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PA(パブリックアクセプタンス)の犯罪
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 30 日 03:14:11:dfhdU2/i2Qkk2

(回答先: Re: 「森喜朗首相サイドが、今いちばん恐れている『石川県・珠洲原発汚職』スキャンダル 投稿者 なるほど 日時 2003 年 10 月 25 日 21:58:44)

第二分科会
■PA(パブリックアクセプタンス)の犯罪

 

■PAについて

佐野雅哉

 PAと今私たちが問題にしている「日本のアジアへの原発輸出」は非常にリンケージしています。しかも、推進側の方は国際会議をやると必ずPAの分科会を設け、力を入れています。後で日本の原発候補地や韓国で何が行われているかは、それぞれ報告がありますが、私の方からは、なぜ日本の原発産業がアジアへ向かおうとしているのか?そして、PAがどのような役割を果たしているのかを説明したいと思います。

 世界で、原子力発電の稼働のピークは92年頃で、94年末現在432基の原発があり、その内の1割強がこの狭い日本にひしめいています。しかしながら、チェルノブイリ以降ほとんどの国で脱原発の流れが定着しており、世界で原発市場が急速に小さくなっているのが現状です。

 日本でも、新規立地点での計画は進んでいません。ここにおられる珠洲や巻などの人たちが文字どおり「良心の力」のみで金にも負けず、地縁・血縁にも悩まされ闘ってこられたからです。しかし、客観的に見ると日本だけといってもいいだろうと思いますが、チェルノブイリ以降14基の増設がなされています。今、「ふげん」を入れて50基体制です。

 今年2月にインドネシアの国会議員ミレさんを招いたときのエピソードですが、彼女は、インドネシアの議会で第10委員会という所に属していて、そこで今まさに日本の原発輸出のことを議論しているのです。(インドネシアにとっては、原発建設問題)そしてミレさんによると、原発を推進しているハビビ担当大臣が委員会でこんな発言をしています。「日本人というのは、勇敢といおうかどう猛といおうか理解に苦しむ事がある。ヒロシマ・ナガサキで痛い経験をしているのにチェルノブイリの事故後も、14基もの原発を増設しているのは驚く」というものです。なんとも考えさせられますね。

しかし、考えてみると50基の原発は、わずか12カ所(福井、福島を1と数えて)の地域に固まっています。数々のところで新規立地を断られています。そして、平面的に見ればあまりわからない事なんですが、立体的に見ればこれは20年、30年攻撃がかけられてきた上で建てさせていないのです。

言葉では言い表されませんね、このことは。たとえば私のすむ大阪の隣の和歌山、日高、日置川では、関西電力が土地を騙し取り、事務所員を派遣して、町長選挙を丸ごと抱えて推進派の町長をつくって、永年立地工作をしてきたんです。しかし、NO!と言ったわけです。

 このように日本の原発反対運動は、文字どおり現地が中心になってやってきたというのがお分かりいただけると思います。現地が増設をくい止めてきたのです。

 日本の原発は、ほとんどがGE、日立・東芝による沸騰水型、WH、三菱による加圧水型です。そして、1年に1基ずつ計2基の割合で建設が進められてきたのが、日本の原子力政策です。2兆円とも4兆円とも言われる原子力産業を維持していくためには1年に2基の受注が必要だと今までいわれ続け、実際にそうやって来た。しかし90年代に入って三菱にいたっては原発建設を着工していません。もうすでに2基体制が崩れているわけです。

通産省の内部資料だそうですが、80年代後半にこのことをすでに通産省は予測していたんですね。しかも、最近建った所は立地計画から20年も30年も経っています。最初の頃は5年〜6年くらいで建っていたわけです。それを考えたとき日本のこれからの原発立地は先が真っ暗ということで、したがって、原発産業はその生き残りをかけてアジアに行こうよ!ということなんです。このことは、他の分科会でやっていることですが、そういう流れになっています。

 アジア各国は、経済発展に伴うエネルギー需要の「必要性」からたくさんの原発建設計画を持っています。しかし、アジアでエネルギー問題を原発ですべて解決しようとしたら、アジアで今後1000基以上の原発が必要だそうです。したがって彼らも全てのエネルギーだというこという事で考えているのではなく、その場しのぎといおうか、とりあえず原発を立てるための方便といいますか、エネルギーを第一番の口実にしています。

 それで、PAですが、聞きなれないと思いますが、パブリック・アクセプタンス=社会的容認・承認=と訳しますが、社会に原発を認めさせる、納得させるという意味です。これはいったい何をしたのかが問題なんです。これは、お金をばら撒いてウソの宣伝を行ったのです。88年の2月の伊方の出力調整実験の反対運動があって、それに引き続く東京2万人行動があった。そして、四国の窪川で、四国電力が駐在員をおいて永年立地工作を行ってきたのですが、反対派町長が当選してひっくり返ったわけです。こういう原発現地と都市部の運動が段々つながってきたのが、80年代の後半です。私たちも日高や日置川、そして、今日ここにも来ておられる北野さんが住んでいる珠洲にも、ピースサイクル、ピースマラソン、といって現地の方にお世話になり、交流を深めてきた。その後、私たちはアジアとの交流も深めていったわけです。

 それで焦ったのか科学技術庁は、88年7月11日に原子力広報対策連絡会というものを設置しました。その中で、「反原発の情報を収集する」ということが謳われ、確かにこれはやられています。たとえば、芦浜を支援しているグループが中部電力を相手に株主訴訟の裁判をしたのですが。裁判をしたときに反対派に対する嫌がらせがすごいんです。

 中部電力は、この芦浜支援の裁判に対して、「これは反対派による悪意の裁判であり、反原発をするための裁判であり、訴えは無効である」と主張して裁判所は、これを認めたんです。それでこの時出された準備書面の中に反対派の動向データーがびっくりするほどあったんです。この人は、どんな集会に出てどんな発言をしたのかということが事細かに綴られてある。自分も記憶していない事がたくさんあって、動員表みたいになっていたそうです。

こういう情報を収集していたわけです。こういうことを日本は、国際会議で報告し、アジアとのPAの国際会議でもいつも自慢しています。「私たちは、反原発の情報を持っている。それで彼らの運動を弱める事に成功している」と言ってるんです。

 また、当時、全国に原発推進のオピニオンリーダーを育成してPAを強化していくという事も強調されています。

記憶にある方も居られると思いますが、この頃から4大紙に原発の安全PRとか必要性についての全面広告を出すようになっています。これを一回出すと約2億円くらいかかるそうです。これも、PAの一環として予算を増額して取り組んだ結果です。そして、政府は、国際会議で「科技庁のPA予算を10倍にして成功した」と報告しています。そうして、いかに住民を騙すかということをアジア各国で研究している。そういうこともあるということをチェックしていただきたいと思います。

 そして、アジアで原発を推進していこうと思えば、必ずPAが必要になってくるという事です。これは、韓国がとくに日本に要請している事でもあります。韓国政府が言うのには、80年代までは反原発運動があまり無かった。しかし、86年以降芽生えてきたと。反対派は、嘘の情報を流し住民を惑わしている。安眠島では、2万人の島民が警官隊を取り囲んで政府の実力行動を抑えて、核廃棄物処分場を作らせなかった。その後、8回も政府は、処分場の計画を出したが、全て、大統領名で撤回せざるをえなかった。このように、韓国政府は原発反対運動に対する危機意識を持っています。

それで韓国政府は、日本政府に「日本は、30年来の反対運動に対抗する経験を持っているじゃないか。日本が先頭に立って、PAのセミナーを開き経験の交流をしてほしい。」と要望したらしいんです。それで、韓国で行われたPAセミナーでは、韓国政府の報告では、「ノーニュークス・アジアフォーラムによって、韓国の反対運動が強くなって困っている」と発言しています。私たちの存在を彼らは意識しているんですね。

とりあえず、PA全体像としては、大体こういう流れになっています。推進側の方が積極的にネットワークを組んでいますから、私たちとしても積極的にアジアや日本の原発地域の人たちとネットワークを強くして推進側の動きや嘘を暴露していき、そして、原発のない社会を目指していかなければならないと考えています。今日は、そういう経験交流の場としていきたいと思います。

 


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■原発なんかいらない!住民投票が示したもの

巻町から 桑原正史

 ご紹介にあずかりました桑原です。

 皆さんご承知のように、巻町では今年8月4日に原発の設置をめぐる住民投票をなんとか実現することができました。全国多くの方々から物心両面にわたるご支援をいただき、本当にありがとうございました。

 もちろん、住民投票の投票権は巻町の人間にしかなかったわけですが、多くの方々の気持ちに支えられているんだということを実感するためと、自分たち自身の意思表示も兼ねて、住民投票運動の際にはハンカチを寄せていただきました。自分たちの気持ちを一言、そのハンカチに書いて送っていただこうということで、ほとんどの都道府県から送っていただきました。半分ぐらいは巻町の人、残りの半分は県内および全国各地からです。全部で2万枚をこえているだろうと思いますが、あんまり多くて数えるのをやめてしまいました。それを丁度メイポール(maypole)といいますか、クリスマスツリーといいますか、そういう形にしまして、大小様々あったんですが、最も高いのは7m50cmぐらいのポールを使って、町の中に30数カ所そういうものを作ることができました。ポール以外にも、それぞれの家庭でそのハンカチを20枚、30枚つないだものを家のどこかに掲げたり、庭の木に掲げたりしました。お天気のいい日はポールにつないだハンカチが風にはためいて、本当に美しいと思いました。多くの人達が私たちを支えてくれているんだということを実感することができました。本当にありがとうございました。

 

