測した一瞬に、雲のような波は、一点の粒として姿を現す。観測によるこの状態の急激な変化こそ、アインシュタインが、量子力学に反対した根本的な理由だった。
それでは、見ていないときの電子の状態を知ることはできないのだろうか。私たちが知ることができるのは、量子力学による「波の方程式」だけなのだ。人間が見ようとして、光を当てると消えてしまう波---しかし、闇の中には美しい調和を持った波が存在するのである。それは、見ようとしても現実には、決して見ることができない波なのだ。
以下、アインシュタインの『物理学はいかに創られたか』の章「物理学と実在」より。
「同時に粒であり、波であることの仕組みを追究した謎物語は、ここで、現実とは何かという問いに発展していきます。量子力学によると、人間が見ること:観測は、とても奇妙な役割を演じます。人間が見ていないとき、電子は雲散霧消してしまうというのです。しかし、人間が観察しようがしまいが、電子はある一点に必ず存在しているはずです --- 私が見ているときにしか、月は存在しないのでしょうか???」
(シュレーディンガーの猫)
量子力学の奇妙さを、さらにはっきりとさせたのは、「シュレーディンガーの猫」というパラドックスである。量子力学では、人間が見ることが、ミクロの物質の状態を変える。しかし、この考え方を押し進めていくと、私たちの常識とは異なる結果が導かれてしまう。「シュレーディンガーの猫」は、その矛盾を明らかにしたパラドックスである---ある容器の中に、放射線を発生する物質が入っている。放射線がいつ発生するかは、予測できない。しかし、ひとたび放射線が発生すれば、検出器は確実にこれをキャッチする。そして、検出器とつながったハンマーを動かす。ハンマーが動けば、青酸カリ溶液が入ったビンが割れ、猫は死んでしまう。ミクロの物質の状態が、猫の生死と直結する仕掛けだ。
これらの装置と猫が入った箱の扉を閉めた瞬間から、この箱の内部は、ミクロの物質が支配する空間になる。量子力学では、ミクロの物質は、人間が観測しない限り、もやもやとした雲のような状態だ。容器の中の放射線は発生した状態と発生しない状態が雲のように重なっているのである。雲のような状態は、検出器に伝わる。検出器は、放射線を検出しているし、していない---ビンは割れているし割れていない---猫もまた、死んでいる状態と生きている状態が、雲のように重なりあっている。つまり、猫は死んでもいないし、生きてもいない(猫の生と死が同居している???)。さて、箱を開けて、人間が猫を観測する。その瞬間、状態の急激な変化が起こる。猫は、生と死が同居した状態から、生か死か、どちらか一方の状態に一瞬にして変わる。われわれの常識では、猫の生死は、箱を開ける前に決まっていたはずである。しかし、ミクロの物質が支配するこの箱の中では、この常識は通じない。
観測という人間の行為が、重大な問題となったとき、アインシュタインとボーアは、決定的にたもとを分かつ。観測されて、初めて現実は意味を持つ --- それが、ボーアの結論だった。観測されていないときの現実を問うことは、もはや意味がないというのだ。一方、アインシュタインは、観測に関わりなく、現実を確定的に説明できなければ、完全な理論といえないと信じていた。
(ボーアの相補性)
ボーアは、量子力学の描き出す世界像を「相補性」と名付けた。粒と波のように対立するものが、補い合って、一つの世界を形作っているというのだ。1937年、ボーアは、日本に招待され、相補性の原理を、やさしい言葉で解いた。ボーアの次男のハンス・ボーアは、この旅行に同行した。
ハンス・ボーアの回想「日本では、富士山を、箱根やそのほか、いろいろなところから、異なった角度で見ることができました。光線や天候で、富士山の景色は様々に変わりました。ある時は、山頂は雲に隠れ、また、ある時は、雪をいただく山頂が、雲の上に浮かんでいました。その時々によって、富士山の印象が、まったく異なったわけです。父は、その富士山を、相補性の象徴として述べていました。光線や視覚から得る、一つずつの印象 --- そのすべてのイメージが一体となって、はじめて富士山の優美な全体像が得られると言うわけです。」
ボーアは、その偉大な功績に対し、デンマーク最高の勲章を受けた。この勲章を受けた者は、いわゆる「家紋」を決めなければならなかった。デンマークのフレデリック城には、世界の王室・元首の紋章とともに、ボーアの選んだ紋章が飾られている。ボーアの紋章は、中国の「易」の考え方を表す「太極図」である。日本の後に立ち寄った中国で、相補性の考えと相通ずる「易」の思想に、ボーアは感銘を受けたのだった。
「易」では、「陰」と「陽」つまり「光」と「闇」が、互いが互いを生み、二つが対立しながらも解け合い、世界を作っていくと考える。男と女も、生と死も、善と悪も、光と闇の永久の運動の中に調和しながら動いていくのである。ボーアは、20世紀の絵画にも、深い関心を示した。たとえば、立体派の画家メツァンジェの作品では、同時に見ることのできない横顔と正面の顔が、一つの顔として表現されている。ここにも、ボーアの思想、相補性のイメージを見ることができるということである。
(ゲーテの色彩論)
量子力学は、自然と人間を切り離したニュートン以来の近代科学に対する問題提起となった。しかし、量子力学のはるか以前に、ニュートンの自然科学を批判したのがドイツの詩人ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832)だった。ゲーテがみずから、最も重要な著作と考えていたのは、戯曲「ファウスト」ではなく「色彩論」だった。ゲーテは、光と闇の境界線にこそ「色」は存在すると考えていた。プリズムを通して光を見ても、色は現れない。光と闇の境界の部分にだけ、あざやかに色が並ぶことを、ゲーテは発見した。ニュートンの光の理論には表わされてない現象だった。「色彩は、なかば光、なかば影である。そして、光と闇の結婚である」それが、ゲーテの結論であった。ゲーテは、観測する者と観測されるものが、一体となったときに初めて、自然が本当の姿を現すと考える。実験によって切り刻まれた自然、数字に置き換えられた自然は、もはや、本当の姿を失っているのである。ゲーテの思想は、量子力学者によって、再評価されている。「不確定性原理」を発見したハイゼンベルクは、こういっている「ゲーテがニュートンを攻撃したのは、深い意味があった。もし、ゲーテに非難すべき点があったとすれば、ニュートンにとどめを刺さなかったことだ」(アインシュタイン・ロマン NHKエンタープライズ 1991年より)
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