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アインシュタインの数学に対する考え方---アインシュタインとゲオルグ・ピック
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投稿者 乃依 日時 2004 年 1 月 04 日 01:45:36:YTmYN2QYOSlOI
 

(回答先: アインシュタインの科学と生涯 目次I 投稿者 乃依 日時 2004 年 1 月 04 日 01:22:42)

http://homepage2.nifty.com/einstein/contents/relativity/contents/relativity9.html

●アインシュタインの数学に対する考え方---アインシュタインとゲオルグ・ピック

 アインシュタインは、一度は数学を専攻しようと考えたことさえあった。したがって、彼はまず、チューリッヒの工芸学校の数学と物理の教師を養成するためのコースをえらんだのであった。
 しかし、そのとき、幸か不幸か、数学の物理の教授の中に、ロシア生まれのヘルマン・ミンコフスキーがいた。このときミンコフスキーは、当時若くして独創的な数学者の一人とみなされていたが、彼の講義は、決して上手な講義とは言えなかった。そして、アインシュタインが、「純粋数学」に対する興味を失ってしまったのは、ちょうどこの頃であった。彼には、彼に興味のある物理学の法則を定式化するには、そんなに複雑な数学は必要とせず、簡単な数学の原理だけで十分であると思っていたので、「純粋数学」からはなれて、理論物理学の方向へ向かったのであった。
 アインシュタインは、しばらく、この考えを、持ち続けていた。
 現にアインシュタインが、その特殊相対性理論を発表した1905年から三年後、1908年に、アインシュタインのもとの数学の先生ミンコフスキーが、四次元の幾何学を用いて、その見事な数学的定式化を与えたときにも、アインシュタイン自身は、それを、相対性理論の真に物理学的な意味をつかむことをむしろ困難にする無用で複雑な形式主義の導入と見なしたくらいであった。また、マックス・フォン・ラウエが、アインシュタインの相対性理論を数学的に、まとめた見事な書物を発表したときにも、アインシュタインは、
「ラウエのこの本は、私自身(理解するのに)非常に努力しなければならない」
と冗談を言っている。
 アインシュタインの相対性理論が評判になりつつあった当時のドイツにおける数学研究の中心は、ゲッティンゲン大学であった。ミンコフスキーはチューリッヒの工芸学校から、このゲッティンゲン大学へ移っていたし、彼がアインシュタインの相対性理論の数学的定式化を始めたのは、このゲッティンゲン大学においてであった。
 アインシュタインは、このゲッティンゲンの数学者たちが、数学を大いに活用した物理学の論文を発表するのを見て、
「ゲッティンゲンの人たちは、ときどき私を驚かせる。この人たちは、数学を用いて物理学を系統化しようとするのではなく、この人たちが、どんなに頭がよいかを、われわれ物理学者に示そうと努力しているように私にはみえる」
と冗談を言っている。
 このゲッティンゲン大学には、今世紀初頭の大数学者ダーフィット・ヒルベルトがいた。ヒルベルトは、アインシュタインが上に述べたように考えていたにもかかわらず、アインシュタインのことを、数学が必要な場所では数学を、いかに用いるべきかを十分によく知った人であると考えていた。
 ヒルベルトは、かつてつぎのようにいっている。
「われわれの町ゲッティンゲンでは、街を行く学生でさえも、四次元の空間というものをアインシュタインよりも、よく理解しているかも知れない。それにもかかわらず、アインシュタインは、物理学における素晴らしい仕事をどんどんしているのである」
 このようにアインシュタインは、一時は、物理学の基礎的な理論を展開するのに、そう複雑な数学は必要ないと考えていたのであるが、彼がプラハで、その相対性理論を重力のある場合に拡張しようと努力し、それに対して数学者のゲオルク・ピックが、アインシュタインの考えを発展させるための数学的武器は、イタリアのリッチとレビ・チビタの創始したテンソル解析学に他ならぬことを指摘し、そのピックの助力によってアインシュタインが、そのテンソル幾何学をマスターし、当時は、数学者にとっても新しい学問であったこのテンソル解析学を縦横に駆使して一般相対性理論を発展させて以来、アインシュタインは、その考えをかえている。
 したがって、アインシュタインは、それ以降いつも数学に堪能な若い人を助手にしている。
 たとえば、コルネリウス・ランチョス(Cornelius Lanczos)、ヴァルター・マイヤー、レオポルト・インフェルト、ペーター・ベルクマン、バレンティン・バーグマンなど、いずれも数学的才能にめぐまれた人たちを助手としたが、これらの人たちは、いずれも今では立派な地位を得ている。  

