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町村合併で消える松浦武四郎の出身地名(萬晩報)
http://www.asyura2.com/0311/ishihara7/msg/345.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 3 月 01 日 22:52:14:eWn45SEFYZ1R.
 

http://www.yorozubp.com/0403/040301.htm

1997年10月に「松浦武四郎が明治2年、エゾ地を北海道と命名した」というコラムを書いたことがある。三重県に来て分かったことは、松浦武四郎(1818−1888)の出身地が現在の三重県一志郡三雲町だったことである。当時、どこの人であるかさえ無頓着だった。津市に住居を構え、その三雲町が隣町であることに何かうれしさを感じている。

 9年前に「北海道独立論」というコラムを書いた時、北海道という地名の由来に興味を抱いた。地名の由来についてはそれまでほとんど無関心だった。

 筆者の故郷の「高知」の名は、山内一豊が土佐国に入り、現在の高知市の鏡川のほとりに築城したことに由来する。城を建てたところが「河内」だったのである。「かわち城」と呼ばれ、それがなまって「高知城」となった。一豊が命名したという説もないではない。

 日本は古い歴史の国であるから個人が命名した地名などそう多くはない。北海道はその数少ない例の一つだったのである。松浦武四郎が新政府に上申した『建白書』に由来することがはっきりしている。武四郎は「日高見道」「北加伊道」「海北道」など6つの名称を上申した。そのうち「北加伊道」が採用となって、「加伊」が「海」に変更された。新政府は、エゾ地を管轄する役所(北海道開拓使庁)を設立するにあたり新しい地名がほしかったのである。

 その建白書の中で武四郎は「北加伊道」について次のように書いている。

「夷自らその国を呼びて加伊という。加伊は蓋しその地名。その地、加伊と名づく其の人鬚長く、故に蝦夷の字を用い、その実、唯だ鰕を取りて之を名づくるに非ざるや。加伊と呼ぶ事、今に土人共互いにカイノーと呼ぶ。女童のことをカイナノー、男童のことをセカチーヌ訛りてアイノーとも近頃呼びなせり」

 つまり「加伊」という発音はアイヌたちが自らの土地を呼んだ言葉だということをいいたかったのである。少なくとも彼の地にケモノヘンや虫ヘンがつかなかったのは幸いである。もっとも武四郎自身がアイヌのことを「夷」だとか「土人」と呼んでいることには現在からすると相当な違和感があるが、戦後になっても「北海道土人保護法」という法律が存続していて、つい最近、平成になってから廃止されたことをわれわれも猛省しなければならない。

 北海道命名の経緯については http://www.yorozubp.com/95-97/971013.htm を参照。

 三雲町は、雲出(くもず)川に沿ったのどかな田園地帯である。今も旧伊勢参道が残っていて、集落の外れに武四郎の旧家も現存している。下級武士である郷士の出身だと聞いていたが、なかなか立派な屋敷である。「松浦武四郎記念館」が建てられ、武四郎の業績を顕彰している。町が生んだ唯一の偉人であるところから、年に一度の「武四郎まつり」までとりおこなわれている。全国的には知られていなくとも三重県では松尾芭蕉や大黒屋光太夫と並んで超有名人である。そういえば三人とも人生を旅で過ごした共通項を持っている。

 武四郎は16歳の時、江戸に遊学に出て篆刻を学ぶ。翌年、17歳から諸国遍歴の旅が始まり、晩年まで全国をくまなく歩き続けた。エゾ地には計6回の探検を試みている。前3回は自前で、後3回は幕府の役人として踏査した。32歳にして完成した「蝦夷大概図」や『三航蝦夷日誌』などの旅行記によって幕府に認められたのである。それにしても誰が武四郎の私的なエゾ地踏査に金を出したか不明であり、なぞである。

 武四郎の功績は、エゾ地の地図に克明な地名を記したところにある。すべてアイヌからの聞き取りによって地名、川の名、山の名を書き記した。表記は当然、カタカナである。

 武四郎はエゾ地に関する書籍を数多く残している。そのうちの何冊かを読んだが、アイヌを描いた人物や風物の挿し絵が実にかわいらしい。アイヌに対する愛情がその挿し絵に乗り移っているような気さえする。当時、日本人がエゾ地にやってきて数々の蛮行を繰り返すのだが、その蛮行に対しても『近世蝦夷人物誌』の中で批判している。

 当時のアイヌをめぐるロシアと日本の歴史的軋轢は船戸与一の小説『蝦夷地別件』(新潮文庫)にも詳しい。一読を薦めたい。

 三雲町はまもなく松阪市に合併される運命にあるため、松浦武四郎は来年からは松阪の出身ということになってしまう。ちょっと違うのではないかと思うが、そんなことがこの地で議論されたことはほとんどない。もっとも武四郎が生まれたころ、この地は一志郡須川村と呼ばれ、その名前の村はもはや存在していないから、どうということもないのかもしれない。

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