■巻原発反対運動の経過

 ご存じの方もおありかと思いますが、巻原発計画のこれまでの経過を簡単にお話ししておきたいと思います。

 一般の町民が、巻町に原発計画があるということを初めて知ったのは、1969年の6月です。新潟県の地元紙で「新潟日報」という新聞があるんですが、ここがスクープするような形で出ました。実際には、用地の買収等はその数年前から進められていて、予定地は過疎になって、間もなく廃村になるだろうというような場所だったんですが、観光地として再生するという名目で、東北電力のダミーの不動産会社がどんどん買い集めていた。そして話が表に出たときにはもう大半の土地が東北電力の手に渡っていました。

 それに対して、地域の住民がすぐさま反応するとか、声を出すというようなことが一遍にできるような町ではありませんでしたので、ほとんどが黙り込まされていきました。そんな中で小さな小さな反対運動が起きましたが、それはほとんど町全体の中では影響力を持たないものでした。そのほか社会党系の労組の方々の反対組織もできましたが、それは一定程度動員力がありますから、局面局面である程度の動員をかけて何か対抗的な集会や抗議行動的なものはできても、それがそれ以上町の中に広がるということはほとんどありませんでした。

 そういう中で、8年ぐらいたって、77年12月に町議会が1号炉の建設同意を決議しました。いわゆる「誘致決議」と呼んでいるものです。その中味は、当時の推進派の町会議員で今はもう引退した人たちが、今だから言えるということだと思いますが、「原発について、あの時、自分たちの仲間はほとんど知らなかった。分からなかったけれどもとにかく国も後押ししているし、随分お金も来るようだし、まあとりあえずいいんじゃないかというくらいのことで賛成をした」と言っています。その頃、巻の町会議員は26人いましたが、反対したのは2人だけです。あとは皆賛成。圧倒的な賛成の中で議会の誘致決議がなされた(実は機動隊に守られて議会を開いたんですが)。その後、巻町の中では東北電力も国も、いわゆる推進側の人たちも、「この77年12月の誘致決議があるから、つまり町民の代表である議員が大半賛成をしたんだから、巻の町民は原発の建設を認めた」と主張してきました。従って、今回の住民投票に対しても、推進側の人たちは「何のために改めて住民投票をする必要があるのか、まったく意味のないことだ」と言い続けてきました。

 誘致決議の後、漁業補償が決着をし、町長の建設同意があり、知事の同意がありという中で第一次公開ヒアリングがおざなりに開かれまして、そしてスリーマイルの2年半後になると思いますが81年11月に電調審に上程され、そのまま国の電源開発基本計画に入りました。いわゆる推進派の人たちが言う「国策」になったわけです。いったんそういう段階まで手続きが進んでしまうと、今度はますます推進側の人たちは「国策なんだから」ということで、それを町民に有無を言わせない一つの根拠にしていきました。「もう国策になっているんだから、今さら一地域の小さな町の住民がそれを動かしたりしたら大変なことになる」という言い方で、ますます町民は手出しができなくなっていきます。手出しをすること自体がこの社会の中で誤ったことなんだという、いわばそういう主張が町の中に流布されていきました。

 そういう中で巻町の大概の人たちは、原発についてそこはかとない不安のようなものを持っていたと思いますが「まあ受け入れるしかないだろう」ということで、考えないようにしてきたという状況が長く続いていたと思います。

 巻町では、話が初めて町民に分かったのが69年6月。そして国の電源開発基本計画に載ったのが81年の11月。年が明けて11年の1月に東北電力が1号炉の原子炉設置許可申請を通産省に提出しました。それは半年か1年ぐらいで認可になって建設着工はもう時間の問題、というふうに私たちも思いました。この時、反対運動の広がりはあまりなかったし「まあやれるところまでやろう」という、いわば敗戦処理的な気分でやっていたと思います。もちろん、何とかしたいという気持ちは強くありましたが。

 ところが幸い、巻町ではその後計画がぱたっと止まってしまいました。これはある意味で、地元の同意・PAということと若干関係があるかもしれません。つまり、推進側としては取り付けたはずの地元同意に不備があって、その不備が露呈してきた。

 

■原発建設の手続きと住民同意の実態

 日本では、国にしろ電力会社にしろ、あの人たちが本当に真面目に地元の人々の同意を得ようなんて思っていないことは非常にはっきりしているわけです。ただ日本の社会は、そういう彼等も一応「地元同意」という形式を取らざるを得ないぐらいの社会ではあるような気がします。スタイルだけにしろ、とにかく全く地元を無視してコトを決めることはできないというようなところまで、なんとかこの社会はたどり着いているような気がします。

 巻原発反対運動の経験に即して言いますと、日本における原発建設手続きの中の「地元同意」は、こういう分類ができると思います。当を得ているかどうかわかりませんが。一つは、巻町なら巻町に住んでいる人たちの中で、特定の権利を持っている人たちの同意が必要だという部分がある。具体的に言いますと、漁業権や予定地内の土地の所有権を持っている方々、そういう法的に保証された権利を持っている人たちの同意を得ないと、電力側は計画を遂行できないという面があります。したがって、そういう法的に保証された権利を持っている人たちが拒否を続ける、つまり同意をしないということによって原発は確実に止めることができると思います。

 巻町の場合には、そのうちの漁業権については突破されてしまいました。これはどこでも同じ様なうす汚いやり方が行われています。お金がどんどん上積みされていく。特に巻町の場合には予定地の過疎化が進んでいて、村の若い人たちがみな関東の方へ出ていく。お年寄りだけが残っていて、連れ合いが元気なうちはまだいいが、どっちかが倒れたりしたら、東京にいる息子夫婦のところに行かなきゃならない、そのときにお土産のお金が欲しいと、いわばそういう人間の悲しく弱い部分を突くようにして漁業補償の値をちらつかせて決着させてきた。そんなことがあって、漁業権というところで食い止めることはできなかった。

 用地についても、ほとんど同じような状況があり、もともと予定地は、江戸時代には250戸も家があった所なんですが、海岸浸食でどんどん住環境が悪くなって過疎が進んでいました。原発計画が表に出たときには、もう13戸ぐらいしか家がない、やがてそれも消えるであろうという状況だったわけです。原発が表に出る前にほとんど買い占められていたわけですが、地権そのものは非常に細かく分かれていましたから、買収しきれずに若干の土地が残っていた。その土地の一部を、そのころ学生だったりしたごく少数の反対運動のメンバーに、もし原発反対の役にたつのならということで、50坪くらいの土地を2ヵ所、譲ってくれた人がいました。その土地が結局未買収のままになっています。そのほか、いろんな経過があって、町と2つのお寺が所有権を争っていたために売れなかった町有地があります。そういうような所を残したまま、国も東北電力も巻原発計画を電調審に上程し、基本計画に入れてしまいました。それは、公開ヒアリングの時に国や東北電力が町民に示した原発建設までの手続きに反する、つまり国や東北電力は用地の取得が終わってから電調審それから電源開発基本計画への組み入れという流れを町民に示してきたわけですが、彼等自身がそれを無視する形で、全地権者の同意を得ないで進めてしまった。そして、それがそのまま問題として残っているということです。

 二つめに、地元の人の同意という観点で言うと、形式的ではありますが、先程申しました議会の同意だとか、地元首長、巻町でいいますと町長の同意、あるいは県知事の同意というものを、国側も一応運用として手続きの中に加えているわけです。住民自治とか、民主主義という考え方が社会の中に浸透していれば、当然そこに住民の意向というものが反映されなければならないわけですが、それは望むべくもない状況でした。しかしその望むべくもない状況の中で行われながら、議会の同意決議にしろ町長の同意にしろ、いったん同意されると住民が同意した形になるわけです。推進側からすると、それでいいのかもしれないのですが、住民の中には割り切れないものが残り続けたと思います。

 三つめは、公開ヒアリング、環境影響調査があります。これについても、縦覧などがあって住民が意見を言えることになっていますから、そこでノーと言えば、本来なら考え直される場面のはずです。しかし、推進側はそんなことをするつもりはありません。

 これら、手続きの中には、一応権利者の同意と、行政的な同意、公開ヒアリングなどがあります。それらがきちんと皆んなが納得できる形でなされていれば、我々が同意するしないという局面は3種類あるわけです。巻原発の場合は、そのうちの特に2つについて、事実上町民の不同意を残したまま進んでいった。特に土地が残ってしまったことが、1号炉の原子炉設置許可申請に対する「安全審査」を止めた。私自身は地権者ではありませんが、反対派が土地をもっていることは、もちろん分かっていました。しかしそれでも、もう時間の問題だと皆んながあきらめかけていたのは、強制収用されると思っていたからです。実はその強制収用が非常に難しいということが、後になって、つまり審査が進まないという状況になってから分かってきました。とにかく後は国の許可証一枚、みたいなところにまできて、結果的に10年ぐらい手続きが止まってしまいました。

 

■なぜ住民投票が実現できたか

 いったん計画が止まってしまうと、東北電力や地元の推進団体はあまり広報活動をしなくなりました。逆に、私たちはこの10年間、あまり休まずに毎月新聞折り込みで1万部近いチラシをまき、集会も年間4回ぐらいのペースで継続してきました。もうひとつは原発の問題を政治的な枠組みからとり出すと言うか、原発問題は原発問題だけにしようとしました。巻町の中で保守=原発賛成、革新=原発反対という図式になっていましたから、そういう政治的な枠組みと原発は別なもので、原発は保守とか革新とかに関係のないものにしようと考えた。そういう努力をしてきました。

 その10年間、推進側は東北電力からあまりお金も出てませんから、まあ若干出ていたわけですけれども、町民に対する締め付けが弱まった。その中でいろんな原発の事故やチェルノブイリが起きた。そしてずっと安全審査が進まない中で“ひょっとすると巻原発はできないかもしれない”“我々は助かったかもしれない”そういう思いが町のなかに広がったと思います。これを逆なでするような形で2、3年前から急にまた動きが始まったわけです。いったん“助かったかもしれない、原発はできないかもしれない”と思った多くの町民の気持ちを逆なでするような動きに対する反発は非常に大きかったと思います。しかしそれでも、多くの町民が一気にその気持ちを表明するのは決して簡単なことではありませんでした。

