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マトリックス考察 ヴァジラティクシュナー正悟師
マトリックス考察(1)
http://www.aleph.to/message/2003/10/vt20.html
ヴァジラティクシュナー正悟師
vt@aleph.to
映画「マトリックス」の完結編「マトリックス レボリューションズ」の公開が近
づいて参りました。11月5日に世界同日・同時刻封切りになるそうで、映画ファンの
話題を席巻しているようです。 この「マトリックス」という映画、なかなか哲学的・
宗教的に深い要素があります(監督や主演俳優が各種哲学書を読みこんだそうで)。
そこで今回は、この映画についての考察を。
わたし自身、99年に初公開された「マトリックス」は、昨年末ごろ、会員さんから
勧められて初めて見ました。ご存じない方のために簡単にストーリーの要旨を紹介し
ますと、
表の顔はプログラマーだが、裏稼業では名うてのハッカー・ネオは、ある日トリニ
ティと名乗る美女に導かれて、モーフィアスなる人物に会う。彼は、人々が現実の世
界だと思い、信じている世界は実は「マトリックス」と呼ばれるコンピュータによっ
て制御された仮想現実だという恐るべき真実を告げる。ネオはモーフィアスらによっ
て、仮想現実「マトリックス」から救い出され、人類を救うためにコンピュータに戦
いを挑んでいく。 ……というものです。
実は昔、私が東大に通っていた頃、友人と人生の意味合いについて議論したことが
あります。その際に出た一つの考え方として、面白いものがありました。
「私たちは地上の支配者として今を生きているつもりだが、実は今、本当は西暦25
00年で、ある研究室の中で500年前の人類の生態調査として壮大な実験場が設置され、
その中で地球上で起こっていること全てが再現されているのかもしれない。私たちは
その実験室のモルモットかもしれない」というものです。
私たちがガラス瓶の砂の中の蟻の巣を観察するように、今の地球上の人類そのもの
がそのような実験場のモルモットなのかもしれない、という考えですね。その考え方
と、この映画のストーリーが似ていて、面白いなと思いました。
「そんな馬鹿なはずない」と思われるかも知れませんが、そうじゃないと言い切れ
る十分な証拠もないですよね。仏教・ヨーガの世界観はその回答を提示してくれるわ
けですが、それによると、私たちが支配されているという点は、あながち間違いとも
言えなくなってしまいます。以下に映画の台詞を交えながら話を進めていきます。
モーフィアス(以下モー)「マトリックスとは何か?支配だ。それはコンピュータが
生み出す夢の世界だ。人を支配するために作った……」
仏教・ヨーガの世界観によると、私たちは六つの苦しみの世界を輪廻転生し続けて
います。それは私たちの心が煩悩に汚されているためですが、六道を輪廻転生する魂
に煩悩の喜びを与えながら支配する者が存在します。それは第六天界の王・マーラと
呼ばれる悪魔です。つまり私たちはマーラから煩悩の喜びという餌を与えられながら、
欲六界の中で飼い慣らされているとも言えるのです。
私たちが煩悩の喜びに振り回される限り、心は煩悩の対象に縛られ、牢獄にも喩え
られる六道を輪廻転生し続けることになり、六道より高い世界を含めた全宇宙の実相
(真実)を知ることができません。
ネオ「マトリックスって……?」モー「マトリックスは全てだ。いたるところにある。
……それは君の目を真実から覆い隠してきた世界だ。」ネオ「真実って?」モー「君
が奴隷であることだ。みんな生まれた時から束縛されている。牢獄だ。心を縛る。」
しかしそう言うと、「六道の動物界はわかるけど、地獄にしろ天界にしろ、六道よ
り高い世界にしろ、どこにあるんだ? それこそ証明してくれ」という話にもなりま
すね。この疑問は、私たちが今五感で経験していることが現実の全てだ、という考え
に立脚しています。
しかし、何が現実なのかということを考えた場合、まず、私たちが夜見る夢は一体
何なのか、夢の中での経験とは何なのか、ということにもなってきます。
モー「現実としか思えない夢をみたことがあるか? 夢から目覚められなくなったら
どうするか? それが夢なのか現実なのか、……区別できるか?」
修行が進んでくると、よく夢を見るようになります。そしてどんどん夢が鮮明にな
っていきます。カラーで、触覚や味覚などの感覚も、起きているときより鋭くなる感
覚を経験します。
