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M.スコット・ぺックという人の『平気でうそをつく人たち』(草思社)は非常に面白かった。よく売れたらしくて、某古本屋チェーンでもよく100円コーナーに並んでいます。
何が面白いかと言うと、著者が精神カウンセリングの現場で得た経験から、精神が異常であるのは精神病になった本人ではなくて、むしろ取り巻き(特に両親)の「善人善女」なんだ、と言っているのです。彼は、著書の中でこれらの人のことを「邪悪な人たち」と読んでいますが、彼らは品行正しく、信心深く、社会的な名士として通用しています。つまり、霊界物語やスウェデンボルグ流に言えば、「内分と外分が食い違った偽善者、ないしはパリサイ人」に相当します。この辺の心理学的な分析が、背中のかゆい所に手が届くようで、実に興味深い。
「邪悪な人間というのは、他人をだましながら自己欺瞞の層を積み重ねていく『虚偽の人々』のことである。」(p.91)
「邪悪な人たちの特性となっているのは、本質的には、そうした人たちの罪悪そのものではない。彼らの罪悪の名状しがたさ、その持続性、そしてその一貫性である。これは、邪悪な人たちの中核的な欠陥が、罪悪そのものにではなく、自分の罪悪を認めることを拒否することにあるからである。」(p.94)
「私が邪悪と呼んでいる人たちの最も特徴的な行動としてあげられるのが、他人をスケープゴートにする、つまり、他人に罪を転嫁することである。自分は非難の対象外だと考えている彼らは、だれであろうと自分に近づいてくる人間を激しく攻撃する。彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。」(p.98)
「邪悪な人たちは、光---自分の正体を明らかにする善の光、自分をさらけだす精察の光、彼らの欺瞞を見抜く真実の光---を嫌うものである。」(p.102)
「邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物あるいはすべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって内省や罪の意識を逃れようとする。同様に集団の場合にも、当然、これと同じ悪性のナルシシズムに支配された行動が生じる。」(p.275)
ここで思いつくのは、素尊もまた、「邪悪な人たち」の手で罪をなすりつけられ、追放されたということです。自分の罪を素直に認めるというのは、「改心する」というのと同じなので、「邪悪な人たち」=「改心できない人々」=「高姫性格者」という図式が浮かびあがってきます。
私も、まさか100円でこれほど楽しめるとは思っていなかったので、体験を書くとともに、皆様にも御一読をお勧めする次第です。
アトムの騎士 2003年10月31日(金)12時41分
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