 原発反対の意思を発言することは、地域の中で非常に多くのギクシャクしたものを生むわけです。それを、町民にどうやったら自己表現してもらえるか、我々運動する人間は一生懸命考えました。さきほどのハンカチなんかもそうです。推進側の方は力を使って、署名をさせるんです。住民投票でも私は賛成に投票しますと署名をさせて。我々は、そういう署名ではなく、名前は書いても書かなくてもいいからハンカチを寄せてもらおうと。そういうやり方というのは、2年前ぐらいにも折鶴を折って寄せてもらうという運動をやって、非常に多くの町民に受け入れてもらった。意思表示の一つの方法ですが、とにかく意思表示をすることを避けながら生きていこうという雰囲気のなかで、なんとか意思表示をしてもらいたい、やわらかな形でいいから意思表示をしてもらいたい、私たちは運動の中でそのための方法を考え続けてきたと思います。

そういう私たちの運動だけが巻町の状況を変えたとは思いませんが、そういう中でずっと原発問題について口をつぐんでこられた方々が、中立という立場で住民投票をやってみようじゃないかという運動を起こしました。これは巻町の状況を大きく転換させるものだったと思います。反対と言えない人たちの中から、中立という形で住民投票でみんなの気持ちを聞いてみようという運動が起きた。これは巻町の人たちが原発問題について発言し、行動する機会をずいぶん広げたと思います。反対と言わなければ動けないんだということになると、やはり動ける人間は限られてしまいます。推進側の人たちは、その中立運動を反対運動の一種だと攻撃しました。黙っていれば原発が出来てしまうという状況の中で、ちょっと待て、皆に聞いてみようというわけですから、推進側からすれば、これは反対運動だということになるわけです。しかし、中立のグループは、何を言われようとも、我々は中立だと言い続け、今も言い続けています。そういう人たちが状況を切り開いてきた。そういう意味では、巻町のような保守性の強い地域でなんとか成立し、ここまでたどり着ける方法を私たちは本当に運よく手に入れたなと思っています。もちろん住民投票は巻町民だけではなく、具体的には資金の面でもずいぶん全国的に多くの方々から支援をいただきました。そういう支援がなくてはここまでたどり着くことはできなかったと思います。

 

■住民の力を信じて

 最後に「住民の同意」という観点から言うと、国も電力会社も今回の住民投票であれだけ原発反対の票が多かったにもかかわらず、「巻町民からまだ十分理解してもらっていない」という言い方をしています。「原発に反対する人間は理解力が足りない人間だ」という言い方をしているわけです。3年半後には、また町長選挙があります。「そこで推進派が原発推進を公約して町長に当選してしまえば、自動的に住民投票の結果は無効になる」というようなことを言っている推進派の人たちもいます。ですから、住民投票で原発反対票が多かったからと言って、決して油断できる状況ではありません。

 ただ、今回の住民投票を通じて、ずいぶん多くの町民が原発についてよく勉強したと思います。原発関係の新聞記事、テレビを本当に巻町の人は丹念に見ました。我々反対派も推進側も、随分たくさんのチラシを出しましたが、戸別訪問をして回っていますと、70歳すぎ、或いは80歳ぐらいのおばあさんたちが、よくそれを全部持っていて、そしてよく読んでいます。巻町の中で私たちが戸別訪問をしていて、原発なんかいらないという意見の中でもっともよく聞く理由は「廃棄物の後始末ができないものを何故つくるんだ」ということです。これは原発の本質まで、根本的なところまで巻町の住民が理解しているからだと思います。そういう町の住民のひとりだということを、今、私は非常に誇りに思っています。そういう住民の力を信じてこれからもやっていきたいと思います。どうもありがとうございました。

 


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■物・カネの地域振興にみるPAの実態

珠洲から 北野進

 推進側がどういうPAを展開しているかを中心に、珠洲の状況をお話したいと思います。

 珠洲の原発の計画が公になったのは、今から21年前1975年です。行政手続きの段階で言いますと、巻は電調審に上程されていますが、珠洲はそれよりまだずっと初期の段階です。環境調査もやっていないし、もちろん電調審にも上程されていない。それから漁業権にもまだ電力は手をつけていない。土地についてはごくごく一部電力会社が買収しているところはありますが、本格的な用地買収には入っていない。現時点では賃貸借契約という形で地権者とのつながりをつくり、お金を落としています。私たち反対派の方もすでに共有地を何ケ所も設けて対抗しています。そういう段階だということをまず一つ頭に置いていただきたいと思います。

 計画が浮上したのは75年ですが、初期地点や要対策重要電源といった国が本格的にとりくむ計画地点だと指定する制度があるわけです。珠洲の場合、要対策重要電源に指定されたのは今から3年前、93年の6月。ちょうど自民党の単独政権がもう終りという時に指定されました。推進に向けての動きもその前後で一気に強まっていきました。

 しかし珠洲での推進側の動きを振り返ってみますと、先程PAという言葉が推進派の中で取り入れられたのが80年代半ばという話がありましたが、おそらく珠洲の場合は電力会社、推進側がはっきりPAというのを意識したのは89年じゃないかと私は思っています。それまで推進側は珠洲の予定地は中部電力が計画する寺家と関西電力が計画する高屋の2ケ所あるんですが、現地の限られた地権者と漁協関係者の同意を得るということに絞って、そこさえ押さえれば大丈夫と考えていたようです。あと、市議会は推進派の自民党が圧倒的多数を占めていますし、市長も原発立地推進を公約に掲げて出ていますからハードルはないわけです。ところが7年前の89年に市長選挙があり、この時に推進側の候補者に対して、反対側から私が出て、さらに直前にもう一人原発反対を掲げる人が出ました。そしてその反対を掲げた候補者2人の票が過半数を超えたわけです。推進の市長が勝つには勝ったけど、反対派が一気に勢いづきました。その後事前調査が強行されたんですが、多くの市民の阻止行動で中断に追い込みました。ここで推進側は、それまで寺家と高屋という現地に絞っていた立地戦略を市内全域に広げました。さらに周辺市町村にも反対運動が広がっていましたから、周辺市町村も含めて手を打っていかなくてはならない、そういう状況に追い込みました。

 

珠洲でのPA・広報活動

 珠洲の原発は環境調査に入る前の段階で行政としてどういうPAができるかということについては、ここに通産省資源エネルギー庁から出ている「電源立地のすすめ方」というPAも含めて書いてあるパンフレットがありますが、これが非常にわかりやすくまとめてあります。具体的にどういうことができるかと言いますと、先ほども住民や議会に協力を求めるという話がありましたけれど、いわゆる広報活動ですね。あとはいろんな地域振興に関係する調査とかイベント関係で使える予算もあります。いわゆるソフト面の事業しかないんです。原発ができたら「箱もの」がいっぱいできるという話がありますが、珠洲みたいな立地段階では「箱もの」はなかなか作れないんです。推進側は広報活動として講演会なり地区懇談会を開いたり、いろんなチラシを次から次へと新聞折り込みで入れたり、そういう広報活動を大々的に展開しています。それから原発ができたらこういう町ができるんだという構想を策定する調査費もつきます。その他様々なイベントを実施する予算も入ります。

 広報活動の具体的内容は基本的には安全性、必要性、それから地域振興の3点が柱になっています。必要性というのはいろんな言い方がされますけど、電力の需給面から必要、地球温暖化問題に対してCO2削減ということから必要だといったことが中心になります。しかし地元にとって最も大きなポイントになるのは、地域振興につながるかどうかなんです。珠洲は過疎がどんどん進んで、高齢化率も27%を超えてますが、そういう状況の中で、ちょっと荒っぽい言い方をしますと、そこに住んでいる住民にとって地球環境問題なんてどうでもいい話で、原発誘致が地域振興につながるかどうか、そこが一番のポイントになってきます。チラシなんかでもきれいなカラー写真を使って、よその「原発先進地」ではこんな立派なものができました、こんなふうに地域の発展につながっていますと懸命にアピールしています。

 ただ、こういうPA活動にも限界があって、推進側にとってもなかなか思うようにいっていないわけです。

 たとえば視察旅行といいますと、なかなか推進側が行ってほしいと思う人は行かないんですね。推進と決まっている人が毎年、年に2回も3回も行く。珠洲でいいますと、一番行っている人は20回以上も行っています。電力会社も行政もなかなか断われないんですね、推進派怒らせたらおしまいですから。

さらに参加する人をみても、60歳以上の人が半分を超えています。本当はこれからの珠洲を担ってくれる若い人に行ってほしいというのが推進側にはあるらしいんですが、なかなか若い人は行かない。こんな状況です。最近は一度も参加したことのない方といった条件をつけたりしています。親子で参加してくれというのもあります。いろんな手を打っていますが推進側も苦労しています。

 それから広報活動にしても今配ったチラシ、これは中部電力が配ったものなんですが、片面が季節ごとの料理の紹介なんですね。こういうのをやらないとなかなか見てくれないんです。活字には限界があるということで、最近はラジオやテレビなんかのコマーシャルのほうに重点を移しています。ラジオでナイター中継なんか聞いていると「提供は珠洲電源開発協議会です」とか流れてムカッとくるんです。

 また講演会なんかもいろいろやってますが、最初は私らも珍しがって推進側が何を言うかってことで押しかけて行ったんですが、だいたい推進の学者なり先進地のリーダー的な人がしゃべるのも、あまり面白くないんですね。私らが聞いていても面白くないんです。何回も動員されて参加する人は、もううんざりなんです。そういう状況で、推進側のPAも、視察とか広報活動、講演会なんかを通じて地域振興につながるかってことを言ってもぜんぜん説得力がない。

 