さらには壁をすり抜けたり、空を飛んだり、あるいは自由に世界そのものを変える
ことができるようにさえなってきます。また夢から起きたと思ったら、それもまた夢
だったり、夢の中で「あ、これは夢の中にいるんだ」とわかりつつも、起きて現実の
世界になかなか戻れないということも……。そしてあまりにも夢がリアルなために、
夢と現実がごっちゃになってしまうところまで体験する人もいます。
モー「何が現実だ? 現実をどう定義する? もし君のいってるのが、感じるとか匂
いがするとか味がするとか見えるとかなら、現実は脳が解釈するただの電気信号だ。」
最近の脳の研究によると、私たちの五感の感覚は、脳に電気信号として伝わってい
ることが判明しています。逆に電気的刺激を脳に与えることにより、五感の感覚があ
るように感じられるそうです。
また私たちが頭でイメージするときも、脳には現実の体験と同じような電気信号が
発生しているようです。夢の中で高所から転落して身体がビクッ!となった経験が誰
でもあると思いますが、夢の中の出来事でも、脳内では実際に起こった時と同じ電気
的な処理が行なわれ、筋肉に信号が送られているわけです。
もちろん、その脳の電気信号解釈が全てではありません。
仏教・ヨーガ理論では、イメージの世界や夢の世界は、アストラルと呼ばれる世界
の一部であり、アストラル世界の方がこの現実世界よりも本質に近いと説きます。そ
してアストラル世界は、体の部位としては脳に対応していると言われています。です
からアストラル世界の体験が、現実世界の肉体においては脳の電気信号として染み出
ていると考えられます。
(つづく)
◆2003年10月29日
第14回 マトリックス考察(2)
http://www.aleph.to/message/2003/10/vt29.html
ヴァジラティクシュナー正悟師
vt@aleph.to
ネオはモーフィアスに導かれて、マトリックスから目覚めた後、これまでコンピュー
タに囚われて夢を見ていただけだという真実を説明され、気が狂わんばかりのショッ
クを受けます。
個人的にはマトリックスの見所は、前半部のここまでの場面が殆ど全てでした(マ
トリックス考察1の台詞も全てその場面から取っています)。
といいますのもこの「現実」と思いこんでいた世界から目覚めた、という体験が私
にもあり、それはネオが経験したような気が狂わんばかりのショックを伴うものだっ
たからです。まさに、“狂うか悟るか”というこの体験は、容易にできるものではあ
りません。しかしマトリックスの中で普通に生活していたネオが、真実を目の当たり
にした時に体験したショックとは類似性があり、本当にそのあたりもシンクロしてい
て、修行上非常に示唆的な映画です。
目覚めた後は、仮想現実でのカンフーの訓練や「マトリックス」の世界に侵入し直
した場面での戦いなどがあり、アクション映画の要素もかなり強いです。ネオやモー
フィアスがピンチに追い込まれる緊迫した場面もあるのですが、その辺はあまり面白
くなく、「ああ、どうせピンチでも最後は勝つんでしょ?たまには正義の味方も負け
ろよなぁ〜」などと、昔「マジンガーZ」や「仮面ライダー」などを見ていた頃の感
情が出てきました。
ただいくつか宗教的示唆を与える所がありましたので、以下にピックアップします。
●「無知は幸福」
ストーリーの途中で、ネオの仲間の一人サイファーが、現実世界でのコンピュータ
との戦いに疲れ、裏切りを計画します。そしてコンピュータ側に寝返り、記憶を消し
てもらったうえで、人間が囚われて夢を見させられている”工場”に戻してもらうこ
とを条件に、エージェントスミスと取引を企てます。
現実世界で毎日おかゆのようなベチャベチャの飯にウンザリしていたサイファーは、
「マトリックス」の中の高級レストランで、コンピュータの手先であるエージェント
スミスから接待を受け、肉料理を堪能しながらつぶやくのです。
「ここにステーキは存在してない。俺が口にほうりこんだらマトリックスが脳に伝え
るだけだ。ジューシーでうまいってね。(マトリックスを抜け出して)9年を過ぎて、
どう思ったか……(ステーキを口に運びながら)無知は幸福……」
この言葉は身につまされる言葉です。
といいますのも、マトリックス=煩悩に囚われた牢獄=現世的生活。マトリックス
からの解放=煩悩滅尽の修行、という図式で考えると、私も、このホームページをご
覧になっていらっしゃる方も、程度の差こそあれ抱いたことがある感情なのではない
でしょうか?
