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その昔、僧侶は医者であり学者であり教育者でありマスコミ(情報発信
者)であった。大戦中、陸軍軍人より海軍軍人のほうが開明だったと聞く。
外の世界の情報に接する機会が多いからである。今、情報に多く接する者
と言えばインターネットをやる人々だろう。
阿修羅の場合他の板からIT板にたどり着く人の方が、IT板→他の板
のパターンよりも圧倒的に多いとは思う。しかし、技術馬鹿になりたくな
い人は、下記のような記事を読むことはとても有益だろう。今現在、自分
たちがどういう世界に生きているかを意識することは、セキュリティにつ
いて考える時などとても大事なことだと思うからである。どういう世界に
生き、さらに外の世界への問題意識を持つかどうかで、同じセキュリティ
情報に接するにしても、気づきも理解の深さも全然違ってくるはずである。
これは、小生自身の体験と実感である。
見えてきたイラク復興の道筋 2004年2月6日【田中 宇の国際ニュース解説】
http://www.tanakanews.com/e0206iraq.htm
イラクの新政府作りが、アメリカ主導から国連主導に切り替わる動きが進んでいる。アメリカは昨年11月ごろから、イラクの新政府作りを国連に手伝ってもらおうとする動きを強めていたが、これまでは「アメリカの傘下で国連がイラク新政府作りを手伝ってくれ」という要請だった。
従来ブッシュ政権は国連に対し、アメリカのイラク占領軍政府(CPA)から独立した権限を与えるつもりがなかった。そのため国連側は「権限がはっきりしない以上、イラクに人を出せない」と言っていた。(国連は昨年8月にバグダッド事務所を自爆攻撃され、デメロ代表が殺された後、イラクから撤退した)(関連記事)
ところが、2月3日に国連のアナン事務総長と会談したブッシュ大統領は、イラク新政府を作るためにどのような選挙(もしくは代表者会議)を実施すべきかという決定を国連にゆだねることを表明した。国連は近くイラクに特使を再派遣し、シーア派やスンニ派などのイラクの主要勢力と調整し、新政府を作るやり方について決定することになっている。この件に関し、ブッシュは国連がどんな結論を出しても支持することを表明した。(関連記事)
これは、イラクの新政府作りに関して、国連がアメリカの占領軍政府より強い権限を持ったことを意味している。イラク情勢をめぐって鋭い分析を展開し続けている米ミシガン大学のジュアン・コール教授は、自分のウェブログで驚きを表明し「チェイニーやパール(タカ派とネオコン)は"1年前に国連は死んだと思っていたのに、何でこんなことになったんだ?"などと愚痴りながら、やけ酒を飲んでいることだろう」と書いている。(関連記事)
また、昨年末にシーア派イスラム教の最高指導者であるシスターニ師が昨年末「早期の選挙をやらないとシーア派は納得しない」と言い出したとき、すでに「システーニは国連をイラクに呼び込み、アメリカはそれを支持せざるを得なくなり、イラク復興は国連主導になる」と鋭く予測していた「Swopa」という人のウェブログは、今回は「イラク駐留米軍は国連の管轄下に移行し、イラク人が自分たちの治安維持ができるようになるまで、(現在の米軍撤収予定日である)6月30日以後もイラクで治安維持を担当するだろう。さもないとイラクは内戦に陥る」と予測している。(関連記事)
アナン自身、ブッシュと会談した後「必要なら、6月末という日程にこだわらない」と言い出している。またニューヨークタイムスによると、米政府の高官からは、イラク人はアメリカから政権を委譲された後も、国連に頼って新国家作りをするようになるかもしれない、という予測も出始めている。イラク復興をテコに、国連が再び権威を取り戻す可能性が増している。(関連記事)
イラクが国連主導で復興する方向に動き出したことは、アメリカ中枢で「中道派VSタカ派」の抗争が中道派(国連重視・国際協調派)の勝利で決着がつきつつあることを意味している。ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官というタカ派ラインは、イラクに侵攻する理由として「フセインが大量破壊兵器を使いそうだ」というウソを、ウソと知りながら主張したとして、しだいに窮地に追い込まれている。ブッシュ政権がイラク復興の主導権を国連に渡さざるを得なくなったのは、この弱体化の結果だと思われる。(関連記事)