飴玉をしゃぶらせてボーンと5千万、1億円

 そういう中で最近電力会社が行政も含めてですけども力を入れているのは、具体的に飴玉をしゃぶらせることなんですね。

原発が地域振興につながってないというのは、視察した人はよく分かります。珠洲で推進の先頭に立ってる人でも、「よそと同じようなものができるだけなら原発はいらないよ」と言います。「珠洲はよそとは違うんだとわかるような、もっともっといろんなことをやってくれないと困る」と言います。そういうことですから、計画の初期段階ですが、現実に飴玉をしゃぶらす、お金を渡すということもあるんですが、いろんな箱ものを少しずつ作ってきています。

 関西電力が最近作ったものでいいますと、能登の方は祭が非常に盛んで、「きりこ」がありますけども、この「きりこ」の収納庫を関西電力がぽんと地元高屋に寄付をしてこれが、5500万円。それから今年の6月に完成したもので、農産物の保冷庫。全戸で75戸なんですが、全員が利用できるような大きさで3千万ほどかけて作っています。これはもちろん電気を使いますから維持管理費がかかりますが、これは電力の方が負担しています。他にもまだ野菜の水耕栽培の施設とか漁具倉庫とか、いろんな計画が目白押しになっています。

 中部電力の方はもっと巧妙にやってる感じがします。まずバイ貝の養殖施設、これは漁業関係者を対象にしていて、建設費はだいたい1億円ぐらいで、年間の維持費が300万円ぐらいかかりますが、こういうのを作って利用させている。農業者用には1億2千万円するビニールハウスをプレゼントする。一番のポイントは原発ができた時の町づくりのイメージづくりと言いますか、「原発が来たら、たとえば養殖施設なりハウスなりの、それのもっとでっかいのがポーンと来るんだよ」ということを示す。そのためにまず少しずつ飴玉をしゃぶらして実感させる。

もうひとつPAという観点からの大きなポイントは、電力の社員や市外の人が原発はいいよ、いいよとPRするのではなく、地元の中で地元の推進派がしっかりと原発推進を語ってくれるようにすることです。周りからではなくて、地域の中で地元の推進派が地元の反対派を説得できるだけの力をつけてほしい、これが一番の狙いです。逆に言うと、電力会社も、通産省も含めてなんですが、地元の推進派は、あれをくれ、これをくれとねだるだけで、自分らでこの地域をどうしようとか考えようとしない。国や電力会社におんぶにだっこの状態になっているというのが悩みとなっています。そういうのを少しずついろいろな施設を造ってあげて、それを生かしてその地域をどう作っていくのかということを地元の人達に考えさせる、そういう教材みたいなものですね、それにぼーんと5千万、1億というお金を使っている。そこが最近一番電力会社のPAで力を入れているところじゃないかという感じがしています。

 

金、カネ....

 一方、行政の方も、巻の方でも頑張っていて新規立地がなかなか困難な状況の中で、来年度の国の概算要求は、原発の既存の立地点には、今まではいわゆる電源三法交付金のお金が続くのが建設着工から運転開始5年後まで交付金が切れる。固定資産税はもう少しありますけど、それもだんだん減っていく。そういうお金の問題があったわけなんですが、それを運転中もずーっと与えるようにするという制度を来年から設けます。それは新規立地対策というよりも増設対策ですね。国の方はそういう方向に、新規立地は難しいということで動いて来ていると思うんです。

 ただ、そうは言っても新規立地点の推進の自治体としては何かやらなきゃいけない、ということで行政の方も石川県と珠洲市で「電源立地地域振興基金」というものを設けています。例えば地域の集会場を作るのでも、普通だったら地元の住民の負担が2分の1あると思うんです。大概のところは、1千万円の集会場を造るんなら500万は地元負担ですが、この基金を使って県と市が半々持って豪華な集会場を建てる。これだけではなく簡易水道だの、テレビの共同受信施設などいろんな物を作って地元に提供しています。この基金の一番のポイントは、よその地区だと住民負担がかかる様々な施設を、住民負担ゼロで提供することです。これも先ほど紹介した電力がやっているのと同じような手口で、「原発ができたら地元の皆さんは負担しないでもっと大きな物がもらえますよ」と思わせるわけです。

小出しに小出しに味合わせる。そういうことを今、電力、行政それぞれ役割分担しながら展開してきています。

 

 たいへんありがとうございました。北野さんでした。私たちが、夏に行ったときに反対派の人たちが嘆いていたのですが、お金が流れてきて、しがみつく人たちがどんどん増えてきているということで、これはいかんともし難いと。それが、PAの本質なんですね。
それでは韓国ではどういうことが起こっているかということを話していただきたいと思います。

 


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■卑劣なPAに抗して

ムン・ユミ

みなさんこんにちは。私は、昨日関西国際空港からこちらへ来るまでの途中、「原子力の日」(10.26)を知らせるポスターを見ました。「みんながつくる10.26」という子供の絵でしたが、子供の絵を使ってまで、こんなに原子力を宣伝することに怒りを感じました。核を宣伝するために子供たちの純真な心まで利用しているのかと思うと本当に悔しくなりました。

この反原子力国際会議を開催してくださった日本の皆様に感謝します。PAの報告の前に若干、 の話をしたいと思います。韓国では、現在、11基の原発が稼動しています。今日、10月19日になって霊光原発5・6号炉が着工され、7つが建設中です。霊光郡が5・6号炉の建設は許可しないと言って地元の人々から歓迎されていたのですが、中央(韓国)政府からのあまりにも強い圧力に屈伏して、許可してしまったのです。政府だけでなく韓国電力側の方も5号基を許可しないと霊光郡の財政を破綻してしまうほどの金額を損害賠償をしてもらうという形で脅かしました。さらに、マスコミでも「霊光郡は、地域利己主義だ」という偏った報道を行いました。

 結局、ダムを建設することや名門高校を育成してくれるという条件で許可してしまったのですが、大勢の住民は、それに反発して集会を開いています。こんな騒ぎの中で、悪い前例を残しましたが、結果的に、10ヶ月くらい許可を延期しながら近くの光州や半島の全く反対側の海岸地域で離れている月城(ウォルソン)の住民と連帯ができるきかけになりました。

 今日は、PAの問題ですが、韓国では、PAという用語はあまり知られていないようです。韓国語で理解しますと「国民理解事業」というふうにいえるのではないかと思います。PAは、国民をいかに原発推進へと進ませるか、これに対して、二つに分かれると思いますが、一つは、国民に対する広報、もう一つは、地域住民を懐柔する政策ではないかと思います。

 核発電所(韓国では原発のことをこう呼ぶ)がある所では、どこの国でも大量的に宣伝を行っていますが、私は、その宣伝活動が、国民愚民化事業の一つではないかと思います。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、地下鉄、鉄道、また、野球場まで使って宣伝していますし、とくに、霊光5・6号炉の増設問題に限ってだけでも904回もの宣伝をしています。とくに強調する内容は、チェルノブイリの事故の場合は、韓国の原発と違って、格納容器が無かったため危険であったなどと言っています。また、原発は、二酸化炭素を出さないので環境にいい。原発がないと電気は全部消さなければいけないという宣伝をしています。

 こんなに大量にあらゆる方法を使って宣伝しているにもかかわらず、こういう公聴会とかにはでないのです。また、反核活動がマスコミにでたとかまたは、人々が支持する事に対しては、自分たちの広報が足りなかったとか、これからは反核派から宣伝のやり方を習うべきだとか、こんな笑えないぐらいの話をしています。

 私たちが、一番悔しく心を傷める宣伝の一つは、次の世代を対象とした教育なんです。いわゆる子供を対象に教育をやっていますが、これからは小・中・高校の教科書の原発に対する記述を2倍に増やすとしています。

 そして、これは子供たちに人気のある「少年朝鮮日報」という新聞ですが、核を宣伝するものでタイトルが「神秘の火 原子力」で、93回連載されています。

 掘業島(クロプ島)の核廃棄物処理場建設反対闘争が激しかったとき、ある小学校の道徳・倫理という科目の試験の中では、国策事業をやるのに一番困るものは、それは何でしょうかという4択の問題が出ました。それで、正解は「地域利己主義」でこういう回答を選ぶように試験問題も出しています。

 また、それ以外にマスコミには、何か事故があっても隠しますし、また、それを出すときにも「事故があったけれども環境には全然影響を及ぶさない等級0クラスの事故であった」、「放射能は全然出ていない」と、そういうふうに宣伝しています。

 また、最近は、科学技術庁や韓国電力の名前を直接的に出さなくて、他の団体を使って宣伝しています。例えば「原発を理解する女性たちの会」を作って、この団体から宣伝をするようにしています。

 今週の月曜日でしたが、グリーンスカウトと手を繋いで「地球環境とエネルギー」というシンポジウムをやっています。また、さっき抜かしましたが、女性たちは反核活動をやる場合強くなるんですが、主婦たちを利用して「主婦がこんなに賛成している」とか、または、国会の前でも我々(主婦の団体)はあくまでも賛成であるとかというパフォーマンスをして利用しています。

それで、霊光郡州が原発建設を許可しないという事がマスコミに出たときに、「原発を理解する女性たちの会」が、韓国の有名な日刊の5大紙の半面に広告を出しました。彼らの新しい戦術の中では、労働組合を利用しています。例えば、この前、霊光原発で蒸気発生器に問題があり放射能が漏れたのですが、これをある神父さんが発見し暴露したときに、労働組合が動員をかけて「そんなウソは言わないで」とか地域環境団体を批判する攻撃もありました。