今が幸せならばいい、未来のために辛い修行をするより今さえよければ……という
感情、これを無知といいますが、それは、今修行を続けている会員や出家修行者も、
時折囚われてしまう思考です。
このホームページをご覧のみなさんの中にも、「ああ、ここの修行は本物かもしれ
ないけど、本当にやり出したら煩悩捨断するのも大変そうだから、まあホームページ
を覗くくらいで、後は知らないふりしていようか……」とお考えの方もいらっしゃる
のでは?
なおかつ、この裏切り者サイファーが、エージェントに「記憶を消してくれ」とい
う注文をつけるわけですが、それもよく分かります。輪廻転生の真実なんて知らなけ
れば、普通に暮らせたのに……と思い悩んで、カウンセリングにかかる脱会信者も少
なくありません。「ひょっとしたら輪廻転生はあるかもしれないけど、考えると苦し
いから考えたくない、忘れたい……」と意図的に無知に陥りたくなる気持ちもよく分
かります。
もし本当に来世がない、死んで全てが終わりだとするならば、修行する意味はあま
りないと考えることもできます。しかし、来世があるとするならば、その真実に目を
向けず修行しないということは、大変恐ろしい結果を招くことになります。
もちろん、来世をどう考えるかは皆さん方次第ですが、採った選択肢は否応なしに
皆さん方自身に降りかかってきますので、無知によって問題を放置するリスクは甚大
だと言わざるを得ません。
「そんなに重大な問題なのか……? ますます考えたくないなぁ……」と考えてしま
うかも知れません。いえ、輪廻転生という大きな枠組みに限らなくても、もっと皆さ
んの身近な生活の中でも、この(意図的な)無知が大変な結果を招いてしまう事例は
よくあるはずです。
例えば、4回目で紹介した、援助交際で身の破滅を招いた例などは、彼女がその場
しのぎの思考ではなく真面目に考えていたならば、タダでは済まない、とんでもない
事態を招くかも知れないと容易に想像できたはずです。
同様に、今の窮状から一時的に逃れたいがために、収入のあてもなく安易にサラ金
に手を出し、返済のために自転車操業的に借金を繰り返した結果、サラ金地獄に追い
やられる多重債務者も少なくないのでは。
無知に陥らず、真剣に現実を見つめて対処するならば、これらの苦しみは回避可能
なはずです。皆さんも、まずは身近な問題についての無知を取り除き、勇気を持って
現実に立ち向かう努力をして頂きたいと思います。そしてひいては人生全体と死の問
題についても……。
◎付録:映画を見た人のためのつっこみコメント
◎付録:上級者向けコメント「エージェント スミス」
(映画を見てないとわかりにくいかも知れませんが……)
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◎付録:映画を見た人のためのつっこみコメント
ところで(映画を見た人しか分からない話で申し訳ないのですが)、このサイファー
がエージェントスミスと密会している場面ですが、通常はオペレーターがマトリック
ス内の出来事を監視しているのですが、この時は何をしていたんだろうという議論が、
あちこちの掲示板でなされています。
さらに私が不思議に思うのは、現実の世界でのべちゃべちゃのまずい飯にウンザリ
して、マトリックス内でジューシーな肉を食らうのがいいとサイファーは考えたよう
ですが、だったらなぜ、訓練プログラムの仮想空間でたらふく食べないんだろうか、
ということです。全ての謎を解き明かすという完結編では、この謎にも答えてくれる
のだろうか……。
◎付録:上級者向けコメント「エージェント スミス」
(映画を見てないとわかりにくいかも知れませんが……)
囚われの身の人類は、仮想現実「マトリックス」の中で共有の夢を経験し続けるわ
けですが、そこではエージェントという存在が、コンピュータの手先としてネオたち
に立ち向かってきます。エージェントは人間ではなく、コンピュータが作り出したプ
ログラムで、超人的な能力を有し、いったん死んでもすぐにまた別の人に乗り移るこ
とができます。