(アインシュタインとゲオルグ・ピック)
 アインシュタインがプラハで得た同僚のなかに、数学者ゲオルグ・ピック(Georg Pick 1859-1942)がいた。筆者(注:矢野健太郎)の考えでは、このゲオルグ・ピックくらいアインシュタインの仕事に対して大きな影響を与えた人物はないと思うのであるが、そのことを強調したことはどこにも書かれていないので、このピックにことを、少し詳しく記すことを許していただこう。
 平面上の曲線の性質を論じようと思うときには、この平面上に一つの直交軸を設定し、曲線上の点をこの直交軸に関する座標で表していくのがふつうである。
 ところで、1896年に、ナポリ大学のツェザロは、曲線上の一点Mにおける接線を第一の軸とし、Mにおける法線を第二の軸とするような座標を曲線に結びつけ、曲線にそって動いていくこのような座標軸に関して曲線上の点を表わし、これを用いて曲線の性質を研究するということをはじめた。ツェザロの著書は、1901年にコワレフスキーによってドイツ語に翻訳され「自然幾何学講座」と題して発刊された。それ以来この方法による幾何学は自然幾何学とよばれている。
 このピックは、若いときに、プラハ大学の実験物理学者の教授であったエルンスト・マッハの助手をしたことがあり、したがってアインシュタインより二十も年上であったが、アインシュタインはピックの素晴らしい数学的才能にほれこみ、彼がその理論物理学の研究において直面した数学的問題に関しては、いつもこのピックに相談をしたのであった。
 当時アインシュタインは、彼がベルンで1905年に発表した相対性理論を、いわゆる重力場がある場合に拡張しようということを熱心に試みていた。したがってアインシュタインは、毎日このピックに会い、彼が彼の相対性理論の拡張において出会っている数学的困難をすべてピックに打ち明け、それについてピックの考えをきいていた。
 アインシュタインの直面している問題の意味を的確につかんだピックは、当時すでに、アインシュタインがその理論を展開するために必要な武器は、カール・フリードリヒ・ガウス(1777-1855)、ゲオルグ・フリードリッヒ・ベルンハルト・リーマン(1826-1866)にはじまり、クルバストロ・グレゴリオ・リッチ(1853-1925)とトゥリオ・レビ・チビタ(1873-1941)によって完成された絶対微分幾何学であることを見破っていた。
 平面幾何学は、もちろん、平面それ自身の性質と、その平面の上に横たわっている図形の性質を研究する幾何学である。
 平面上の相異なる二点を結ぶ線のうちで、それらを結ぶ線分が一番短い長さをもっているといえば、これはこの平面自身の性質と、平面上の直線の性質をいい表している。
 また、平面上にかかれた任意の三角形においては、その内角の和は二直角に等しいといえば、これは平面そのものの性質と、その平面の上にある三角形という図形の性質を言い表している。
 この平面幾何学を研究するには、平面上に図を描いて直接その図について研究する方法と、平面上に直交軸を設定して、いわゆる解析幾何学の手法を用いる二通りの方法が考えられる。
 この解析幾何学的な手法を用いる場合には、平面上の点が二つの数の組で表し得るという事実を用いるが、それゆえに平面は二次元のものであるといわれる。
 さて、ルネ・デカルト(1596-1650)とピエール・ドゥ・フェルマー(1601-1665)による解析幾何学の発見につづいて、ニュートンとゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツ(1646-1716)によって微分積分学が発見されるにおよんで、曲線や曲面の研究に微分積分学の手法を用いるということがはじめられた。
 幾何学の研究に微分積分学の手法を用いる場合、それは微分幾何学とよばれるが、この微分幾何学は、カール・フリードリヒ・ガウスによってはじめて組織的に展開された。
 ガウスは主として曲面の性質を微分学を用いて研究したが、その曲面の性質に二種類あることがわかる。
 たとえば球面を例にとってみれば、中心とその球面上の一点を結ぶ直線は、その点における接平面に垂直であるといえば、これは、われわれの空間のなかに入っている球としての性質をのべている。
 これに対して、球面上の二点を結ぶ球面上の曲線のうちで、最も短い長さをもっているのは、これらの二点を結ぶ大円(これらの二点と中心とで定まる平面で球面を切った場合その切り口に現れる円)であるといえば、これは、この球を含んでいる外の空間とは関係のない、球面そのものの性質を表している。
 ガウスは、この曲面そのものの性質を研究する幾何学を、曲面上の幾何学と名づけた。
 球面上の点の位置を表そうと思えば、地球上の緯度と経度のように、二つの数を必要とするから、球面は二次元のものである。同様に、曲面も二次元のものである。
 この言い方によれば、平面は二次元の平らな空間であり、曲面は二次元の曲がった空間であるということができる。
 したがってガウスの曲面上の幾何学は、二次元の曲がった空間における幾何学であるということができるが、これは、リーマンによって、一般のn次元の曲がった空間の幾何学へ拡張された。リーマンのはじめたこのn次元の曲がった空間の幾何学は、現在リーマン幾何学とよばれている。
 このリーマン幾何学は、それを研究するのに特有の方法を必要とすることがわかってきたが、その方法は、イタリアのクルバストロ・グレゴリオ・リッチとトゥリオ・レビ・チビタによって見いだされたが、この方法は彼らによって絶対微分学と名づけられた。
 しかしこの絶対微分学は、現在では、リッチ計算法とも、テンソル解析学ともよばれている。
 アインシュタインから、その相対性理論拡張の着想をきき、それを発展させるための数学的な手段について相談を受けたピックは、それはこのリッチとレビ・チビタによって作られている絶対微分学そのものであることを見破って、アインシュタインにそれを研究することをすすめたのであった。
 アインシュタインとピックを結ぶものがもう一つあった。アインシュタインが子どものときからバイオリンを習いはじめ、最初はいやいやであったが、次第にバイオリンのもつ魅力にひかれるようになったのはすでにのべた。
 ところが、このピックもまたバイオリンをよくしたので、アインシュタインはピックとバイオリンの合奏をたのしみ、また、プラハの音楽愛好家のグループにも加わり、定期的に弦楽四重奏をも楽しむようになった。
 またアインシュタインは、プラハで親しくなったサンスクリット語の教授モリッツ・ウィンテルニッツ教授の義妹の伴奏でよくバイオリンを弾いた。(アインシュタイン伝 矢野健太郎 新潮文庫より)
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