 こんなに莫大な金をばらまく広報費用が代替エネルギー研究基金よりもオーバーしています。こんな莫大なお金をかけて子供たちを洗脳させて、国民たちを愚民化するのです。

 2番目は、懐柔工作に関してですが、韓国でも現在、新規立地はだめになりました。また、核廃棄物処理場建設計画も失敗しました。それで、原発のある所で、増設することに今、集中的にお金を使おうとしいます。彼らがいつも言っているキャッチフレーズは、「発電所の周辺地域を豊かで住みやすい村へ」というタイトルです。また、彼らは、いつからそうなったのでしょうかね、(笑い)「いつも環境を考えている」政策を出しているとして、「このPR紙は、再生資源を用いています」と宣伝しています。 

 このようにPAの戦略は、同じです。さっき珠洲の方もおしゃっていましたが最初は「観光団地をつくる」と言っていたのと同じく、莫大な金を使います。また、「原発が来ると地域が発展する」というこの「幻」を正当化させようとします。その一方では、あまりにも厳しい規制=いわゆる韓国における公権力を強く行使しています。このことは、一方では、甘い言葉、またもう一方では凄い弾圧、いわゆる「アメとムチ」戦略といえます。

 また、「原発を建てると支援金を出します。また、支援金が増えています」と露骨に宣伝しています。「95年は250億ウォンを支援しますと、でも、1年後は776億ウォンも支援します」と宣伝しています。これからこの金額はどんどん増えていくでしょう。前はそんなお金で橋、道路や村の会館を作る、また、子供たちの遊び場を作りました。でも、韓国電力側の判断は、これくらいでは村人たちに目立たないと感じたのでしょう、それで、最近は方法を変えまして、これからはゴルフ場を建設して、それを自治体に譲る。また、「観光団地」を作って、その経営を自治体に譲るとか、こういうふうに宣伝しています。

 また、これからは、原発を建設する前でも計画段階から莫大なお金を使うという特別な法律案も用意しています。

 それで、本当にその地域が原発が建って発展して住みやすくなったのかと思ったら?行ってみたら実際はそうではありません。

 古里には4基の原発があります。この地域で一部の人が原発誘致運動を広めた時期がありました。その理由の一つは、「この村は20年間あまりも貧しかった。これからは、核廃棄物処理場でも誘致して、豊かに生活してみよう」という話でした。その人のようになるには、皆さん、どうしてそうなるか、その理由はよくご存知だと思います。

 原発が稼動し始めたら、温排水の被害で海苔、カキ、貝などが死んでしまって、海は破壊されました。農産物も売れなくて海水浴場も閉鎖することになりました。そういうふうに、その村人たちの自立の基盤が崩れるのにいくら韓国電力がお金をくれても、生活はよくなりません。それで、都市でもない、農漁村でもない、私は、それを「核村」になる過程−「核村」になっていく悲劇だと思います。

 霊光の場合は、霊光郡の財政は、30%が韓国電力から依存しています。稼動されたら交付金が3年しか出ないので、続けて金がいりますから新しく原発を呼ぶこの悪循環が繰り返されるのです。

 今言ったように、原発が入って環境破壊、または経済的な面よりも私は一番悪いと思うのは、その地域の共同体意識を崩したのが、一番悲劇的だと思います。今年の春、大学生たちと原発がある村に農活(援農)に行って昼は外で働いて夜は住民たちを集めて討論をしましたが、住民たちの話は、「(反対運動)やってみてもできなかった、しょうがなかった、また、しょうがない」ということが大半でした。また、「一緒に反対運動をしていた住民なのにある日、急に来なくなて、向こう側に回って莫大な補償を貰って道路を作ったとか、いくら貰ったとか、こういうようになっていて、裏切られました。結局、我々も続けて反対してもしょうがないから賛成でもして実質的なお金でも貰う方がいいんじゃないか」こういう話が出ました。

 現在、原発の半径5km以内だけ補償しています。でも、5km以外でも被害が出ないわけではないので補償を要求しています。でも、韓国電力側の答は、「そこまで、支援すると5km以内の住民の支援が少なくなるので、それはできません」でした。

 漁民たちに対しては損害賠償をやったのに、農民たちは何も貰わないと我々だけ損をみたとか、こういうふうに、農民たちに対して、向こうはおかしいお金を貰ったにも関わらず、何かいやな感情を起こさせるという政策をとっています。漁民たちには「あなたたちには補償しますから絶対に農民たちとは連帯しないでください」という要求を出しています。反核運動している人がいれば、その家族、または知人、知人のお父さんにも、韓国では日本よりも親戚の範囲は広いですからその全部を動員して、ですから、一人が反対運動をするとその回りの家族・親戚まで全部に圧力をかけるのです。

  というところで反核運動をする人の中で、焼き肉屋をやっている人がいます。その人が反核運動を始めてから、その次の日からお客さんが一人も来なくなりました。霊光の場合は、反核運動をする奥さんがいましたが、そのつれあいの人が教師でした。それでその学校に韓国電力がコンピューターとかいろんな教育器材を利用して学校の方に圧力をかけて、その先生の奥さんが反核運動をしないようにして、結局、家族不和を起こさせました。

 韓国で反核運動ができたという一番強い力というのは共同体意識または、連帯意識でした。でも、原発が入ったところはこんな共同体意識・連帯意識がすでに崩れてしまったのです。それで、共同体意識が崩れたという毒の付いた針・毒針をやられたところは、反核運動が衰退することになります。いったん原発が入ればこんなに難しくなるというのを体験しまして、原発が入る前、その前の段階が、本当に一番大事だと、あまりにもあまりにも実感しています。

 そして、原発がある地域の実状を原発が入る予定地のところに知らせて、絶対原発が入らないように宣伝する必要があると思います。

 また、原発のある所だって共同体意識を回復するのが絶対に不可能だとは思いません。原発があるところの住民たちが連帯して、原発がある所でもまた新しく原発が入らないように運動する必要があると思います。

 そして、今まで、反対運動に成功した 、 とかに行ってみますと本当に地元の人が廃棄物が入らなくてよかったという事をよく聞きます。ほんとうにきれいな自然がそのまま残されて幸せだと思います。そんな平和な環境が珠洲でも巻でも続いていけるように支援しながら、私の報告をこれで終わらせていただきます。

 

 


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質疑応答

Q 日本の電力公社は地域分割されていますが、韓国の電力会社というのは、完全独占ですか?

ムン(通訳キムさん) そうです。韓国電力公社といいまして国営です。一つだけです。公の利益のために働きますと、労働組合でも言っていますが、悪いことばかりしています。

Q 韓国で新しく原発を建てようとした場合、土地の問題というのは強制収用で日本に比べては、楽に取れるんですか?

ムン 霊光5・6号炉の場合は最初の1号炉を準備する段階で既に6号まで計画して土地を買っておいたんです。10年20年前は地元の人たちが原発に対して詳しく知らなかったですし、それで一括で買うことが出来ました。私(キム)が付け加えますと、その時は、原発の着工式が、その村の祭みたいになってたんです。その時は都会から離れたところで、綺麗なところではありましたが、土地は高くなかったところで、ただみたいなところなんです。その土地を3倍で買ってくれるから、嬉しくて売ったんです。また、原発が分かってる人は、原発が建つと、不安ですから、自分の土地まで買ってくれるとありがたいと言ったんです。もし土地を売らない場合は、住んでいる人がいたとしても、韓国では土地収用令を発動して、強制的に買ってしまいます。

Q 電気料金自体は、原発が出来てから安くなりましたか、高くなりましたか?

ムン 上がったり下がったりしました。どうしてかと言いますと、80年代の全斗煥の時に余りにもいっぺんに原発を建てましたから、電気が余りすぎて、安くしました。電気消費を促進するために10回にかけて段々段々安くしました。それで90年代に入って、段階的に上がってます。今になって韓国電力は、新しい原発を建てる費用がないと言ってます。これからはそれで高くなるんじゃないかと思います。

Q 日本ではプルトニウムを利用すると言うことは核兵器の開発につながるんじゃないかという危険がありますけど、韓国で原発を動かすということは、そういう核兵器とのつながりで、反対派の中で考えられてはいないんでしょうか?

ムン そう見ることは出来ますが、電気料金の中の一部の金で、毎年800億ウォンぐらいを、原子力振興基金として上程します。その金は一体何処で使うかということを追跡してみると、その振興基金というのは、使用後核燃料のリサイクルで使うんじゃないかと思いますし、高速増殖炉を建設するのに使うために集めてる基金だと思います。フランスでも、ドイツでも、日本のもんじゅまでも失敗したにもかかわらず、韓国はあきらめずに、高速増殖炉の計画を持っています。これはやっぱりプルトニウムを確保したいからじゃないでしょうか。それが目的だと思います。今全然持ってないのですが、韓国電力は、各国に依頼して、再処理したがるんです。凄くしたがるんです。また原子力研究所では、こちらでは絶対外国に任せてはいけない、我々がしたいと要求しています。

Q 高速増殖炉計画と仰いましたけど、それは国策として決まってるわけですか?