コンピュータの生み出したものという意味では、人間ではありません。人間である
かのように振る舞っているが、実はそこに実体はない仮想の存在です(もちろん、も
ともと人工知能が人類に戦いを挑むという前提で、人間と同じ意志を有するものとし
てコンピュータが捉えられており、また「マトリックスリローデッド」では、エージ
ェントの一人スミスがそのコンピュータの制御からも離れて、独自の意志を有して動
き出すという展開になっているので、人間の意識とどう違うのかといわれると困りま
すが、これはまた別の回で触れます)。
普通、人間は、「目の前にした相手も人間の意識を有し、自分とある程度同じよう
に思考している実体のある人間だろう」という前提で判断します。
しかし、本当に実体のある人間かどうかは、確かめようがありませんし、同じ人間
同士でも同じような思考をしているかどうかは、過去の経験の構成の違いから必ずし
もそうとは言えません。
にもかかわらず、自分の思考で相手がどう考えているか推論することによって、人
はしばしば被害妄想に陥ります。典型的な例として、あの池田小学校の児童8人を殺
人した宅間守死刑囚が、「周りの全てが自分を痛めつけている……」と錯覚したよう
に。
その錯覚を解き放つ思考として、「目の前の対象には実体がない、身の回りの全て
の現象は自分の心の現れである」と考える訓練が、仏教のマハームドラーの教えには
あります。
また、“カルマヨーガ”の考え方では、いろんな現象は、宇宙を支配する神が、自
分にいろんな経験を与えて精神的進化をさせるために、使いを送ってきているのだと
考えます。もちろんそれは、場合によっては“悪魔の御使い”として、煩悩の誘惑を
与えるものかも知れませんが。
そうすると身辺の対象については、神(もしくは悪魔)の創造した「マトリックス」
システムの単なるエージェントにすぎず、そこに実体はない、と考えることもできる
わけです。
これは難解な内容なので、後々の数回の連載で詳細に触れますが、伏線として押さ
えておいてください。
(つづく)
◆2003年11月03日
第15回 マトリックス リローデッド考察
http://www.aleph.to/message/2003/11/vt03.html
ヴァジラティクシュナー正悟師
vt@aleph.to
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注:「マトリックス リローデッド」をご覧になっていない方へ……ネタバレありなので、気をつけてください。
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●預言(予言)について
映画「マトリックス」「マトリックス リローデッド」の中では、マトリックス内
に存在する女性預言者(オラクル)の言葉が、ネオやモーフィアスの行動に影響を与
えます。オラクルの預言によると、ネオは人類を救う救世主であり、彼がマトリック
スのソース(プログラムのソースコード)に辿り着けば、機械対人間の戦争は終わる
ことになっていました。周囲からは気違いじみていると言われながらも、モーフィア
スはその預言を信じて行動し、ザイオンと呼ばれる人類最後の拠点に追いやられた人々
に希望を与えます。
私たちの教団にも、予言がありました。「97年真理元年」「99年ハルマゲドン」な
どでした。その予言の後にくる世界を信じて、「教団武装化を進めた」と指摘される
要素があったのは否めません。まさに次のモーフィアスの言葉のように……。
モーフィアス(以下モー)「預言が本当なら、戦いのない未来が来る。だから戦える。
だからこそ死ねるのだ」
オラクルもマトリックス内に存在する限り、それはコンピュータのプログラムの一
部かも知れない、つまり嘘である可能性もあったのですが、モーフィアスは預言の可
能性の方を信じました。希望は、私たちを現実に立ち向かわせる原動力となるもので
す。しかしそれと同時に希望は、冷静な判断を失わせ、現実の可能性を無視して突き
進ませてしまうことがあります。全く我々にとって人ごとではありませんこれは……。