今後、このウソをめぐるスキャンダルの追求がどこまで激しくなるかによるが、ブッシュ大統領が11月の選挙で再選される可能性は下がり出した。その分、対抗馬の民主党の陣営は勢いづいている。(関連記事)
中道派は、イラク戦争を防げなかった(防がなかった)代わりに、以前よりも国連を強化することができ、タカ派を駆逐し、念願の国際協調体制を実現し始めている。イラクの復興が国連主導になるなら、自衛隊派兵に対する日本国内の反発も弱まる(ウソをついたブッシュ政権をやみくもに支持し続けた小泉首相に対する非難は出るかもしれない)。
▼3人になるイラクの大統領
国連がイラク復興を主導する動きが明確になってきたのと平行して、これまで可能性にすぎなかった「イラクの分割」が、しだいに現実のこととして姿を現し始めている。新しい動きのひとつは、2月末に制定される予定のイラクの基本法(暫定憲法)の中に、大統領を3人にする権力形態が盛り込まれそうなことだ。
(今の予定だと、イラクでは2月末に暫定憲法を決めた後、3月末に将来的な米軍のイラク駐留形態がイラク人側との間で決定され、5月末に暫定憲法に定めた方法で「国民会議」を開催し、そこで大統領など暫定的なイラク新政権の人事を決定し、6月末に大統領らが就任してアメリカから政権を移譲されることになっている。その後、2005年にかけて選挙が行われて正式な国会が召集され、正式な大統領が選出され、暫定政権から正式な政権に移行する予定になっている)
イラクの主要な三つの勢力であるシーア派イスラム教徒アラブ人(人口の約60%)、スンニ派イスラム教徒アラブ人(20%弱)、クルド人(約20%)の中から1人ずつ大統領を選出し、3人が「大統領評議会」を作って、その中の一人が輪番制で国家元首をつとめるという「三頭政治」のシステムが、基本法の素案として1月末に出された。(関連記事)
素案はイラク暫定評議会が議論のたたき台として作ったもので、評議会の中のスンニ派勢力が中心に提唱し、シーア派の評議会議員も素案に反対しないと表明している。この流れから考えて、大統領評議会の制度は、フセイン政権下の特権勢力から少数派に転落しつつあるスンニ派の不満を和らげるために、シーア派が打ち出した方策ではないかと思われる。国連がこの素案をどう見ているか、まだ何も報じられていないが、国連にも事前の根回しは行われたはずだ。(関連記事)
(イラク暫定評議会は、アメリカの指名によって作られた「傀儡」色の強い組織なので、暫定政権を作るための、そのまた暫定の「政権以前の政権」と位置づけられている)
▼大統領3人制のマイナス面
大統領3人制は、シーア派とスンニ派を和合させることができるかもしれないが、良くない副作用がある。これまでイギリスの植民地として「イラク」というかたまりが作られてから80年以上、何とか「スンニ・シーア・クルド」という分裂を乗り越えて「イラク人」という統合された国民意識を作ろうとしてきたのに、大統領3人制はそれを短期間で崩壊させかねない。
欧米はすでに、大統領3人制を、旧ユーゴスラビアのボスニアの新政権で実施している。ボスニア人、クロアチア人、セルビア人から1人ずつ大統領が選出され、その中の一人が輪番で国家元首をしている。
ところが、この制度にした結果、たとえばクロアチア人の政治家は、他の民族からの得票が全く期待できないので、クロアチア人の有権者のことしか考えなくなり、ボスニア国民である前にクロアチア人であるという意識がどんどん強くなった。国家的に何か政策を決めようと思っても、3民族の間での利権調整に時間がかかるようになり、抗争が増えて意志決定が難しくなっている。(関連記事)
「国家」は国民の意識が統一されているほど団結力が増し、強い力を発揮できる。特にイラクには石油という巨大な収入源があるので、国民意識が統一されていれば、たとえ一時的に石油利権をアメリカなどに奪われても、いずれ利権を取り戻して再び強くなることが可能だ。だが、大統領3人制は、逆にイラクの国民的な統一を失わせる。このままいくと、イラクは二度とフセイン政権下のような強い国に戻れなくなる。そして、民族間の対立が内戦に発展する危険を抱えることになる。
▼独立傾向を強めるクルド人
イラクが分割していきそうなもうひとつの兆候は、イラク北部のクルド人が独立傾向を強めていることだ。