ムン 勿論です。

Q 日本と同じように、国が計画まで決めるというものですね。

金 そうです。通訳なしで答えますと、原発の技術的なことはアメリカのまね、原発の強制的な面や宣伝の方法などは全く日本のまねをしています。この原子力会議では韓国は科技庁の長官まで参席してますが、次の回はきっと韓国のソウルでやりたいと主張するために行ったんじゃないかと我々は思っています。

Q 巻とか珠洲とかはその地方ではむしろ電力が余っているんじゃないかと思んですが、その辺のPAはどういうふうになっているんでしょうか。何故必要かと言っているんでしょうか。

桑原 巻では東北電力の原発ということで、しかしどうせ東京へ行くだろう、というのは東北電力管内というのは、新潟県もそうなんですが、移出県なんです。非常に余っていて関東方面にどんどん送っているんですね。

 それにあえてつくるわけですから、どうしても必要なら東京で作ればいいと当然でてくるわけです。それに対してこの2年ぐらいだと思いますが、巻原発の電気は東北電力管内で使いますと、それでも余っているから、結局は移出していく事になるのですから、同じ事で、どの電気を出すのかというのはまったくナンセンスな話なんですね。だから、自分達の所は移出県なんだから違う所で作れという非常に議論が住民の中からでています。

北野 珠洲市の方は計画しているのが関電、中電、北陸電力も絡んでますけど、これは地元の交渉の窓口みたいなかたちで、実際につくるのは中電関電なんですね。ですから北陸電力管内のダムや大阪の方に行く電力ということになります。だからそんなに必要なら大阪でつくれというのが、非常に単純でかつ電力側がクリアできない反対側の主張なんですね。これに対してとりあえず以前から言われているのが豊富な冷却水なり広大な土地なり、用地確保が望めないと駄目だという言い方がありますが、もう一つ、最近の電力会社の傾向というのか、力を入れてきてるのが、「地域共生型発電所」で、電気をこちらの方でつくらせて頂いた代わりに、私達は皆さんの地域の振興のために力一杯やらせて頂きますよという地域振興の踏み込んだ形での、単に金を落とすというよりも一緒にやって行くんだとそういう感じがしますね。関電なんかもその辺かなり力を入れてます。

司会 そうですね。関西電力は大阪に帰れとよく言われますね。すいませんね。ご迷惑かけております。僕の方からもう一つ、さっき桑原さんが仰ってましたけれども、結局地元の理解が得られなかったという言い方をしてて、そこに今度また倍額お金を落とすみたいな話になっているんですけれども、ほんとに地元説得不足だったのか。というのはひと月に20回くらい科技庁が来たとかいう話を聞いたことあるんですが。

桑原 今回の住民投票の日程が3月21日の段階の町議会で8月4日に行うということが決まりました。4月の段階で大体計画は決まったようなんですが、6月6日から7月の末ぐらいまでの間にいわゆる連続講演会というのが6回(1000人規模ぐらいのものが2回と200人規模ぐらいのが4回。)その他に懇談会と称して、地域別懇談会、年齢別、階層別、女性だけを対象にした、あるいは商工会関係者みたいな形で合計20回位だったと思います。我々も全部はチェックしきれていません。というのは6回の講演会と地域別懇談会はいわば公開をされておりまして、公開といっても無制限でなくて葉書で申し込むんですが年齢別懇談会・商工会関係の懇談会については推進団体が人選をしましてマスコミも含めて非公開、従って中身は分からないことになるんですが、そこでされている話は、参加者から話を聞くわけですが、原発のゲの字の話がない。つまり安全性とかエネルギー源としての必要性という話は一切なくて、もっぱら街の活性化にとにかくお役に立ちますという感じの中身しかない。つまり「公金がおりてこうなります、ああなります」公開の講演会の場でも資源エネルギー庁の課長が、島根原発鹿島町ではもう原発がなければあんないろんな物取れなかった町なんだという言い方をして、逆に原発があればどんどんできちゃうんだというような言い方をして、そのこと自体国会で若干問題になって科技庁の長官が行き過ぎだった、不穏当な発言だったということで謝ったというような、いわばもう利益誘導一本やりです。

その他は珠洲の話も韓国の話も(巻と)どこが違うのか、違うとこを探すのが大変なくらい同じです。

Q 私は、この環太平洋反原子力会議の日と衆議院総選挙の日が重なってたんです。それで不在者投票したんですけれど、巻町の住民投票では不在者投票は出来たんですか?

桑原 出来ました。

Q 郵便投票は出来たんですか?在宅とか寝たきりとか

桑原 郵便投票はなかったな。一応公職選挙法に準じたやり方をしたんですが、巻町の町内の病院に入院されている方については投票が出来ます。それで町以外の例えば新潟市はすぐ隣なんですが新潟市の病院に入院されている方については今回はできません。一応公職選挙法に準じてと言いつつも、いわゆる細則の部分ですが、それを何故カットしてしまったのか、私以外も選挙する団体も非常にうかつだったのかも知れません。

Q 当然日本人以外は投票できなかったんですか。

桑原 そうです。いわゆる現在の有権者ということで。

司会 巻の方で住民を逆撫でしたという話がありますね。逆撫でしたようなっていうのはひょっとすると助かるかもしれないという状況の中で推進側が何かをしたというのは具体的に詳しく説明してください。

桑原 94年3月8日に2期目が終わりそうになっていた佐藤莞爾という推進派の町長なんですが、彼は38歳くらいで非常に若くして当選したわけです。その際巻の原発計画がほとんど動かない状況でしたから、慎重推進とか言ってたわけなんですが、原発そのものは何も争点になってなかったんです。皆ほとんど動いてませんから。非常に若かったということもありまして、若年層の支持を作っておりまして、それからちょっとソフトな感じもそのころはあり、女性層の心をかなりつかんでたりというようなところがありました。そして原発についてはほとんどふれる必要が現実問題なかったわけです。そして2期目の時に、対抗馬の方が元々推進で町有地をどんどん売り飛ばした人ですが、返り咲きを狙って原発は凍結なんかいってでてきたわけです。それに対して佐藤莞爾という2期目を狙ったそのとき、彼の陣営が非常に困ってしまったようで、自民党の田中角栄の越山会系でしたから、選挙区は田中角栄と別です。正面切って相手が凍結と言ったからこっちも凍結で対抗すると言うことについては非常に陣営としては苦慮したようですが、当の佐藤莞爾については巻町の状況がひょっとするとできないかもしれないという期待感が町民の中に大きい中で一方は凍結という話になって推進なんて言っちゃうと非常に危ないというんでまあいわば長老たちを説得して彼も凍結という、両方とも二人の候補が凍結を出す、いう形で町長選になります。それが90年です。

そのときに佐藤莞爾を支持した方もさすが我々が信頼しただけのことはあったと思いますし、彼は元々民青の活動してた人ですから(会場笑い)、本音は彼は反対なんだという錯覚、誤解を町民の中に生みました。そして彼についていけば何とかなるんじゃないかと思った町民が一杯いました。ところがそれが2期目が終わる直前には電力とか凄い圧力だったと思いますが、94年の3月の段階で、その94年の8月に3期目を狙う町長選があったわけですけども、3期目の町長選については、原発政策については凍結を解除し推進で望みたいという表明をしたわけです。その時に裏切られたと思いをした人がたくさんいたと思います。この人はなんだかんだ言って確かに保守であるし表面は立場上推進て言わなければならないかもしれないし、本心は反対なのかもしれないと思ってあるいは思わせてついてきた部分がある。というのは彼の連れ合いもまた若い頃東京で民青の活動をしていた人でそういう仲間がかなり「ほんとは反対なんだよ」というのが口コミ的にかなり広まったというのもあり、それを信じた人たちがいた。まあ状況を見れば信じられるわけないじゃないかと私たち反対運動している人間からみるとそういうふうに見えるんですが、それを信じたいと思ったのかもしれません。それが裏切られたということです。

Q さっき韓国の方で小学校とか中学校とか学校教育の中で相当原発の宣伝がされているというのがあったんですけど、巻とか珠洲とか地域自治体の中で学校教育の形でそういう原発宣伝みたいのが特別行われています。

Q 巻の方で聞きたいんですが、反対運動をされてきて、巻に原発を作るのは反対だけども...どういう感じでいらっしゃるのかということと、もうひとつは新潟のベッドタウンとして、新興住宅地って言うんですか、住民が増えてきたとかいう話を聞いて詳しくは伺えなかったんですけど、普通過疎化していくところに原発を作るっていう構造なんですけども、巻町の場合は中途で増えるという現象が起こっているんでしょうか、人口の変化を教えていただきたいと思います。

桑原 直接的に小学校中学校で推進側の方からの圧力で原発はいいものだというのが特別になされているというのはおそらくないと思います。一般的に小学生や中学生の教科書、社会科等で出てくるのかどうかは分かりませんが、それは予定地以外のところと同じようになされているのではないかと思います。ただ、うっかりすると原子力の日の為の作文募集のポスターなんかが来たりなんていうのは小中高であるように思います。それから教育の場ではありませんが特に小中学校に関しては地元の教育長の方がものすごく気にしていて、住民投票だとかそういうものについては一切関わるな、教室でも話をするな、子供たちに向かって原発とか住民投票とかの話をするんだったら、あなた方も家に帰ってから関わるなというのがあって、割合忠実に守られていているというような気がします。

 それから巻町の現況ですが巻町は広い平野と山の向こう側に海岸の集落があり、海岸部の方はやや過疎化が進んでいます。海岸部には4つぐらい集落がありますが、原発予定地になっている という集落は最も過疎化が進んでいる。しかし山を越えて平野部に行くと、新潟県を代表する米所です。そこの真ん中にいわゆる市街地をなしているところがちょうど半分ぐらいだと思います、1万5千人くらいの人口がいる。その周辺がどんどん家が増えて、私はずっとそこで生まれ育っていますが、子供の頃田んぼだったところが、どんどん家が建って住宅地になってきています。それは人口が非常にゆっくり確実に増えているという状況です。ベッドタウン化という形でいわゆる新住民というのが多いのか比率はちょっと分かりませんが、そんなに多いわけではありません。つまり土地を買って家を建ててよその町から移り住んでという方もおられますが、目立って多いわけではありません。巻町自体で自然とゆっくり増えているというところだと思います。

北野 学校教育の中でということですけど町中がやっぱり原発の問題で二分されていますから子供たちも凄い関心があって、爺ちゃん婆ちゃんに言われて原発反対になったということで、推進派も子供対策というのはかなり意識をおいているんではないかと思います。子供たちが反対の意識を持つというのは、1つは学校の先生からの影響があるんじゃはないかということで、教育委員会がかなり学校の先生に対して圧力をかけています。選挙期間中なんかも特に神経質になっています。