また、希望と失望は常に背中合わせです。もしその希望が叶うならば、人は喜びに
満たされます。しかし叶わないとするならば、絶望の淵に追いやられてしまいます。
希望を持っていたが故に……です。
これは、欲求を増大させればさせるほど、欲求が満たされないときにより大きな苦
しみを感じるのと同じです。
物語では、ネオは救世主として、ソースに辿り着きます。しかしそこに待ち受けて
いたマトリックスの設計者(アーキテクト)から、預言も、そして救世主自身も、コ
ンピュータのシステムの一部だったと告げられます。そして預言は成就せず、ザイオ
ンは破滅の危機を迎えます。
モー「こんなはずはない……なぜ預言どおりにならないんだ……信じられない……ソー
スへたどり着けば戦争は終わっていたはずだ!!」 ネオ「預言は嘘だったんだ、モー
フィアス。救世主なんて何も終わらせない……もう一つ別のシステムにコントロール
されていたんだ」 モー「誰が信じるか!!」
結局モーフィアスは、預言の真偽よりも、戦争が終わるという希望を信じたかった
のかも知れません。冷静に考えればマトリックスの罠かも知れないと疑い得たにもか
かわらず。それは彼自身が戦いのモチベーションを保つための希望であったかも知れ
ません。
オウムにあった予言も、実際には、予想されていたような重大な事態は何も起きま
せんでした。何も起こらなかったことについては、解釈はいろいろあるようですが、
私見としては、予言は外れたと考えています。しかも、外れた予言のために多くの人
を苦しめることになってしまったのです。
なぜそのような事態に至ったか、それは自分を修行に向かわせる動機として、現実
を直視することなく予言という希望・甘い幻想を追い求めたからとも言えましょう。
しかし、それは修行の本質ではありません。予言が起ころうと起きまいと、人間は
必ず死にますし、輪廻は存在します。希望があろうとなかろうと、淡々と努力するの
が到達真智運命魂(菩薩)の取るべき道です。
アーキテクト「希望か……そんなものはただの幻想に過ぎん。力の源ではあるが、か
つ、大きな弱点だ」
私を含めて多くの修行者が、予言の結末と、その予言に起因して引き起こされた惨
事に失望を感じた部分があったことは事実でしょう。希望がなくなった段階で、普通、
人は失望して苦しみ、苦しみをごまかすために外側に何かを求めます。その結果、多
くの信者が教団を離れてしまいました。しかしそういう幻想の希望ではなく、本質で
はない観念を捨てた状態で、心が内的に充足できるどうかが問題なのです。
預言の希望は裏切られ、機械の攻撃によって自分の船も完全に破壊されてしまい、
茫然自失としてモーフィアスは呟きます。
モー「俺は夢をみていただけなのか……それももう終わりか……」
しかし、その夢が壊れたときこそ、希望と失望に揺れ動く心から解放されるチャン
スがあるとも言えます。私もここ数年、夢が覚めつつあるという感覚です。それは悪
い意味ではなく、より心の本質に目覚めつつあるという意味で(私の実感なので皆さ
んにはピンと来ないかも知れませんが……)。
●映画の結末について
ネオは救世主として、マトリックス内では超常的な力を発揮するようになっていた
のですが、「リローデッド」の最後では「現実世界」でも超常的な力を発揮して、攻
撃してきた機械部隊を殲滅します。こうなると、目覚めたと思った現実世界も、実は
まだ夢の中の世界だったという可能性も出てきます。そうなると現実さえも、神か?
はたまた進化した人類が用意した壮大な実験場だったのか……?
個人的希望としては、この映画そのものが、生きることとは何か? 死とは何か?
夢とは何か? 現実と感じているものは何か? 一体何が真実なのか? という仏
教ヨーガの世界観によらなければ、永遠に解けない問いかけを投げかけたまま終わっ
てくれた方が、奥深くて良いと感じます。
間違っても、愛のヒーロー・ネオが、「えっ? 何だか分からないけどやっぱり勝
っちゃったの……?」というのはやめてほしいのですが、ラスト14分の戦闘シーンに
70億(制作費の3分の2)もかけたとなると、ひょっとしてそうかも……。