イラク北部のクルド地域は、キルクークとモスルの2大都市周辺と、その外側の丘陵地帯という2つの種類の地域から成り立っている。もともとクルド人はイラク北部全域にまんべんなく住んでいたが、2大都市の近辺は巨大な油田地帯になっているため、フセイン政権は油田地帯を「クルド人地域」から「アラブ人地域」に変えようとして、クルド人を2大都市近辺から追い出す強制移住策を行い、代わりに南部などから北部2大都市へのアラブ人の移住を奨励した。クルド人は2大都市周辺の丘陵地帯で、ある程度の自治を行うことを許された。(関連記事)
湾岸戦争後のフセイン政権弱体化の中、クルド人はアメリカの支援を受けて自治を強化し、昨年の米軍のイラク侵攻でフセイン政権が崩壊したすきに2大都市にも進出し、クルド人は北部全域を統治するに至った。その後、イラク暫定評議会で展開されている新生イラクの建国議論の中では、クルド人は2大都市の統治権を放棄すべきだという圧力をかけられている。
だがクルド人は「サダムが石油利権を確保するためにやった強制移住政策は正当化できない悪行だったのだから、クルド人は2大都市に戻る権利がある。油田の権利も半分ぐらいはクルド人のものだ」と主張し「サダム時代の統治範囲に戻れというなら、新生イラクから離脱せざるを得ない」と表明している。(関連記事)
(正確には、イラク北部の2大都市は歴史的に見て「クルド人の町」ではない。昔から、アラブ人とクルド人という2大勢力のほか、トルコメン人、アッシリア人なども混住する町だった)
クルド人内部では従来、PUKとKDPという2つの軍事政治組織が対立してきたが、2つはこのところ関係を緊密化して連立政権となっており、クルド人内部での団結が進んでいる。その一方、クルド人とアラブ人の衝突事件や、クルド人組織の建物での爆破テロなどが起き、クルド人とアラブ人との対立感情が高まっている。(関連記事)
イラクの人口の60%はシーア派アラブ人なので、ふつうに選挙を行って政権を作ると、シーア派の政権ができ、20%しかいないクルド人は万年野党になってしまう。新生イラクがその方向に進むと、その分だけクルド人は独立傾向を強めていく。そうならないようにするには、あらかじめクルド人にもある程度の権力が与えられる政治体制を作っておく必要がある。それが「大統領3人制」を必要とする原因のひとつになっている。
だが、大統領3人制は不安定なシステムだ。3人制がうまく機能しなくなれば、クルド人は独立傾向を強めるかもしれない。国連がイラク復興を主導するようになる過程で、国連関係者がいろいろな発言をしたが、その中には「クルド」という言葉がほとんど見あたらない。「スンニ派とシーア派を和解させる」「選挙方法をめぐるシーア派と米占領軍政府の対立を解消する」といった目標しか報じられていない。このことから、すでにアメリカや国連は、クルド人のある程度の独立(イラクの連邦化)を容認しているのではないかと思われる。(関連記事)
▼イラク分割とトルコ
大統領3人制の元になった「イラク分割案」アメリカ米政界で出てきたのは、イラク復興を国連に任せようとする動きが表面化した昨年11月のことだ。当時の私の記事「世界大戦の予感」で、そのことを紹介した。
フセイン政権の消滅後しばらくは米政権内でタカ派とネオコンが強かったので、ネオコンの息のかかった亡命イラク人であるアハメド・チャラビが、米軍の力を背景に暫定評議会をまとめて独裁的な大統領になり、米政府はチャラビの強権発動を黙認し、米などのマスコミは「チャラビ大統領は民主主義をやっています」とプロパガンダを流す展開になりそうだった。
ところがその後、イラクではゲリラ戦がおさまらず、米国民からの支持が減っていったブッシュ大統領は打開策を打つ必要に迫られた。米政権中枢では、現実的な政策を採る中道派が強くなり、伝統的に中道派のシンクタンクである「外交評議会」が11月に打ち出したのがイラク3分割案だった。
この案は、イラク人にとっては自国の分割を容認する政策だが、イラクの周辺国や国連、EUなどにとってはプラス面のある別の政策が抱き合わせにされており、その意味でイラクの分割をテコに中東を安定させようとする中道派的な戦略となっている。イラクの3分割(連邦化)と抱き合わせで行われている政策のひとつは「トルコのEU加盟」と、その露払いとなる「キプロスのEU加盟」だ。
長くなってきたので、このことは次回に解説する。
【続く】
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