それから原発の視察の話で、参加の条件として親子で中学生以下の子供と一緒にきてくれと、これは親の対策になりますけど、もう一つ子供の対策ということもあるんじゃないかと思います。最近そういう形の視察もかなり取り入れています。

 それから石川県の場合北陸電力がすでに志賀原発を造っています。そこのそばに、PR館があります。行政の方は好きですけど、あれあんまりおもしろくないんですね。で北陸電力が自分でアリス館という、子供を対象にして原発について理解させるような、また、子供が喜びそうな施設を造って、そこに、視察の日程を入れてまたテレビCMなんかでまた来てくださいということはかなりやってますね。

桑原 とりあえず、巻原発建設計画についての賛否、いうことで住民投票を行ったわけです。それが投票60%位を迎えた、有権者全体で54%位迎えた。その内訳の問題になってくるわけです。これは正確には勿論わからない。ただ巻原発計画に反対する理由は何ですかという朝日新聞新潟支局の世論調査があるんですが、巻町に対して、その中で一番多いのが、やはり巻町に造られることについての反対だというのが40数%でそれが一番多かったと思います。どこで造られようがとにかく反対だというのがその次になります。実際私たちが戸別訪問をしていて感じるのがそこが非常に厳しいところだと感じます。というのはとりあえず原発に反対の方に入れるけども、でもほんとはエネルギー、電力として原発がないと困るんでしょという人が実際かなりいます。だけど、自分が住んでいるところに造られるのはたまらないから反対する、という人はかなりいました。逆に言うと、私は賛成の方に投票する、という方のなかにも全く逆の人があって、やっぱり原発が危険なのはあなた達が言うとおりだと思うし本当だろうと思うし、解決されていない問題もその通りだろう。でも無いと困る、だから賛成に入れるんだという人がいます。だから同じ事を考えていて、つまり推進派の言い分にもおかしいところがあるだろう、反対派のいうとおりだろう、結果としてどちらに投票しようというときに、賛成に入れようという人と反対に入れようという人と両方でてくる。で結果として1万2千位の人が反対に投じ、8千人くらいの人が賛成に投じたわけですよね。私たちの任務はその8千人の人たちに対して原発が無くても大丈夫だよと訴える事だと思うし、1万2千人の中にも反対の方にとりあえず入れたけど原発そのものに反対するわけではないという票がかなりあるという事を私たちはよくふまえておく必要があると思います。決して有頂天になるような中身ではないんだということは、本当に心しておかなければならないことだと思います。それはひょっとするといつ逆転するか分からない要素を含んでいるという事です。

 多くの町民は少なくとも例えば向こうの主張そのものの中に新たに心が動かされたという人はその時点ではほとんどいなかっただろうと思います。例えば毎日地元のローカルニュースなんかでは出てましたが、特集番組なんかつくるために町民に対してずいぶんインタビューを試みたようですが、そういうものをみていますと、それこそ巻町の人たちは変にマイク突き出されても慣れてしまって、議会が始まると夕方になるとローカルニュースをつける。巻町の人たちにしてみたら当然だと思ってるわけです。毎日ニュースやるから。その中で度々インタビューを突きつけられるケースが非常に多い、インタビューしてみたいと人が集まりそうなところへわざといくお婆ちゃんもいて、そういう中で戸別訪問の場面で推進側の電力会社の人たちが、地震対策もしっかり大丈夫なんですというと、70歳ぐらいのお婆ちゃんが「ハハハそう言わなきゃ賛成しないもんねだれも」という。そういう痛快なところもありました。そういう意味では、畑で働いてるおばちゃんなんかのところにインタビューにいったら、そのおばちゃんは「住民投票行きますか」という質問に対して「それは行くよ!自分の町のことだもん」と非常に明快な意志表示をして、鎌もって畑のところにいるみたいな、こういう言い方はいいのか悪いのかわかりませんが、そんなに学校で色々勉強したりとか文字を読んだりとかいう生活習慣があまりないんじゃないかなという雰囲気の人がそういう風に明快な意志を既にその段階では持っていましたから、住民投票の日程が決まってからの推進側の工作というのは、先ほど珠洲の方からも話がありましたが、同じ人が何度もそれにのってるわけで、接待などで推進側なり電力会社の人が、新しい人を次は連れてきてください、一人でいいから新しい人を連れてきてください、いう風に言うんだそうですけど、いつも同じメンバーで、行ってる方も喜んで行ってるわけではなくて、仕方がないから来てるんであって、「おかしいなあいつ来るって言ってたんだけどな」みたいなことを言ってごまかしてるんだと言ってました。まあそんなような状況ですから、推進側から見たときには、もう半年ぐらい暖簾に腕押しみたいな形で、全然反応がないと、いう状況です。

司会 今の話で聞きたいんですけど、韓国ではどういう人たちが視察に行ったりしているのか、今の話では同じ人が何度も行っているという事だが、韓国ではどうなっていますか?通訳している間に珠洲の話をしてもらえませんか。

北野 珠洲の方の視察旅行のこれまでの展開というのをちょっとだけ見ますと、同じ人が何回も行くというのはありますけど、知っている人はもう行かないです。最初の頃は一泊二日で珠洲から行けるところ、福井、それから柏崎ですね。何回も行ってるともう、「観光旅行」しとっても行く所も限られてきますから、だんだん遠い所、それも飛行機に乗っていけるところ、北海道の泊原発、九州の女川、川内、玄海とか、そういうところを二泊三日の飛行機旅行で行くというパターンがだんだん増えてきています。それから石川県の場合、3年前に北陸電力が作った石川原発が稼働しました。やっぱり一番いいのは遠いところの地域振興の状況でなくって、すぐそばの能登半島の志賀町で、原発を作ってこんなにいろんなものができて、しかも地元の人たちが事故の不安に脅えずにこうして暮らしているじゃないかというのを一生懸命見せたがるということで、地元のそばの鹿町に日帰りで連れていくっていくのがパターンになってきていますね。

ムン 韓国電力では原発を視察した人は全国の10%、400万だと宣伝しています。私はそれぐらいまでは多くないと、たぶん誇張だと思います。主に学生たちの修学旅行の中に入れる形が多いと思います。また主婦サークルや主要大学とかこういう団体を利用しますし、もちろん飲ませ食わせ、楽なところで宿泊できるような一泊二日のシステムが多いのです。どうしてもPR館だけ見て帰った人たちは原発に対していい感じをもって帰る人が多いと思います。霊光の場合は修学旅行できた高校生に対して反核団体がマイクで放送したことがあります。視察が終わってPR館の前を高校生たちが歩いていてたときに、反核団体がマイクで、ちょうどその時雨が降ったそうですから、「学生のみなさんこの雨は放射能の雨ですから早くここを出ていって下さい」と言ったら学生たちが驚いたそうです。

 また原発がある所では、力があるというか地元の中でも長くそこに住んでいた人、影響力がある人を何人か選抜して、外国まで視察旅行を送ったりします。その人たちが評価した報告書を読んでみたら、住民たちを懐柔する方法では海外旅行が一番よかったと。それで原発推進の日本とかフランスに送って、その人たちに集中して宣伝させた方法が一番成果があったと向こうの報告書では載ってました。住民たちへの講演会もよくあるんですが、向こう側がよく言うのは、原発があると交付金もたくさんあげると言うことです。そうなのに、住民からの反応は、一体どうしてそんな莫大な金をくれるのか、それは結局危ないからじゃないのかと、そんな声が出て、それが周りの住民達にかえって反響があったらしいのです。なぜそんなに金をくれるのかと聞いたら、向こうの専門家達が説明するとき、六重にも重なってて絶対安全だと答えるんだそうです。そしたらまた住民達の方が、そんなに安全ならなぜソウルに作らなければならないかと言ったら向こうは何も答えなかったそうです。

司会 時間もないんですけど、せっかく韓国と日本の反対運動の人たちが来てますので、(日本の)お二人の話を聞いて質問とか意見は?

ムン 巻は韓国でも大変有名になりました。韓国で(原発問題に)興味を持っている人々は住民投票でこれを防ぐことができるんだ、こんな方法もあるんだなと意識し始めて、希望を持ち始めました。
 それで、一つは質問で、一つは提案があります。原発問題は限られた地域だけの問題じゃないのに、限られた地域だけで選挙するんですが、それは問題があるんじゃないかと韓国の方でも色々議論がありましたが、自分の住んでいるところだけは原発を建ててはいけないという投票に対してどう思いますか?またもし住民投票をして負けたらどうする対策でしたか?

