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>>日々通信 いまを生きる 第82号 2003年11月21日<<
1933年の滝川事件では京都大学の法学部教授会が辞表を提出し、京都大学だけでな
く、全国各大学の学生たちが反対運動に立ち上がった。
田宮虎彦の「絵本」にも、東大のキャンパスで、主人公が涙を流しながら、警官隊
に小石を投げることが書かれていて、その時代を知らぬ私たちに強い感銘を与えた。
しかし、1935年の美濃部教授の天皇機関説排撃の事件のときには、もはや表立った
反対運動はおこらず、国体明徴は合言葉になって、2・26事件から、蘆溝橋事件へ
と、歴史は雪崩を打って進行し、1931年以来の日中戦争は引き返し不能の泥沼戦争に
拡大した。
満州事変は1931年にはじまった。この戦争を契機に<非常時>とか<非国民>とい
う言葉が氾濫し、左翼に対する弾圧が激化したのだった。
小林多喜二が検挙され、拷問で殺されたのは、1933年2月、滝川事件の直前だっ
た。
この33年に私は小学校に入学した。以来、私は小林多喜二についても、滝川事件に
ついても、何一つ知らずに、終戦を迎えた。
子供の頃、近所の家の、東京の学校に行っている娘が治安維持法違反で検挙された
という話を聞いたことがある。
そのとき、母が頭のいい者がアカになる、おそろしいことだ。アカにだけはならな
いでくれと言ったのを覚えている。
アカがなぜおそろしいかについては聞かされなかった。理由はないのだ。アカの思
想ではなく、警察を恐れたのであったろう。
日本の警察は子供の心まで支配したのであった。そして、私は何も知らずに、時代
の波に押し流されて、戦争の時代を生きた。
そして、そのまま、戦争で死んだかも知れないのである。
戦後になってどっと押し寄せた情報の氾濫にもみくちゃになり、混乱そのものを生
きて、多喜二や、マルクスや、レーニンを知った。
いまの若者は、それらについて、どれだけ知っているのだろう。
いまは、言論、思想の自由がある。読もうと思えば、何でも読めるのだろう。しか
し、時代の流行というものがある。
本屋に氾濫するのはそれらの本ではない。
普通の学生にとって、それらを読む機会はめったにない。
いまの学生は、それらを読むことなしに、それらを旧時代のものとして、否定する
ことだけは知っている。
時代の流れというものを感じる。
私の学生時代に、大学管理法が提案されて、私たちはストライキで戦った。
退学処分を受けるものが相次いだが、私たちは何度もストライキをやった。
それは、朝鮮戦争がはじまろうとする時代で、日本を占領するアメリカによって、
日本の再軍備が強く求められ始めた時代だった。
戦争に日本を動員するためには、権力に抵抗する大学から自由をうばわなくてはな
らなかった。
ヴェトナム戦争のときにも、理事会法案が出て、学生たちははげしく抵抗した。
60年代末の大学は、全共闘運動などがあり、大学解体というようなことが言われ
て、はげしく揺れた。
大学解体とはどういうことだったのか。
大学は、国家や独占資本に従属し、学問の権威によって、人民を収奪し、地球環境
を破壊する犯罪集団だというようなことだったかも知れない。
この頃まで、大学といえば、立て看板が立ち並び、檄文が氾濫する、活気あふれる
特別地帯だった。
私もそうだが、教室で学ぶより、学生運動や、サークルで学ぶことの方が多いとい
う学生も多かった。
戦争の時代に育った私たちには、学校や先生たちに対する不信が強かったのであ
る。
戦後60年近くたって、大学の風景は一変した。
いま、横浜市大では、私たちには大学破壊としか思えない<改革案>が、教授会や
評議会を無視して、学長と何人かの教授、そして、事務局員の手によって作成され、
それが大学の案として、市会で審議されている。
しかし、大学は静かで、立て看一つなく、学生も教授もなにを考えているか分らな
い。
大学当局は、教授会に対しても秘密主義をつらぬいて、形式的な審議をしたばかり
で、教授会からの質問や、反対の声は無視して突っ走り、学生に対しては、ことがき
まって形式的な説明会を開いたばかりである。
しかもなお、大学は静寂であり、整然としている。
大学のキャンパスを歩いて私は、奇異の感にとらわれる。
外にはイラク戦争反対の声が氾濫し、はげしく歴史が動いているのに、ここでは、
そのような時代の脈拍は少しも感じられない。
これが大学なのだろうか。
横浜市大は死んでいるのではないだろうか。
ここから、どんな新しい思想が生まれるのか。
どんな新しい研究が生まれるのか。
これは、必ずしも、市大だけのことではないらしい。
それは、日本の衰弱を示すものではないだろうか。
大学の立て看その他、表現の自由に対する制限はきびしいらしいが、ただそれだけ
ではないらしい。
この土壌のうえに学長その他と市当局の傍若無人の<改革>が行われているらしい
のだが、いま必要なのは、大学の内部に、わきたつような声明の脈動を回復すること
だろう。
教師が市民と結びつくだけではなくて、学生が市民と結びつく。
時代の潮流がまざまざと実感される、わきたつような大学を、どうしたら回復でき
るだろう。
いま、私は大学改革について考えるようになり、全国の大学の同じたたかいをたた
かう人々とのメールによる結びつきが強まった。
市大のなかにも今まで知らなかった先生方との結びつきができて、励まされてい
る。
多分、学生たちのなかにも、新しい動きはあるのだろう。
<地底の水脈>という言葉がある。
暗黒とみえるあの戦争の時代にも、新しい動きはあり、新しい時代を準備するもの
は育っていたのだ。
私はいまの私の基礎となるものをあの戦争の時代に得たのだ。時代に流されるばか
りでなく、そのやせ衰えた現実、くらい時代からも、何かを学び、自己を育てる活力
が、若者たちにはあるのではないだろうか。
私は、見かけはどうでも、その内部にある生命力に期待する。その生命力を掘り起
こし、あふれ出させるのが教育なのだろう。
いよいよ、寒さを感じるようになった。
風邪を引かないように。今日の一日を、なにか充実した気分で過ごせるように。
いまの私は、11月30日の、白樺文学館多喜二ライブラリー主催のシンポジウム<多
喜二の文学は語りつくされたか?!>の報告の準備に追われている。
この多喜二ライブラリーとの接触は、私に新しい世界を開いてくれた。
きのうは郷静子さんの「草莽」という作品の出版記念会に出席した。
きょうは、いまから、ある写真家の出版記念会に行かねばならぬ。
その上、25日からは、早くから約束した旅行にでかけなければならぬ。
きわめて多事である。しかし、一日一日が充実して愉快である。
皆さんもお元気で。
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