桑原 一つは原発ができて事故があろうが無かろうが日常的に放射能が出ている、その影響はもちろん巻原発が仮にできたとして巻町だけの問題じゃないということです。巻の住民だけで投票するのはどうかというのは自分もしたいんだ、何故出来ないんだという意味で周辺の市町村からあるいは県内の家族からの声はありました。それはもっともだと思います。私たちは巻町の、いわば行政的にその敷地の中につくられたから巻の住民だけで決めればいいと思っているわけでは決してありませんが、ただ具体的に現在の日本のいろんな行政手続きの中でたまたま巻町の場合には予定地の中に町有地が残っていたわけでそれを売る売らないという問題があり、なおかつ多くの住民が今回の住民投票に力を感じたというかリアリティを感じたのは、町有地が残っているからだと思います。みんなが反対という意志表示をすれば、条例の中に町有地の売却については住民投票の結果を尊重しなければならないというのがありますから、そのことがリアリティを与えたし、参加意欲を高めたと、いうふうに思います。従って巻の住民だけが巻原発についての可否を決めればいいと思っているわけではありませんが、現在の日本の行政システムの中では有効性を持ったという事だと思います。またそれが歪められてしまったという責任みたいなものもあっただろうと思います。

 それからもう1つはもし住民投票で負けた場合の話ですが、私たちがそれを一番厳しく感じたのは実は94年10月に「巻原発の住民投票を実行する会」という中立の組織が生まれて、95年の1月22日〜2月5日まで2週間の間、町民自主管理の住民投票を行いました。それは締め付けが厳しかったし、元々自主管理でありますから、現在の住民投票の結果ですら、推進側は意義をなるべく低めようとしているわけです。しかし、そうであるが故に、万が一投票率が低かったり、賛成の方が多かったりしたら、これはもう反対運動そのものが完全に巻の中でほとんどぐうの音が出ないような状況で潰されていくだろう、というものすごい危機感はありました。住民投票というのは両刃の剣だと思います。特に日本のように情報を握っている側が情報操作をやっている中で、そういう限られた情報しか住民に与えられていないという状況で、住民投票で意志表示をしていくというのはほんとうに危険なことだと思います。それが住民投票や国民投票というものをほんとに有効にするためには、あらゆる情報を開示させる力量を持たないと、とても危険なことだ、巻町の場合にはたまたま推進側が10年ほど、ほとんど動けなかった時期に、ほんとに細々ではあるけども反対運動側は10年間住民に情報を提供し続けた、それでかろうじてカバーをしてきた。そうでなければ、なかなか大変なことだと思います。そこを乗り切るのは私もほんと必死でしたから今回の住民投票は、全く負ける気はありませんでした。勝つことは間違いないという自信はありました。だから私たちが大きな一歩を踏み出したのは今回の住民投票ではなくて、むしろ95年の1月22日〜2月5日まで行われた町民自主管理の住民投票が、大袈裟にいえば、巻町の原発反対運動の生死をかけた運動だったと思ってます。そして実行する会が10月19日に説明会をして、発足したんですが、それ以来反対運動やっている私たちも、私の仲間もそうですし私もそうですが、ほんとに人に呼びかけに廻らなかったというのはあの年は元旦の1日だけでした。ほんとうに必死に廻りました。ほんとにあの、これで負けたら反対運動は出来ないという切迫感がありました。で負けたらどうなるかという事はあまり考えませんでした。負けたらもう出来ないと思いました。

金 もう一つ提案ですが、それで韓国でも勝つことが出来るんだという自信感を持つきっかけになりました。巻の選挙は。もし機会があれば、時間があれば、韓国に訪れまして、巻の体験なども、聞かせて頂ければ嬉しいと思います。(会場拍手)

司会 リアリティのある提言でいいですね、実現してほしいですね。

 実は珠洲が市長選では負けてるんですけど、覆した力があるのでちょっと珠洲の反対運動の状況もちょっと韓国に持ってかえってもらいたいと思うんで、力強い提言を

北野 巻の住民投票の2週間前ですが珠洲でも市長選の投票があったんです。今度の選挙は、3年前に行われた選挙が色々不正があったという事で私らが選挙無効の裁判を起こしまして、高裁で無効判決を勝ち取り、上告審の最高裁の方でも上告理由は木っ端微塵に砕かれて、選挙無効が確定しました。全国のみなさんもこれを受けてのやり直し選挙なら負けるわけがないと、そういう見方も一部であったようですけれど、やっぱり最後の最後まで力のあったものが勝つんですね。私も議員になって選挙を何回もやってますから、これは住民投票でもそのあたりは共通すると思いますが、楽観ムードがでたら負けで危機感持った方がやっぱり強いというのはあります。逆に言いますとそれは全部推進側の危機感だったんです。選挙に負けた、もんじゅの事故もあった、巻の住民投票もある、新しくたてた候補者は全然知名度がない、全部推進側の危機感になって、ここでもし負けたら珠洲の原発はほんとに出来なくなるという危機感がありました。それに対して私らの方は、今度の選挙で負けても、すぐには出来ないだろう。これは客観的な状況としてあるわけなんです。相手方の推進側の候補にしてもすぐにやると言っていない、結局争点をぼかして話し合い路線と言っていた、それからもう一つ石川県の場合に大きな歯止めとなっているのが、知事です。県知事が慎重姿勢で珠洲の場合は住民の合意が出来てないから駄目なんだという姿勢をとっとるんですね。話し合い路線の市長が受かっても合意が出来たことにならないですから、それから知事が判断する基準として5つほど基準を言っています。選挙の結果、漁協の同意、それから反対運動の状況、地権者の同意、環境団体の動向、こういう5つの基準でそれを総合的に判断するという言い方をしてます。漁協なんかでいうと反対運動で中心になっているのが珠洲で今一番大きな蛸島漁協です。用地買収もまだまだ残っています。そういう状況で、すぐには知事もゴーサインは出さないだろうという客観的な状況もあります。それが重なり今度の選挙の場合、前回以上に差を開けられたというのはそういうことが背景にあるんかなと思ってます。

 司会 最後に発言していただきます。

桑原 今日は巻町の話を聞いていただいてありがとうございます。私どもがやってきたことは、先ほどもちょっとお話しましたが、巻町という小さなフィールドのなかで原発を作らせないという運動にこだわってきました。むしろ、私たちのグループは原発反対運動以外には口を差し挟まないように、何もしないようにしてきました、意識的に。

 従ってその事が巻町にとっていいのかどうか分かりませんが、やっぱり運動は自分たちの置かれてる状況をよく見て自分たちがこれが大事なんじゃないかということを自分たちでつくり出しながら考えながら進んで行くしかないんじゃないかと思います。よその地域とかうまく行った地域、あるいはうまく行かなかった場合も含めて、参考にはなっても真似することは出来ないんじゃないかという気がします。だから巻のことをお話していても、住民投票やって凄いなあというふうにいわれるわけですが、そこにいたる経過はやはり「巻は巻らしく」だったのであって、それぞれの地域で各自そこに至るにしても、その地域らしく至って頂きたいなあという気がします。

北野 全く私もその通りだと思うんです。巻で住民投票やって勝った。じゃ珠洲でやって勝てるのか。巻の場合は勝てる自信があって、その状況を考えてやったと思うんですね。冷静な現状分析と戦略の立て方、そして行動力、それが絡んで見事勝利を勝ち取ったと思いますが、巻で住民投票やって勝ったんだから、じゃあ珠洲でもやったらどうかという話もあるんですが、珠洲はやっぱり厳しいなという、もしかしたら勝てるかもしれないけど、勝てる自信は私は今の段階ではないんです。公職選挙法の下でもどんどん金がばらまかれ票がひっくり返っていく。公職選挙法が適用されない中で(行われる住民投票は)それは住民がそれなりに力を持ってないと勝てないんじゃないかなと思うんです。原発ができるところはどこでも民主主義の意識がないと言いますが、珠洲の場合はまだそれがかなり強いという感じはしています。そういう中で珠洲にあった運動というのをきちんと立てていかなければならないなと、今のところではそういうことだろうと思います。珠洲の場合、推進反対の力関係でいうと私らはやっぱり今まで一歩一歩着実に押してきたなという思いは持ってます。別にこれで負けた終わったというわけでは全然ありませんから、むしろ推進派はかなり困ってるんだという気がしています。これはPAの話に戻りますが、また珠洲の場合計画発表以来21年間でまだまだ計画の初期段階で、推進派の人らもいつになったら出来るんか、電力会社もしっかりやれやという感じがかなりあるんです。電力の方も地元の推進派に見放されたら終わりだっていうのがあるわけです。そういう意味で先ほど言いましたように次から次とあめ玉を小出にしていく。そういう中で推進派を何とかつなぎ止めてやっていきたいということで向こうも向こうなりにかなり無理をしているなというのは感じます。というのは結局原発誘致の切り札として地域振興ということがいわれるわけです。しかし、次から次と地域がよくなってくれば、原発はいらないという話になってくるわけで(会場笑い)向こうの戦略は凄いジレンマにあると思うのです。これは行政の方もそうなんです。原発の出来るところはいろんな意味で社会資本とかそういうものが遅れているわけです。また計画が遅れれば遅れるほど、次から次とどんどんそれなりに用意しなくてはいけない、整備をしていかなくてはいけない。能登の場合2001年に能登空港というのが出来る予定で半島地域でいえば原発計画地域というのはかなり社会資本の整備が進んでいるんです。だから、もう一段向こうの方がレベルアップしないと出来ないと、そういう状況に追い込んでいると感じています。そういう中ではきちんと政治の場でも闘いきれる力を付けていかなければならないと思います。

ムン 霊光郡州が霊光原発の5・6号炉を復活する、復活しない、こういう騒ぎの中で凄く緊張したり、またはもっと積極的に止めさせるんじゃないかなと自分をせかしたり、反省をしました。やっぱりこれは長く続けるべき闘いだと思ってます。掘業島核廃棄物処理場の運動の時に、掘業の人たちがおっしゃった言葉があります。「真実は必ず勝利する」という言葉なんですが、私たちもその言葉を信じまして、これからもっと努力しようと思います。94年掘業島核廃棄物処理場が選定されて、全国から政府とか当局ではあらゆるマスコミを動員して宣伝をしたんです。いわゆる日本の六ヶ所村、フランスのラアーグはこんなに安全でこんなに溌剌と生きてると、有名なタレントを利用してそういう宣伝をしたんです。その時に私たちが悩んだことは、どうしてこの真実を国民に知らせるか。それで始まったのが94年のソウルの 、一番繁華街で全国反核運動本部が毎週木曜日反核集会を始めました。ほとんど毎週続けています。私たちはこの木曜反核集会を国際的な
「観光商品」として売ろうと思います。ですからみなさんソウルへ来られましたら反核広報活動が出来ますから是非いらして下さい。(会場拍手)

司会 ほんとにすばらしい提案がありました。観光の際は反原発運動もやれるということが分かりましたので是非ソウルへみなさん行って下さい。

 ほんとに今日は4人の方、巻から桑原さん、珠洲から北野さん、韓国からムンさん及びキムさん、ほんとに忙しい中来ていただき、どうもありがとうございました。

http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/pbnc/b2/b2.html

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